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 夏休みまで残すところわずかとなったその日、康子は進路指導室に呼び出された。スポーツ推薦に向けての康子の意思を、きちんと確かめておこうというわけである。

 康子の前に座ったのは進路指導の教師ではなく、水泳部の顧問である田宮冴子だった。この女教師は若くて気さくなことから生徒たちに好かれており、特に康子などは部活動でもかかわりがあるのでよく懐いていた。

 だからだろうか、田宮の態度からは自分が勧めた『スポーツ推薦』を康子が拒むことなどないだろうという、一種の思い上がった感じがハナから透け見えていた。

「テストの結果も、きちんと平均点以上、成績的にはどこからも文句は出ないでしょ。さて、問題は、夏の大会でどこまで実力を見せることができるか、ね」

 妙にテンションの高いキンキン声は、田宮が上機嫌である証しだ。彼女は自分の手元にあるプリントをパラパラとめくって、何かを確かめている。

「あら、あらあら」  

 田宮は大げさに驚いた。道化たその態度は、生徒を笑わせる田宮流の対人術なのだが、この時の康子は頬を固く強張らせたままで下を向いていた。

 康子が笑わぬものだから、田宮は不服そうに唇を尖らせる。だが、下を向いたままの康子は、そんな田宮の表情にすら気づかない。

 これが、田宮のプライドを甚く傷つけた。

「タイムが少し落ちてるわね」

 彼女が手もとで確かめていたのは部員たちの練習でのタイムを取りまとめたものである。だから田宮は、その中から康子の記録を横に追ってその推移を伝えたのである。

 ただし、今の田宮は不機嫌である。言葉にはどこか刺々しい雰囲気がこもってはいたが。

「わかってると思うけど、スポーツ推薦のためには夏の大会で良い結果が欲しいところなの。で、結果って何かっていうと、少なくとも準優勝、もしくは自己ベスト記録ね」

 不意に、康子がすいと顔を上げた。

「先生、もしも私が、スポーツ推薦受けないって言ったら、どうします?」

 この言葉は、田宮にとって完全に予想外だった。何しろ康子は今まで教師に逆らうようなことなどしなかったし、何より田宮に懐いてもいる。だから田宮は、自分の言葉ならば康子は平伏して聞くだろうと、完全にタカをくくっていたのである。

 一瞬の沈黙の後……田宮の口から飛び出したのは刺々しい金切り声だった。

「推薦を受けないってどういうことよ! 高校に行かないつもり?」

 対する康子は驚くほど冷静で、むしろ淡々とした口調であった。

「いえ、ちゃんと勉強して、普通入試で行きたい学校に行こうと考えています」

「行きたい学校ってどこよ!」

「それは今から決めます」

「無理ね、いまさら遅いわ。あんたは今まで勉強する時間を削って水泳をしてきたんでしょ、その分の学力はとりもどしようがないのよ!」

「そんなことはないと思います。まだ、今なら」

 その声が少し沈んで聞こえたから、田宮は冷静さを取り戻すだけの呼吸を得た。一呼吸ついてよくよく見てみれば、康子はいつの間にか元どおり俯いて、少し丸めた背中がいかにも自信なさそうに見えた。

 田宮は、本来が善人である。だから康子の態度を、若い選手にありがちなスランプなのだと解釈した。

 田宮の声音が一気に和らぐ。

「そんなに心配しなくても、夏の大会までに調整すれば大丈夫よ」

 ニッコリと優しげに笑ったのは田宮なりの気遣いだったのだが……この気遣いは全くの無駄だった。康子が顔を上げ、田宮を睨みつけたのだ。

「夏の大会には出ません」

 肩透かしを食らった形になって、田宮はぽかんと口を開けた。そこへ康子が畳み掛ける。

「だから、スポーツ推薦は受けないんです。だったら、夏の大会も出る必要ないでしょ?」

 田宮の怒りが一気に噴いた。

「先生に向かって、その口のききかたは何!」

「何って……ふつうに話してるだけ……」

「それ! その反抗的な物言い!」

 あまりにも理不尽な扱いに、康子の方も頭に血が上る。

「反抗なんかしてません!」

「してるじゃないの! 私が進めた進路を蹴るなんて!」

「なんで私の進路を先生が決めるんですか!」

 ここで大事なのは、康子がこれまで従順な生徒だったということだ。もちろん教師に向かって怒鳴りつけるような声を出すこともなく、田宮が何かを言えば尊敬と感心を含んだ顔でうなづくような、そんなおとなしい生徒だったのだ。

 だから田宮は、この反抗に大いに狼狽して腹を立てた。

「あんたみたいな子供が自分で進路を決められるわけがないでしょ! だから一番いい進路を選んであげてるの! 」

「だから、そんなのいらないです! 私はふつうに高校生になりたいの!」

「どうして! その理由は?」

「私は……」

「あー、いいから、言わなくていいから。どうせ4組の、あの金髪の……なんて言ったかしら、あの不良のせいなんでしょ」

 その一言を聞いた康子は、全身の毛穴が開くような、強い怒りを覚えた。

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