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◇◇◇
雨は少ないが、梅雨明けは遅かった。ようやく梅雨明け宣言がされたころには、テスト期間が始まっていた。部活はお休みである。
このころ、康子と美空は放課後の誰もいない美術室に居残って、二人でテスト勉強するのを日課としていた。とはいっても、美空は暇さえあれば勉強の手を休めて何かをスケッチしているばかりなのだけれども。
七月の空は抜けるように青く、そこに粘土細工のようなもったりとした入道雲が湧いている。その青が映り込んだ窓辺に座った美空は、どうやら校庭に見える何かをスケッチしているらしい。顔は表に向けたまま手元などほとんど見ず、シャッシャとスケッチブックに鉛筆を走らせている。
康子はこの様子に呆れて、声をかけた。
「ねえ、勉強しなくていいの?」
美空はハッと顔をあげ、それから屈託なく笑った。
「そっか、これ、勉強会だったね」
笑いの形に口角の上がった彼女の唇にうっかり注視してしまって、康子は赤面した。
あのキスの後――特に二人の関係が変わったということはない。美空は、その日の帰りには何事もなかったかのようにいつも通りの笑顔で、それっきりキスのキの字も話題に上がらない。
そのじつ康子は、身の内に芽生えた妖しい感情に翻弄されて……早い話が、美空ともう一度キスをしたいと思っているのである。だから、こうして会話している間も美空の口元ばかり見つめてしまう。
美空はそんな康子の視線に気づいているのかいないのか、再びスケッチブックに視線を落としてそっけなく言った。
「てか、私のことよりさ、ヤスコは勉強しなくていいの?」
「そうね、別にしなくてもいいんだけど……」
水泳部の顧問は、康子がスポーツ推薦を受け入れるのだと信じて疑わない。だから「0点だけはとるなよ~」なんて冗談を言われたくらいだ。実際、毎回平均点以上をとっている康子は、スポーツ推薦を受けるなら学力的に不足はないのだ。
「むしろ夏の大会、あれでいい成績を出せってさ」
吐き捨てるように言いながらも、康子の視線は美空の唇をとらえて放さない。ついに視線の気配に気づいたらしく、美空がパタンとスケッチブックをとじて康子に向き直った。
「なぁに?」
「え、だから、夏の大会……」
「そうじゃなくて、さっきからこっちばっかり見てるじゃん?」
美空がいたずらっぽく自分の唇を指さす。
「ここ、見てない?」
康子はすっかりどぎまぎしてしまって、美空の肩越しに見える青い空へと視線を泳がせた。
「な、なにが?」
「あれぇ、私の勘違いかなあ?」
美空の声が楽しそうに弾んでいる。
「もう一度キスしたいのかなあって思ってたのに」
康子はすっかり気が動転してしまって、その声は情けなく裏返った。
「き、ききききキスぅ?」
「そ、キス。この前はしてくれたじゃない?」
「あれは……美空がさみしそうな顔をしていたから……」
「え~、じゃあ、今日もさみしいから、してよ」
この問答の間中、美空はにやにやしているのだから、さすがの康子もからかいの言葉なのだと気づいた。
「ちょっと、美空、わたし、けっこうまじめにキスしなきゃって悩んでたのに!」
唇を尖らせて抗議すれば、美空は笑いながら窓辺から立ち上がる。
「なあに、まじめにおねだりしたら、キスしてくれるの?」
「それは……」
「でも、今はダメ」
美空は美術室の後ろ、掃除道具をしまっているロッカーの上へと手を伸ばした。そこには何がしまってあるのか、大きく膨らんだスポーツバッグが置いてあった。
おそらくそれは美空の私物なのだろう、彼女は何のためらいもなくそれを引きずり下ろす。それから康子の方に振り向いたのだ。
「ねえ、気分転換に、泳がない?」
とすると、カバンの中身は水着だろう。
しかし康子は首を縦には振らない。
「だって、テスト期間中だから、プールは使えないよ?」
「誰が『学校の』プールで泳ごうって言ったのよ」
「どこのプールに行こうっていうのよ」
「市民プール。自転車で行けばすぐじゃん?」
「でも、テスト勉強……」
「どうせ勉強なんかしてないじゃない、私の顔見るのに夢中でさ」
「それは……!」
「いいから、行こう」
美空の笑顔は、まぶしかった。康子にとってそれは、真夏の太陽と同じぐらい熱く、体の奥がじりじりと火照るほどに……。
「そうだね、気分転換、ね」
身を焦がす暑さに浮かされて、康子は目の前の教科書を閉じた。




