県立神楽丘高校放送部の初夏
「先輩!来てたんですか」
いつもと同じように授業を終えて、放課後、引き戸になっている扉を開けて放送室に入ると、2年上の部長だった出島先輩がいた。
「おう、ひさびさに懐かしくなってな。今日は講義ない日なんだ。ほれ、これ差し入れ」
「ああ、いつもすんません。でもまだみんな来てなくて。」
まだ授業が終わったばかり、部員はほとんど教室にいる。僕は、いつも、人一倍放送室に早く来るのだ。この閉ざされた空間が好きだから。
「佐久間、お前が部長になったんだっけ?」
「いえ、部長は新庄です。ぼくは書記・・・雑用係ですね。」
「そうか、新庄はアナウンスのエースだからな。佐久間は佐久間でいいもの持ってるが、新庄にはかなわないか。」
「ですねー」
いつものことだ。男子部員の少ない放送部ではどうしても、新庄ユウキと僕が比べられる。ユウキは今年も全国コンテストの決勝まで残った猛者だ。予選落ちの僕と比べ物になるわけがない。甲子園の開会式のアナウンスもやった。女子部員の憧れの的、そして勉学優秀、非の打ちどころがない。
「先輩、大学は楽しいっすか?」
「そうだなぁ」
出島先輩は少し寂しそうな顔になった。
「俺は高校時代が良かったな。大学は自由すぎてな。」
「自由、いいじゃないっすか。ぼくらは不自由極まりないですよ。」
「いや、自由になると、逆に何をやったらいいかわからなくなるんだ。自由というのは・・・こわいぜ。」
苦笑いをした出島先輩の横顔をみていると、ガラガラと戸が開く音がした。他の部員たちがきたのだろう。
「わーー!出島先輩だ!おひさしぶりー!」
一番に飛び込んできて、出島先輩を抱きしめんばかりに駆け寄ってきたのは、伊集院ゆかり、現副部長、僕と同級生だ。それに続き、何人かの女子がブルーのカーペットのしかれたスタジオになだれ込んできた。
「先輩から、さしいれもらったよ。」
僕がそういうがはやいか、ゆかりは僕の手から差し入れのお菓子を奪い取った。
「ケンジがそれひとりじめしようって魂胆じゃないわよね!みんなで分けるのよ!」
「あたりまえだろう!そんなに一人じゃたべられないし」
「わたしなら食べちゃうけどね!でも、みんなでわけましょう!」
ゆかりが入ってくると、一気に放送室が明るくなる。でもぼくはこの娘が苦手だ。どうもペースを狂わされる。
昔からそうだった。引っ越す前の家の近所に住んでいて、保育園から一緒。むかしはよく遊んでいたのだが、中学に入ったころには、ほとんどしゃべらなくなってしまった。そして同じ高校で同じ部活。昔のようにしゃべっているのか、こき使われているのか、書記とは名ばかりで、ほとんどゆかりの手下状態。苦手だけれど、楽なところもあり、甘んじていつもとかわらない日々を送っている感じだ。
「出島先輩は大学で放送部やってるんですよね?」
ゆかりの質問に出島先輩は少し目を伏せた。
「いや、一旦は入ったんだけど、自分のやりたいことじゃない気がしてな。いまは、友達と企画サークルみたいなのやってるんだ。」
「企画サークル?」
「そう、イベント企画したり、そうだな、いつかはテレビ番組とかも自分たちで作りたいって思ってるんだ。大学生がディレクターやってな。」
ゆかりが食いついた。
「えー!かっこいい!学生ディレクターですか!憧れちゃいます!」
ゆかりのキラキラ光る眼に見つめられながら、出島先輩は、少しはにかみながらつづけた。
「俺たちは、いま大学でやろうとおもってる。でも高校生がやったらもっとすごいんじゃないか。俺たちの田舎高校が脚光浴びるかもしれないぜ!」
「そんなの高校生には無理ですよぉ。大学生やっぱかっこいいなー」
そんな話をぼーっと聞きながら、僕は少し焦りを感じてきていた。出島先輩の表情を見ていると、大学より高校のほうが楽しかったみたいだ。そしてぼくは今まだ高校2年生だ。もしかすると、この田舎の高校で、だれもできなかったようなことができるかもしれない。でもあと1年もない。3年の文化祭が終わると部活も引退だからだ。
「出島先輩!今度どっか遊びに連れて行って下さいよ!」
ゆかりたちが出島先輩に群がっている。僕たちが1年の時3年だった先輩たちは、とても大人に見える。卒業式のとき、ゆかりは泣いていた。もしかすると、彼女は出島先輩のことが好きだったのかな。そんなことを考えているうちに、練習の時間になった。
「おれ今日は帰るわ」
「えー!指導していって下さらないんですか!」
「ちょっと用があるので、少しよってみただけだから。まあ、いっか・・・またな!」
「先輩!メアド教えてください!」
「わたしも!」
女子たちはいまだに群がっている。
「はいはい、じゃーメモするから、まわしてね。っていっているうちに新庄部長がきたよ。」
その言葉と同時にユウキが入ってきた。
「お!出島部長!おひさしぶりっす!」
「あはは、部長はいまおまえだろう。おれはいくから頑張れよ!」
「え、もういっちゃうんすか!指導していってくださいよ!俺たち三年生の先輩も引退して不安なんすよ!」
「おいおい、そういうときが正念場だ。県立神楽丘高校放送部の伝統をつないでいくのは現役世代の責任だぞ。がんばってくれ。」
「はーーい」
みんなはしぶしぶ出島先輩を見送った。
出島先輩が現役の時を、僕たちは少ししかしらない。1年の5月の文化祭までだから、2か月も見てもらっていない。でも、彼らはかっこよかった。ぼくらはみんな運動靴に統一だが、まだ革靴が許されていた世代で、同級生がみんな信頼しあっていて、アナウンスも朗読も、テレビもラジオも強くて、全国大会で三冠に輝いたのもあの世代だ。
「かっこいいなぁ、出島先輩」
ゆかりがそういうと、横にいた友達のマユもため息をつく。
「かっこいい・・・です・・・」
「なんか大人ですわね。やっぱり」
少し離れたところからあかねも声をかける。
伊集院ゆかり、佐伯マユ、小松原あかねの3人は、大の仲良しで、ゆかりがテレビドキュメント、マユが朗読、あかねがアナウンスで1年生の時に全国大会の予選まで行っている。でも、そう考えると、1年生ながら、全国大会決勝まで残り、甲子園の開会式のアナウンスをこなしたユウキは破格の強さだといえる。
まあ、「放送部が強い」といっても、普通の人は「いったいどんな戦いをするの」と笑う。しかし、放送部の戦いは思ったより熾烈だ。発声練習に始かおりクセントや声のトーン、番組に至っては企画、取材、構成、編集と、放送局なみのことをこなして順位を競う。最後はホールという大舞台だ。作品がオンエアーされることもある。
「ほんと、出島先輩みてると、いまの男子が子供にみえてくるわね!」
ゆかりが大きな声でそういうとみんな笑った。
「おいおい、それはいいから、早く練習の準備だ。番組班だってまだ企画もできてないだろ!コンテストはまってくれないぞ!」
ユウキの声に、みんな静まって、それぞれのポジションに散っていった。そこがまじめな田舎高校の放送部なのだ。僕は今回アナウンスではなく、テレビドキュメンタリーを担当している。企画を考えないといけない。鬼の副部長と同じ班ということもあり、戦々恐々とした思いだ。
「ケンジ打ち合わせするよ!はやく企画決めなきゃマルにおこられるよ!」
顧問の丸崎かおり先生、通称マル。うちの高校のOBであり、放送部顧問。放送部のOBでもある。なので、本人が出来なかったことを生徒たちにやらせたい一心で心血を注ぎ、わが神楽丘高校放送部を県立ながら全国レベルに押し上げた。
「男まさり」などという言葉がいまあるのかどうかわかならいが、ほとんど男性のような性格。日本史の授業も厳しいが、特に番組制作に関してはハードルを上げまくってくる。どんな過去を持っているか想像もつなかないような人脈から、様々なところに潜り込んで、取材をさせることにかけては右に出る顧問は全国的にもそれほどいない。
「おい、伊集院、番組まとまったか?」
「ほら、マルが来た!」
「だから顧問のことをマルって呼ぶなっていいったでしょ!」
「じゃーマル先輩!」
「先生っていいなさい!」
「先生ってがらじゃないじゃん」
「なにおー!」
いつまでも終わりそうにない二人の会話に僕は割って入った。
「いえ、まだまとまってません。今日中には方向性を出します!」
「おお、佐久間、いつになく積極的だな。」マル先生が笑う。
「ほんとケンジ、目が血走っている!」
ゆかりの言葉に、あわてて眼鏡を持ち上げて目をこすった。
「ウソウソ。でもいいことよ!言った限りは今日中に方向性だしましょう!先生もう少し時間下さい!」
「よし、がんばれよ!行き詰ったら声かけてちょうだい」
そういうとマル先生は他の部員の指導に行ったようだ。
「ケンジ、勢いよく言ったけど、なにか当てあるの?」
ゆかりにそう問われても、特にまだ頭がまとまっているわけではなかった。でも、さっき出島先輩と話しているときに、少し心の中に何かが生まれた気がしたのを思い出して、もう一度ゆっくり考えてみようと思って、椅子に座った。
「企画内容なんだけど。」
「さっそく本題ね。いいの思いついたの?」
ゆかりがぼくのほうに顔を寄せてくる。
「ち・・・ちかいよ!」
「何言ってるの!私を女として意識したこともないくせに!」
こういうつっこみが一番苦手だ。この年まで彼女というものを作ったことがない僕的には、「女を意識する」という言葉自体が、どうも抵抗がある。高1のとき、明け方に自転車をこいで、自動販売機まで本を買いに・・・など、はずかしい過去がよみがえる。
「お前なんかには誰も女を感じたりしないぜ」ユウヤが後ろから声をかける。
「なにおー!」ゆかりが立ち上がってユウヤを追いかけそうになるのをあかねがひっぱってとめた。
「ゆかりさん。せっかく佐久間くんが本気になってるんですもの、まじめにやりましょう。」
「そう・・・です・・・」マユも同調する。今回は、あかねもマユも番組づくりに参加してくれる。
「そ、そうね。じゃーケンジ、意見いってごらん。許す。」
「高飛車だなぁ。」
そういいながらも、僕の頭の中からは、さっきの出島先輩の顔が離れなかった。
「僕は・・・出島先輩を取材してみるのはどうかと思うんだ。」
「放送部のOBを取材するんですの?」あかねは少し怪訝そうな顔をした。
「いいね!そうすれば出島先輩にあえるじゃん!」ゆかりの顔がキラキラしはじめたのを見て、なんとなく僕の中にはもやもやしたものがわいてきた。うーん、これは「嫉妬」なのか?いや、そんなはずはない。ぼくとゆかりはただの幼馴染だからな。でも、なんとなく、出島先輩の取材はやめたほうがいい気がしてきた。
「あ、そうだな。OBの取材はなんか変だよな。ありきたりだし。」
そういう僕の裾を、マユがひっぱった。
「ケンジさん・・・なにか考え・・・あったんじゃ・・・」
マユにそういわれて、僕は少し考えてから話始めた。
「うん、さっきさ、『出島先輩を』といってたけどさ。先輩みたいに学生起業家みたいなことやってる大学生ってそんなにいないかもしれない。だから、『大学生起業家』っていう切り口で、先輩を追いかけてみると、面白いんじゃないかと思ったんだ。」
そうだ。僕はそう思ったんだ。それはただ面白いと思う以上に、憧れや焦り、そして知りたいという意欲など、様々な思いが交錯して、それをエネルギーに取材をしてみたいと思った。しゃべりながら頭の中が整理できて来た。
「いいね!それきまり!」ゆかりは出島先輩にあえるという不純な動機で動き始めているようだが、僕の中でその部分は、もうどうでもよくなっていた。
それよりも、「出島先輩のノウハウを盗んで、高校生起業家になりたい!」という、これもまた不純な動機がしっかり芽生えてきたからだ。
こんな田舎町いやだ。産業っていっても特にない。昔ながらの地場産業だけだ。商店街もさびれている。ショッピングセンターっていっても、それほど大きくない。県庁所在地に行くにも、僕がいつも乗ってくる、あの赤とグレーのツートンカラーの電車で1時間以上かかる。こんな町で一生終わるのはいやだ。でも・・・普通に大学に行って、普通に就職して・・・。そんなどうどうめぐりに、おぼろげではあるけど、終止符を打ってくれそうなのが出島先輩の話だった。
全国大会にくっついて行ってみた東京は、ぼくら田舎者にとっては夢の世界だった。「いつか東京で仕事ができたらいいな。」という思いは強くある。でもそのためには、予選を通過して全国大会にいくように、まず、僕たちの町でなにかやらないといけないのだ。その漠然とした思いが、なんとなく形になりそうになってきた。
「出島先輩の仕事場を見に行こうよ。まずインタビューやって、もう少し詳しい話を聞きたいんだ。そうしないと企画のアウトラインも決まってこないと思う。」
「いいですわね。でも、放送部のOBとはいえ、企業訪問するなら先生に許可を取らないとですわね。」あかねの意見にみんなうなずいた。
「じゃーさっそく、日程決めましょう!それで先生にお願いするの。で、番組名何にする?」
「『大学生起業家レポート』じゃありきたりですわね。」
「出島・・・だから・・・イグジット・・ペニシュラ・・カンパニーレポート」
「マユがなんでも英語にしたがるけど、それでは、長いし、ほとんどわけわかんないですわ。」あかねたちがしゃべっている間、腕を組んでいたゆかりが突如ひらめいた顔をして立ち上がった。
「『イニシャルDが行く!』はどう?」
「あ、いいですわね。デレクターと出島先輩のDをかけてますわね」
「それ・・・いい」
「わたしたちの先輩、出島安史さんのイニシャルは『D』。でもそのDはデレクターのDでもあるんです!ってね」
こういうセンスはゆかりが一枚上だ。なんかそんな名前の古いマンガもあった気がするし、ぼくもそれでいいと思った。
「じゃー、僕が簡単に企画概要をまとめて先生に提出して許可をとるよ。それでいい?」
「異議なし!」全員の異議なしの声で、僕たちの新たな番組企画は始まった。日常生活に少し飽き飽きしていた僕は、この企画が、何か僕の人生を変えてくれるんじゃないかという期待がわいてきた。
その晩はなにかわくわくして寝られず、夜中に起き上がって、企画のメモを書いていたら小鳥の声が聞こえてきた。このまま学校に行って、マル先生に企画を提出してみよう。それで日程を決めて取材に行こう。そう思っていると、突如眠気が襲ってきて、そのまま机にうつぶせのまま寝てしまった。
***
「ケンジ!おきなさい。なにやってるの、もう時間でしょ!」
階段を上ってきた母がどなっている。時計をみるともうやばい時間!
