CITADEL
ミンのセクションに入っていく。内装は以前ここに足を踏み入れたときとは、大胆に変えられていた。
そこら中に竹が植えてある。ミルクのように白い霧が立ちこめていた。
自分が高層ビルの中にいるのか、竹林に迷い込んだのか分からなくなる。
ここの空気はおかしい。首筋にぞっと寒気を感じながら俺は進み続けた。
あまりに静かだった。
「ミン、いるか?」
俺の声はしわがれ、誰のものとも分からない。白い霧の中へ消えて、反響もしなかった。
用心深くライフルを構えてなおも進む。
東屋が霧の中から現れる。ミンの寝床に違いない。
「おい、ミン」
ライフルで東屋の戸口の簾をのけながら、俺は呼びかけた。薄暗い室内に目が慣れるのに一瞬要する。
椅子に腰掛けたミンを見て、俺はほっと息をついた。
ミンは相変わらず、人を食ったにやにや笑いを浮かべながら、目を閉じている。
俺はミンに近づきかけ、
「くそっ」
俺は素早くライフルを構えて、360°巡らせた。
ミンの顔はこちらを向いているが、正座した奴の両足は部屋の反対側を向いていた。
首はあり得ない方向にひねられている。
千年生きると豪語した男を殺すのに、妹の形をした怪物は、銃弾すら用いなかった。
椅子を蹴飛ばすと、ミンの死体がぐにゃりと床に沈んだ。死後硬直は始まっていない。
俺は引き金に指をかけたまま、隣室に飛び込んだ。
ミンの部下や護衛が三人、やはり死体となって折り重なっていた。
テーブルの上の茶は、まだ湯気を立てている。こいつらが死んでからまだ五分も経っていないだろう。
「どこにいやがる!?」
声を出すのは愚かだと分かっていたが、叫ばずにはいられない。
怪物め……どこだ。どこから、その病んだ視線を俺に注いでいる?
ミンの部屋に戻る。
右手でライフルを構えながら、ミンの死体を引きずる。妹の命を担っていた男の死体は、驚くほど軽い。
部屋の奥にかけてある立派な水墨画に近寄ると、それを引き裂いて床に捨てる。水墨画の裏に現れた、秘密のセンサーにミンの掌をかざした。
部屋の中央で、床が音もなく窪む。秘密の階段が現れた。俺はそれをゆっくりと下りていった。
ミンは死んだ。怪物は自らを生んだミンを殺した。怪物は生みの親を殺すという、道義的な問題など歯牙にもかけずに彼らを抹殺した。俺も殺そうと息を潜めている。
恐るべき敵だ。ミンの死により、プロジェクトを初めからやり直す望みも潰えた。だが、それは最も気にかけるべき問題ではない。
妹は無事か。
怪物化したコピーではない。オリジナルの妹は無事なのか。
大切なのはそこだ。
階段を下りきり、開けた空間に出た。竹林の下に隠された広大なスペースだった。
青白い光に照らされるのは、むき出しの金属で作られたパネルやケーブルだ。等間隔に置かれた柱がずっと先まで続く。
さながら、機械でできた神殿を思わせる場所だ。世間的な観点からすれば禁忌の場所であるだろうが、俺にとっては神聖な空間。
俺は、ミンの秘密のラボを進んでいった。
警戒を解かずに、傍らの柱に目をやる。柱の一部は中空になっていて、そこはガラスで覆われている。
一糸纏わぬ妹の姿が柱の内部にある。俺は目を伏せ、足を進める。次の柱にも、まったく同じ見た目の妹が眠っていた。その次の柱にも。
全ての柱に妹の体が納められている。
ミンが現行技術の限界を突破するために、ランダムな要素を投じた妹の体を量産した。一つにボディに精神を移植させ、根付くかどうかを見る。ダメなら、別のボディを試す。
人の魂をリバースエンジニアリングするようなものだった。ひたすら失敗し、目覚めることのない妹のボディが増えていった。
目を閉じているものもあれば、ガラス玉じみた瞳を宙に向けているものもある。
柱の一本一本が、妹のボディのメンテナンスを行い、モニターし、不安定な構造を維持するシステムだった。
無数の妹の体。スイッチを入れなければ動かない。精神が根付かなければ、物言わない人形でしかない。
柱の列を見上げ、空しい気持ちになる。
何の音もない。妹の数あるボディは、呼吸をしないし、瞬きもしない。
一つだけ、空の柱があった。ここから怪物が放たれたのだ。妹の姿をしていながら、それは道理をわきまえず、死をふり撒いている。
ようやく柱が途切れる。神殿の奥には、聖なる遺物が安置されるもの。俺は、それに近づいた。
胸が苦しくなる。申し訳がない。妹に許してもらいたいとは思わない。
それは、差し渡し二メートルほどの白い卵のようなものだった。卵のようだが、棺に他ならない。妹の棺だ。この中でオリジナルの妹が眠っている。周囲に複数のディスプレイが設置され、妹の生命を管理している。
その上に据え付けられているのは、人間の精神を転写して、翻訳して、機械の体に移植するために考案された機械だった。世界で初めて人体に応用された、マン・マシン・インターフェース。
人間の根源に迫る可能性を持つ、この世で最も高次といえよう、その機械。それは作り主も死に、操る者もなく沈黙している。
俺は棺の前に立った。それを見下ろし、そして数々の柱の並ぶラボを見渡した。
無音の空間で、異形の機械と動かない妹たちに囲まれている。全て、俺が作ることを命じた存在だ。自分の行為に対する意味など考えたくなる。
