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彼女のことは噂に聞いて知っていた、同じ学年の4組には金髪の少女がいるのだと。その『彼女』が、ショートボブに切りそろえた美しい金髪をかき上げて、プールの中をのぞき込んでいるのだ。
顔立ちはまるきり日本人顔で、その上に白っぽく見える金髪が載っているのだから嘘くさい。彼女をよく知らぬ人が見れば、中学生なのに髪を金に染めたヤンキー娘に見えることだろう。だが彼女の金髪は北欧人の血が入っているから――正真正銘の天然金髪である。
だからその髪は根元まで何処一つ黒いところはなく、太陽の光をたっぷりと吸い込んでキラキラと輝いていた。
「キレイ……」
康子は思わずつぶやく。まるでまぶしい日の光を透かして見るときのように、顔の前に手のひらをかざす。それほどに彼女の第一印象はまぶしく、そして美しかった。
その美しい太陽が立ち上がり、プールに向かって叫ぶ。
「ズルい!」
「え?」
「わたしだって、プールはいりたい!」
大きくて張りのある声が、プールの隅々にまでいきわたる。語尾をはっきりと発音する力強い口調は、彼女をわがままな駄々っ子のように思わせる。
そう、水泳部員でもないのに勝手にプールサイドに来て、正規の水泳部員がプールで泳いでいるのがズルいなんて、ただのわがままだ。だけどそのわがままには裏表がなく、本当にただ無邪気なだけのかわいらしいわがままなのだが……。
この時の康子はまだ、彼女のそうした性質を深くは知らなかった。だからすっかりうろたえてしまったのだ。
「えっと……だって、水着、持ってないでしょ」
口ごもりながらの康子の言葉に、彼女はニヤリと笑って答えた。
「そんなもの、いらな~い。私もプール、入りたい!」
すっかり困ってしまった康子は、プールから上がろうと白いコンクリートの角に手を伸ばす。
「とりあえず、入部希望なら……」
そんな康子の頭上を、彼女は跳んだ。言いかけた言葉も、驚きに目を見開いた表情さえも飛び越えて、水面めがけて跳躍したのだ。
スカートが風をはらんでふわりと逆返り、大きな水しぶきが上がった。
「うはあ~! つめた~い!」
明るい声に康子が我を取り戻した時にはすでに手遅れ、彼女は制服のままでバシャバシャと水を掻いて上機嫌であった。
康子はあわてて彼女に泳ぎ寄る。
「ちょっと、制服!」
「え、ああ……この日差しだもん、そのうち乾くでしょ」
「そういうことじゃなくて! 制服で泳ぐなんて、非常識にもほどがあるでしょ!」
その言葉を言った次の瞬間、いままでバカみたいに笑っていた彼女の表情がきゅうっと引き締まって不快そうに眉根が寄った。
「だって、着衣水泳っていうのがあるじゃない。小学校の時にやったでしょ」
「あれは、もしも水の事故にあった時に慌てず行動できるようにっていう訓練で、ちゃんと先生の監督のもと……」
「ストップ、別に屁理屈の言い合いがしたくてここに来たわけじゃないの」
「先に屁理屈を言ったのはそっちでしょ!」
「あ、そっか、あはは」
大口を開けて笑う彼女は、本当に太陽みたいだ。それも底抜けに陽気な南国の。
恋はここから始まったのかもしれない――康子は自分の体温がわずかに上がるのを感じた。
胸より下でちゃぷちゃぷと揺れる水の冷たさはこんなにも心地よいというのに、胸の奥がむせるように熱い。出会ったばかりの相手だというのに、康子はこの少女の暖かそうな笑顔に触れてみたいと思った。
そっと彼女の頬に向かって手を伸ばす。彼女は嫌がる風もなく、むしろ頬を差し出して康子の冷たい右手を受け入れた。
康子に向けて、優しい声が返される。
「なあに?」
ああ、彼女の頬はプールの水に冷やされてこんなにも冷たいというのに……康子は、自分の体の一番奥から、今まで感じたこともない甘い熱が湧くのを感じて戸惑いに震えた。
もちろん、彼女に言葉を返す余裕などない。みぞおちの下、おへその奥底から、熱は次々と湧いては体内をめぐる。胸の奥が甘く、熱く、そして少し苦しく燃える。
康子の戸惑いを知ってか、彼女は飛び切りのいたずらを思いついたときみたいに「くすっ」っと笑った。
「ねえ、ついてきて」
「え、どこへ?」
「いいから、早く」
康子の手を振りほどいて、彼女はすでにプールのふちに飛び上がろうとしている。だから康子は、慌ててその後を追った。
水を引きずるようにばしゃりと音を立てて、あとは体をふくことさえままならず、康子はしずくの垂れる体にジャージだけを羽織って彼女の後を追う。
「早く、こっち~!」
手招きする彼女は自分がずぶぬれになっていることさえ気にせず、スカートからぼたぼたと流れるほどのしずくを垂らしていた。それでも、彼女は、ぱっと走り出す。
「あ、まって!」
反射的に、康子も走り出す。