「わー電車に乗り遅れる!」
「朝ごはんは?」
「いらない!いってきます!」
僕はあわてて、いつもの駅からいつもの電車にとび乗る。高校までは40かかる。田舎で通学時間40分というのは決して長いほうじゃない。電車自体が山を越え、谷を越え、それほど速度も出ないのだから仕方がない。
2駅乗ると同じ高校の友人たちがどっと乗ってくる。いつものように、腕を組んでいる僕の膝の上にユウキがスポーツバックをどさっと置く。
「企画進んでるか?」
「まあ、ぼちぼち・・・」
ぼくは少しユウキの顔を見上げて、また目を閉じた。座れるのは越境で遠距離通学している僕の特権。特に、いまは頭の中が企画のことでいっぱいだから、この瞑想の時間を邪魔されたくない。
越境せざるを得なくなった理由はあえて触れまい。家庭の事情というやつだから。それでも、僕は、転校することなく、同じ高校に通えていることをとてもうれしく思っている。行きたかった高校だから。田舎の進学校。友達も変わらない。そう、いつもと変わらない生活が今日も流れていく。
どうなんだろう?エスカレーターに乗って順に階をあがっていくように、僕も普通に勉強して普通に大学に行き、普通に就職をして、普通に結婚?・・・まあ、僕に相手が現れるとは思えないが、何かの拍子で結婚して、子供ができて・・・いや、一生結婚できない確立のほうが高いな。
どっちにしても、相変わらずの人生を送っていくんだろう。それをつまらないと思っているわけではない。でも・・・よくわからない。なんとなく、不満足なような、なんとなくあきらめたような、そういった日々を僕はいつものように送っているだけだ。
あぶないあぶない。なんかどうも、根本的な人生の悩み的なものが頭を占拠してきた。企画のことを考えないと・・・。この人生の悩み的なものに終止符を打つために良い処方箋が見つかるかもしれない。
とりあえずマル先生に企画の相談をしよう。午前の授業はそつなくこなし、昼休みになって、弁当もそこそこに、職員室に向かった。
「うーん。出島くんを取材するって話ね。」
「そうです。」
「うーん」
即答でOKかと思ったマル先生は、なにか悩んでいる。
「わかったわ。やってごらんなさい。」
その返事に僕は不安を感じた。
「おもしろく・・・ないですか?」
「いや、目の付け所は悪くないと思うわ。でも出島くんねぇ。」
出島先輩は僕たちの憧れの先輩だった。伝説の番組で全国高校放送コンテストのドキュメンタリー番組部門で全国優勝をしたのも出島チームだ。その出島先輩を取材することを顧問の先生が悩んでいるのが不思議に思われた。
「いや、先生がだめっていうならやめます。」
「うーん・・・」
すこしうなったあと、マル先生はいきなり僕のほうを向きなおった。
「って、君のこの企画にかけるパッションってその程度なの?」
「いや、先生が・・・」
「君はそういうところがダメ。なんでも人の顔色みちゃう。貫いていくなら、自分の想いを前にだしてかなきゃ。」
「あ、はい。」
「煮え切らないわね。じゃー私はこの企画には反対。やめて他の考えたら。」
僕は先生にそう言われて、無性に腹が立ってきた。
「なんですか先生、頭ごなしに!けしかけてやらそうってことですか。それとも本当にやめさせたいんですか?なんでダメなのか言ってください。」
「いや、それは・・・」
マル先生らしくない。また口ごもってしまった。
「先生なんか変ですよ。いつもなら、出した企画をなんとか進めようとするのに、今回は」
口論をしているうちに始業前の予鈴がなった。
「ごめん、佐久間、ちょっと考えさせて。放課後にもう一回話そう」
「はい・・・」
僕は午後の授業はほとんど上の空だった。マル先生の日本史の授業もあったが、マル先生の顔を見るのもいやで、終始机にうつぶせになっていた。
放課後になって、いち早く放送室に行くと、マル先生はすでにそこにいた。
「決めたわ、佐久間くん。この企画やってみて。」
唐突な先生の言葉に僕は思わず聞き返した。
「やっていいんですか?じゃー止めた理由を教えてください。」
「正直いうわ。今は私にもちゃんと説明できないの。出島くん高校時代から、佐久間と違ってちょっとアンテナが高すぎるところがあったから、ちょっと心配でね・・・。」
「それはよくないことなんですか?」
僕は少しむっとして聞き返した。僕が貶められたのかそうでないのか、また、出島先輩が貶められたのか、そうでないのかも解らなかったからだ。でもマル先生はそれを意に介さずさらっと答えた。
「わからないわ。だから私思ったの。佐久間くんたちの取材を通じて、私が思っていることが当たっているかどうかもわかるかもしれないって。」
マル先生のその言葉を聞いて、僕は少し怖くなった。取材して出てくる情報が、良いものばかりではないというのは、なんとなくわかっていた。しかも出島先輩は、あまり楽しそうではなかった。でも、それが僕の興味に火をつけたこともまた事実だ。先輩が意気揚々と「いまとても楽しいぜ」っていってたら取材を考えただろうか。「高校時代のほうがよかった」といったあの言葉で、今の先輩を知りたいと思ったのかもしれない。
「先生、僕は昨日出島先輩に会ったとき、あんまり楽しそうじゃないって思ったんです。楽しそうにしていたら取材を考えなかったかもしれない。高校のほうがよかったっていうから、逆に取材したいって思ったんです。」
マル先生はまたぼくのほうをじっと見つめた。その顔がかなり近くにきたので、またぼくはドギマギしてしまった。
「せ、せんせいちかいっす・・・」
マル先生はにっこりして、椅子に座りなおした。
「佐久間くん。あなたは頼りないところ、優柔不断なところもいっぱい持ってるわ。でも、案外感性のアンテナは高いのかもね。先生ちょっと心配しすぎたわ。やってみて、この取材。でもね、どこに行くかはちゃんと報告して許可とってね。必ず私もいくから、これは必須ね!」
「わかりました!ありがとうございます!」
僕は少しうれしくなった。あまり先生に認められたことがない。でも、なにか少しだけ認められた気がした。僕は僕の信じている感覚を大切にがんばって取材してみよう。そう思うと少し気が楽になった。そうこうしているうちにまた部活が始まる時間がやってきた。
「マル先生の許可とったよ。スケジュールを組もう。」
「いつになく速いね!」ゆかりが笑った。
「ケンジさんはやるときはやられるのですわ」あかねも笑った。
「いやいや、こういうのは早いほうがいいって思うから。」
「じゃー早速出島先輩に会いに行こう!」
「会いにいくんじゃないよ。取材にいくんだよ!」
ぼくはなにかむしゃくしゃしてきた。やはり嫉妬か・・・そんなことはない。また同じ感情が回る回る。
「スケジュール組んで、先生の許可を取って、ちゃんとやらなくちゃ。」
「・・・計画・・・大事・・・」マユも同調してくれた。
「よし私が出島先輩にメールする!」ゆかりが言った。
「なんでゆかりがするんだよ。ぼくがするよ。」ぼくはなんとなく不愉快になった。
「何言ってるの!ケンジはメールしらないでしょ!」
「・・・わたしももらわなかった。」とマユ。
「わたしもですわ。この中ではゆかりしかもらってないと思いますわ。」
たしかにマユもあかねもあの群がっている中にはいなかった。二人ともそういう意味ではゆかりより全然ミーハーじゃないんだろう。
「なによケンジ、私が出島先輩にメールするのやいてるわけぇ?」
「なんだよ、なんでぼくがゆかりに妬かないといけないんだ」こういう突っ込みも苦手だ。
「だったらいいじゃん。わたしがするー」
とにかく、番組制作をするのは、なかなかむつかしく手間がかかる。えいやー!って感じで作れるものではない。まず企画を練って、大まかな構成を決め、スケジュールを組んで取材を行い、その結果を受けて、また構成を練り直す。最後は合宿で、徹夜で内容をもみなおす。かなりシビアな行程だ。僕たちの企画はまだその戸口に立ったばかり、長い道のりのスタートラインが今なのだ。
「じゃーゆかりよろしく頼むよ」
「OK、まかせときって!」
その笑顔を見るたびに・・・とか・・・うーん・・・とにかくゆかりは苦手だ。
ぼくは、一生彼女なんて、できなくったって、結婚もしなくていい。ぼくは一人で楽しめるすべを知っているのだ。大丈夫だ・・・・・
ってなんでこんなネガティブなことを考えているのだろう。もしかしたら・・・ああ、どうどうめぐりだ。
あの記憶は本当のものだろうか。保育園のとき、お昼寝の時間、保母さんが、ぼくとゆかりが寝ているところにやってきて、布団を少しめくって「仲良しね」っていった。ぼくらが布団の下で手をつないでいたからだ。
これもおぼろげな記憶だが、小学校のとき、女友達が僕の所へ来て、「ケンジさんは、Aさんがすきでしょ、AさんはBくんが好きで、Bくんはゆかりが好きで、ゆかりはケンジさんがすきなんだって、噂になってるよー。うまくいかないものねー」
ぼくは笑ってすましたけど、「ゆかりはケンジさんがすき」って言葉が、いまだに頭の隅にこびりついている。本人から聞いたわけでもないのに、「もしこれが本当ならうれしいな」と思ったような、思わなかったような・・・遠い記憶。
ゆかりはいつも笑っている。彼女の笑顔を見るのが好きだ。中学時代はほとんどしゃべらなかった。思春期というやつかな。でも高校に入った今は毎日一緒にいる。それもまた悪くない。いや、ただそれだけでいいんだ。一生彼女のできないだろう僕にとっては、ゆかりの存在は唯一の「幼馴染」というありがたい存在だ。子供のころの貴重な記憶を共有できるともだち。いつも笑顔でいる友達。ただそれでいいんだ。
・・・と、夜中にそこまで日記に書いてみた。我ながら黒歴史を紡いでいるな。この日記はしかるべき段階で処分しないとやばいな。
外では虫が鳴いている。ゆかりは、近い将来、出島先輩とデートしてるのかなぁ。デートってどんなだろうなぁ・・・と漠然とした思いが沸き上がってきたが、それを押し殺しベッドにもぐりこんだらそのまま寝てしまった。
「土曜日に予定とれたよーん!」
ゆかりは部活が始まるやいなや、ぼくのところに飛んできた。
「早速先生の予定もおさえてねー」ととても楽しそうだ。
「そりゃいいけどさ。インタビュー内容決めないといけないよ。」
「あ、そりゃそうだねぇー」ゆかりは席に座りなおした。マユやあかねもやって来た。
「でも、まず土曜日に先生があいてないとこまりますわね。」
「・・・さき・・・きいてきたら・・・?」
あかねとマユに背中をおされ、僕は職員室に向かった。
「えらく急ねー。ちょっとまって」
スマホのスケジュール表を見ながら、マル先生は首をかしげている。
「うーん。ま、いっか。いまかぶっているスケジュールあるけど、なんとかするわ」
スマホの画面上で動いているマル先生の指をみていると、かなりな量のスケジュールが入っているような感じだ。高校教師って忙しいんだなぁ。
「オッケー!どうせ県庁の近くにいく予定だったし。13時ね。一緒に行きます。インタビュー内容提出してよ!あと機材の準備もね!」
「わかりました!ありがとうございます!」
僕はゆかりたちに報告した。
「やりぃ!わくわくするね、ヤマ越えて南におりるのひさしぶり!」
たしかにぼくもあまり町にはおりない。僕の家からは、電車で、高校とは逆方向だからだ。あと無断で繁華街に行くことを高校は公式には禁じているのもある。都会は誘惑が多いと。ぼくたちも、もう17歳なんだから大丈夫だと思うのだけど、大人たちはそう思わないのだろう。
「インタビュー内容、何にする?サークルのこと聞くっていっても、サークルの何を聞くか決めないとね。」
ゆかりは番組モードに入っている。
「そうですわね。まず名称は当たり前ですけど、主たる目的、活動内容、構成メンバーとかはいりますわね。」あかねは優等生だからしっかりした考え方だ。
「でもそこからよねー。私たちの疑問を投げかけないといけないわね。」
ゆかりのその言葉にぼくの頭にこびりついて離れない「疑問」がよみがえった。
「出島先輩はなぜ楽しそうじゃないんですか?ってきいてみたい。」
ゆかりは驚いた顔して僕のほうを見た。
「なにいってるの?出島先輩たのしそうだったじゃん!わけわんない!なんでそういうこというわけ?」ゆかりは僕のほうに乗り出して、くってかかる。
「・・・おちついて・・・」マユがゆかりをいさめる。
「いやぁ、みんなが来る前にぼくは少し話してたんだけど、大学より高校のほうが楽しかったって。自由すぎて面白くないって・・・」
「ケンジさんのお考えは面白いですわ。」あかねがフォローしてくれた。
「大学生で起業するってことは、楽しいことばかりじゃないはずですわ。辛いことや苦しいこともあると思いますわ。」
「・・・プロジェクトX・・・?」
マユの言葉にみんなうなずいた。
「そうだなぁ。ぼくはただ『疑問』って言葉からさっきの思い出しただけなんだけど、もしかしたら、出島先輩にも何かとてつもない苦労話があるかもしれないな。」ぼくの頭もまとまって来た。
「そうねぇそれはおもしろいかもしれないわね。ケンジいいこといったわ!」
ゆかりは僕の頭をポンポンと2回たたいた。
「子ども扱いするなよ!」
「いいじゃんいいじゃん。で、どう聞く?」僕の言葉などゆかりはすぐにスルーだ。
「サークルをつくるに至った経緯から入ってみてもいいですわね。」
「そうだな。それから、どんな壁があったかとか。」
「・・・メモメモ・・・」マユが箇条書きでメモをとってくれている。
「それで、最後はこれからどうしていきたいかも聞きたいわね!」
「一回目の取材だからそんなもんだろうな。この取材は1回では終わらないだろうから。」
「そうね!なんども先輩に会えるわ!お手伝いしちゃおうかな!」またぼくの中でもやもやが走ったが、すぐにかき消した。
「ありがとうマユ。ぼくそれをワープロ打ちして先生に出すよ。」マユからメモをもらった僕は、ワープロでまとめてマル先生のところに持って行った」。
「実に興味深いわね。いい話ばかりを聞くんじゃないってことね。」マル先生はいつになく上機嫌だった。
「はい。ぼくはなんとなく出島先輩が悩んでるんじゃないかと思って。そこが聞きたかったんだです。」
「そうね・・・」マル先生は少し考えている感じだった。
「こういう研究的な取材には、仮説が必要ね。佐久間は出島くんが何を悩んでいるか、仮説をもってる?」
突然の質問にぼくは、少し慌てた。
「いや、もってません・・・。わからないから聞こうと・・・。」
「それはそうね。でも、仮説をもっていると質問内容にも深みがでるわよ。」
それはそうだな。ぼくは正直どう思っているんだろう。
「あの、ぼくは、出島先輩は、できないことにチャレンジしているんだと思います。大学生はふつう会社なんかつくらない・・・いやつくれないでしょうし。でも、そのチャレンジするところがすごいと思うんです。あきらめないで挑み続けるっていうか・・・。だから壁もある。その壁にぶち当たったときの本当の想いは、きれいごとですまない、なんか叫びのような・・・なんというか・・・」
僕はなにかがほとばしって一気に話てしまい、その結果、結論がでないまま行き詰ってしまった。
「よし!いいわよ!こがんばんなさい!なんか楽しみになってきた!」まだしゃべろうとする僕は尻目に、マル先生はなぜか子どものようにはしゃぎはじめた。でも先生はいつもこんな感じかもな・・・と思い、一礼して職員室を出た。
「先生のオッケーでたよ」
「了解!出島先輩から、13時にジョイプラザ23階のオフィスまできてくれって!オフィス!かっこいい!」
ジョイプラザは県庁のある町の駅前にある大きなセンター街の真ん中にある高層ビルだ。あんなすごいところに出島先輩は事務所をもっているのか。ゆかりには悔しいがかっこいいなと思った。
「じゃー私とマユは10時32分の電車に乗るのであかねとケンジはこの電車に乗ってきて!あ、マル先生は?」
「マル先生はなんか県庁のあたりに用事があるっていってたので別行動だと思うよ。」
マユとゆかりは、中学は違うが、神楽丘高校があるのと同じ田舎まちの出身。まあ引っ越すまでは、ぼくもそのまちに住んでたんだけど、あかねは、ユウキと同じ電車沿線の中学出身。なので、町に向かうには、いつもの逆で、僕が一番最後に電車にのるわけだ。
「じゃーミーティングおわり!たのしみー!ケンジ!機材まとめるよ!」ゆかりの命令?でぼくは機材室に、ほかの二人はそれぞれアナウンスと朗読の練習に向かった。
「カメラ4台持っていくわ。あとガンマイク、ヘッドフォンも忘れずに。充電してあるバッテリーパックは?」
「あるある。ちょっと多めにもっていくか。」
ゆかりがテキパキ仕事をしているのをサポートするのも僕の仕事。アナウンスとか朗読のような表に出る仕事に向かない僕は、裏方稼業がしっくりくる。
ゆかりは文化祭ではディスクジョッキーをやったり、ギター部の助っ人ボーカルで「GOD KNOWS」を歌ったり、とにかく前にでる人だ。今年の文化祭でのユウキとゆかりの掛け合いDJは秀逸だった。一時はこの2分がつきあってるんじゃないかという噂もあったが、ゆかりは一方的に否定していた。本当は出島先輩が本命だったのかもなぁと思いながら、音声ケーブルをまとめてキャリーバックに詰めていると、突然ゆかりが僕に話かけた。
「ねえ、ケンジ。なんで出島先輩が悩んでいると思ったの?」
「え、いやぁ大した話じゃないよ。ただ大学より高校が面白かったっていったときの、そうだな、表情というか、声の感じというか。」
「放送部だもんね。そういうの見ちゃうよね。」ゆかりは出島先輩が好きだから気になるんだろう。そう思いながら作業を続けた。
「私にとって出島先輩は憧れだったなぁ。かっこよくて、スマートで、番組づくりのセンスも秀逸で。ほら出島先輩の同級生で放送部の人が、私たちが入学する前に、交通事故で亡くなって、その友達の朗読の音声が録音にのこっててさ。泣いたなぁ、あの番組。ああいう想いのある番組作りたいって思った。感動って感じて動くって話じゃない。私、あの番組聞いたから放送部がいったんだ。」
たしかに僕も、サークルオリエンテーションで聞いた。すごいなと思った。作品名は忘れたけど、その同級生の朗読をベースに、同級生たちの想い出を語る音声を組み合わせて。しかもただ流すだけではなくて、しっかり起承転結になっていて。ああいうのを構成力っていうんだろうなと思った。
「ケンジはなんで放送部入ったの?」
そうだなぁ、ゆかりが入ったから?いや違うな。
「ぼくは裏方をやりたかったんだ。小学校3年生のとき演劇やったの覚えてる?」
「ああ、あのシンデレラのね。なんか覚えてるよ。ケンジ、主役の王子様とられて大泣きしたんだ。」
「そういうこと思い出すのやめてよ!」幼馴染は時として恥ずかしい過去を引きづり出してくるので始末が悪い。
「そういう話じゃなくて、あの時、結局ぼくは、役にはまらず、緞帳の上げ下げの役目やったんだ。」
「へーしらなかった。大泣きしたので、先生が何か特別なことやらせようと思ったのかな。」
本当にいやだ。たしかに大泣きした・・・ということはあのころは、僕は主役的な役がほしかったんだな。そうか、あのとき裏方人生が決まったんだ!
