ストップ! 夏の恵方巻
夏の節分、というものがあるらしい。明日、八月六日がその日だという。
普通、節分と言えば二月を代表する行事。だが、本来節分というものは春夏秋冬それぞれにある。故に、恵方巻は年四回食べるべし。だからこそ夏にも恵方巻を食べませんか、というのが夏の節分。
皆さん、忌々しき事態です。北のミサイルや首相の支持率などで騒いでいる場合ではないです。この騒動の方が緊急度が上(個人によります)です。
なのに世間一般では何の騒動もなくこの事態が見過ごされそうになっています。ですので、今回の話を通じて少しでも皆様にこの一件に対する知識を深めて頂ければ幸いです。
この夏の節分というものは節分と謳ってはいるものの、その実態は恵方巻の販売機会の拡大というのが実態である。
実際、代表的なコンビニエンスストアやスーパーの夏の節分に関する冊子やチラシを眺めるとその様子が見て取れる。その何処にも鬼はおらず、豆も無き。もちろん柊鰯もいない。節分の主役を誇ってきた彼らは夏の節分には特に必要とされていなかった。
では、何が必要とされているのか。主役を差し置き、夏の節分の看板を飾っているのはどこのどいつか。
あるのは恵方巻。とにかく恵方巻を売るんだ、売らねばならぬのだ。広告をデザインした者の強い意志がありありと表現されていた。つまり夏の節分というのは節分にあらず、恵方巻と言う名の別行事である。
まずは夏の節分そのものに触れる前に、この恵方巻についての問題を洗い出していきたい。
そもそも、この恵方巻という商材は非常に曖昧な立場に位置しているということを認知していただきたい。
まず、恵方巻が世間に大人気というほどではないのは周知の事実だろう。去年から世間を騒がせている大量廃棄にノルマ自爆。恵方巻が市場に対して過剰であるということを物語る知らせがあるのに対し、恵方巻が不足しているという知らせは圧倒的に少ない。以前世間を騒がせた食べるラー油の騒動と比べれば明らかだろう。
無論、恵方巻が不味いというわけではない。その名こそ恵方巻などとゲンを担いだものだが海苔巻きと何ら変わりはなく、普通に作れば不味いわけがない。多少巻き方に慣れこそ必要なものの、味の面においては失敗するのが難しい料理でありアレンジも容易な部類に入る万能な料理である。
では何故売れ行きが芳しくないのか。次はその原因及び、夏の恵方巻販売を控えるべき理由について解説しようと思う。もちろんこれは、私という個人の極めて限定的な意見である。的外れな箇所も少なくないとは思うが許して抱きたい。
さてこの恵方巻、もとい海苔巻きは寿司の中でも調理が容易な部類に属している。握り寿司よりも初心者が手を出してもそれなりの出来になるうえに、一本巻けば概ね一人の胃袋を満たすことができる。何より、中の具も比較的安価に済ませることができるのは家計にとって非常にありがたい。
実際、太巻きは田舎のご馳走というイメージが強い。煮た椎茸と干瓢、甘い卵焼きに胡瓜などを巻いて祝いの席に大皿で出す。お盆や正月、行楽シーズンに重箱に詰めて青空の下で食べるというシチュエーションも珍しくないだろう。
つまり巻き寿司とは寿司というカテゴライズにおいて、ちらし寿司と稲荷寿司に並び家庭に近いのである。確かに分類上はハレの日の料理というものになるのであろうが、その位は極めて低い。
つまるところ恵方巻は買ってまで食べるものではない、ということである。恵方巻というのは家庭で作るものであり、所謂野菜炒めや味噌汁と同列に位置するものなのではないかと私は思う。
当たり前だが人件費というコストが計上されている中食(テイクアウト食品)は自身で手作りしたものより割高である。そんな恵方巻を一般家庭が日々の食事の選択肢の一つに入れるかどうかは、微妙と言うほかない。
