表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

CITADEL


 ミンのセクションに入っていく。内装は以前ここに足を踏み入れたときとは、大胆に変えられていた。

 そこら中に竹が植えてある。ミルクのように白い霧が立ちこめていた。

 自分が高層ビルの中にいるのか、竹林に迷い込んだのか分からなくなる。

 ここの空気はおかしい。首筋にぞっと寒気を感じながら俺は進み続けた。

 あまりに静かだった。

「ミン、いるか?」

 俺の声はしわがれ、誰のものとも分からない。白い霧の中へ消えて、反響もしなかった。

 用心深くライフルを構えてなおも進む。

 東屋が霧の中から現れる。ミンの寝床に違いない。

「おい、ミン」

 ライフルで東屋の戸口の簾をのけながら、俺は呼びかけた。薄暗い室内に目が慣れるのに一瞬要する。

 椅子に腰掛けたミンを見て、俺はほっと息をついた。

 ミンは相変わらず、人を食ったにやにや笑いを浮かべながら、目を閉じている。

 俺はミンに近づきかけ、

「くそっ」

 俺は素早くライフルを構えて、360°巡らせた。

 ミンの顔はこちらを向いているが、正座した奴の両足は部屋の反対側を向いていた。

 首はあり得ない方向にひねられている。

 千年生きると豪語した男を殺すのに、妹の形をした怪物は、銃弾すら用いなかった。

 椅子を蹴飛ばすと、ミンの死体がぐにゃりと床に沈んだ。死後硬直は始まっていない。

 俺は引き金に指をかけたまま、隣室に飛び込んだ。

 ミンの部下や護衛が三人、やはり死体となって折り重なっていた。

 テーブルの上の茶は、まだ湯気を立てている。こいつらが死んでからまだ五分も経っていないだろう。

「どこにいやがる!?」

 声を出すのは愚かだと分かっていたが、叫ばずにはいられない。

 怪物め……どこだ。どこから、その病んだ視線を俺に注いでいる?

 ミンの部屋に戻る。

 右手でライフルを構えながら、ミンの死体を引きずる。妹の命を担っていた男の死体は、驚くほど軽い。

 部屋の奥にかけてある立派な水墨画に近寄ると、それを引き裂いて床に捨てる。水墨画の裏に現れた、秘密のセンサーにミンの掌をかざした。

 部屋の中央で、床が音もなく窪む。秘密の階段が現れた。俺はそれをゆっくりと下りていった。




 ミンは死んだ。怪物は自らを生んだミンを殺した。怪物は生みの親を殺すという、道義的な問題など歯牙にもかけずに彼らを抹殺した。俺も殺そうと息を潜めている。

 恐るべき敵だ。ミンの死により、プロジェクトを初めからやり直す望みも潰えた。だが、それは最も気にかけるべき問題ではない。

 妹は無事か。

 怪物化したコピーではない。オリジナルの妹は無事なのか。

 大切なのはそこだ。




 階段を下りきり、開けた空間に出た。竹林の下に隠された広大なスペースだった。

 青白い光に照らされるのは、むき出しの金属で作られたパネルやケーブルだ。等間隔に置かれた柱がずっと先まで続く。

 さながら、機械でできた神殿を思わせる場所だ。世間的な観点からすれば禁忌の場所であるだろうが、俺にとっては神聖な空間。

 俺は、ミンの秘密のラボを進んでいった。

 警戒を解かずに、傍らの柱に目をやる。柱の一部は中空になっていて、そこはガラスで覆われている。

 一糸纏わぬ妹の姿が柱の内部にある。俺は目を伏せ、足を進める。次の柱にも、まったく同じ見た目の妹が眠っていた。その次の柱にも。

 全ての柱に妹の体が納められている。

 ミンが現行技術の限界を突破するために、ランダムな要素を投じた妹の体を量産した。一つにボディに精神を移植させ、根付くかどうかを見る。ダメなら、別のボディを試す。

 人の魂をリバースエンジニアリングするようなものだった。ひたすら失敗し、目覚めることのない妹のボディが増えていった。

 目を閉じているものもあれば、ガラス玉じみた瞳を宙に向けているものもある。

 柱の一本一本が、妹のボディのメンテナンスを行い、モニターし、不安定な構造を維持するシステムだった。

 無数の妹の体。スイッチを入れなければ動かない。精神が根付かなければ、物言わない人形でしかない。

 柱の列を見上げ、空しい気持ちになる。

 何の音もない。妹の数あるボディは、呼吸をしないし、瞬きもしない。

 一つだけ、空の柱があった。ここから怪物が放たれたのだ。妹の姿をしていながら、それは道理をわきまえず、死をふり撒いている。

 ようやく柱が途切れる。神殿の奥には、聖なる遺物が安置されるもの。俺は、それに近づいた。

 胸が苦しくなる。申し訳がない。妹に許してもらいたいとは思わない。

 それは、差し渡し二メートルほどの白い卵のようなものだった。卵のようだが、棺に他ならない。妹の棺だ。この中でオリジナルの妹が眠っている。周囲に複数のディスプレイが設置され、妹の生命を管理している。