「大泣きはもういいよ。あの緞帳の上げ下げが気にいっちゃったんだ。ぼくがあげた緞帳で舞台がはじまり、僕の下げる緞帳で舞台が終わる。転換が終わったらまた、ぼくの緞帳ではじまる。しかも、他の友達が先生に仕切られて並んでるとき、ぼくはずっと舞台そででスタンバイしている。ああいうことがしたくて放送部に入ったのかもな。裏方が好きなんだ」
「ふーん。でもケンジには向いているね。」ゆかりは気のあるような気のないような返事をした。そうか、いまは僕の話じゃなく、出島先輩の話をしてたんだった。少し僕がしゃべりすぎた。
「ぼくも、出島先輩のあの番組は感動したよ。」
「むりに合わせなくてもいいのよ。」
「いやほんとだよ。ゆかりが出島先輩好きになるのもわかるよ!」ぼくの言葉にゆかりは大きく首を横に振って否定した。
「ちがうちがう。好きってことじゃないよ!憧れよ!憧れと好きは違うの。憧れはね。手が届かないって感じがいいんだぁ。見てるだけでいいの。」
「なんだよ、それってすきってことじゃないか。」ぼくは少し憮然とした。
「うーん、すきっていろいろあるからね。ほら、結婚したい好きと、ただの好き。憧れっていうのは結婚したいすきじゃないよ。」どこかで聞いたようなセリフだけど、解りやすいのはわかりやすい。
「わたしが結婚したい『すき』はね・・・」ぼくの頭の中では「ききたくないききたくない」っていう小人が暴れまわっていた。この流れなら「ユウキ」の名前が出てくるに違いない。いや5組の男子か!ぼくは1組なので棟がちがうから、クラスでのゆかりの動きは全く見えない。と考えているとさらに小人は暴れだして収集が付かなくなってきた。
「なんだよ、そんなの僕は興味ないよ」さりげなくいったつもりが、少し声が震えていたかもしれないので、ドキドキした。ゆかりは少しつまんなそうな顔をした。
「ふーん。わたしになんか興味ないって話よね。わたしもケンジの恋愛になんて興味ないから、おあいこね。」
違うのかもしれない。ぼくはゆかりの恋愛にすごく興味があるのかもしれない。でもこれは不確かであって、はっきりしないのであって・・・。
いや、それも違うな。もしかしたら、ぼくはゆかりに振られるのが怖いのかもしれない。もし、ぼくがゆかりに「すきだ」と告白して、「ごめんなさい。お友達でいてください」っていわれたらどうしよう!と思うのだ。
入学当初、ぼくのクラスのバカな男子たちが変なノリで「お友達倶楽部」というのを作っていた。この倶楽部は好きな子に告白して、「お友達でいましょう」っていわれたら入れる倶楽部だというのだ。ぼくはクラスになじめてなかったし、「告白」なんてできるわけないから、関わらないようにしていたのに、無理矢理引きずり混まれて、好きでもないほとんど初対面の人に告白めいたことをさせられた。その子は困った顔をして「ごめんなさい」っていった。結局「お友達でいましょう」とは言われなかったけど、告白という行為に及んだ勇気に免じて、テプラでつくった会員証はいまだに生徒手帳に貼ってある。会員番号003ってことなので、初期メンバー。でもこれって実はいじめだったんじゃないかなぁ。
でも・・・でもだ!じゃーその後、お友達倶楽部の連中で本気で好きな人に告白して、「お友達でいましょう」って言われて「お友達でいれたやつ」がどれほどいるんだ!会員番号001も002もそうだろう!
告白してしまうと、お互い意識してしまう。そこで「お友達でいましょう」なんていわれても、逆に!むしろ!「お友達でいられなくなる」だろう!厳に、002の戸倉だって、告白した彼女が逆に活性化してしまって、本当に好きな子に積極的に告白して、いまやカップル成立してしまってるじゃないか!戸倉なんてもう蚊帳の外どころか、蚊帳がつってあるのすら見えない隅っこの部屋でひざかかえてるじゃないか!!!!!って・・・なにを僕は一人で盛り上がっているんだ・・・。
そう。だからぼくはゆかりを好きなのに告白しないのかもしれない。幼馴染という甘美な響きを維持し続け、お互い気を使わないで一緒にいられる。この現状を維持することこそが至上命題だ。なので、ぼくは絶対ゆかりに告白しない!・・・あ、ということは、やっぱりぼくは・・・ゆかりが好きなのか・・・。そんなことを考えながら作業をしていると下校の時間になった。
「もうこんな時間!ケンジかえろう!」
「お、おう・・・」
引っ越しまでは、本当に一緒に帰っていた。方向が同じだったからだ。でも今は、せいぜい自転車置き場まで。ゆかりは自転車、ぼくは駅に向かって歩く。それでも、ゆかりと部室を出るときは、一緒に自転車置き場までいって、そのまま、あの「手巻きずし屋」の角まで一緒にあるき、そこでぼくは右、ゆかりは左に行く。そこまでの行程約8分。その程度の付き合いになった。
「じゃーねー。明日10時32分、ここ発の電車乗ってきてよー!私、高校に自転車おいてからいくから!」
「おう、また明日なー」
今日はいつになくゆかりを意識した。そういうお年頃なのだろうか。でもこういうことを書くのは日記だけにしよう。だれにも見られない正直な気持ちを未来の僕に託そう。でないとなにか大事なことを忘れてしまいそうだから・・・。
***
朝。電車がいつもと違う方のホームに近づいてくる。遮断機がしまりかけているので、必死に走って踏切を越える。向こう側のホームにいくには、駅の中にある踏切を越えないといけない。家を出た瞬間に、念のために再度充電したバッテリーを忘れたのに気が付いて取りに戻ったからぎりぎりになってしまったのだ。
電車は、絶対駅に停車するわけなので、ひかれることはないが、近づいてくる電車の目の前の遮断機をくぐるのはぞっとする行為だ。このリスクを毎日被らないでよいことに感謝した。
電車のドアが開く。僕の乗った車両より一つ後ろの車両で女子3人が手を振っている。取材時は基本的に制服のはずだ。でもゆかりのたくらみだろう。出島先輩に私服を見せたいから三人で申し合わせたのだと思われる。
たしかに、いつも制服を見慣れているので、私服は新鮮だ。でも、ゆかりは、見せたいわりに相変わらずのパンツルック。行動的だ。マユは、どういったらいいか。ほぼ小学生に見える。そういう意味ではあかねはセンスがいい。とてもかわいいピンクのブラウスにそろいのスカート。帽子も似合っている。
「ケンジ!なにあかねみてにやにやしてるの!」あ、ゆかりに気づかれたみたいだ。
「・・・ケンジさん・・・やらしい」マユもこちらをじっと見ている。
「そんなんじゃないよ!なんで制服じゃないんだよ。マルに怒られるぞ。」
「まあ、たしかに今日は先生もいっしょですわね・・・」ゆかりに言ったつもりなのに、不安そうなあかねをみてなんだか申し訳なくなった。
「もう着替えにかえれないしなぁ・・・あ、あかねさん、それ似あってる・・・よ」
フォローしたつもりが柄にもないことを言って、なんか顔が赤くなった。
「なによ!わたしにはそんなこといわないくせに!」
「・・・わたしにも・・・」ゆかりとマユがぶーたれている。
「ケンジさんありがとうございます。うれしいですわ。でもゆかりさんもマユさんも似合ってらっしゃいますわよ。」
「だよねー!わたしもマユもキャラに合わせてるんだよね!私があかねみたいなのきたらきもちわるいでしょ!」
少し想像してみて、案外かわいいかもと思ったが、いうとつけあがるか殴られるかのどっちしかないのでやめた。
「いまのが似合ってる、似合ってる!ふたりとも」
「なんかあかねのときとは違って全然感動を感じないのよねー。ユウキなら3人ともまんべんなくほめるわ!ほんと至らない男!」
ゆかりはまだふくれっつらだ。この年の女子はむつかしい。気を付けなくてはと思った。
電車は山を越えて、まちに差し掛かって来た。
「わー、海が見える!きれいだなぁ!」
「・・・ほんと、きれい・・・!」
昔、さむらいが崖を駆けおりて敵を打ち破ったとか、打ち破らなかったとか、そういういわれのある山並みを、海に向かって電車は降りてゆく。まるでケーブルカーのようで確かに風景が美しい。
ゆかりとマユは先頭車両にうつって運転士さんのうしろに張り付いて進行方向をみている。ほんと子供みたいだ。
「ケンジさんは前にいかれませんの?」
「いや、ぼくは少し走って来たのでつかれたから、座ってるよ。あかねはいかないの?」
「わたしは、昔から、よく、母とまちに行ったんです。なので見慣れた風景なのです。」
そうか、あかねは、校区の南のはずれにある新興住宅地に住む沿線住民で、僕と違って子供のころからこの電車に乗っているんだ。そういう意味ではぼくらより、かなり都会に近いところで子供時代を送ったんだな。だから垢抜けたところがあるのかもしれないと思った。
そんなことを考えてあかねのよこに座っていると、ゆかりがこっちを向いて走ってきた。
「ケンジ!あかねに手をだすんじゃないわよ!あかねは私がまもるの!」
「なんだよ、手なんてださないよ!」
「じゃーそんなにくっつかない!もっと!あと1メートル!」
「こんなに離れたら話できないじゃないか!」
「ケンジ話さなくてよろしい!わたしが間にはいる!ねーあかね」
「はいはい、そうですわね」
やっぱりこの年の女心はわからない。でも、ゆかりはいつもよりはしゃいでいるように見えた。土曜のお昼間で、乗客が少なくて良かった。
電車を一回乗り換えてついた大きな駅の改札を出て、これまた大きなスクランブル交差点を渡る。人の波に圧倒される。僕たちの町では考えられない人の量。休日とあって、ショッピングに来た人たちが多いのだろう。みんな楽しそうに歩いている。
「すごいひとね!みんな迷子にならないでよ!」
あかねが手を挙げて横断歩道を渡る。それにあかねが従い、マユ、僕と続く。あかねは携帯で地図を開きながら進んでいるようだ。
ショッピングセンターのようなアーケードを抜けたら「高層階行」とかかれたエレベーターホールにぶち当たった。
「ちょっとストップ!ここよね!まちがなし!」あかねは得意満面でドアの空いているエレベーターにのり23階のボタンを押した。
ドアが開いた23階は、土曜ということでオフィスはほとんどしまっているようだ。このフロアは、いくつかの事務所が入っているマンションのようなつくりだった。
「名前、なんていったっけ?出島先輩のサークル」
「ちょいまち、ザクセンカンパニー内KMGネットワークって。」ゆかりの言葉を頼りに看板を探すと「ザクセンカンパニー」という文字が目に入った。
「ここじゃないかなぁ。」よく見ると小さくテプラで「KMGネットワーク」と貼ってある。
「ここだここだ!ちょっと早く着いちゃったけど、ノックしてみるね。」まだ約束の30分も前だ。かなり早く着きすぎた。
ゆかりがドアを2回コンコンとたたくと、中から出島先輩が顔をだした。
「おお、みんな、えらくはやかったね!どうぞ中に入って!」
中は事務机があるスペースと応接のようなスペース、一番奥には畳の間もあるようだった。
「・・・ひろい・・・」
「ほんとすごくひろいですわ」
マユもあかねも感激しているようだった。
「これ全部出島先輩の事務所なんですの?」あかねの問いに出島先輩は少しはにかんだ。
「いや、僕たちはここを間借りしているんだよ。ザクセンの社長の好意でね。あの畳の部屋がぼくらの部屋だけど、今日は土曜日でだれもいないので、こっちの応接を使おう!取材だしな!」
「先輩、土曜日なのによかったんですか?」ゆかりが心配そうに聞いた。
「ああ、逆にいいんだ。土曜日はだれも来ないから。自由につかえるしね。早速取材を始めてよ!」
「先生がまだ来られてませんので。」
「いいじゃないか。はやければ早いほどたすかるんだ。」出島先輩は少し急いでいるようだったので、僕たちは準備をはじめた。
「ではよろしくお願いします。」インタビュアーはあかねだ。事前にインタビュー原稿をメールしていたので、取材はスムースに始まった。
しばらくすると、ドアをノックする音がしたので取材を中断したら、マル先生の到着だった。取材のペースがでていたので、僕たちはマル先生に「しーっ!」と人差し指で指示し、そのままインタビューを続けた。
「大学に入って放送部に入部されてすぐにやめられたのはなぜですか?」あかねがさらに質問する。
「大学の放送部も高校と同じくかなり厳しい規則があって、僕のやろうと思ってた放送芸術をやるチームがないんだ。だから退部して企画サークルを作った。そうすると自由になんでもできるようになったんだ。」
「でも自由ってこわいってケンジさんにお話になったって聞きましたけど。」僕が聞きたかった本題にあかねが切り込んだ。
「そんなこといったっけかなぁ。でも、たしかに『なんでもできる』っていうのは『何をしたらよいかわからなくなる』っていうのと同じ意味だ。自分たちでやろうと思ったらどんな企画でも立てられる。しかし、自由すぎると暴走してしまっても歯止めが利かなくなる。そうやって無茶をやってるところで、ザクセンの桂嶋社長にあったんだ。」
「あ、ここのザクセンカンパニーの社長さんですね。」
「そうそう。まだ30代なのにこんなに大きな会社をやっている。アメリカの大学でMBAをとられたすごい人なんだ。僕は尊敬している。ビジネスについては非情だよ。『ビジネス イズ ビジネス』が社長の口癖。アメリカ式なんだ。僕は桂嶋社長についていこうと決めたんだ。お風呂で体を洗うときはどこから洗うと良いと思う。頭だ。体を洗うための石鹸がシャンプーで節約できるからね。桂嶋社長はそこまで徹底しておられるんだ。」
ぼくは、なぜかインタビュー内容をつまらなく感じた。出島先輩が話しているのは、自分の言葉じゃない。その桂嶋?社長の受け売りばかりだ。僕は出島先輩の話を聞きに来たはずだ。自由だ、自由だといいながら全然自由に感じない。いや、自由だったのが怖くなって、また不自由な世界に入ったってことかもしれない。なんとなく幻滅してきた。
「先輩、少しいいですか?」ぼくはインタビューに割って入った。
「先輩は自由だっておっしゃいましたが、いまお話を聞くと、桂嶋社長さんのことばかりで、先輩の夢はどうなんですか?どうなりたいんですか?」出島先輩は身を乗り出してきた。
「佐久間、だから言ってるじゃないか。ぼくは、桂嶋社長とともに、この町から東京へ、そしてニューヨークへ羽ばたいていくのが夢、いや目標なんだ。夢はみるもので、目標は目指すもの。だから目標ね!北極星は遠いからぶれないんだ。そこを目指して進んでいく。」
どれもこれも、なんか出島先輩の言葉のような気がしない。桂嶋社長のことばなんだろう。不思議なものだなとおもった。言葉って身についたり身につかなかったりするもんなんだ。言葉を発しても、心の中から出た言葉でないと、どうも浮つくんだ。僕は出島先輩の言葉の内容より、表情や言葉の語調などのほうが気になった。
「何をやって羽ばたかれるんですか?」
「それは…ビジネス・・・さ」
「なんのんビジネスですか?」
「そりゃーイベント企画したり、いずれはテレビ番組つくったり。ほら、僕の名刺ができた。みてよ。」
その名刺には「KMGネットワーク(○○大学1年生)テレビ番組学生ディレクター 出島安史」と書いてあった。
「わー先輩、ついにテレビ番組やるんですね!」名刺を見てゆかりが食いついた。
「そうなんだ。テレビの企画を桂嶋社長がOKしてくれて、お金集めまでやってくれるんだ。大きなクルーザーを持っておられて、そこをスタジオに撮るんだ。ローカルだけどね。大学生がたくさん出る番組にしたい。未来のビジョンを語れる番組にね」
「いいなぁ」ゆかりは憧れのまなざして出島先輩を見ている。
「出島くん」マル先生が割って入った。
「あ、先生、すみません、インタビューに夢中になってご挨拶おくれて。」
「いいの。あなた、桂嶋さんのお仕事しってる?」
「え・・・?」出島先輩はすこしたじろんだ。
「あ、プロデューサーって。ビジネスプロデューサーと聞いてます。」
「なんのビジネスの?」マル先生はさらに聞く。
「いや、いろいろですよ。不動産とか、セミナーとか。」
「具体的には?」マル先生の質問はインタビューというより尋問のようだ。出島先輩の顔はみるみる赤くなっていった。
「なんですか先生!なにか問題でもあるんですか!桂嶋さんはたくさん本も書いてられるし、ラジオにも出てる有名人なんですよ!ぼくは桂嶋さんを悪く言う人は、先生であっても許しませんよ!」出島先輩は、今まで見たこともないほどの怒りを僕たちに見せた。
「わかったわ、私は、いまあなたの先生でも顧問でもない。出島くん、私が高校で教えたように、しっかり自分の目で見て、耳で聞いて判断してね。さあ、みんな帰りましょう」
僕は慌てた。
「ちょっとまって下さい先生。まだ取材終わってませんよ!」
「この取材は中止!さあ帰るのよ」
「先生なぜですか?私もう少し出島先輩の話聞きたいです!」ゆかりが食いつく。
「出島くん、何かあったら私に相談してね。相談にのれることがあるかもしれない。手遅れになる前に。」
「手遅れになんかなりません!僕は、僕は!世界に羽ばたくんです!田舎暮らしの先生にはわからないんです!」
僕たちは目に涙をためている出島先輩を残して事務所を出た。ゆかりは最後まで出島先輩の横でなにか話していた。
「伊集院さん、はやくいらっしゃい!」
マル先生にせかされてゆかりは事務所を出てきた。
「先生理不尽すぎます!理由を説明してください!」エレベーターの中でゆかりは、涙を浮かべてマル先生につかみかかった。あかねとマユは必死に止めている。
「あなたたちは先に帰りなさい。私はよるところがあるので。詳しくは月曜日に話すわ。」マル先生は4Fで降りて駐車場に向かった。僕たちはそのまま駅に向かった。
「あんなのひどすぎる!出島先輩、泣いてた。『ぼくの未来を否定された!』って」
僕は、目に涙をためてそういうゆかりの言葉を聞きながら、どうも引っかかっていることがあり、素直にそう思えなかった。マル先生の激昂、取り乱した出島先輩。ぼくが短い人生の中で見た中で最もハードなシーンだった。こんなことになったのには理由がある。絶対理由があるはずなのだ。その理由を月曜日に先生に聞きただそう。そう思った。
「わたし、明日、もう一度出島先輩に会ってみる!」ゆかりの言葉にみんな驚いた。
「わたしも参りますわ。」そういうあかねに、
「いや明日は私だけでいく。みんなで出島先輩を取り囲むのではなくて、本当のことが聞きたいの」とゆかりは言った。その目は決意に満ちていた。ぼくもいく!と言い出すきっかけを失った。ゆかりにとっての憧れの出島先輩が見せたみじめな姿。それを自分の中で消化したいんだろう。そういう意味では僕の出る幕ではない。
「ゆかり、出島先輩に、もう一度ぼくらにも取材さしてほしいって頼んでよ。ぼくも本当のことが知りたい。今回はマル先生が打ち切っちゃったけど、ああいう中途半端なことは嫌いなんだ」
そのやりとりを見ながら、あかねは少し悩ましげな顔をした。
「・・・たぶん、マル先生が取材を打ち切ったのは、続けると『真相究明』になってしまうからだとおもいますわ。」
たしかに、マル先生は「高校生は『真相究明』的な番組を作るべきじゃない」と厳に言っている。なぜなら、僕たちは高校生であり、ジャーナリストじゃない。また何かの真相を追及すると、誰かが傷つく。
「高校生の番組は絶対に人を傷つける内容じゃだめよ!視聴率を稼ぐテレビ局とは違うんだから!」が口癖だ。
たしかにそうだろう。でも、今回の件は、番組にするしないにかかわらず、やってみたいと思った。そのスケジュール調整はゆかりに任せ、月曜日に打ち合わせを行うことにして、ぼくは自分の家の近くの駅で電車を降りた。
家に着くころ雨が降り出した。かさを持っていなかったので危ないところだったなと、小走りに家に駆けこんだ。夜には雨は激しさを増していた。
***
月曜の朝。いつものように学校に行く。日曜は一日雨で、引き続き今日も雨。雨の日はあまりすきじゃない。でも、自転車通学の時よりはましだ。カッパを着ていてもべちゃべちゃになるし、カッパをしまうのも面倒。なので、いまの電車通学はまんざら悪くないと思っている。
授業中もぼーっと窓の外の雨を見ていた気がする。気が付いたら授業も終わり、放課後の部活の時間だ。
「今日はゆかりさんお休みですわ。」クラスも同じあかねがそういった。
「え、何か聞いている?打ち合わせしたかったのになぁ」
「ええ、メールで今日は体調が悪いので休むと。」
「いや、出島先輩の取材の日とか・・・」
「ええ、それはなんか昨日の日曜日、会った瞬間くらいにメール打ってきましたわ。来週の土曜日の午後でどうかって・・・でも・・」
「でも・・?」
「ええ、なんかその後は全然メール来なくなって、で、休むとだけ・・・どんなお話したか聞きたかったですのに」
それはぼくも同じだ。とても気になる。いや、それ以上にゆかりが心配だ。家はもともと近所だったのだからわかっているので、部活が終わったら覗いてみようか。ひとりで行くのもなんか変だから、みんなでいこうかな・・・。
そう思っていると、僕の携帯のメールのバイブレーターが震えたのでびっくりした。
高校は基本的に携帯所持禁止。しかし、みんなは鞄に忍ばせている。先生も放課後にこっそり使う分には黙認している感じもあるが、いきなり着信するとドキッとしてしまう。
メールの発信元は「ゆかり」だった。ゆかりはめったに僕にメールは打たない。でも打ってくるときは、愚痴やどうでもいい話を延々打ってくる。最近はあまり来てなかったので、久しぶりの着信だ。
「ゆかりからのメールだ」そういいながらスマホのアプリをたたいた。
「なんて送ってきましたの?わたくしにはきませんのに。ケンジさん、たよられてますわね。」すこし揶揄するようにあかねが言った。
「・・・信頼・・・信頼・・・」マユも横でにやにやしている。
しかし、ぼくはそのメールを見た瞬間、混乱してしまった。その顔をみてあかねとマユが少し後ずさった。それほどに僕は驚いて戸惑っていたのだろう。
そのメールには、「ごめんね さよなら」と書いてあったのだ。
「ケンジさんどうされましたの?」あかねが呼び止めるのも聞かず、僕は鞄を持って駆け出した。幸い雨は上がっていた。「ごめんね」まではいいが「さよなら」。この四文字は怖い。なにか怖いのだ。小学校のとき、終わりの会で「先生さようなら、みなさんさようなら」というが、いつからだろう、さようならといわなくなったのは。中学校の部活ではまだ言っていたかもしれない。でも成長するにつれて、この「さよなら」は、どうも二度と会えない別れに使う言葉のような気がしてきた。「バイバイ」とか、「またね」とか・・・帰りがけに「ゆかりさよなら」「ケンジさよなら」とか・・・いわない・・・いわないよ。「さよなら」ってメールに打ってくるってことは・・・急がないといけない!
