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 美空と出会うまで、康子は自分こそが世界で一番孤独なのだと思っていた。たとえ周りから向けられているのが水泳選手としての実績に対する称賛であったとしても、それは康子が特別な存在――つまり異質なものであると周囲から思われている証に他ならない。異質とは孤独の同義語である。

 康子は、クラスメイト達が自分に特別な気づかいをしてくれていることを、良く知っていた。何かの班を作るとき、クラスにいくつかあるグループのどこにも属さない康子があぶれてしまわないように、必ず誰かが声をかけてくれる。それはもちろん裏などない本当の親切心からのことだったのだけれど、そうした気づかいをされればされるほど、自分が周りに打ち解けていないことを思い知らされて、康子は孤独感にさいなまれるのだ。

 美空も、クラスでは浮いた存在であった。康子は彼女の教室へ数え切れないほど何度も足を向けたが、自分以外の誰かが美空に話しかけている場面に出くわしたことがない。康子のクラスにもあるように女子同士の仲良しグループというのが美空のクラスにもあって、休み時間は五人程度ずつ輪になって身のない話題で盛り上がっているのだが、そのいずれにも属さない美空は、机に頬杖をついて、いつでも康子を待っていた。

 だから康子は、それこそ手前勝手な解釈を以て、美空は自分と同質の『孤独』を抱えた仲間なのだと思い込んでいた。

 だが、美空が抱える孤独は、康子が抱えているよりも、もっと深くて暗いものであると……そのことにうっすらと気づいたのは、とある何気ない日常の中でのことだった。

 その日の休み時間、康子は廊下で沸き起こった怒声に驚いて廊下側の窓を開いた。怒鳴っているのは生活指導の体育教師だった。

 この教師は一昔前のドラマにでも感化されたか無駄に熱血ぶっていて、生徒の間でも怖いと評判の男だった。いつも竹刀を持ち歩き、自分に口ごたえする生徒がいるとこれで床を打って恫喝する。もちろん生徒に向かって竹刀を振り下ろしたことはなく、「体罰ではないのだから文句はないだろう」というのがその持論であった。

 その教師が、いつものように床を打って怒鳴りつけている相手……それが見慣れた金髪であることにドキッとして、康子は廊下に飛び出した。

 果たして、怒られているのは美空であった。彼女は教師の怒声にも臆することなく、凛と胸を張っていた。

「お前、髪は黒く染めて来いと言っただろ!」

 この言葉からもわかる通り、美空は以前から髪色について注意を受け続けていた。教師たちに言わせていわく、純日本人の顔立ちなのに髪色だけが金色では世間から誤解を受けることも多いだろうと。つまり髪を金色に染めた不良と見間違えられることもあるだろうということである。

 そしてタチの悪いことに、教師たちは美空の髪を黒く染めさせて周りに溶け込ませることこそが『美空のため』なのだと頑なに信じていた。つまり善意からの指導であったのだ。

 だからこの時の教師も、竹刀で床を打ったのは単なるねこだまし的な脅しであり、自分の熱血指導こそが美空を正しい道へ導くのだと信じて疑わなかったことだろう。彼は美空の髪の一房をつまみあげて、先ほどより幾分優しい声を出した。

「お前なあ、こんな髪の色じゃ、いくらいい成績をとっても、受験の時に面接で落とされるぞ」

 美空は教師に髪をつまませたまま、薄く唇の端に笑いを浮かべていた。

「じゃあ、髪さえ黒ければ、成績がどんなに悪くても高校に受かるんですか?」

「そうは言ってないだろう。まず身だしなみが大事なんだぞってことをだな……」

「でも先生、ヘアカラーは校則で禁止されているはずです」

「それは、お前、あれだよ……」

 この時、教師が返事を戸惑ったことが美空を調子づかせた。

「これは地毛ですよ。届けも出してあるでしょ」

「しかしなあ、お前は日本人顔だから、金髪では悪目立ちするんだ。これが黒髪だったら、別に目立ちはしないだろう?」

「いやです。私、自分の髪が好きだもの」

「それでもここは学校だ。学校生活をしているうちはみんなと同じにしなきゃあイカンよ。髪の色を好きにしたいならば、学校を卒業してから、それこそ金でも赤でも緑でも、好きにすればいい」

「別に好きで金にしているわけじゃないんですけど?」

「まったく屁理屈ばっかり……いいから次までに染めて来い! 染めてなかったら反省文だからな!」

 ノシノシと歩き去ってゆく教師の背中に向かって、美空はフフンと鼻を鳴らした。こうした行動のすべてを、康子は単純にカッコイイと思った。

 康子だって反抗期まっただ中の年頃だ、教師に逆らってみたい時だってある。もっとも康子の温厚な性格では表立っての反抗などできるはずもなく、それはただのあこがれだったのだが。

 その『あこがれ』をやすやすと実現してみせる美空を、康子は心の底からカッコイイと思った。

 野次馬として集まってきた他の子たちも、本心はそうであるはずだった。しかし、誰も美空に称賛を与えようとはしない。遠巻きに美空を眺めて、誰も無言なのだ。

 ここに康子は、美空と周囲の隔たりを見たような気がした。

 これがクラスの人気者である誰かの起こした騒動だったらどうだっただろう、きっと誰もが惜しみなく称賛の声をあげたはずだ。そうでなくとも、きちんとクラスの一員であると認められた誰かの行動であったなら、それは場を取り繕うための茶化しと、ほんのわずかな羨望に彩られて和やかなムードになったはずだ。

 しかし、そのいずれも、美空には与えられなかった。

 異質とは孤独である――廊下に一番多くあふれているのは、夏服が窓から差し込む日の光を反す白、そして若い世代に特有の脂で光るような漆黒の髪の色。その中にあって一つだけ明るい美空の金の髪は、明らかに異質だった。

 だからこそ、その金色は真夏の濃い青空にたった一つ浮かぶ太陽のように寂しい。

 康子は急に胸をきゅうっと締め付けられたような気分になって、美空に駆け寄った。


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