クリスマス・エンカウント ~幼馴染《まおう》様はご機嫌斜め~
「では、これで終礼をおわる。解散! 皆、よい年をな!」
担任の号令一下、二学期の終礼がおわった途端、教室はごった返す騒ぎとなる。
歓喜に溢れるクラスメイトたちの様子を、俺は自席の机に頬杖をつき、冷めた顔で眺めていた。
どいつもこいつも、浮足立っていやがるな。
まったく、うるさいったらありゃしねえ。
「おい、ユウちゃん。なぁに辛気臭い顔してんのよ?」
鞄を肩に担いだ悪友の敬が近づいて来た。俺の横に立って、物珍しそうにじろじろと見下ろしていやがる。
「敬よ。どうしてこうも、連中は浮かれているんだ」
「どうしてって、そりゃ待ちに待った冬休みだからだろ。中二の冬は、二度と来ないぜ。っていうか、ユウちゃんが一番浮かれてないとおかしいんじゃねえの? この世の終わりみたいな顔してさ」
ニヤついた笑みを浮かべる敬に肘でうりうりと小突かれたが、こいつにそんなことをされても鬱陶しいだけだった。絶望的な気分も極まって、頭を抱えて溜息も吐こうというものだ。
「……ユウちゃんのその様子。もしかして、あの噂は本当か」
「あん? 何の話だよ」
「ユウちゃん、まさかとは思うけど……お前、まだ魔王様をデートに誘ってないわけ?」
「な…………」
目は口ほどに物を言う。俺の顔を見た悪友は、全てを察したらしい。わざとらしく天井を仰いで片手で顔を覆いやがった。
ああ、そうだ。悪いか、このやろう。
「いやいや、どう考えても悪いだろ。お前ら付き合ってんじゃん。明日はクリスマスだろ。デートするだろ、普通」
「その普通って感覚が、いまいち分からんのだよ、敬くん」
俺には立派な彼女がいる。
そう――眞子は、十年来の幼馴染で、俺の彼女。
何やかんやとあって、数週間前に付き合うことになった俺たち。だが、誠に遺憾ながら、そこから進展というのか、劇的な変化は、これといって何一つないのであった。
家も隣同士だから、毎朝いっしょに学校に行く。部活のない日は下校をともにしたり、互いの家で飯も食ったりもすることもある。
はたから見たら「十分じゃねえか」とか、やっかみを買うのかもしれない。しかし、これは俺たちにとっては普通のことなのだ。
要するに、眞子とは普段から、何となしにセットでいることが多いために、何と言うか、休みにわざわざデートの約束をするという発想がないのである。
「幼馴染の関係にあぐらをかいていた弊害が、まさかこんなところでも出るとはね……恐れ入ったよ、まったく。告白した勇敢な勇者様はどこへいったのやら」
「うるせえよ。そのアダナはもう卒業したって言っただろうが」
勇者と魔王。幼い頃からの俺たちの関係を象徴していたアダナだが、付き合うことになって晴れて解消したのだ。
あの頃の二人に、二度と戻ってたまるかよ。
「もとのもくあみになっても知らねえよって警告だよ。今からでも遅くはないから、早いとこデートに誘え。女連中に取られるぞ」
「は? どういうことだ?」
「魔王様のクラスの都合つく女子連中で、明日はクリスマスパーティするって話になってんだとさ。魔王様も、当然声かけられているわけだ」
「なんだとぉ!?」
「おいおい、俺に突っかかるんじゃねえって。噂だよ、噂」
「まさか、眞子はオッケーしたんじゃねえだろうな?」
「知るかよ。だから、さっさと誘えって言ってんじゃん」
付き合いきれねえ、と口をひん曲げた敬は肩をすくめた。くそったれ。これで眞子がオッケーしていたら、デートのルートが詰むだろうが。
「その顔は、一応デート願望はあるわけだ。その点だけは安心だけど、付き合い始めてからもこれだと、魔王様にも同情するわ」
そりゃあるわ。付き合ってんだから、デートしたいわ。しまくりたいわ。
しかし、どの面下げてデートに誘えばいいのかが、まるで分からん。
何だ? 「デートしようぜ」って言えばいいのか?
俺が、眞子に?
「考える前に動けっての。ほら、手遅れになる前に行った、行った」
敬に急き立てられて、俺の中のもやもやとしていた焦りがようやく決定的なものに変わってくる。ともかく、眞子のクラスに行かねばならない。
だが、覆水盆に返らず、時すでに遅し、そんな言葉を俺は突き付けられることになる。
教室に眞子の姿はとうになく、パーティの準備のためにクラスの女子たちと下校した後だったのだ。
*
いや、まだだ! まだ挽回のチャンスはある。
眞子は電話にも出ないし、メッセージも飛ばしてみたが返事も寄越してこない。もしかして、怒ってらっしゃるのかもしれないが、俺と眞子の家は隣同士だ。
話す機会などいくらでも……、そう。あいつの帰りを見張って偶然を装えば……。どうとでもなる!