ゆかりの家は高校から自転車ではすぐだが、歩くと、20分はかかる。でも、ぼくは全力疾走していたのかもしてない。気が付いたら子供のころから見慣れたゆかりの家の前に立っていた。
切れた息を整えてベルを押す。両親は共働きなので、いまはゆかりしかいないはずだ。呼び鈴を押しても返事がない。学校を休んでいると聞いて、家にいるものと思い場所も確認せずに走ってきたが、違う場所なのか。
「そうか電話をすればいいんだ!」こんなことに気づかなかったのは、よほど「さよなら」が怖かったんだと困惑しながら、ゆかりの携帯電話にかけてみた。2階のゆかりの部屋で電話が鳴っている。間違いなく中にいるんだ。そう思った瞬間、ゆかりが電話口に出た。
「ケンジ・・・」
「大丈夫か?ゆかり!」
「だいじょうぶ・・・」
「窓あけて顔見せろ!」
「え?」
2階の窓がガラガラとあいた。
「あ、ケンジ・・・きてくれたんだ・・・」
窓から顔をだしたゆかりは泣き崩れた。こんなゆかりを見たのは始めてだ。ぼくはあわてて裏口へまわった。不用心な話だが、ゆかりの家は裏口の横のアルミサッシの縁側は一番右側のカギが緩くて昔はこっそり忍び込めた。よくそうやって遊んだものだ。直されていたらダメだが、とおもいつつ、縁側のサッシの手をかけたら開いた。
勝手知ったり友達の家で、そのまま2階のゆかりの部屋に上がっていった。
「ゆかり!だいじょうぶか!」
ゆかりはドアをゆっくりあけた。
「・・・もう・・・昔みたいに、かってに上がってきて・・・」
そういいながら、ゆかりは僕の胸に崩れかかってきた。ぼくはドキドキしながら、ゆかりを抱き留めた。
「どうしたんだよ。ゆかりらしくないな」
「わたしらしくない?わたしってこんなだよ・・・むかしから」
ゆかりの体は熱があるのだろう、すごく熱い。僕はゆかりをそのままベッドにまで連れていき、横の学習机の椅子に腰かけた。
「いったいどうしたんだゆかり・・・」
僕の問いに、ゆかりはじっと天井を見て黙っている。その目にはまだ涙が浮かんでいる。
「ケンジ、やっぱあてになるのはケンジだな。私のことわかっててくれるもん。」
「どうしたんだよ。ほんとらしくないよ。」
「覚えてる?保育園のとき、私とAさんとケンジでよく遊んだね。」
Aさんか。たしかに三人でよく遊んだ。
「ケンジはAさんが好きなんだよんね」
僕は何も答えなかった。実際僕にもよく思い出せない。Aさんもたしかにかわいかった。でも、ぼくはゆかりのほうが・・・とおもいつつ恥ずかしいので、頭の中からかき消した。それにしても何があったのだろう。
「うれしかったよ・・・ケンジきてくれて、ありがとう。ほんとに・・・わたしもっと素直になればよかったね・・・ごめんね・・・」
「ゆかり!どうしたんだ!」
僕が体をゆすった時、ゆかりはすでに目を閉じていた。その目からは涙があふれていた。
「おい!ゆかり!」ゆかりを抱きかかえて、ベッドにまでつれていったつぎの瞬間、僕の頭は真っ白になって絶句した。
「これ全部のんだのか!」
枕元には「睡眠薬」とかかれた袋あり、入っていたはずの大量の睡眠薬のプラスチックの容器が空になっていた。
「おい!ゆかり!しっかりしろ!ゆかり!!!」
僕は一瞬パニックになって、必死にゆかりの体をゆすったが、とにかく冷静になろうと思いなおした。
「救急車だ!」でも救急の番号が思いつかない。どうしらいいんだ。何番だった?わからなくなって、携帯の「発信履歴」の一番新しいのに電話した。
「おお、ケンジ、電話かけてくるなよ!部活中だぞ!」出たのは、ユウキだった。そうか、ゆかりに電話する一つ前、日曜日の暇つぶしに電話したのはユウキだったんだ。
「いや、救急車って何番でよぶんだっけ?」
「なに寝ぼけたこと言ってるんだ、119に決まってるじゃないか!」
「ありがとう!」
「ちょ!ちょっとまて・・」
ユウキの電話を切り、119番に電話した。
「○○市○○町○○の・・・あ・・・伊集院です!睡眠薬をたくさんのんでしまって」
「おちついて話してください。あなたが誤飲ですか?」
「いや、ぼくじゃなくて、ゆかりさん、そう娘さんが・・・・・大量に」
「自殺を図られたんですか?」
その言葉を聞いて、僕の中に「実感」がわいてきた。そうだ、ゆかりは「自殺」を図ったんだ!
「・・・はいそうです・・・」電話口でそういった僕の声は震えていた。いや、体も震えていた。どうすればよいのか・・・吐かせればよいのか・・・いや、下手に吐かせて器官がつまったという話を聞いたことがある・・・なんと・・・なんと僕は無力なんだ。そう思うと涙が出てきた。
おもったより救急車は早くついた。あたりは騒然となった。ゆかりは眠ったようになったまま担架で階段を降りた。
「ご家族の方ですか?」
「いえ友人です」
「どうしてここに?」
「いや、メールもらって・・・きてみたらこんなことに」
「では、一緒に来てください。この方のご両親のご連絡先はわかりますか。」
「いえ、でもちょっとまってください」
ぼくはゆかりの部屋に戻って彼女の携帯を取ってきた。
「これに登録されている可能性がありますので、かけてみます。」
「お願いします。」
携帯に登録されていた電話で、ゆかりのお父さんとお母さんは病院に飛んできた。僕は簡単に事情を話した。
「ケンジくんありがとう。ほんとうにありがとうね。」
おかあさんは泣き崩れた。
「ゆかりは高校受験のときに不安定になって、不眠症になったので睡眠薬を処方してもらったんだよ。それがまだ残ってたんだ。ケンジ君、本当にありがとう。」
おとうさんも涙を浮かべながらそういった。
ゆかりが不眠症・・・気づかなかった。中学の時はほとんど話していなかったから。僕は近くにいたつもりでも、本当はゆかりのことをわかってなかったんだと痛感した。
「ゆかり、昨日の夜中にびしょ濡れで帰ってきてね。駅から傘も差さないで。何も話さないのよ・・・それから熱出して。いったいどうしちゃったのか・・・」
えっ!昨日・・・!その言葉をきいて僕はドキッとした。出島先輩と何かあったのか!そういう思いとともに、僕の中では、不安と不信が膨らんできた。いったい何があったのだろう。そう考えていたら看護師さんが走って来た。
「伊集院さんのご両親ですね!こちらへ!」
お父さんとお母さんは、「それじゃ」とだけ言い残して慌てて走り出した。僕は追いかけることもできず、しばらく茫然と立ち尽くしたのち、玄関に向かって歩き出した。
そうだ僕はただの幼馴染だ・・・ゆかりの身内ではない。たまたま第一発見者だったって話だけだ。つきそうわけにはいかない・・・でも・・・考えがまとまらず、頭が混乱して真っ白になってきた。
玄関を出る瞬間に、丸崎先生を載せたタクシーがカーポートについた。マル先生の顔もこわばっている。後ろから教頭先生もやってきた。
「佐久間くん?どうしてここに?」マル先生が声をかけてきた。
「いや、たまたま、ゆかり、いや伊集院さんの家に用事があっていったら大変なことになっていて。」
教師二人は顔を見合わせた。
「なにか事情をしっているの?」
「いや、ぼくは何も。たまたま・・・です。」
「わかった。明日学校で話聞かせて」
そういうと二人も病室に向かっていった。
なんでこんなことになったのだろう。ぼくは自分の日常が壊れていく音を聞いていた。たしかに普通の日々に飽き飽きしていたのは事実だ。でもこんな風に日常が壊されるのは嫌だ。絶対いやだ!
ふと、ほほを涙が流れているのに気が付いた。ぼくは泣いているんだ。そう思いながら、茫然としたまま、駅に向かって歩き始めた。
雨は上がって、遠くの台地に夕日が沈みかけていた。
この風景は僕が子供のころよく見た風景だと、今思い出した。「やはり昔のことは忘れるもんだな」と思いながら、頭には子供のころのゆかりの顔が浮かんでいた。
男勝りで勝ち気で、いつも泥まみれで遊んでいる。川でザリガニをつり、大きなカエルでも手で捕まえて僕の所にもってくる。ぼくはそういうのが苦手なので、逃げまわっていた。そうだ、ゆかりはいつも僕を追いかけてきていたな。思い出がくるくるまわる・・・走馬灯のように・・・走馬灯・・・!
