TRAP
前方にタンジュンピナン海上摩天楼が見えてくる。闇夜に光り輝くそれは宝石のようで、インドネシア版の横沙か東京といった絢爛さだ。
車のセンサーがアラート音を鳴らした。
「おっと、警察だ」
俺は舌打ちする。カーナビを見るが、迂回路はなかった。
『大丈夫か?』
「上手く切り抜ける」
ミンはうなずいて、画面から消えた。
前方で道が封鎖されている。バリケードが築かれ、装甲車やパトカーが固まっている。車の上で赤いライトを瞬かせ、警戒中であることを示している。
俺はゆっくりとスピードを落とす。背後で、さっと警察の車が動いて退路をふさいだ。
サーチライトが、かっとランボルギーニを照らし出す。
「ったく、公務員は大仰なことが好きだぜ」
俺は毒づきながら車を降りた。高速道路にスピード違反はないし、所持物も全て法的許可を得ている。見られてまずいものを車の中に隠したりはしていない。
何人もの警官が俺を囲むように近づいてきた。
「パギャ。急いでいるんだ。通してくれないか」
俺は免許証を示しながら、陽気な声を作って言った。
「ヤンセンだな? ファンデルミール家の」
高慢かつ下品なピジンで警官が問う。
「そうだ」
答えるなり、警棒が顔に飛び込んできた。眼から星が散る。頬骨が潰れて、眼窩内に食い込んでくるのを感じた。
襟を掴まれて立たされ、パトカーの車体に体を叩きつけられる。後ろ手に手錠をかけられるのが、音で分かった。
「予想にもつかないことをしやがる。お巡りさんのくせによ……」
折れた前歯を吐き出して、俺は呻いた。
よくよく見れば、この一団は交通整理をしているタイプの警官ではない。バイザー付きヘルメットと防弾アーマーで身を包み、サブマシンガンを構えている。
SWATだ。
どうやら、俺は罠に飛び込んでしまったらしい。
SWATの隊長らしき男が近寄ってくる。視線で人を殺せそうなほどの、物騒な気配を放っている。
「貴様は数々の法律及び国際条約に違反している疑いがある。多量の違法ハード、ソフトを集めて、指名手配中の技師に、人道にもとる実験をさせているらしいな?」
「逮捕状はどこだ?」
そうそう逮捕状など出ないように、俺は手を打っていた。警察がこれほど積極的に動いているのが信じがたい。
男は無視して続ける。
「また、一時間前に半裸の少女が、職務質問した警官三名を殺害して、貴様の邸宅に逃げこんだ。何らかの違法サイボーグ化処置が為されていることが予想され、我々SWATが出撃した」
なるほど、妹は俺に会うまでに、行く手を阻む人間を少なからず殺してきていたのか。
俺は周りを囲む男達の目を見て、万能の示談策を提示した。
「金が欲しくないか? 俺は金持ちだ。おまえたち一人一人の退職金の十倍の金をプレゼントしたい。お互い、面倒な手続きはごめんだろう?」
SWAT隊長は一笑すると、どすっと腹に拳をめり込ませてきた。二日酔いもぶっ飛ぶ、重い一撃だ。胃の中に残っていたものが、口から吹き出る。視界が明滅した。
何よりも、ここで殴られることに戸惑った。
「贈賄罪も罪状に追加する必要がありそうだな」
俺は口の端から唾液を垂らしながら男を見上げる。
「……おまえらの上司にたっぷり賄賂をはずんでいるし、奴らはそれを拒まない……おまえ達もそれをよく考えた方がいいぞ」
「それも今夜までだ。貴様とつるむ警官も全て潰してやる。タンジュンピナン市警の上層部の首がすげ替えられて、汚物は一掃されるのだ。貴様のようなろくでなしが金を握って、社会に還元しようとしないことは許せん」
「……そういうことか」
俺一人にたかるよりも、タンジュンピナン市警を牛耳って、辺り一帯の成金に影響力を与えた方が、長期的に稼げるということか。
悪くない選択だ。他人事のように俺は思った。
しかし、警官の現場組のクーデターのだしに使われるとは、ひどい運の悪さだ。こいつら、間の悪いときに野心をもたげさせてくれたものだ。
「まずは、死んだ部下の分をここで支払わせてもらうぜ」
SWAT隊長が拳を握りしめて言った。
まずいな。俺は思った。
こいつらは仲間を殺されていきり立っているし、暴力に飢えているその姿に偽りはない。
男のパンチが腹に突き刺さる。俺は背後からおさえられているため、衝撃を逃すことが出来ない。気を抜けば、内臓を破裂させられそうだ。
「構うことはねえ、ここで殺しちまおう。近辺の変態金持ちどもへの、いい見せしめになる」
周囲の警官が言った。SWAT隊長は笑って、俺の襟首を掴む。
「さあ、どうだ。情報を吐きたければ、吐いてもいいぞ。誰に金を渡した? どこから違法資材を手に入れた? 証拠をよこせば、楽になれるぞ」
「それは無理だ」
俺は、我ながら静かな声で告げた。
「俺の全ては妹のものだ。おまえらにやれるものは何もない」
「貴様、痛い目に遭うのが好きなんだな」
男が、さらに拳を振るった。
だが、この期に及んで、目の前のSWATは、俺にとっての最優先事項になっていなかった。
俺は、異様に眩しいサーチライトや、赤色灯を見て、
「せめて、ランプを消してくれないか?」
「ダメだ。灯りの下で、貴様の苦しむ顔を見たいんだ。雲上人が泣いて命乞いをするのは、最高のショーでね」
「でもよ……こんなに目立っちゃ……」
俺はちらりと後ろを見て、言った。
「……妹に見つかるだろ」
遠くの料金所が爆発した。少し遅れて、爆音が届く。
警官達は顔つきを変え、銃を構えた。
「来ちまったか……」
俺は溜息をついた。