4
次の日曜日、空は暗く曇っていた。いかにも重たそうな濃い灰色の雲は、今にも大粒の雨を吐き出しそうな加減で低く垂れこめている。梅雨明けがまだなのを考えれば、このくらいの空模様は当然だろうが。
バス停の前に立つ康子は、母に持たされた傘を抱えて身震いをした。待ち人はまだ現れず、雨をたっぷりと含んだ空気は肌に寒い。
待ち合わせの相手は美空であるが、彼女は待ち合わせの時間を過ぎても現れず、実はすでにバス一本をやり過ごした後である。だから余計に曇天が憂鬱に思える。
「帰っちゃおうかな……」
そもそも、今日の待ち合わせを決めたのは美空の方だ。美術室で康子の話を一通り聞いた後、彼女は何事でもないような顔で言った。
「ねえ、デートしようか?」
その唐突な提案に康子は戸惑うが、美空はお構いなしでぐいと身を乗り出した。
「要するに、自分が水泳が好きなのかどうか、わからなくなっちゃったんでしょ。他の人がしているみたいなことが、もしかしたら、水泳よりも面白いかもしれないって、そう思っちゃったんでしょ。だったらさあ、試してみようよ」
鼻先が触れそうなほどに顔を寄せて、美空が笑う。飛び切りのいたずらを思いついた子供のように、楽しそうに。
「楽しいこと、全部付き合ってあげる。だから自分で、水泳とどっちが楽しいか、決めるといいよ」
まぶしい日差しのような笑顔に気おされて、つい今日の約束などしてしまったのだが……。
「きっと、冗談だったんだ」
美空が立てた計画は、特に目的もなく駅前の大きなショッピングセンターに遊びに行こうという、他愛もないものだった。
康子が住むここは田舎の住宅街ではあるが、駅前までは自転車で行けないこともない。それでも遠出気分を出すためにあえてバスで、思いっきりおしゃれをして行こうという、中学生女子としては精一杯の小冒険だ。だから康子は気合を入れて、制服以外ではめったに着ないスカートを箪笥から引っ張り出した。
母が買ってきてから一度も履く機会のなかったそれは、いかにも女の子らしい透け感のある白のフレアスカート。水泳のために髪を短く刈り上げた康子が着ると、少し浮かれた感じがして似合わない。
それでも康子は、太陽のような美空の隣に並ぶのに少しでも女の子らしい格好をしたいと思った。そして、康子の手持ちの中で女の子らしいものは、これ一着きりだった。だから康子は、少し恥ずかしくとも、このスカートをはいてきたのだ。
待ちぼうけを食らった今、そのスカートの白さばかりがむなしかった。
「そうよね、わたしとあの子は、仲のいい友達ってわけじゃないし……」
むしろ出会ったばかり。こうして他愛もなく遊びに出掛けるのは仲の良い友達同士の特権なんじゃないだろうか。だとしたら、美空と康子が一緒に出掛ける理由など、一つもありはしない。
「そうか、わたし、からかわれたんだ……」
鼻の奥にジワリとにじむ涙をごまかそうと空を見上げるが、暗い雲の色は心をさらに暗くしただけであった。
「いいや、帰ろう……」
康子が空から視線をはずして歩きだそうとしたその時、道の向こうから声がした。
「ごめ~ん、寝坊した~」
道幅ばかり広くて車もろくに通らない道路の向こう側、美空が手を振っている。どうやら走ってここまで来たのだろう、肩が弾むほどに息を切らせて、明るい金髪が揺れていた。その髪は、まるで分厚い雲を突き破って落ちてきた太陽のかけらみたいに、キラキラとまぶしい。
康子の頬がわずかにほころぶ。そして、親しい友人にするように、大きな声で。
「おそ~い!」
「ごめんってば~」
美空は歩道を越えて康子の隣へと駆け込んだ。
「ねえ、バスは、まだ間に合う?」
身を折るほど息を切らした美空に向かって、康子は少しすねた顔を作って見せる。
「バスなんか、十分前に行っちゃったし」
美空が頭を抱えた。
「え~、マジか~、やっちゃった~」
「別にいいんじゃない、バスなんて、待っていればまた来るし」
そっけなく答えながらも、康子の胸はドキドキと高鳴っていた。もしかしたら、ここまで走ってきた美空よりもずっと強く鳴っているかもしれない。
(来てくれた、本当に来てくれた……)
またしても鼻の奥に涙がにじんだが、それは先ほどとは全く違う微かな甘みを含んでいる。見上げれば空はどんよりと重く、しかし、康子の心は晴れ晴れとしていた。
普段ならば絶対に言わないような言葉が、口をついて出てくる。
「ねえ、バスが来るまで、おしゃべりしない? わたし、まだあなたの名前しか聞いてないもん」
同世代の子たちが好むような話題に疎い康子は、自分から誰かに会話をねだったことはない。だが、この太陽のような少女が相手ならば、話題など必要ない気がした。
「クラスの女の子たちって、みんなでずーっとおしゃべりしてるじゃない? ああいうのに、憧れてたの」
美空はくすくす笑いながら、康子に身を寄せる。
「任せて、その願い、私がかなえてあげちゃう」
その時、何を話したのかを康子は覚えていない。覚えていないということは、覚えておく必要もないほど他愛もない話をしたのだと思う。ただ、康子の言葉に反される美空の笑顔がまぶしかったことと、途中で小雨がぱらつき始めたことだけを覚えている。
これをきっかけに二人は、いつでも一緒にいるようになった。