不吉な思いが脳裏をよぎった。もしかしたら、ゆかりはこのまま死んでしまうのか・・・だったらなぜぼくは帰ろうとしているのか。そばにいてやればいいんじゃないか。いや、でもぼくは・・・身内ではないし・・・彼氏でもない・・・ただの幼馴染・・・幼馴染に付き添う権利はあるのか・・・ないのか・・・頭の中でくるくるまわる・・・そして僕は、やはり、ただ茫然と駅に向かって歩いていった。
***
翌朝、頭を抱えてベッドから起きかがった。学校へ行きたくない。気が重かった。
先生に何をきかれるんだろう。正直僕は何も知らないし、なぜゆかりによばれたかもわからないまま、目の前で死に瀕したゆかりを見ただけだ。
いつもの駅でユウキが乗ってきた。普段は話かけないユウキが、声をかけてきた。
「おい、大丈夫か?」
「なにが?」
「ゆかりのことだよ。」
「しってるのか!?」
ぼくは少し驚いた。
「うん。まあ・・・他の奴らはしらないさ。俺は部長だからマルから聞いた。何があったんだ?」
ユウキは心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「いや僕にもわからないんだ。そこにいただけで・・・」
「おまえ、メールみて走り出したってあかねが言ってたぞ。」
そうだ、あの時、班会議だったから飛び出す僕をあかねもマユも見ている。何か説明しないといけない。
しかし、本当に何もしらない。最近のゆかりのことも、ましてや何があったかなど。出島先輩と・・・。そこまで考えて、また新しい感覚が頭に浮かんできた。
そうだ出島先輩だ・・・。僕が知っている事実はただ一つ。昨日、ゆかりが出島先輩にあったこと。これはうちの番組班はみんな知っている。そしてあかねが言ったように、今週末の土曜日に、みんなで出島先輩を再度取材に行くと決まっている。ゆかりの両親はだれに会ったか知らないはずだ。ゆかりが言わないかぎり、この事実は、うちの班のメンバーしか知らない。
「おいユウキ、ちょっと昼休み部室に来てくれないか?」
「おう、いいよ。」そういうと、ユウキはいつものように、吊革にぶら下がったまま英単語の参考書を読み始めた。僕らはそれきり何も話さず電車は高校の最寄り駅に滑り込んだ。
あの巻きずし屋のある角を曲がって校門にさしかかると、そこには教頭先生とマル先生が待ち構えていた。
「佐久間くん、ちょっと一緒に来て。」
「あ、でも授業が」
「それはいいの。話を聞きたいから。」
ぼくは先生二人につれられて、生徒指導室に連れてゆかれた。そこには、制服の警官が一人いた。ぼくはドキドキしながら椅子に座った。
「君が佐久間くんだね。」警官は尋ねた。
「はい、そうです。なにを・・・話せばいいんですか?」
「そうですね。伊集院ゆかりさんの昨日の様子を教えてください。」
丁寧だけれど厳しい口調だ。
「あ、ぼくは、たまたま伊集院さんの家にいって・・・」
「たまたま?!」警官は叱責するような声をだして聞き返した。
「あ、はい、たまたまです。」
「隠し事はダメだよ。あの時間帯は部活動の時間帯だよね。そこを抜けて伊集院さんのところに行く必要があったの?!」口調はどんどん取り調べ調になる。
「ちょっとまって佐藤巡査部長!彼は容疑者じゃないのよ。自殺しようとした伊集院さんを見つけただけなのに、何その尋問口調は!」マル先生に「佐藤巡査部長」と呼ばれたその警官は、はにかみながら頭をかいた。
「いやぁマル先輩にはかなわないなぁ。わかりました。優しくしますよ。ごめんね。佐久間くん。君が見つけたときの状況を聞かせてね。」
この人も神楽丘高校でマル先生の後輩なんだな。だったら僕もこの警官の後輩だ。それを聞いて、ぼくは少しおちついて、「さよなら」というメールが来たこと。ただならぬ不安に襲われて家に行ったこと。僕が行ったときにはすでに睡眠薬を飲んでいたようだということ。119番が思い出せなくてユウキに電話したことなどを説明した。
「玄関が閉まっていたので、縁側のアルミサッシを開けて入りました。」
「え?なんでそこが開いているってわかった?!」警官はまたきつい口調になった。
「佐藤くん!」
「あ、すみません。たまたま・・です・・か?」
「いえ、ぼくと伊集院さんは昔家が近所で、幼馴染というか・・・」
そういう説明をするのが恥ずかしかった。別にいまゆかりと僕は何もないから余計に気まずい気がした。
「うむうむ。ということは、君は伊集院さんのボーイフレンドってことか。」
「いや!そんなんじゃありません、ただの幼馴染で・・・」そこまで言って、突然肝心なことをこちらが聞いていないのを思い出した。
「それで・・・伊集院さんの容態はどうなんですか?」
マル先生は顔をしかめた。
「あまりよくないわ。昨日は昏睡していて、話すことができなかったのよ。」
「だから困っているんですよ。」警官が口をはさんだのをマル先生はにらみつけた。
「いや、自殺の動機が全くわからないので。ご両親にお伺いしても、昨日、雨に打たれて帰ってきた事しかわからないというし。もしかして昨日、佐久間くんが伊集院さんと一緒だったんじゃない?」
僕は頭にカーッと血が上り「いっしょじゃありません!」と大きな声を出してしまった。マル先生も教頭先生も警官も思わずびくっと身震いしたほどだ。
「じゃーだれといたか知っているの?」マル先生が優しく聞いてきた。
「いや・・・知りません」
「本当に?」
「はい。」
そういいながら、「出島先輩だ」と心の中でつぶやいた。ここで言ってしまおうか。隠し事をするのはがらじゃない。でも、僕の中にはもう一つの想いが沸き上がっていた。
「僕の手で真相を突き止めてやろう」それが、僕がゆかりにできる唯一のことに思えたからだ。
「しかたないわね。もう授業が始まっているので、放課後、伊集院さんの友達に聞いてみましょう。いいわ、行きなさい。伊集院さんのことが気になるだろうけど、勉強に専念するのよ!」
僕は一礼して、生徒指導室を出た。1時間目は終わり休み時間に入っていた。ぼくは1組、ゆかりは5組なので、校舎が違う。僕の足は5組のある校舎に向かっていた。
5組の前にくると、あかねとマユが不安そうに立っていた。
「ケンジさん、ゆかりどうしちゃったんですの?」
「・・・今日も・・・休んでる・・・何かあった?」
この様子だと、ゆかりが自殺を図った話は、情報統制されていて、本当にユウキしかしらないんだ。でも、放課後には彼女らもマル先生とあの警官の「尋問」によって知ることになる。
「あかね、マユ、今日の昼休み、部室きてくれる?そこで話すよ」
「わかりましたわ」
「・・・了解・・・」
午前の授業はほとんどうわのそらだった。これからの計画を立てないといけない。ゆかりが死に瀕しているんだ。ぼくらも頑張らないと!そう思うと、頭の中にどんどん計画が組み立てられてきた。それはいつしか、ドキュメンタリー番組の構成プロットのようになっていた。
「真相究明・・・」
そう、マル先生はこの手の企画が嫌いだ。
でも、今回の企画は、ゆかりが大変なことになってしまった。そうだ!真相を究明するのはゆかりのためだ。そう思うと、頭がフル回転していった。気が付いたらお昼を告げるチャイムがなった。
***
「え!それ本当ですの!」あかねは、僕の話を聞くやいなや、手で顔を覆った。マユもしくしく泣いている。
「ぼくは昨日部長として聞かされた。いや隠していたわけじゃないんだ。マル先生があかねやマユには自分から言うといっていたしな。まあ、もう一人の当事者のケンジが勝手に言っちゃったんだから仕方ない。」ユウキは仕方なさそうな顔をしたが、言ってしまった僕を責める感じではなかった。
「聞いてよ、みんな。ゆかりは昨日の夜、びしょ濡れになって帰ってきたとお母さんが言っていた。」
「昨日!」またあかねが声を挙げた。でも、ここは放送室のミキサールーム。スタジオのほうで騒いでいる1年生には完全に聞こえないのが幸いしている。
「・・・昨日は・・・ゆかり・・・出島先輩と・・・」マユがそういうのを遮ってユウキが割って入った。
「なんだって?ゆかりは出島先輩と会っていたのかその日!」
「そうなんだよ。」ぼくはつとめて落ち着いて説明をはじめた。
「あの日にゆかりが出島先輩と会っていたことを知っているのは、うちの番組班のメンバーと、いまユウキが知ったからこの4人だ。」
「先生にいったの?」あかねが不安そうに聞く。
「いや僕は言わなかった。でもあかねやマユにも放課後先生は聞いてくるだろう。その時にこのことは言わないでほしいんだ」
「・・・なんで?」マユは小首を傾げた。
「ほら、あかねがいってただろう。ゆかりから昨日の早い時間に連絡がきたって。」
「あ!そう、出島先輩はもう一度取材に応じるって。そうそう。」
あかねはメールを見直した。
「土曜日の午後1時に、もう一度あの出島先輩の事務所って」
ぼくは大きく深呼吸して、改めて話始めた。
「その約束、行こうよ!取材に!」
みんなは言葉を失ってしばらく僕を見つめていたが、ユウキが僕の方をポンとたたいた。
「ケンジにしてはアクティブな提案をするな。冒険家気質の俺ならともかく。お前も無謀な冒険をする気になって来たか。」
「いやそんなんじゃないんだ。僕たちのできることって、ゆかりに何があったか、真相を究明することじゃないかな。」
「・・・警察は・・・」
「当てにならないよ!今朝あった警官もすごい理不尽な感じの人だった。」佐藤巡査部長と呼ばれた警官の顔が浮かんできてむしゃくしゃしてきたので、慌ててかき消した。
「うーん。そうだな、やってみようぜ。俺も出島先輩があやしいと思えてきた。ゆかりをそんな目に合わせたんだったら、たとえ出島先輩といえども許さない。」
「そうね、マル先生からは真相究明番組は禁止されてますけど、ゆかりのためならやりましょう。」
僕たちの班プラス部長であるユウキは、土曜日の1時に取材を敢行することを決定した。もちろんマル先生には内緒だ。土曜日までにはまだ3日ある。なんとなく、待ち遠しい気がしている自分を発見して、ドキッとした。不謹慎だ。これはゆかりのためにやるんだ。しっかりせねばと、自分の手で自分のほほをたたいた。
ゆかりのお見舞いに行こうかどうしようか迷った。お見舞いなどしたことがない。何を持っていけばいいのか。まだ意識はないのか。悩みながら、校門に差し掛かった時、話し声が聞こえた。
「5組の伊集院さんて自殺したそうよ。」
「マジ?死んじゃったの?」
「いやまだ死んではいないみたいよ。」
「えー同級生に自殺者って大ニュース!ツイートしよう!」
ぼくはまた頭に血がのぼった。こんなに血が上るのも珍しい。うかつな先生が口を滑らせてしまったのか。噂は怖い。ぼくは、ずかずかとその女子2人のところに歩いて行った。
「君たち、人の生き死にに関わることをそんなに軽々しくネットに流すなんてやめたほうがいいよ」落ち着いて話したつもりだけど、声が上ずっていたようだ。その2人は、ぼくのほうを怪訝そうに見て、そのまま校門にかけていった。
「あいつなに?」
「あ、あれ1組の佐久間よ。」
「ああ、放送部の、根暗の。」
「そうそう、同じ放送部だから伊集院さんの彼氏だったりして」
その声を聞いて、また頭に血が上ったが、追いかけていくのはやめた。彼女らに何を言っても無駄だろう。あの瞬間にゆかりの体に触れた僕にしかわからない感覚がある。これは何物にも代えがたい。だから僕は頑張るんだ。そう自分に言い聞かせた。
***
水曜日、朝、もう普通の朝・・・だと思ったら、いつもの巻きずし屋のあたりが騒然としている。テレビの取材がきているようだ。カメラを持った人がうちの生徒にインタビューしているように見える。取材班の一人が僕のほうをみて走って来た。
「佐久間・・・ケンジさんですね。取材させてください。実名は絶対掲載しませんから。」
「え?なんのことですか?」
「インターネットみてません?」
取材班の一人がスマホを僕の前に突き出してきた。そこにはツイッターにぼくの中学の卒業写真が載っている。
「え!なんですかこれ!」
「佐久間さんはIさん・・・伊集院ゆかりさんでしたっけ、その彼氏ですよね。恋愛のもつれから、Iさんが自殺を図ったってネットに流出したんです。いや、もう学校側が手をまわしてツイッターは消されていますが、うちのリサーチ担当が昨日の深夜、たまたま見つけたので、今朝、早速参りました。私たちは高校生のプライバシーは絶対守ります。真相を聞かせてください。」
ぼくはあたまがフラフラしてきた。「いや、あの・・・」言葉にならない。その時誰かが僕のひじをおもいっきり引っ張った。
「すみません。あのツイッターはデマであることが確認されました。書きこんだ本人がオオゴトになっているのに驚いて申し出てきましたから。」
それはマル先生だった。落ち着いた口調で、事実のみを話している。なんか慣れている感じだ。
「じゃー伊集院さんの自殺もデマなんですか?」
「え!伊集院さん・・・ってだれが・・・」
マル先生は少し慌てたようだった。
「さっき神楽丘高校の生徒さんが教えてくれましたよ!Iさんっていうのは伊集院ゆかりさんだって」
マル先生は大きく深呼吸をした。その顔には対応が一手遅れた焦燥感を抑えようという複雑な表情が見て取れた。
「はい、たしかに伊集院さんは入院されてます。でも自殺はデマですよ。薬の誤飲でした。診断書もあります。」
「誤飲って睡眠薬自殺じゃないんですか?」
「医師の診断で誤飲です。でも誤飲でも恐ろしいことになりますので、注意が必要ですからね。まあ、すこしお話しましょう・・・ちょっとこちらに。」
僕を残してマル先生は、取材班の人たちを道路の隅に連れて行った。
しばらくマル先生が話すと、彼らは大きくうなずいて、「ごめんね。迷惑かけたね」と僕に声をかけて帰って行った。やはりマル先生はすごい。マスコミまで抑え込んでしまった。
いや、それはどいうでもいい!本当にひどい!昨日の2人!まあ、大事になった結果、彼女らもネットの怖さを思い知っただろうが、ぼくも思い知らされた。正直、心の中で不安がどんどん大きくなっていく。
マル先生は「やれやれ」という顔をして僕のほうに歩いてきた。
「佐久間くん、もう大丈夫だけど、ネットに出てたようなことはないわね。」
「え!なんて出てたんですか?」
「伊集院さん・・・ネットではIさんになってたけど、あなたと不純異性交遊があり、そのもつれを苦に自殺を図ったと。あなたは実名で写真入りよ!」
くそー!あの二人め!むちゃくちゃだ。ゆかりのことはプライバシーまもって、僕のほうは「晒し」か!いままで感じたことない殺意に近い怒りが沸き上がってきた。
「そんなことあるわけないじゃないですか!ぼくみたいな根暗にそもそもゆかりが・・・」
そこまでいってなんかむなしくなってきた。殺意より虚無感が襲ってきた。「彼女いない歴17年」の僕に、あのバカ2人め!どうでもいい情報で付加価値つけやがって。格好のマスコミネタだったんだろうな。こんな田舎町にあさっぱらからテレビカメラまで来て。
「たしかにそうね。あなたはそんなことできるほど度胸ないもんね」マル先生が笑ったので、ぼくも情けなくなってつられて笑った。
「先生やっぱすごいですね。どうやってマスコミ追い返したの?」
「あ、あれはね、ちょっと魔法の言葉を唱えただけ。」
「どんな呪文・・・ですか?マスコミって呪文で撃退できるの?!」
「まあマスコミにとってはバルスにちかい呪文。わたしも使いたくはないんだけどね。詳しくは内緒!」
なんか聞く気が失せてきた。しらなくていいことを知る必要はないと、心のセイフティロックがかかったみたいだ。とにかく、今の僕には処理しないといけない情報量が多すぎてキャパオーバーだ。まあ、何にしても、謎の多い先生だけど、こういう時には心強く思った。
校門までさしかかると、そこには教頭先生と生徒指導の増沢先生が立っていた。
「丸崎先生、佐久間くんと一緒に校長室に来てもらえますかな」
「え、はい・・・」
マル先生もやや当惑した顔だった。ぼくは嫌な予感がした。
「実にけしからん!不純異性交遊などこの伝統を重んじる質実剛健の我が校にあって!」
校長先生はすごい剣幕だ。
「いえ、校長先生、それはうちの生徒が嘘の書き込みをしたもので。」マル先生も圧倒されているが、なんとか説明しようとしてくれている。
「だったら、あの伊集院くんが、なんで自殺を図ったんだ!誤飲なんて嘘では、だまし続けられんぞ!真相を究明しなさい!警察ざたにしてはならんぞ!不名誉の上塗りだ!」
「・・・・はいわかりました。」
しぶしぶマル先生がそういうと校長先生は僕のほうを見た。
「たしかにな、佐久間くん、君は不純異性交遊をするタイプではないな。わしは何千人も生徒を見ているからわかる。もし、なにかわかったら直接わしのところに言ってくるようにな。」
校長先生は、ぼくの肩をポンポンと叩いて自分の椅子に戻っていった。僕たちは一礼して校長室を退室した。
「もういやんなっちゃうわ。二言目には伝統!質実剛健!って自分のメンツしか考えていないのよ。」マル先生はつぶやいた。
「丸崎先生、生徒の前でそういう不規則発言は」教頭先生がいさめる。
「すみません。でもなんか教師やってるのがいやになってきましたわ。」
ぼくは慌ててマル先生を見た。いまこの先生にやめられたらだれも僕を守ってくれない気がしたからだ。
「なんてね!冗談冗談、君たちの面倒は私がみないでどうするの。安心しなさい、地獄の底まで付き合ってあげるわ」
そういって笑うマル先生に、土曜日に出島先輩にあうことを黙っていることが後ろめたかった。
教室に向かってあるく僕のまわりの目が厳しい。「あいつだろ」「そうそう不純異性交遊」「ひどいことするよな」そんな言葉が遠くから聞こえる。
そうか、いくらマル先生が弁解してくれても、そういうことはマスコミに大きく流れることはないし、ネットで広まったことは消せない。特に神高生はIさんがゆかりだって当然わかってる。なんでこんなことになってしまったのだろう・・・と鬱々と考えていると、後ろから誰かが肩をたたいた。ふりむくとユウキだった。
「おい、ケンジ今日は根暗じゃないか。って毎日こんな感じだったかな。」
ユウキが笑ってくれて救われた。やっぱこいつは腐れ縁だけど、友達ではあるんだな、としみじみ思った。
「ひとのうわさも75日ってうちのじいちゃんの遺言だ。ってじいちゃん生きてるけどな。」
「なんでそんな言葉が遺言だったりするんだよ。で、いきてるんかい!」
どうでもいい会話がとても楽だ。
「ひとのうわさも75日」。でも75日って3か月以上あるんだ。ということは、秋の体育祭のころまでひっぱられるのか!とおもうと余計落ち込んできた。
それを察したのか、ユウキがまた肩をたたいてきた。
「誤解を解くには真相を究明するしかないだろ。あと2日、我慢しようぜ。」
そうか、ゆかりのために、出島先輩の真実を暴きにいくんだった。あと二日だ。この二日おとなしくしていれば、真相究明ができる。そう思うと少し気が楽になった。
「やってやろうぜケンジ。真実は一つしかない!」ユウキに文字通り勇気をもらったなぁと思いながらも、ふぬけたような感じで午前中の授業が終わった。