 その上に据え付けられているのは、人間の精神を転写して、翻訳して、機械の体に移植するために考案された機械だった。世界で初めて人体に応用された、マン・マシン・インターフェース。

 人間の根源に迫る可能性を持つ、この世で最も高次といえよう、その機械。それは作り主も死に、操る者もなく沈黙している。

 俺は棺の前に立った。それを見下ろし、そして数々の柱の並ぶラボを見渡した。

 無音の空間で、異形の機械と動かない妹たちに囲まれている。全て、俺が作ることを命じた存在だ。自分の行為に対する意味など考えたくなる。

 言うなれば、告解だ。

 妹に語りかけることで罪を濯ぎたい。罪を否定しても仕方がない。俺は失敗したのだから。

 俺は崩れ落ちるように膝をつく。

「おまえの存在が、どれほど俺を癒やしてくれたか……」

 妹の棺に囁きかける。

 この中に、妹の肉体が安置されている。

 その脳波は平坦で、自力で生命維持は不可能だ。それでも、俺の妹は、ここに、いる。

 妹が元気に生きることが出来るように、あらゆる事を試した。兄として当然のことだ。

 俺と同じ境遇にいない人間のノイズなど、まったく気にならなかった。

 俺はテクノロジーが、俺を神のレベルにまで持ち上げてくれることを期待した。

 ……俺は望みすぎたというのだろうか。

 テクノロジーという解決策が示された以上、その誘惑はあまりに強く、退けることは出来なかった。もともと科学技術など人を殺すために発達してきたものだ。それを妹のために用いる。まるで、新たな命を与えるように。どこにやましいことがあるだろう。

 それなのに、このザマだ。何がいけなかったというのだろうか。妹の心をデジタルに歪曲して、機械に入れようというコンセプトそのものか。

 いつか聞いた他人の声が頭の中でこだまする。精神を移入させることの、技術的限界など聞きたくはなかった。それに付きまとう倫理と、不理解の壁なども。

 人間は罪深い生き物だ。なぜこの期に及んで、偽善者ぶらねばならないというのだろう。間違っている。

 だが、結果を見れば、俺のやったことが、どの程度の正当性を持つかは明白だった。世界には、あきらめて、妹を失う運命に従うことを期待されていた。大人しい羊こそが求められていた。

 俺は逸脱していたのだ。

「俺はおまえのために、ボディを作らせて……おまえを棺桶から自由にしようと思った……それなのに……その妹はフランケンシュタインになってしまった」

 棺に呟く。嗚咽が漏れそうだった。

「いいえ……」

 背後から声がかけられた。妹を装う、歪んだ機械音声。

「ちがうわ……お兄様。フランケンシュタインはお兄様よ。私は、その怪物……」

 ミンのラボの入り口に、その邪悪な姿があった。猫背になっているため、老婆の垂れ下がった乳房のように、バルカン砲が床を向いている。

 俺は床に置いたライフルに手を伸ばしつつ、敵を睨む。恐ろしい敵だ。だが、目をそらすことは許されない。

「化け物め。地獄に落ちろ」

「お兄様と一緒なら……喜んで」

 会話はそれまでだった。

 敵は身をかがめ、獣のように四つ足で突進してくる。

 だが、俺の銃撃も伊達ではない。こちらに生き延びようという打算はない。怪物の手を妹に触れさせたくない、その強烈な意思が俺を急き立て、動かしている。

 俺の攻撃に、さすがの怪物も突進を止められる。敵が止まるのを見るや、俺は勢いづく。立ち上がって、敵の急所めがけて撃ちまくる。

 敵は跳躍すると、柱に飛びつく。

 俺はライフルを持ち上げ、引き金を引く。柱が粉々になる。その中に納められていた妹のボディも粉砕した。

 怪物は蜘蛛のように別の柱へ飛び移る。

 天井の電灯が砕けて、ガラスが雨のように降り注いでくる。俺は微動だにせず、断続的に引き金を絞った。

 だが、敵は早い。昆虫を思わせる早さで消える。追随できない。

 俺は舌打ちすると、駆けだした。敵の反撃が来る。バルカン砲の唸り。傍らの柱の陰に飛び込み、さらに駆けた。

 妹の棺が銃火に曝されないよう、敵の火力を誘引する。敵はしつこく攻撃してくる。

 盾にしている柱が悲鳴を上げた。高額な機器が見る間にえぐられていく。俺も、柱からライフルだけ突きだして、撃ちまくった。

 あまりの銃声に、耳がほとんど麻痺している。それでも、ライフルがアラート音を鳴らしているのが分かった。銃身が過熱して、耐容限界に来ているのだ。無論、交換用の銃身など持っていない。銃身が破裂しないことを祈りながら、真っ赤になった銃で撃ち続けるしかない。俺はそうした。