言うなれば、告解だ。
妹に語りかけることで罪を濯ぎたい。罪を否定しても仕方がない。俺は失敗したのだから。
俺は崩れ落ちるように膝をつく。
「おまえの存在が、どれほど俺を癒やしてくれたか……」
妹の棺に囁きかける。
この中に、妹の肉体が安置されている。
その脳波は平坦で、自力で生命維持は不可能だ。それでも、俺の妹は、ここに、いる。
妹が元気に生きることが出来るように、あらゆる事を試した。兄として当然のことだ。
俺と同じ境遇にいない人間のノイズなど、まったく気にならなかった。
俺はテクノロジーが、俺を神のレベルにまで持ち上げてくれることを期待した。
……俺は望みすぎたというのだろうか。
テクノロジーという解決策が示された以上、その誘惑はあまりに強く、退けることは出来なかった。もともと科学技術など人を殺すために発達してきたものだ。それを妹のために用いる。まるで、新たな命を与えるように。どこにやましいことがあるだろう。
それなのに、このザマだ。何がいけなかったというのだろうか。妹の心をデジタルに歪曲して、機械に入れようというコンセプトそのものか。
いつか聞いた他人の声が頭の中でこだまする。精神を移入させることの、技術的限界など聞きたくはなかった。それに付きまとう倫理と、不理解の壁なども。
人間は罪深い生き物だ。なぜこの期に及んで、偽善者ぶらねばならないというのだろう。間違っている。
だが、結果を見れば、俺のやったことが、どの程度の正当性を持つかは明白だった。世界には、あきらめて、妹を失う運命に従うことを期待されていた。大人しい羊こそが求められていた。
俺は逸脱していたのだ。
「俺はおまえのために、ボディを作らせて……おまえを棺桶から自由にしようと思った……それなのに……その妹はフランケンシュタインになってしまった」
棺に呟く。嗚咽が漏れそうだった。
「いいえ……」
背後から声がかけられた。妹を装う、歪んだ機械音声。
「ちがうわ……お兄様。フランケンシュタインはお兄様よ。私は、その怪物……」
ミンのラボの入り口に、その邪悪な姿があった。猫背になっているため、老婆の垂れ下がった乳房のように、バルカン砲が床を向いている。
俺は床に置いたライフルに手を伸ばしつつ、敵を睨む。恐ろしい敵だ。だが、目をそらすことは許されない。
「化け物め。地獄に落ちろ」
「お兄様と一緒なら……喜んで」
会話はそれまでだった。
敵は身をかがめ、獣のように四つ足で突進してくる。
だが、俺の銃撃も伊達ではない。こちらに生き延びようという打算はない。怪物の手を妹に触れさせたくない、その強烈な意思が俺を急き立て、動かしている。
俺の攻撃に、さすがの怪物も突進を止められる。敵が止まるのを見るや、俺は勢いづく。立ち上がって、敵の急所めがけて撃ちまくる。
敵は跳躍すると、柱に飛びつく。
俺はライフルを持ち上げ、引き金を引く。柱が粉々になる。その中に納められていた妹のボディも粉砕した。
怪物は蜘蛛のように別の柱へ飛び移る。
天井の電灯が砕けて、ガラスが雨のように降り注いでくる。俺は微動だにせず、断続的に引き金を絞った。
だが、敵は早い。昆虫を思わせる早さで消える。追随できない。
俺は舌打ちすると、駆けだした。敵の反撃が来る。バルカン砲の唸り。傍らの柱の陰に飛び込み、さらに駆けた。
妹の棺が銃火に曝されないよう、敵の火力を誘引する。敵はしつこく攻撃してくる。
盾にしている柱が悲鳴を上げた。高額な機器が見る間にえぐられていく。俺も、柱からライフルだけ突きだして、撃ちまくった。
あまりの銃声に、耳がほとんど麻痺している。それでも、ライフルがアラート音を鳴らしているのが分かった。銃身が過熱して、耐容限界に来ているのだ。無論、交換用の銃身など持っていない。銃身が破裂しないことを祈りながら、真っ赤になった銃で撃ち続けるしかない。俺はそうした。
俺が作らせたラボは、急激に廃墟の様相を強めていく。
戦闘補助システムがないため、敵の位置を割り出すことが出来ない。自分の勘を信じて、撃つしかなかった。
怪物といえども、不死身ではないはずだ。所詮は人に作られたもの。いつかは止まるに違いない。
しかし、そうとは信じられないほど、敵の攻撃は激しい。奴は、本当の怪物なのか。
俺は位置を変えて、ライフルを撃った。しかし、怪物はすぐさま反応して、圧倒的な火力で応じてくる。出し抜けに、静寂が戻った。俺と怪物が、同時に移動してポジションを変えたのだ。銃声が途絶えて、沈黙に耳が痛む。
俺の心に浮かぶ疑問に答えるかのように、怪物が喋った。
「私は……身も心も化け物になってしまった」
敵は言葉を切る。そして、断言した。
「でも、お兄様への愛は本物よ」
黙れ! 俺は声めがけてライフルを撃つ。
たちまち、猛烈な反撃が来た。敵はこちらの位置を把握している。そして、敵のポジショニングは完璧だ。俺は釘付けにされた。
盾にしている柱がえぐられ、貫通した弾が身を掠める。苦しい展開だ。分が悪すぎる。
俺は可能な限り身を縮ませるしかない。
右手に妹の棺が見える。彼女のためにも、ここで踏ん張るしかない。だが、敵はあまりに怪物的だ。
ふと思う。
あの棺にライフルを突きつけたら、怪物はどうするのだろう。奴は、本当に妹を殺せるのだろうか?