昼休みもいろいろなところで僕とゆかりの噂話の花が咲いている。みんなの視線が痛い。こんなにたくさんの目で見られたのは初めてかもしれない。事実じゃないんだから大丈夫だ。真相を究明すればいいし、ゆかりが元気になれば、またもとの生活に戻れる。少しの間の人生経験だと割り切ればよい経験かもしれないと思っていたら、マル先生がやって来た。
「伊集院さん、面会ができるっていうんだけど、会いにいく?」突然の朗報に僕はうれしくなった。
「いまからですか?」
「ええ、いまから」
僕はマル先生の車に乗せてもらい、午後の授業を休んでゆかりのお見舞いに行くことになった。あの僕の腕の中で崩れ落ちた日からまだ3日しかたっていないけど、すごく長い時間がたった気がする。会えるのがとてもうれしかった。
病院についた僕をあの日にあった看護師さんが、ゆかりの病室まで案内してくれた。ゆかりのご両親がいた。
軽く会釈をして、ゆかりのベッドに近づいて僕は足を止めてしまった。
そこには、何本ものホースにつながれ、肌の色が青白くなって、やせ細ったようにみえるゆかりがいた。ぼくは泣いている気はまったくないのに涙がほほを伝った。
「ケンジ・・・?」
ゆかりは僕の名前を呼んだ。
「うん、ここにいるよ。」
幼馴染のゆかりがそこにいる。でも僕は・・・なぜか・・・怖かった。一歩も動けず、そこに立ち止まってしまった。
「ゆかりは・・・ケンジくんに会いたいと・・・それしか言わなくて・・・」お母さんが目頭を覆う。
「警察の方も来られたんですが、話せる状態ではないので、何もわからなくて。ケンジくんがくれば元気になるかとおもって先生に無理言ったんだよ。」お父さんは気丈にふるまっておられる。
「ちょっと意識が混濁しているようですけど、あなたが来られてから少しバイタルレベルあがりましたよ。そばに行って声をかけてあげてください。お話できると思いますよ。」
ゆかりとしゃべりたい話がたくさんある。共有の想いで話。野山を駆け回った日のこと。一緒に見つけた古い橋。滑り落ちてしまった草むらのにおい。放置されたブロックの中に見つけた野ねずみの巣・・・古い記憶がどんどんよみがえってくる。
それに出島先輩と何があったのか!・・・でもそれをこの状態のゆかりから聞けるだろうか・・・。いまは真相究明より心配のほうが先に立っていた。
「ケンジ・・・、ありがとう・・・きてくれて・・・」
ゆかりのほうが声をかけてくれた。でも、まだ、ぼくは何もしゃべれなかった。
「わたし、むかしより女の子らしく・・・なったでしょ・・・」ゆかりは何を言っているんだろう。ぼくは「うんうん」と相槌を打った。
「わたし、きれい・・・かな・・・?」その言葉を聞いた瞬間、また、ぼくのほほを涙が伝って来た。お母さんもお父さんも顔をハンカチで覆っている。
鼻にもホースがつながれ、体中青白くなって、細くなって・・・でもぼくは「・・・きれいだよ」といった。絞り出すように出た言葉・・・普通なら絶対恥ずかしくて口にしない言葉・・・ぼくは、そっとゆかりのベッドに近づいて、手を握った。
「あなたが手を握ると、またバイタルが上がりましたよ。よい兆候です。」看護師さんが言った。
ぼくはその言葉が少しだけうれしかったが、目の前にいるゆかりの様子を見ていると、やはり涙が流れた。
「ケンジの手があたたかい・・・なんかむかしのお昼寝おもいだすね・・・」
やはりあの記憶は間違っていなかったんだな、お昼寝のときにゆかりと布団の下で手を握りあった記憶。やはりぼくらは仲良しだったんだ。「僕の初恋の人ってゆかりだったんだな」と、なんとなく思ってさらに強く手を握った。
その時ゆかりの様子が少し変わった。
「・・・ごめんね・・・」
ゆかりの目からは涙がこぼれ始めた。看護師さんがそれをぬぐっている。
「どうした、ゆかり・・・大丈夫か?」
僕はゆかりの手を両手で強く握りしめた。
「ケンジ・・ありがとう・・・わたし・・・けんじ・・・すき・・・」
そういうとゆかりはそっと瞳を閉じた。
「うん・・・ぼくも・・・ほんとは、ゆかりが大好きだ・・・」小さく声にだしてみたら、胸のなかから得体のしてない衝動がとめどなく湧き上がってきた。
「あぁあああああ」ぼくは声を挙げて泣いた。ベッドにうつぶせになって泣いた。
「ありがと・・・」ゆかりのもう片方の手がぼくの頭に触れた。やさしくなでてくれているようだった。僕がゆっくり顔をあげると、ゆかりは僕を見て微笑んでいた。たくさんのホースにつながれて青白く小さくなってしまっているが、その笑顔はぼくがいままでみたゆかりの笑顔の中で最高に美しい笑顔だった。
ぼくは堰をきったように、子どものころの思い出を話した。あの川の話、台地に沈む夕日、築山のこと、それを聞きながら、ゆかりがうなずいたり微笑んだりするのがうれしかった。
今日は日曜のこと、出島先輩のことは聞かないでおこう。今日は、この幸せな時間を大切にできればそれでよい。出島先輩とのことが自殺を決意するほどに辛いことなら、まだ回復していないゆかりに聞くのは酷だ。ゆかりに笑顔があふれればあふれるほど、回復が早くなるような気がした。もっと、もっと笑顔で。ぼくはゆかりの笑顔が何よりも好きなんだ。ぼくまで幸せになれるんだ。生まれて初めて、大切な人と心がつながった、この瞬間永遠に続いてほしいと思った。
「ケンジくんのおかげでゆかりの声も聴けましたし、大丈夫みたいなので、今日は帰って、からだ休めてね。」
お母さんがそういったのは僕がきてから5時間以上たった夜の7時だった。そうだ、ここは家族水入らずの場だ。ゆかりも回復に向かっているようだし、家に帰ることにした。
「ゆかり、また明日くるよ」
ぼくがそういうと、ゆかりは少し首をこちらに「うん」と言って微笑んでうなずいた。それがまた、そこはかとなくうれしかった。夫婦ってこんな感じなのかな。出勤する夫、見送る妻、待っててくれる人がいる幸せ。そんなものを感じてながら電車に乗った。時計は8時を回っていた。
***
木曜日。土曜日まであと2日。昨日の出来事を思いだしながら「ぼくはゆかりが好きだ」と再認識しながらの登校。いいじゃないか好きで。彼女も好きといってくれた。ぼくも言った。彼女が微笑んだ。それでいいじゃないか。
この好きはどんな好きだろう。ただの好きじゃないな。お嫁さんになりたいの好きだろう。そう思うことにしたらさらに楽しくなってきた。
でも、彼女が退院してきて、前のゆかりに戻ったら、あの日のことがとても恥ずかしい思い出になるんだろうな。もしゆかりと結婚したら、ぼくは完全に尻に敷かれるだろう。亭主関白は無理だ。完全にゆかりにリードされた家庭。でも、それでもいいや。案外幸せかもしれない。
「おい気持ち悪いぞ!」
乗って来たユウキが、にやにやしている僕を見て気持ち悪そうにした。
「ごめん、気にしないで。」
今日も放課後ゆかりのところへ行こう。え?もしかして僕ら付き合ってるの?告白しあったもんなぁ。17年目にして彼女が!そして、それがゆかりだって!自分でもびっくりした。人生なんてどこでどうなるかわからないもんだ。今日は実力テストの日だ。でも答案用紙に向かっていてもゆかりのことが頭から離れない。これってまちがいなく「恋」ですね。でも「愛」と「恋」ってどうちがうんだろう。謎が多いなぁ。といろいろ考えていると、もうお昼になった。うーん、午前の科目は得意分野だったからなんとかできたけど、午後の数学は厳しいだろうなぁ・・・愛の力で越えられるか!そんなことを考えながら部室に向かう。
面白いもので、まだ僕をみて陰口をたたいている人がいるようだが、「幸せになってしまうと、そういうの気にならないものですね。」ってかんじだ。
そもそも「友達100人できるかな」って歌が悪いと思う。あんな歌があるので、友達100人つくらないといけないとおもう。友達なんて数人でいいよ。そして「愛する人」がいればよい。ああ、ゆかり・・・ゆかりがいてくれたらもうそれでいい。僕だけの笑顔を見せておくれ・・・って何言ってるんだぼくは。やはり今も僕はにやにやしているんだろう。ユウキが調整室の中からスタジオにいる僕を笑いながら見ている。
そこへあかねが入って来た。
「ゆかりさんのお見舞いいかれたんですってね。マル先生から聞きました。私たちも今日行ってもいいでしょうか?」
僕は少し戸惑った。あかねやマユ、ユウキまでくると、せっかくの僕とゆかりの大切な二人きりの時間が無くなってしまう!容態が芳しくないっていおうか。でもそれだったら、なおのこと行くっていうだろうしな。ええいままよ!
「うん、じゃー一緒に行こう!」
ああ、心にもないことを!僕のバカ!でも、いいや、毎日みんながくるわけじゃなし。これからも僕だけは行き続けよう!この土曜日はしかたないし、日曜日はまたその報告で、みんなでいくだろうし。でも来週も毎日いこう!退院するまで行こう!
「きもちわるーやっぱ、まだにやにやしている。」
「・・・ほんと・・・にやにや虫・・・」
ユウキとマユがそういって横を通っていったけど、もう気にならない。それほどに僕は幸せなんだろうなぁ。もう初夏だけど、ぼくには突然の春ってかんじだなぁと思った。
「佐久間くん・・・」マル先生が部室に入って来た。
「はい。」
「・・・楽しそうね」
ぼくはまだにやにやしているだろうか?いつもと違う僕にマル先生も戸惑っているようだ。
「きのうお見舞いに連れて行って下さってありがとうございました。ゆかりも回復に向かっているようでホッとしましたよ。で、丸崎警部、また事情聴取ですかねぇ?」
だめだ、少しはしゃぎすぎて僕らしくない口調になっている。言ってしまってから少し恥ずかしくなった。
「いえいえそうじゃないの・・・うーん・・・あ・・・そうそう、番組はどうなったの?」
「え?番組?」
「そうよ!出島くんの話だけど」
出島先輩!ぼくは不意打をくらって戸惑った。
「え!言ってましたっけ土曜のこと?」
「ん?まえの土曜日の話?」
「あ、そうですね。そうそう前の土曜日の」
あぶないあぶない。僕は勝手に誤解してマル先生がこの土曜日の勝手に行う取材のことをついてきたと思い込んでしまった。そうだ、先週の土曜日のあと、結局はマル先生と出島先輩の話をしないままになっていたのだ。
「あ、マル先生!出島先輩はなにがだめなんですか?!」
いきなり大声をだした僕にびっくりした顔をしてマル先生は苦笑いをした。
「そうねぇ、まだはっきりしないことが多いわ。あのあとも、いろいろ調べたんだけど、なかなかしっぽをつかませない。巧妙だわ」
ある意味マル先生は楽しんでいるようだった。「真相究明」を禁じているのは、もしかしたら自分がものすごく真相究明が好きで、それで嫌な思いをしたからかもしれないと思った。
「もうちょっと待ってね。わかれば話せる範囲でしっかり言葉を選んで説明するわ。」
「選ばないではっきり言ってくださいよ!」ぼくは少し叱責するように言った。
「ダメダメきみたちは高校生よ、知るべき時が来れば知ることもある。しらなくていいことも多いけどね。まあ、解るようには説明するから、もう少しまって。でも、出島くんの取材は中止だから、次の企画を考えて!」マル先生は厳しめにそう言った。
「はーい」
「ん?いやに素直ね。まあいいわ。はやく次の企画考えなさいね!」
そういうとマル先生はそそくさといってしまい、かわりにユウキが笑いながら入って来た。
「おまえやっぱ阿保だな。自分からいっちまうとこだったじゃないか」
「私たちもひやひやしましたわ」あかねはハンカチで汗をぬぐい
「・・・ひやひや・・・」と、マユはわざわざ冷蔵庫から保冷剤をもってきて首にいれながらひやひやを表現している。
「ゆかりは、なにか出島先輩のこといってたか?」
「いや、そういうの話せる状態ではなかったなぁ」
「そんなにわるいんですの?」あかねが不安そうに聞く。
「ちょっと不安定な状況だって看護師さんがいってたけど、僕が帰るころには、安定してきたって。」
「・・・ほっ・・・」マユが胸をなでおろしている。
「じゃー放課後にゆかりのお見舞いに行こう。なんか買っていかないといけないなぁ」
「では、駅前のシャレードのケーキがいいですわ」
「いや、ゆかりは食べられないよおもうよ。」鼻にチューブを指しているところを見てしまっている僕は慌てていった。
「・・・わたしたち・・・たべる」
マユの言葉にみんな笑ってしまった。いいか、お見舞いは気持ちだもんな。ということで、放課後シャレード集合となり、みんな自分たちの教室に散っていった。
さあ手ごわい数学の実力テストのはじまりだ!高校2年生といっても、うかうかはしておられない。実力テストには志望校も書かなくてはいけないし、偏差値で順位や判定がでる。進学校に通うものの辛さだ。でも今日の僕は最強!心に幸せがあると、なんでもうまくいく気がする!「況んや数学をや!」・・・と思って試験用紙を見た瞬間血の気が引いた。やはり勉学は簡単には行かない。だめだ、まったくわからない!
そりゃそうだ!もし恋愛がうまくいくと成績が良くなるなら、高校三年生になればみんな恋愛をすればよいことになる。でも実際にはその逆だ。うちは三年になったら別れさせられるという悪しき習慣がある。
出島先輩と同じ代の先輩で、進路指導の先生から別れるように勧告され「絶対わかれません」と言った方がおられた。先生は「だったら進路指導をしないぞ」と脅した。その先輩は「だったら進路指導はいりません」ときっぱり。そして自力でK大に合格したのだ!進路指導の先生はぐうの音も出なかったらしい。伝説だ!・・・でもこういうケースはごく稀。稀だからこそ「伝説」になるのだから・・・僕には勉強と恋愛の両立できるかな・・・公式が思い出せない・・・この記号ってなんだっけ・・・と、半分解けたか解けなかったくらいでチャイムがなった・・・こりゃだめだ。
でも今日は落ち込むのはよそう。ゆかりに暗い顔は見せられないぞ!そう思うと放課後が待ち遠しくなってきた。
***
シャレードは駅前にある唯一のケーキ屋だ。喫茶店も併設している。神楽丘高校は校則で学校帰りの喫茶店利用を認めていないが、2年にもなると普通に使っている連中がいる。
特に放送部はマル先生の庇護のもとにあるし、音響機材がさわれる放送部員が学校の行事の運営に関わっている関係上、先生もそれほど強く言ってこない。なので半ば公然と僕たちは喫茶店を使用している。
ぼくは早くついたので、ミックスジュースを飲もうと席を取って、カウンターにオーダーしに行った。シャレードのおばさんとは顔なじみだ。
「おお、有名人が久々にきたね」豪放磊落なおばさんは、ぼくのネット騒ぎを揶揄してきた。「やめてよ、おばさんまで!」ぼくは露骨にいやそうな顔をした。
「わかってるって。あんたはそんなことができるやつじゃない。っていうか、彼女なんて一生できないタイプだわ!」笑うおばさんに「実は彼女いますよ!」っていってやろうかと思ったが藪蛇だと思ってやめた。でもおばさんの笑顔はすぐに消えた。
「・・・ゆかりちゃんはかわいそうだったねぇ・・・あの日もびしょぬれでねぇ・・・」
「え!」ぼくはおばさんのその言葉をきいてびっくりした。
「あの日って、前の日曜日ですか?」
「そうそう。日曜日の夜よ。お店を閉めようと思ったら。まえを傘も差さずに豪雨の中あるいていくのよ、ゆかりちゃんが。」
ほかにもゆかりの目撃者がいたんだ!
「おばさん。そのときのゆかりの様子どうだったんですか?」
ご両親にはさすがに根堀は堀聞けない。なのでおばさんが見ていてくれて助かった。
「わたし声かけたのよ。すると振り返って、『来ないで!』って」
「それでどうしたんですか?」
「来ないでっていわれてもそういうわけにはいかないでしょ・・・傘もって追いかけたんだけど、ゆかりちゃんも足が速いわ。わたしも『どうしたの?ゆかりちゃん!』って叫んだのよ。そしたら『わたしもうだめなの』って。あれって自殺するのをほのめかしてたって私が気づけばよかったのにね・・・・。追いつけなくてそのまま・・・」おばさんも涙を流した。僕もつられて涙を流した。
「ほんと、もしあの時追いついていたら、ゆかりちゃん助けられたかもって思うと。後悔ばっかり先に立っちゃって・・・」
「いえ、ぼく昨日お見舞いにいきましたけど、回復に向かってましたからね。ゆかりは絶対よくなりますから、そうしたら前と同じように、シャレードきますから。今日も仲間と、ここのケーキもってお見舞いに行こうって。まあ、食べるのはマユとユウキだと思いますけど。」僕は笑いながらケーキに目をやった。ミックスジュースと一緒に一つたべるかなぁ。
「あ、待ってる間にミックスジュースとこのガトーショコラを・・・」
ぼくはそういって、ショーウインドウから顔をあげ、おばさんを見た。あれ?おばさんがエプロンで顔を覆っている・・・。
「どうしたんですか?おばさん・・・」
「ケンジ・・・あんた・・・知らないのね・・・」
エプロンの覆いをとって、真っ赤になったおばさんの目を見た瞬間、ぼくは頭を鈍器で殴られた気がした。
またあの「頭が真っ白になる」ってやつだ。
ぼくはそのまま鞄をぶら下げて走り出した。しばらくして、どこに走っていいのかわからくなってきたが、とにかく病院に向けて全力疾走した。
運動不足なんだろう。放送部だもんな。でもユウキなら日々鍛えているからこんなときに息が切れないのかもな。そんなことを思いながら走った。
国道のバイパスを越える陸橋のあたりまでやって来た。上を見上げると病院がある。大きく深呼吸をして、また走り始める。遠くに台地が見える。ああ、昔見た台地だ・・・そう思いながら走り続けた。
病院の玄関に飛び込んだその時、携帯電話が鳴った。見たこともない番号。携帯電話からだ。
「伊集院です。」ゆかりのお父さんからだった。
「昨日はありがとうね。ゆかりはとても喜んでいた。でも、あのあと、佐久間君が帰るのを待ったように容態が急変して・・・今朝・・・ね・・・」
「うそでしょ・・・調子が良くなってきたって・・・いってたじゃないですか」
「私たちもその望みにかけていた。でも、ゆかりは・・・笑顔だったよ。君との思い出を・・・君の言葉を抱きしめて逝ったんだと・・・思う・・・」
ぼくはお父さんの声を聞いていられなかった。なんで!どうして!やっと、たどり着けたのに。10年ごしで、お互い正直になれたのに・・・。
もしかしたらお昼休みにマル先生はぼくにそのことを言いに来たんじゃないか。ぼくの様子を見てためらったんじゃないか・・・たしかに、あの時この事実をしったら、午後の数学の実力テストなど関係なく飛び出していっただろう。マル先生も悩まれた結果・・・僕に・・・言わなかったのだろうな・・・。僕は、案外冷静にそう思った。
ゆかりがいたはずの病室は、いつかのドラマでみたような光景・・・がらんとしていた。ぼくはそこに立ち尽くしてしまった。涙もでなかった。茫然とベッドを見つめている僕の後にあの看護師さんが来たようだったが、死に慣れている彼女も、目を押さえているようだった。でも僕は泣いていなかった。
そのとき、ゆかりの声がした・・・ような気がした。
「大丈夫よ。私とケンジはつながったから、私はいつもケンジと一緒にいるよ」
・・・嘘だ!そんな気がしただけだ。僕が作り出した幻想だ・・・僕と一緒にいるわけがない。ゆかりは死んだ!