では、値段を気にしないような富裕層はどのような恵方巻を食しているのか。そう言った層はこういった季節の料理をコンビニやスーパーなどで購入することはない。馴染みの寿司屋や行きつけの料理屋で恵方巻(店では普通に太巻きとして提供されているかもしれないが)を頼むのである。
一般層以下は家庭で作った安価な恵方巻を、富裕層は技術を持った料理人の作る恵方巻を食べるのだ。バイトや工場で作られた価格も味も半端な位置に属する恵方巻は、以上の層の支持を得られずに極めてニッチな層にしか需要がないのである。
加えて、恵方巻の重要性が低いのも問題である。ここで言う『重要性が低い』とは、言い換えれば優先度である。例として説明するならばクリスマスケーキとおせち、恵方巻の中で一つ排除しなければならないならばどれを排するか。ほとんどの人は恵方巻になるだろう。
恵方巻というのは各イベントの中でも新参者である。日本人に人気な恋愛要素もお祭り要素もない。つまり恵方巻の位置というのは、豆撒きより下位に属しバレンタインやハロウィンよりも下である。
特に夏場には競争相手であるイベントが多い。お盆に海水浴、キャンプ。夏季講習に夏フェスに同人誌即売会など細かなものを上げていけばキリがないほどに。夏は四季の中でもイベントの坩堝である。
ただでさえ恵方巻というイベントが微妙な立場であるのに、本家から外れたこの季節に夏の節分(恵方巻)が入り込む余地はない。
さらにこれも『夏の』恵方巻のみの話になるが、人々はこれ以上夏に半端な新商品を受け入れる余裕はないのだ。
現に夏季の小売店の売り場を見てみるといい。冷やし中華にそうめん、讃岐うどんが総菜コーナーを占拠している。鮮魚売り場には最早脅迫と言って申し分ないほどの、うなぎ。右を見ても左を見ても、うなぎ。とにかく、うなぎ。時々穴子。
さらに夏のメニューというのはカレーやバーベキュー、ハモにアジ。その他各社の創作系新商品など実に種類が豊富である。
そんな中で『夏の恵方巻』のような微塵も夏らしくない食品が店頭に並びだしたらどうなるか。
見向きもされない。何の注目も集められない。せいぜい半額シールを貼ったところで街の掃除屋が手を出すのが関の山だろう。
では夏の恵方巻を売るにはどうすればいいのか。
結論から言えばコンビニで売るには早すぎる。スーパーで出来合いのものとして売るにもまだ早い。
まずは夏の家庭料理候補として、太巻きを夏の節分という名目の下で推し進めるのが筋である。先ほど夏の料理として太巻きは半端者であると評したが、これは現状のことである。太巻きに夏の料理に相応しい理由付けをしっかりと行えばまだ可能性は残されていると言っていいだろう。
幸いにして太巻きは熱くない。調理時も卵焼きなどの一部の工程を除けば、長々と火の前に立つこともない。出来立てを出さずとも美味しく食べれるのも良い。主婦に好かれる要素は十分に持っている。
それに巻き寿司は様々な具材と相性が良い。お弁当で余った卵焼きやエビフライを巻くのはもちろん、夏が旬の鯵や穴子、土用の丑の日とかけて鰻など。あるいはシンプルに牛肉でも巻いて夏のスタミナ料理の一つとして売り出すのもいいだろう。
そういったレシピをテレビ番組やお料理雑誌を使って家庭に定着させるのが、今やるべきことである。そうやって定着させて初めて人々は恵方巻を外に求めるようになるのである。
最後に皆様も察しているかもしれませんが、私は恵方巻大好き。細巻き、太巻き、手巻き寿司。とにかく巻き寿司大好きです、ハイ。好きだからこそ、こういう変な文章を書いています。
私は嫌々ノルマで買われていく恵方巻を見たくないし、捨てられていく恵方巻も見たくない。だからこそ、恵方巻を夏に売るという暴挙を阻止したい。
今は雌伏の時なのだ。まだ夏の顔は冷やし中華や鰻の蒲焼に任せるべき。
いつか、いつの日か、暑い夏の日に人々が自発的に恵方巻を食べようと思う日が来るはず。そうなった時、スーパーやコンビニで並んだ恵方巻を笑顔で手に取ってほしい。
そして来年廃棄されるであろう恵方巻の数が少しでも減っていることを望みます。