二階の自室の窓で張り込みをしていて、何だか悲しくなってきた。
だが、へこたれてはいられない。男は涙を見せぬもの。
そのかいあって、自宅に向けて道を歩いてくる眞子の姿を無事にとらえることができたのだった。
紺色のセーラー服の上にコートを羽織っているが、着太りせずすらっとした体型。長い黒髪を巻き込んだマフラーで口元を隠し、素足は黒タイツで隠されている。今日の仕様は完全防備か。
俺は急いで階段を降りて、靴をつっかけ外へと飛び出した。
「おい! 眞子!」
「何だよ」
「うぉッ!?」
間髪いれない返事があったため、驚いて足を止める。俺は顔を眞子の家の方へと向けていたのだが、何故かこいつは俺の家の玄関先――すぐ目の前に立っていたのだった。
「ストーカーみたいな真似してんじゃねえよ。窓からお前のこと、見えてたぞ」
くい、とマフラーに指をかけて下げて、口元を覗かせる。幼馴染で俺の彼女は、やはり絵に描いたような美少女だった。
とはいえ、切れ長の二重の目は不審気に細められていて、冷たい空気をこれでもかと言わんばかりに放っている。
うん。やっぱりこいつ、相当ムシの居所が悪いみたい。
「そ、そうだったか?」
「ああ。だから、こうしてわざわざ、お前が出てくるのを待ち構えてやったんじゃねえか。ありがたく思えよな。ったくよー、オレの優しさに自分自身でも泣けてくるってもんだぜ。それで?」
「え?」
「え、じゃねえよ。オレに何か用があんだろうが。聞いてやるから早く言えよ」
「あ、ああ。そうだった」
軽口を叩いているように聞こえるが、目はまったく笑っていない。俺の方が背は高いっていうのに、威圧感が半端ねえ……。
しかし、いざ本人を前にすると、何と言っていいものか、非常に迷う。
「そのな、明日なんだが……」
「おう……」
「女子でパーティをやるって本当なのか?」
「…………誰から聞いたんだよ」
一瞬、眞子が身を乗り出したかと思ったら、目つきが一段と険しくなった。
これはまずい。完璧に機嫌が地を這っている。
「敬が噂を聞いたって。お前も参加するのか? 今まで、準備のための買い出しとかしてたんだろ?」
「……それを聞いて、お前はどうするんだよ?」
「どうって」
「オレがそのパーティとやらに参加するって言ったら、お前の行動は変わるのかって聞いとんじゃ! ボケェ!」
怒声を上がったかと思った次の瞬間、繰り出された眞子のハイキックが俺の鼻先の空を切った。寸でのところで反応して回避したが、当たれば結構やばかったかもしれない。
「ど、どうどう! いったん落ち着け」
避けられてますます整った眉を吊り上げた眞子が身体を捻ってもう一発蹴りをかまそうとしたが、慌てて肩を押さえるように掴んで凶行を止める。その勢いのまま至近距離で目が合ってしまい、思わずお互いに目をそらした。
「――っ。くそ、こんなことなら、本気でパーティに参加する約束をしときゃよかったぜ。いや、今からでも遅くねえか……」
「え、何だって? お前、参加しないの?」
「だぁ! 顔近付けんなよ! しねえよ、今のとこはな。買い出しには付き合いで行っただけだ。誘われはしたけど、断ったんだよ」
眞子が仰け反り、顔を背ける。俺も慌てて顔を引いたが、肩は放さなかった。
「……なあ、ユウよ。オレたち付き合ってんだよな?」
「な、何だ急に。当たり前だろ」
堪え難い沈黙が続く中、先に口を開いたのは眞子だった。今までの勢いをしぼませての、呟くような声だった。
「日が浅いからこんなもんかとも思わなくもなかったけどよ……。肩書きだけっつーか、何の進展もねーというか。お前はそれでいいのかよ」
「な……進展って、お前」
「だったら、ちゃんと言ってくれよ。オレだって初めてなんだから、どうしたらいいかなんて、わかんねーんだよ」
俯いた眞子の表情が前髪に隠れる。たぶん、こいつも、俺も、顔が真っ赤になっているに違いない。
くそ、アホか俺は。
告白のときからの進歩のなさに、我ながら嫌気がさす。
お互いに付き合うのなんて初めてで立場は同じはずなのに、彼女に全部言わせてどうすんだって話だろ。
これだから、こいつには頭が上がらないのだ。
「わかった、眞子。俺と明日、デートしよう」
「……最初からそう言えばいいんだよ、アホ」
眞子が借りてきた猫みたいにしおらしく、俺の胸に額をくっつけてくる。
あれ? 何だこの体勢と雰囲気。
進展と言う二文字が頭をちらつく。
もしかして、ひょっとして、いけるのか、これは。
「眞子」
右手を眞子のあごに添えて軽く持ち上げてやると、眞子は目一杯見開いた瞳で俺を見つめた。そのまま、ゆっくりと顔を近づけ――
「いけるかよっ!」
ガツンと頭に衝撃が走り、まぶたの裏で星が散った。
「ってぇ……! ヘッドバットとかありかよ!」
「うっせえ! 油断も隙もありゃしねえ。オレがどんだけ待ってたと思ってんだよ。バカやろうが。ちっとは反省しやがれ!」
頭を押さえてうずくまる俺を、眞子が仁王立ちで見下ろす。顔が赤いのは怒っているのか、恥ずかしがっているのかどっちだろうか。
「くっそ……。進展させたいのかさせたくないのか、どっちなんだよ」
「時と場所を考えろ。あとムードな。はぁ……ま、しかたねーから、これで我慢しとけよ」
「我慢?」
「ほらよ」
唇に押し付けられる、微かな感触。
眞子の人差し指だった。俺の見間違いでなければ、眞子はそれを俺に押し当てる前に、自分の唇に触れさせていた気がするのだが……。
「じゃーな。続きがしたけりゃ、明日はちゃんとエスコートするこった。オ……ん! わたしはユウの彼女なんだから、ちょっとは夢見させろよ」
咳払いをして一人称を言い直し、俺の彼女は軽い足取りで風のように去って行く。
唇にはむずむずとしたこそばゆい感触が残っており、俺はしばらく立ち上がることができなかった。
「……明日は、絶対勝ってやる」
そして、今日の敗北を戦暦に刻み、明日への再起を誓うのだった。
(了)
クリスマス当日の模様は、想像で補完のほど、よろしくお願い致します…。