もう二度と、あの手を握ることもない。ゆかりと家庭をつくることもできない。すべては終わってしまったんだ。
「そんなことないよ。そんなこと言わないで。わたしも悲しくなる。」
ゆかりが泣いている。いや、それも幻想・・・ごめんゆかり・・・もう・・・許して・・・。助けられなかった僕を・・・許して・・・。
「ケンジ・・・大好きよ・・・」
「許してくれ・・・・!!!!!」
病院の玄関を出た瞬間、大きな声を挙げてしまった。そして、そこにはユウキとあかねとマユがいた。
「ケンジ」
「ケンジさん」
「・け・ん・じ」
みんなが僕を見ている。ぼくはどんな顔をしているんだろう。膝の力が抜けてしまった。
多分ユウキに抱きかかえられて帰ったのだろうな。気が付いたら、自分の家のベッドの上で天井を見つめていた。古い歌に「どうして僕はここにいるのだろう」という歌詞があった気がするが・・・どうしてぼくがここにいるのだろう・・・明日は学校を休もう・・・。
***
金曜日。学校を休んだ。ぼくは根暗だが、引きこもりでも不登校でもない。なので病気以外の欠席ははじめてだ。でも病気なのかもしれない。ゆかりの声が聞こえるようなきがするようなしないような。
死んだという実感なんてまったくない。あの元気なゆかりの顔が・・・いやちがうな、あのホースにつながれ、鼻にパイプを入れられ、「きれい?」と聞いてきた青白い顔が・・・浮かぶ・・・。
昼過ぎに母が入って来た。
「ケンジ・・・ユウキくんから電話あって、ゆかりちゃんのお通夜今日の19時なんだって。」
「あ、そう」
「いく?いかない?」
ぼくは行く気がしなかった。なんで・・・なんでゆかりの死を確認しにいかなくちゃいけないんだ。
僕がこれまでに経験したお葬式は、小学校3年生の時の、祖母の葬儀1回だけだ。あのとき、みんな、83歳でなくなった祖母のことを「よかったよかった」といっていた。僕は「死んだのになんでよかったんだろう」と思ったけど、80歳以上でなくなったので、大往生だということだ。紅白まんじゅうが配られると。そうか、よかったんだ。おばあちゃんに会えなくなって寂しいけど、これは良かったんだ。
ぼくは、納得して母に「よかったね」っていったら、「あんたはいっちゃだめなの!」と、お母さんは泣きながら僕を怒鳴りつけた。いまならその意味は少しわかる。お葬式は、忙しくすることで、死の悲しみを忘れさせるものであり、大往生を祝うのは、残された人々を慰めるためだ。それをわからないで小学三年生の子が「よかったね」というのを母は許せなかったのだろう。
親戚の子たちが来たので、確かに楽しい雰囲気はあった。学校も行かなくていい。みんなで、子供部屋で遊んでいたら、夜になって「お母さんがいいというまで部屋から出ちゃダメ」といわれて閉じ込められた。いとこと一緒に、ドアを少し開けて今を見た。親戚の人たちがしかめっ面で一点を見つめている。たぶん、納棺だったのだろう。そのしかめっ面を今でも思い出して怖くなる。やはりお葬式は怖い。
そして、祭壇が整ったのを見たとき、涙があふれて止まらなくなった。叔父が「なんだケンジ、いままでけらけら遊んでたのに!」と揶揄してくる。でも、そういうものだろう。祭壇はあまりにも「死」を明確化してしまう装置だ。そこに掲げられた遺影の中の祖母を見たときに、「ああ、やさしいおばあちゃんとは二度と会えないんだ」と、心底おもったのだ。そういうことだ。ぼくは絶対にゆかりのお通夜にも、お葬式にもいかない!・・・ゆかりの死を再確認しにいくことが・・・怖い・・・。
「ユウキくんたちは、明日の11時半からのお葬式は無理らしいのよ。だから今日行くって。」
「ん?」
母の言葉を聞いて、ぼくの中で何かがはじけ、瞬間的に布団をはねのけて飛び起きた。今日が金曜日ということは、明日が土曜日だ!
そうか、ユウキたちは出島先輩の取材に予定通りいくつもりだ!そうだぼくも行かないといけない!ゆかりのためだ!そうだ、それしか僕には、本当にそれしか僕にはできないんだ!だったら今日のお通夜でみんなに会わないといけない!そう思うと、さっきまでの考え方が180度ひっくり返った。そうだお通夜に行こう!気を取り直してシャワーを浴びた。
***
お通夜は19時から、幹線道路沿いにできた新しいセレモニーホール。ぼくの昔住んでいた家のすぐ近くだ。制服を着て、おかあさんからお香典を託され、電車に乗った。
いつもの駅でユウキが乗って来た。お母さんとお父さんはゆかりのご両親とも近所づきあいがあって親しいので、ご葬儀に参列するとのことだった。
「おう」
「おう」
言葉少ないがユウキは僕を心配しているようだ。
「お前、ゆかりのことが・・・」
と言いかけてやめたユウキに僕は言った。
「そうだよ・・・病院でゆかりは僕のことを好きといってくれた。そして僕も、すきと・・・」
そこまで言うと、ほほになにか伝って来た。涙なんだろう。堰を切ったように涙が流れた。はじめてぼくとゆかりと両親以外の人に・・・話せた。でもなんて切ないんだろう。なんて辛いんだろう。すきって言い合えたのに。初めてできた彼女なのに・・・しかも初恋の人なのに。涙がとめどなく流れた。
よかった田舎の電車で。だってこの車両に僕とユウキしかこの時間乗っていない。廃線になるって話もあったこの路線に救われたな・・・ってどこまでぼくは客観的なんだろう・・・泣きながらそんなことを考えていた。
式場にはそれほど多くの人がいなかった。ご遺族の意向で家族葬にしたいということらしい。でも僕と放送部の同じ班のメンバーは呼ばれたというわけだ。ほかにも数人制服姿の人がいる。マスコミはまったく来ていないようだった。
「マル先生がマスコミには圧力をかけたようだ。」
ユウキが言った。
「学校の先生ってマスコミに圧力をかけれるの?」
ぼくは不思議に思った。ただの高校教師にそこまでの力あるのか。教育委員会の力か・・・?魔法の呪文か・・・?
「マル先生はただものじゃないってことだよ。うちのおやじがよくいっている。」
ユウキは多く語らないが、彼の父親はたしか、あの台地にある駐屯地の偉い人のはずだ。そんな人に、ただものではないといわせるマル先生はやはりただものではないのだろう。でもそんなことは、いまどっちでもよかった。それよりやらなくてはならないことがあるのだ。
あかねとマユも合流した。式場の玄関を入って、祭壇に向かう。祭壇には笑顔のゆかりの写真が飾られていた。夏服姿で写っている。去年の研修旅行の写真か。ゆかりは記念写真でもいつの笑顔だった。その写真を見たとき、やはり、祖母の時と同じ熱いものが込み上げてきた。ゆかり・・・本当に死んでしまったんだ・・・。
読経が始まり、お焼香。お焼香をした人たちは、ゆかりのお父さんとお母さんの前を、お辞儀して通ってまたもとの椅子に。そういうことがくるくる行われている。
ぼくはユウキの後をついてふらふらと祭壇に進んでいった。遺影が直視できない。できるだけ、遺影のゆかりと目を合わさないようにゆっくり進んでいく。下を向いたままお焼香。そして、お父さんとお母さんの前で軽く会釈をして、また椅子にもどる。もう帰りたい。ここにいてはいけないと思う。ゆかりの死が僕の体の中に入り込んでくるのだ。もう嫌だ!
椅子に座っていると、すべての人がご焼香を終えた。もうお通夜の儀も終わりなのだ。この後、ケンジ、あかね、マユと明日の話をしないといけない。そうだ、その為にきたのだ。
お父さんが御礼の言葉を述べられた。内容はまったく覚えていない。聞いたけど聞いていない。こういうことってあるのだと実感していた。でも、それに続いてのアナウンスははっきり聞こえた。
「参列者の皆様で、故人とお別れをご希望の方は、この後式場にて」というのだ。
ユウキもあかねもマユも残っている。ぼくも必然的に残る。多くの人たちが式場から出ていかれたあと、ユウキにつられて立ち上がった。祭壇の前に横たわっている棺の顔のところにある小さな窓が開けられたようだった。
「いこう」
ユウキは僕の背中をたたいた。
「いや、ぼくは・・・やめとく」
「そうか・・・うん・・・わかった」
ぼくは怖かったんだ。棺の中のゆかりに会うのが・・・。決定的に死を受け入れざるを得ないその状況になるのが・・・。でも・・・みんなが棺に向かって歩き始めたとき、ぼくの頭の中で違う考えが浮かんだ。僕が最後にあったゆかりは、たくさんのホースにつながれたゆかりだった。「きれい?」と聞かれた。「うんうん」と答えた。しかし、そこにいたゆかりはあまりに痛々しかった。ぼくが最後にあったゆかりがあの姿で本当によいのか。こころからきれいと言ってあげたい・・・昔見た映画で納棺の時にはお化粧をするという。ゆかりは棺の中でどんな顔をして眠っているのだろう。もしかしたら、最後に、しっかりあってあげないといけないんじゃないのだろうか・・・ぼくは・・・ぼくはゆかりの・・・彼氏なんだから!
ぼくは、おもむろに立ち上がった。そしてケンジをおしのけて、真っ先にゆかりの棺のところまで進んでいった。そして・・・小窓をのぞきこんだんだ・・・。
「ゆかり・・・」
ぼくは、棺の上に崩れ落ちるように寄りかかってしまった。透明なアクリル板越しに、ゆかりが眠っていた。その寝顔は、たしかに・・・微笑んでいた。きれいだった。今までにみたぼくの知っているゆかりより、まちがいなく、美しかった・・・。まるで花嫁のようだった。
ゆかりがウエディングドレスを着る。外国人のスタッフがメイクをしてくれる。時間がきたらタキシードを着た僕が「さあ、いこうか」という。ゆかりは「うん」とうなずいて立ちあがる。大きなホテルのロビーを通り、リムジンのまつ車寄せにつながる玄関を通り抜ける。すると、背の高い黒人の女性が駆け寄ってくる。
「偶然にきれいな花嫁さんにあえてうれしいから歌を歌います」と朗々と歌いだす。聞いたことはないけれどすごく素敵な歌。ゆかりも僕も感激して涙が出てくる。リムジンにのった二人は二人っきりで小さな教会で結婚式を挙げる。僕とゆかりと数人の付き添い人だけ。たった二人だけど、その幸せはあふれるばかりだ。僕とゆかり、子供が生まれて、クリスマスには大きなツリーを飾って、サンタさんへの手紙に返事を書いて、子供達がおいたクッキーを少しだけかじって、プレゼントを枕もとにおいて、朝が来ると、子供達は大喜びをして・・・。
そんな未来は・・・もう来ないのだ・・・。いま、花嫁のような美しさで永遠の眠りについたゆかりを・・・ただ瞼に焼き付けておくしか、もうできない・・・。何かしゃべってよ。なんでもいいから・・・。
やっぱりもう体に力がはいらない。結局いつも通りだ。ユウキに支えられて式場を出た。
「大丈夫か?」
「うん」
ユウキの言葉に僕は小さくうなずいた。
「ユウキ、明日いくんだろ」
「俺たちは行こうとおもう。でもケンジはいくな。いかない方がいい。」
ユウキにそういわれて急に正気に戻った。
「なんでだ!僕もいくよ!いかないといけないんだ!」
「でも、おまえ・・・」
「ケンジさん・・・いかないほうが・・・いい」
マユも小さな声でそういった。
「私たちもどうしようかと思ったんです。でも約束はしましたし、事情はたしかに知りたいですし。でもケンジさんは無理だとおもいますわ・・・」
あかねが言葉を選びながらそういっても、僕の決心は変わらなかった。怒りに任せているのかもしれない。でも、絶対に真相を究明したい。しないといけない。この想いは止められなかった。
ユウキもしぶしぶ了解して、前と同じ電車で合流することを決めた。ユウキは、自分が下りる駅で、僕のことを家まで送るかどうか思案していたが、ぼくは大丈夫だと説明して、電車を下した。そうだ、しっかりしなくてはいけない。ゆかりのことを思うなら、悲しんでばかりはいられない。悲しむというのは、僕のほうの問題だ。残されたものがどう生きるかは、残されたものに決定権がある。ゆかりは僕の中にいると思おう。今日、ゆかりは僕の花嫁になったんだ。あんなにきれいになって。ようこそゆかり、僕のもとへきてくれてありがとう。
「いいえ、こちらこそ、よろしくお願いします」
僕は声のした方を見た。すると僕の目の前にウエディングドレスのゆかりが現れた。
「やっとみつけてくれたね、ケンジ。すっとそばにいたのに、探すの下手なんだから・・・」
ゆかりはそういうとさらに素敵に笑った。
「うん、やっとゆかりの言ってることが分かったよ。」
「うん、ありがとね」
そういうと、ゆかりは僕の目の前で光になった。その光は天に上り、暗闇に吸い込まれたかと思ったら、次の瞬間空いっぱいに広がった。
たぶん・・・これは幻なんだろうな・・・でも僕は、幻を信じよう。そうすればいつでもゆかりにあえるから。ほら、またゆかりが笑っている・・・そうだ・・・笑っているんだ。
***
朝が来た。決戦の朝だ。正義感に満ちて、まさに戦場に赴く気持ちで、電車を待った。早々とホームに座り、向こうからくる3両編成の電車のじっと見つめていた。
運が良い。今日は4000系が来た。新型なので空調もよく聞くし、乗り心地も良い。この路線にしては過ぎた代物だ。僕は前回も学生服だったが、今回はユウキもあかねもマユもみな制服だ。それだけ気合が入っているということ・・・いやゆかりがいないとこれが普通なのかもしれないな。
電車の中ではほとんど話をしなかった。本当ならどんな質問をするか決めないといけないのだろうけど、話をする気にならなかった。みんな出たとこ勝負でいこうと思っているのだろうと思った。
あのビルの23階につながるエレベーターに乗る。前回と同じ土曜日なので人影はまばらだ。23階でエレベーターを降りて出島先輩のまつ部屋のベルを押す。
ドアが開いて出てきたのは出島先輩ではなく、大柄の男だった。
「あの、出島先輩はおられますか?」
ユウキが毅然としてその男に聞いた。
「おう、いますよ。入ってください。」
その男は、いかつい顔ではあるが丁寧な口調で僕たちを応接間に通した。応接間のソファーには、すでに一人の男性が座っていた。細身で長身、色黒で、髪の毛を女性のように後ろでくくっているが明らかに男性である。
「おお、よく来たね。出島くんの後輩たちだね。はじめまして僕は桂嶋です。」
この人が出島先輩の尊敬する桂嶋社長なのだ。30代というけれど、年より上に見える。ビジネスの第一線にいる人はこういう感じなのだろうか。金色に光る重厚な腕時計とダイヤの指輪。いかにも高そうな身なりだ。
「出島君をここに呼んで」
「はい」
さっきの大男が奥の和室に進んでいった。そうすると中から出島先輩がよろよろと出てきた。
「出島先輩!」ユウキが声をかけたら、出島先輩は弱弱しく手を挙げて「よー」と返事をした。明らかに元気がない。
「出島くん、彼らは君を取材にきているのだよ。」優しい面持でそういったかと思うと、桂嶋社長は急に机を「どん!」とたたき「もっとしゃんとしろよ!」と怒鳴った。
「は、はい、わかりました、社長」
その姿を見てぼくは、出島先輩が情けなく、もっといえばかわいそうになった。彼が尊敬する桂嶋社長は、どう見ても人格者ではなかった。ほとんどビジネスやくざではないかと思った。僕の想像どおり、自由すぎる大学が面白くなくて、不自由なところにすいよせられたのだろう。
「すみません桂嶋社長、おっしゃるように僕たちは出島先輩を取材に来ました。ですので、出島先輩と話をしてよいですか」
さすがユウキはおちついたものだ。たじろぎもせず交渉に入っている。
「おー君は見どころがあるねぇ。いいとも、いいとも、出島くん、奥の畳の間で話たまえ。」そういうと、桂嶋社長は、僕たちを一番奥の畳の間に通した。
「どうしたんですか出島先輩。」
「あの方は、まともじゃありませんわ」
「おかしい・・・まちがいなく・・・へん」
ユウキもあかねもマユも出島先輩を詰問し始めた。
「いやぁ、あの方はすごい方なのだよ。君たちも失礼の無いようにしてくれよ」
僕は出島先輩のその言葉を聞いてさすがに腹が立った。
「先輩!僕たちは桂嶋社長に失礼なことをする気はありませんよ。でも僕たちも、桂嶋社長に失礼なことをされる筋合いもありません!」
「おいおい、佐久間、どうしたんだ。いつもの佐久間じゃないぞ」
ぼくは勢いが出てしまった。
「先輩!ゆかりと!伊集院さんと先週の日曜日何があったんですか?」
ちょっとストレートに聞きすぎたかなとも思ったけれど、ぼくの勢いは止まらなかった。
「先週の日曜日?いや僕は・・・伊集院さんとは会ってないよ」
ここにはあかねが食いついた。
「そんなはずはありませんわ。今日この時間に出島先輩と約束を下ってメールが来たから、私たち来ているわけですもの!ほらこの履歴をご覧になって!」
あかねはスマホの画面を出島先輩に見せつけた。
「あ、そうだ、会ったあった。その約束はしたよ。でも、それだけだな。すぐに伊集院は帰った。」
「どこへ・・・いったの・・・」
マユがじりじりと詰め寄る。
「どこへって、家にかえったんだろう。ぼくはあれから連絡してないので知らないよ。」
「もしかして出島先輩、あかねがどうなったのか知らないんですか?」
「しるもんか!連絡こないんだからな。君らが今日くるとも思ってなかった。伊集院もひどい話だ。あのあとまったく連絡もよこさずになぁ。ほんとにひどい」