 俺が作らせたラボは、急激に廃墟の様相を強めていく。

 戦闘補助システムがないため、敵の位置を割り出すことが出来ない。自分の勘を信じて、撃つしかなかった。

 怪物といえども、不死身ではないはずだ。所詮は人に作られたもの。いつかは止まるに違いない。

 しかし、そうとは信じられないほど、敵の攻撃は激しい。奴は、本当の怪物なのか。

 俺は位置を変えて、ライフルを撃った。しかし、怪物はすぐさま反応して、圧倒的な火力で応じてくる。出し抜けに、静寂が戻った。俺と怪物が、同時に移動してポジションを変えたのだ。銃声が途絶えて、沈黙に耳が痛む。

 俺の心に浮かぶ疑問に答えるかのように、怪物が喋った。

「私は……身も心も化け物になってしまった」

 敵は言葉を切る。そして、断言した。

「でも、お兄様への愛は本物よ」

 黙れ! 俺は声めがけてライフルを撃つ。

 たちまち、猛烈な反撃が来た。敵はこちらの位置を把握している。そして、敵のポジショニングは完璧だ。俺は釘付けにされた。

 盾にしている柱がえぐられ、貫通した弾が身を掠める。苦しい展開だ。分が悪すぎる。

 俺は可能な限り身を縮ませるしかない。

 右手に妹の棺が見える。彼女のためにも、ここで踏ん張るしかない。だが、敵はあまりに怪物的だ。

 ふと思う。

 あの棺にライフルを突きつけたら、怪物はどうするのだろう。奴は、本当に妹を殺せるのだろうか?

 ミンを殺すのとは、わけが違う。自分自身を殺すことだ。

 それを乗り越えることのできる存在が、この世にいるのだろうか?

 勿論、俺には妹の棺へ銃を向けることなど出来ない。駆け引きのためだとしても、論外だった。俺の根底にある、行動原理が許さない。


 怪物の銃撃が止んでいることに気づいた。硝煙がもうもうと立ちこめる中、怪物の声が響く。

「お兄様、もうおしまいよ。お兄様は私に勝てない。私の愛を受けるしかないのよ。抵抗はやめて」

「例え、おまえが俺を殺しても、おまえの愛など俺には絶対届かないぞ!」

 俺は怒鳴り返した。

「おまえは、機械化された怪物だ!」

「機械化された私の愛は絶対不変なのよ」

「俺の全ては妹のものだ! おまえにやるものなんか、何もない!」

「そんな幻……砕いてやる」

 俺は息を止めて、怪物からの銃撃を待った。

 だが、何も来ない。

 なぜ撃ってこない? 俺は状況を確認する。

 怪物は柱の陰から歩み出て、卵へ向かっていた。まるで、俺のことを失念したかのような行動だ。思わず固まる俺に、怪物が言い放つ。

「お兄様の目の前でその幻想を破壊してさしあげるわ。私がどれほど本気なのか見て頂戴」

 自己保存本能のある生物には真似できない大胆さだ。自殺的とさえ言える。敵は妹を殺せるのだ。

「させるか!」

 俺は引き金を引く力を強める。

 俺の銃撃をモロに受けて、怪物の全身で火花が散る。しかし、それでも怪物は棺へと近づいていく。憑かれたように棺を目指す。その手で妹を引き裂くつもりだ。

 伏射を続けていられず、俺は立ち上がり、怪物に迫る。

 嵐に翻弄される案山子だ。 

 事実、嵐だった。鉛弾の嵐だ。

 怪物の片方の胸のバルカン砲に火力を集中させる。それが炸裂して、細い銃身が折れて燃えた。

 上半身に大穴が空いてなお、怪物は歩みを止めない。

「痛みなど……ないわ」

「うおおっ!」

 俺は吠える。銃が熱い。アラート音のみならず、金属が膨張する音が銃の中からする。

 俺は歩きながら吠える。最後のマガジンを銃に装填した。

 怪物の体中で火花が散る。限界に達した装甲が屈服して、弾痕を作る。

 緩圧限界に至った関節が外れる。

 跳弾が俺の体に食い込むのを感じた。

 目をそらす暇はなかった。

 俺は引き金を引く。俺の全てを叩き込む。

 怪物の顔が半分抉れて、内部の機構がむき出しになった。

 敵の中枢システムは壊滅したはずだ。

 しかし怪物はまた一歩、歩みを進めて、棺の前に立った。

 怪物が棺を睨む。バルカン砲が回る。

「妹から離れろぉおおお!」

 俺は弾を叩き込む。敵の骨盤を狙う。怪物の下半身で爆発が生じる。オレンジ色の炎が膨らみ、バルカン砲は回転をやめた。

 俺の銃弾は怪物の給弾システムを撃破した。

 怪物の足ががくがくと震え、ついにはボキリと折れる。

 俺は距離五メートルも離れていない至近銃撃を続ける。ハンマーで乱打されるように、怪物はのたうち、後退していく。

 体中で小爆発を起こしながら、怪物は崩れていく。もう一方の足も折れとんだ。

 俺は存分に銃弾を撃ち込み、そして引き金から手を離した。

 銃が熱くて、持っていられない。

 怪物は弾痕で蜂の巣と化した床の上、ぴくりとも動かなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