ミンを殺すのとは、わけが違う。自分自身を殺すことだ。
それを乗り越えることのできる存在が、この世にいるのだろうか?
勿論、俺には妹の棺へ銃を向けることなど出来ない。駆け引きのためだとしても、論外だった。俺の根底にある、行動原理が許さない。
怪物の銃撃が止んでいることに気づいた。硝煙がもうもうと立ちこめる中、怪物の声が響く。
「お兄様、もうおしまいよ。お兄様は私に勝てない。私の愛を受けるしかないのよ。抵抗はやめて」
「例え、おまえが俺を殺しても、おまえの愛など俺には絶対届かないぞ!」
俺は怒鳴り返した。
「おまえは、機械化された怪物だ!」
「機械化された私の愛は絶対不変なのよ」
「俺の全ては妹のものだ! おまえにやるものなんか、何もない!」
「そんな幻……砕いてやる」
俺は息を止めて、怪物からの銃撃を待った。
だが、何も来ない。
なぜ撃ってこない? 俺は状況を確認する。
怪物は柱の陰から歩み出て、卵へ向かっていた。まるで、俺のことを失念したかのような行動だ。思わず固まる俺に、怪物が言い放つ。
「お兄様の目の前でその幻想を破壊してさしあげるわ。私がどれほど本気なのか見て頂戴」
自己保存本能のある生物には真似できない大胆さだ。自殺的とさえ言える。敵は妹を殺せるのだ。
「させるか!」
俺は引き金を引く力を強める。
俺の銃撃をモロに受けて、怪物の全身で火花が散る。しかし、それでも怪物は棺へと近づいていく。憑かれたように棺を目指す。その手で妹を引き裂くつもりだ。
伏射を続けていられず、俺は立ち上がり、怪物に迫る。
嵐に翻弄される案山子だ。
事実、嵐だった。鉛弾の嵐だ。
怪物の片方の胸のバルカン砲に火力を集中させる。それが炸裂して、細い銃身が折れて燃えた。
上半身に大穴が空いてなお、怪物は歩みを止めない。
「痛みなど……ないわ」
「うおおっ!」
俺は吠える。銃が熱い。アラート音のみならず、金属が膨張する音が銃の中からする。
俺は歩きながら吠える。最後のマガジンを銃に装填した。
怪物の体中で火花が散る。限界に達した装甲が屈服して、弾痕を作る。
緩圧限界に至った関節が外れる。
跳弾が俺の体に食い込むのを感じた。
目をそらす暇はなかった。
俺は引き金を引く。俺の全てを叩き込む。
怪物の顔が半分抉れて、内部の機構がむき出しになった。
敵の中枢システムは壊滅したはずだ。
しかし怪物はまた一歩、歩みを進めて、棺の前に立った。
怪物が棺を睨む。バルカン砲が回る。
「妹から離れろぉおおお!」
俺は弾を叩き込む。敵の骨盤を狙う。怪物の下半身で爆発が生じる。オレンジ色の炎が膨らみ、バルカン砲は回転をやめた。
俺の銃弾は怪物の給弾システムを撃破した。
怪物の足ががくがくと震え、ついにはボキリと折れる。
俺は距離五メートルも離れていない至近銃撃を続ける。ハンマーで乱打されるように、怪物はのたうち、後退していく。
体中で小爆発を起こしながら、怪物は崩れていく。もう一方の足も折れとんだ。
俺は存分に銃弾を撃ち込み、そして引き金から手を離した。
銃が熱くて、持っていられない。
怪物は弾痕で蜂の巣と化した床の上、ぴくりとも動かなかった。