出島先輩はゆかりが自殺したことを知らないのだろうか。たしかに、僕のネット事件も、マスコミ沙汰にはならなかったのだから、もしかしてまったく知らないとしたら・・・。ためしに・・・。
「出島先輩・・・ゆかりが全部話ましたよ。」
「おい、ケンジ!」ユウキが僕の腕をつかんだ。
「ユウキちょっとまってくれよ。いま出島先輩と話してるんだ。ゆかりは全部話してくれたんですよ」
あきらかに出島先輩は動揺している。
「まてまて、何を・・・いったというんだ・・・ぼくは何もしらないぞ!」
探偵ドラマではここが一押しのしどころだ。かまをかけて、本当のことを言わすんだ!ぼくはぐいぐいと身を乗り出した。
「ゆかりは出島先輩がまさかあんなことをするとは思わなかったと・・・」
そこまで言って僕は「しまった!」と思った。僕は出島先輩を追い詰めることしか考えていなかったが、ゆかりが出島先輩にひどいことをされたとすると、その内容を問い詰めなくてはいけない。それを問い詰めて明らかにすることが、果たしてゆかりのためになるのだろうか。ゆかりが凌辱されて、それを苦にして自殺したとしたら、明らかにしない方がゆかりのためなのではないのだろうか・・・。
真相究明にきておいて、今この事実に気づいたこと、僕は心から恥じた。ぼくは阿呆だ。浅はかだ。ゆかりの苦しみがやっぱりわかっていなかった。でも、全く相反する形で、真実を明らかにしないといけないという思いもある。どうしよう・・・。僕は絶句してしまった。
「おい、佐久間、伊集院が何を言ったんだ。はっきりいってみろ!」
虚をつかれ、今度は僕が責められる立場に回っている。これは本当にまずい。
「いや、ゆかりは・・・出島先輩に・・・恥ずかしいことをされたと・・・」僕はできるだけ言葉を選んでいってみた。次の瞬間出島先輩が笑い出した。
「おまえ!うそはだめだぞ!俺は何も辱めることなんかしてないぞ!ゆかりがいったという話は作り話だろ!そうだろ!」
作り話だ・・・そうなんだ・・・出島先輩につっこまれていよいよ苦しくなってきた。ゆかりが辱めを受けていても、それを明白にすることは、ゆかりのためにならない。その上、出島先輩の、この勢いは、本当になにもしていないのかもしれない。だったら、ゆかりを自殺に追い込んだのは、まったく別の往きづりの犯行かもしれない。
「おいケンジ、すこし冷静になろう」
ユウキに押しとどめられ、僕は座り込んでしまった。
「おかしいなと思ったんだ。おまえら伊集院に何かあったのを俺のせいだと勘違いして乗り込んできたんだろう。おれは何もしてないぞ!そういう正義感だけで突っ走るのはやめてほしいな。桂嶋社長にも迷惑がかかる。」
そのと、当の桂嶋社長が入ってきた。
「はいはい、疑いも晴れたようだから、お引き取り願おうかな。出島くんには、まだまだ頑張ってもらわないといけない。さあ、お送りしてくれ」
完全に状況は逆転している。攻めに来たつもりが責められ、揚句には追い立てられている。
「伊集院に何があったっていうんだ。本人を連れてくればいいのに。」薄笑いを浮かべた出島先輩の言いぶりは少し揶揄に満ちていた。ん?おかしい!どうせ連れてこれないだろうというニュアンスが間違いなく入っている。これは、何か知っているに違いない。ぼくはもう一勝負かけてみることにした。
「出島先輩、ご存じなかったんですか?」
「ん?なにをだ」
「伊集院は自殺しました。」
「え!!」
出島先輩の顔色が変わった。
「おい!それはいつの話だ!」
「月曜日ですわ」あかねが答えた。
「え!まじか!死んでしまったのか!」
「はい・・・」マユが答えた。
「け・・け・・桂嶋・・・しゃちょう!」
出島先輩はすがるように桂嶋社長を見た。
「おい出島くん、君、後輩が自殺をしたと聞いたら心穏やかではないだろう。さあ、諸君帰ってくれたまえ。出島くんもショックにようだ。一人にしてやってくれないか。」
おかしい。あきらかに冷静を装っているこの桂嶋社長だが、とにかく僕たちを早く返そうとしている。
「ちょっとまって下さい。出島先輩は何か言おうとしている気がします。ねえ、出島先輩!」僕の問いに、出島先輩は冷や汗を流して震えていた。
「君たち帰りなさい!私たちのビジネスに多大な迷惑をかけているんだよ。私が1時間にいくら稼いでいると思う?1億だよ。君、ぼくの1時間を損なうと、1億円の損害を私に与えたことになる。損害賠償請求をするよ。君たちにじゃない。親御さんにだよ。弁護士を通じて内容証明を出すぞ。払えなかったら逮捕されるぞ!親御さんもただでは済まない。社会的制裁を加えられて仕事もできなくしてやるぞ!おい、きいてるのか貴様ら!おい!おい!」桂嶋社長の声はどんどん大きくなり、ほとんどやくざのようになってきた。
「かえれというんだ!月夜の晩ばかりじゃないぞ!気をつけろよ!」
大男が僕たちの前に立ちはだかった。あかねとマユはおびえて部屋の隅に逃げ込んでいる。
「ちょっとやり方がひどくないですか?あまりに暴力的だ!」ユウキも大きな声をあげた。
「おう、こっちの兄ちゃんも威勢がいいな。でもこっちはプロなんだ。プロとことを構えると、親が仕事できないようにしてやるぞ!」
「それは脅迫ですか?」ユウキはまだ食い下がる。
「脅迫?脅迫だったらどうだってんだ!大人舐めてると殺すぞ!」
大男がそういって、こぶしを振り上げた。
「おい漆原、顔はいかんぞ、なぐるなら腹だ!外傷をつけないようにな!」
「わかりやした!」
「にげろ、早く逃げてここのことは忘れるんだ!彼らはプロだ。絶対証拠は残さない!伊集院も・・・」
出島先輩がそういった次の瞬間、漆原と呼ばれた男のこぶしが出島先輩の脇腹に叩き込まれた。出島先輩はおなかを抱えてうずくまって泡を吹いた。
「犯罪ですよ!」
「おう、証拠はないぞ!お前らもえらい目にあわされたくなかったらとっとと帰っておとなしくしてな!」
その時部屋の隅にいたマユが立ち上がった。
「証拠・・・ある・・・全部撮った・・」
その手にはビデオカメラが持たれていた。
「わたしもとりましたわ。出島先輩に暴力をふるっておられるところも」
あかねを立ちあがった。その手にはやはりカメラがもたれていた。
桂嶋社長と大男は真っ赤になった。
「なにしやがる!!!!こいつら!」マユとあかねはおいかけられながらとっさに、カメラをぼくとユウキに渡した。
「よし逃げるんだ!」ユウキの声でみんなドアに向かってはしりだした。しかし、大男の足のほうが速く、大男はすでに事務所の出口前で大きく手を広げて立っていた。
「漆原、ビデオを取り上げろ!とられてもいい!どうせこっちで処分するんだ。」
大男は大きなうなり声を上げた。あかねとマユはまた部屋の隅に逃げ込んでいる。
「おまえら!ビデオカメラを渡せ!おまえらだけじゃないぞ!親にも社会的制裁を加えるぞ!」桂嶋社長の受け売りだ。でも、親に迷惑がかかるという言葉は、高校生である僕たちには大きな圧力になることは間違いない。
「うおおお!はやくわたせ!そうしないとおまえらのおやじが仕事できなくしてやるぞ!」
大男がそういった瞬間、ドアのうしろでがたっと音がした。その音に気付いた大男が振り返ろうとすると、その首はさらに大きな上で締め上げられていた。
「うおおおお」大男は断末魔の叫びのような声を挙げて、白目をむいた。
「漆原・・・!どうした!?おい!」
桂嶋社長はあわてている。
「あ!おやじ!」そう叫んだのはユウキだった。
「おう、ユウキ、みせてもらったぜ、大捕り物をな。でもなんてやつらだ。おやじは仕事できなくしてやる?おう、上等だ!してみやがれ!」
「そうね、新庄さんから仕事を取り上げられる人ってだれかしら?」
「マル先生!」
あかねとマユは駆け寄ったドアの向こうには、たしかに丸崎先生がいた。
「おまえら何もんだ!ただではすまんぞ!」
桂嶋社長が叫んだ次の瞬間、男性がなだれ込んできた。
「あとは頼んだわよ。」
マル先生がそういうと、なだれ込んできた男たちは、桂嶋社長と大男の身柄を確保した。
「おい、どういうことだ。礼状はあるのか!」
「あるよ。桂嶋直之!覚せい剤取締法違反だ!やっとしっぽを出しやがった」
男の一人が書類を出してきた。
「お前らは・・・特捜部か・・・なんで・・・」
「あんたらも馬鹿ね、私の生徒に手をだすからこういうことになるのよ。」
「そうだ、このひとに目をつけられたら首がいくつあってもたりないぜ」
ユウキのおやじも笑った。
「ひどいわね。新庄!あんたの息子が絡んでるので教えてあげたのよ。感謝しないさい。」
「感謝しますよセンセ」
なにがなんだかわからない。しかし、状況は10分前と完全に逆転していることは確かだ。
「マル先生・・・伊集院を死に追いやったのは結果的に僕です。」
出島先輩が涙を流しながらマル先生の前にひざまずいた。
「あなたはね、昔から調子が良すぎるのよ。のんきそうな顔をしていて狡猾にチャンスをものにしようとする。あなたが作ったあの番組もそうでしょ。」
「あ・・・はい・・・」
あの番組とは出島先輩が現役の時につくった、交通事故で亡くなった友人を悼む番組のことだろう。
「まさかあんなことまで仕組むとは思わなかった。あれは私の負け。いまでも悔やんでいるわ。ほんとはあなたもでしょ、出島くん・・・。」
「先生・・・ぼく・・・二人、死に追いやって・・・」
そうか・・・あの番組で亡くなった同級生は、事故ではなく自殺だったのだ。しかも、出島先輩が絡んでいて、その上、それをネタにして全国大会優勝まで勝ち取った。そしてその事実はだれも知らないけれど、マル先生は気づいていたんだ。だからあの時も出島先輩がからむこの件の取材を渋ったのだ。
「まあ、いい。おいおまわりさんよ。覚せい剤不法所持だ。早いとこ捕まえてくれ。」
桂嶋社長は開き直ったようにそう言った。
「おう、捕まえてやってくれ。俺が捕まえたいところだけど、俺や丸崎教官には今は逮捕権がないからな。でも、それだけで済むとおもうなよ。お前ら、うちの息子の友達をえらい目に合わせてくれた落としまいはそう簡単にはいかない。殺人教唆も入ってるからな。おい漆原さんよ、あんたは殺人と、あ、もう一つ殺人未遂ね」
「なんだと!」
桂嶋社長は一転またうろたえ始めた。
「ちょっとまて、あんたら何者だ。まともじゃないぞ!おい漆原!おまえ!ちゃんと・・・」
絶句した桂嶋社長の言葉をマル先生が継いだ。
「そうそう、漆原さん、ちゃんと始末したはずよね、証人は。でもその程度のことに手を打てない私だと思ったら大間違いよ!」
「おい!漆原!漆原!」
伸びている大男にしきりに呼びかける桂嶋社長だが、大男はまだ白目をむいている。
「こいつは葬式の時にも外にいたもんな。こんなでかい図体ならだれだって見つけられる。それを確認してほっとしたところで、○○を○○したわけだ。そこが甘いってのよ。あの看護師もすでに捕まえた。全部しゃべっちまったぜ。間一髪だった。」
葬式?○○?看護師?なんのことだ?僕の混乱は極地に達していた。しかし、桂嶋社長は「おそれいりました」とすでに覚悟を決めた様子だった。
「おい、ちびっこ探偵さんたち、あんまり無茶すんなよ。今回はけがの功名だけどな。えらいことになるとこだった」
「おやじ、そのちびっこ扱いはやめろよ!」ユウキが照れくさそうに、頭を撫でられている手を振り払った。
「何言ってんだおまえなんか、昔はピーピーないてたんだからな。親にとってはいつまでたってもちびっこだおまえなんざ!」
ユウキは少しふてくされていたが、ユウキのおやじさんが来てくれなかったらあの大男は倒せなかっただろう。いったいどんな経歴なんだユウキにおやじは。
「でも・・・やっぱり・・・自殺の原因は・・・出島先輩・・・」マユはそういって涙を流した。
「いくら犯罪者が逮捕されても、ゆかりさんは帰りませんわ」
僕もあかねのその言葉で、涙が出てきた。そうだ、こんな犯罪者に関わったばかりにゆかりは死んでしまった。僕が出島先輩を取材しようなっていわなければよかったのだ。取り返しのつかないことって、「死」なんだなと思うとやり切れなかった。
週が明けた、月曜日。お昼ご飯が終わったあと、放送室の調整室でだれもいないスタジオを見つめていると、ゆかりが話かけてくる気がする。
「ケンジ・・・私は大丈夫よ、本当にありがとうねケンジ」
ああ、ゆかりのあの声。そうだ、ぼくはずっとゆかりと一緒にいることができるのだ。取り返しのつかない「死」を越えてゆかりの分まで生きていこう。そう決めたのだ。
あの夜、光に乗って夜空に浮かび上がった時にのように、ゆかりの姿が、スタジオに向かって貼られたガラスに浮かび上がる。
「でもケンジ、今回はいつもより頑張ったね。見直したよ。」
ありがとう、ゆかりにそう評価されるとうれしい。これからも見ていておくれ。
「でも私がエッチなことされているとこ想像したでしょ。わたしされてないから。」
え!幻がそういうこというの!くそーやはり幻になってもゆかりはゆかりだ!ペースが戻ってきたのは・・・幻でもなんか・・・うれしい・・・むしろ涙がでる・・・。
「ってケンジ!きいてるの!」
「いたたたたたた!」
だめだな、どんどん幻が実体化してくる・・・。頭に痛みまでくるか・・・。
その時スタジオに誰か入ってきたのがガラス越しに見えた。ユウキとあかねとマユの様だ。僕がスタジオのほうを向いた瞬間、彼らも僕と目が合った。僕は笑いかけたが彼らの顔はひきつっている。なんか叫んだが、ガラス越しなので、聞き取れない。そして調整室に走りこんできた。
「ゆかり!」
「ゆかりさんですの!」
「ゆかり・・・・さん!」
え!彼らにもゆかりが見えるのか!ああ、こういうのなんかであったな・・・。ん?
僕は思わず振り返った。
「ゆ・・かり??」
「みんな、ただいま」
「おい!ゆかり!足あるのか!」
「あるよ!なにいってるの!お葬式きてくれてありがとね」
「・・・ゆかりさーーん・・・」マユが泣いて駆け寄ってくる。え!これマジ?ゆかり?なぼろしじゃないの!?お葬式の御礼を言う故人本人なんて見たことない!
「まだ幻だと思ってるのがいるわね」
はいってきたのはマル先生だった。
「おかえり伊集院さん!もう体はいいの?」
「はい、ほんと心配かけました。もう大丈夫です。」
「ほんと、危機一髪ね。
えー!ゆかり生きてるの?そうなんだ・・・えーーー!死んだ実感がないうえに、生きてるっていわれて今度は生きてる実感がない!どういうことだ!
「まあ大芝居もいいとこだけど、それによって大きな犯罪が暴けたわ。伊集院さん、そしてみんなありがとね。私も久々にエキサイトしたわ!」
あのお葬式そのものが芝居だったって!?まじですか!?ということは?あの病床の告白も!芝居?!
「ケンジ、私ケンジ好き!」
ゆかりは僕の耳元でそうささやいた。僕は顔から足の先まで真っ赤になった気がした。
「もう相思相愛なんだから、今まで以上に尽くしてね!」
うわ、やっぱりこうなるか!うれしいような、なんか恐ろしいような・・・なんだか、もうすでに尻に敷かれている!人生確定、僕終了!ってかんじだ。でも、生きててくれてよかった。それは間違いない!やっぱりまた涙が出た。泣き虫になってしまったなぁ。
彼女いない歴17年・・・幼馴染のゆかりは、ついに、僕の彼女さんになってしまった。しかも一遍お葬式を経ている猛者だ!すでに尻に敷かれている。関白宣言など夢のまた夢。
そしてまだ高校2年生の夏は始まったばかりで、番組のネタも、今回の「イニシャルD」は、面白い絵が取れすぎて、「趣味」及び「警察の証拠」以外では使用不可になり、全国放 送コンクールに出す企画を一から練り直すタスクが増え・・・
でもいいや。なんかこの件があった前よりは、なにやらひと時ひと時を大切に生きていこうという力みたいなのがわいてきたのは事実。田舎の高校生活にも少しだけ変化が生じたのだろうな。
夏休みまでに、新たな番組を制作しないと間に合わない。焦りが募ってきた。いつもの放課後。放送室に早くつきすぎたけど、こういう時間こそうまくつかわないとまにあわない。ゆかりが来てしまったらまたゆっくり考える時間がもてない。
そんなことを考えていると、放送室のドアがノックされた。放送部員じゃないのか。そもそも部員はノックしないもんな。
「はいどーぞ」
声をかけるとドアが開いて1年生の女子が入ってきた。小柄でおとなしそうな子だな。
「あ、なにか放送部に用事?」
ぼくの質問に、その子はすこしはにかんで、言葉を選んでいるようだった。
「ああ、なにも怖がらなくてもいいよ。ぼくは書記の佐久間です。」
「あ、放送部にはいりたい・・・と」
おお、こんな時期に入部希望者!1年生はまだまだ研修中なので、遅くはない。一人でも部員が増えるのはいいことだ。
「ああ、そういうことならまもなく部長の新庄がくるので、少しまってて。お名前は?」
「はい、1年3組の出島あおいです」
「はいはい、出島あおいさんね。・・・ん?出島?」
ぼくは驚いて彼女の顔をみた。
「出島!もしかして」
「はい、出島健次郎の・・妹です」
ぼくは絶句してしまった。あの出島先輩の妹が、放送部に・・・
ぼくの高校生活はそうかんたんには終わらせてもらえないようだ・・・