CLIENT
アスファルトを焼きながら、車は地下駐車場を飛び出した。空中を数秒滑空した後、土煙を吹き上げながら地面を蹴る。
俺の屋敷はあっという間に点になり、マングローブの木々が背後へ飛んでいく。俺はなおもスピードを上げた。
バックミラーを見るが、妹が追ってきている様子はなかった。
車は私道を抜け、タンジュンピナン市中心部へと向かう高速道路に上がった。
そこまで来ると、痛みがぶり返してきた。全身が色々痛むが、特に胸にじーんと来る強い痛みがある。肋骨を折られてはいないので、この痛みは精神的なものだろう。
肉体的な傷なら、どれほどよかったものか。
俺は車載電話を起動する。
「ミン、俺だ! ヤンセンだ! 緊急事態だ、電話に出ろ!」
ナンバーを入力しながら、意図せず声が大きくなる。
「ミン! 出やがれ、くそったれ!」
白髪ににやにや笑いを顔に浮かべた壮年の華人がモニターに現れた。陽気な声で、
『やあ、ヤンセン。調子はどうだね』
「妹がうちに来たぞ!」
『ああ、妹さんのボディの最終テスト中に突然暴走してな。彼女、君に会いたくて仕方がなくなったらしい。私の助手が二人死んだよ』
ミンが悲しげに首を振ったが、すぐに言葉を続け、
『だが、些細なことだ。科学的探求に犠牲と代償はつきものだよ。違うかな、ヤンセン? で、どうだった? 妹さんとは楽しめたかね?』
「楽しむもなにも、妹は俺を殺そうと追ってくる!」
『プレイでなくて?』
「違う! 殺されたら、完全に俺の殺され損だ!」
『それはよくないな……』
ミンの顔が曇った。
とはいえ、その表情も感情的なそれではない。あくまで、予想外なデータに戸惑う科学者の顔だった。
「あと、妹の胸からバルカン砲が生えあがった!」
『それは私がインストールしたものだ。ご存じ、個体生存のために武装を捨てられるほど、人類は賢くなっていないからな』
「それはごもっともだが……バルカン砲はないだろ」
『Aー10サンダーボルトに搭載されていたアベンジャー砲の方が私の好みだったが、妹さんの体にはサイズが合わなくてね――』
ミンがさらに技術的な戯言を続けようとしたので、俺は唸ってやめさせた。
街灯の光がびゅんびゅんとびすさる中、尋ねるべき言葉を探す。
「なぜ、あんなに機械化しているんだ。妹はもっと柔らかくて温かかったぞ!? なぜそこを追求しなかった! 俺は軍用サイボーグを求めたんじゃない、妹に帰ってきて欲しいんだ!」
『材料学的な理由だ。バイオ系はダメだ。脆すぎる。近年、高分子材料やセラミックスは発展を見せているが、いまだその物質的耐久力という点で金属には遠く及ばない。君のリクエストの根底には、妹さんの生命の永続性への希望があるとみた。だから、質感や見た目といった薄っぺらい表面的なものより、より頑丈で長く妹さんが生きることができるものを選ばせていただいた。それが君の望みだろう?』
それは、そうだが……。
俺の反論は、うまくまとまろうとしなかった。
『柔らかくて温かいが、棺の中で眠ったままの妹さんと、金属でできていて自衛用火器を搭載していても、歩いて、君に話すことのできる妹さん。どちらがいい? 私の仕事に文句はあるまい?』
「じゃ……じゃあ、なぜその妹が俺を殺そうとするんだ?」
『それは疑問だ。君との間に立ちふさがる人間を殺すというのは、分からないでもないが、君を殺そうというのは正直まったく筋が通らないよな……』
「しっかりしろよ! 妹の精神を移植する際に、何か間違いがあったんじゃないのか!?』
『恥ずかしながら、それに関しては答えようがない。誓って妹さんの精神はいじっていないし、そんなことが可能なテクノロジーも存在しない。いまだ人の心というブラックボックスは解析待ちだ。科学技術の限界だな』
ミンは細い眼に皮肉の色を浮かべて言う。
『思うに、もともと君の妹がイカれていたのだろう。それが一番しっくり来るアンサーだ』
「ミン、気をつけろよ。変に俺を挑発したり、はめようとしない方がいい。寿命が縮むぜ」
俺は低く言った。
ミンはひるむでもなく、甲高く一笑した。
『生憎、私は自分自身で開発した人体機械化技術を駆使してあと千年は生きるつもりだ。そして、ここまで来たら、君と私は一蓮托生だ。私が死ぬときは、君や妹さんが死ぬときだと考えた方がいいよ、クライアント殿』
俺は画面から目をそらした。
ミンは人の心を乱して、そこからデータを集めることを楽しむ蛇のような人種だ。安い挑発に乗っていられるほど、俺も暇じゃない。
ビジネスに徹するのが、こいつと付き合う上で最良の選択だった。
俺は金をやり、奴は妹を治す。
「あと五分もしないうちに、おまえの隠れ家に着く」
車は料金所を突っ切り、海上を伸びる高速道路をひた走る。