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近未来

私たちの価値 (下) 母なる名の元に

作者: 薙月 桜華

   私たちの価値 (下) 母なる名の元に

             薙月 桜華


 春香はぽっかりと空いた心が塞がらなかった。容易には塞がらない空白。何故出来たかの理由もわかるし解決方法もわかる。しかし、それを行うことはできない。

「おい、もうレイは居ないんだぞ。」

 春香は良く夫に怒られる。料理を作ると無意識にレイの分まで作ってしまうのだ。彼が死んだわけではない。どこかで生きているだろう。ただ、この世界には居ないだけ。

 誰も手をつけない料理を毎回作り、下げる。習慣化したものを簡単には変えられなかった。

「私があの子にすべてを話したから。こんな事になってしまったのね。」

 ある時、春香はお茶を飲みながら夫と話していた。レイが居なくなってから夫と話すことが増えた。他に家族が居ないから当然だろう。

「もう起きた事は仕方ない。あいつも自分の意思で出ていったんだ。何時かは分からないが戻ってくるだろう。」

 何時帰ってくるかも、本当に帰ってくるかも分からない。昔便りの無い事は良いことだと言う人も居たが、やはり心配になってくる。少しでも紛らわせようと夫と話した。

 春香は、ある日の昼間、しばらく触れていなかったレイの部屋のドアに触れる。ゆっくりと開ければあの時と同じ匂い。あれから何も変わっていないのだ。

「部屋が広く感じる。もう一人作っておけば良かったかも。」

 息子の居ない部屋は、あの日から何も変わっていない。そこに或るはずのものが無い事が、春香にとっては寂しかった。まるで時が止まったようなそんな気がした。



 レイが出て行ってから一ヶ月、また一ヶ月と時が過ぎていく。一年が過ぎようとしたある日、近所のおじさんが慌てた様子で訪ねてきた。

「おまえさんのとこのレイ君だっけか。戻ってきてるぞ。早く行ってみな。」

 春香は家事を切り上げて、おじさんの後を追った。そこは、あの日レイが出ていった場所と同じ。あの時と同じように世界に亀裂があり、その前にレイが立っていた。近所の人たちに囲まれている。

「レイ、何時戻ってきたの。」

 春香が急いで駆け寄る。近所の人たちは彼女に道を譲るため二分した。

「何時って言われると、今って言うしか無いかな。」

「便りは。何時帰ってくるか言いなさいよ。それと、……。」

 春香は今考えられる言いたいことを順に並べていった。止めようと思っても止まらなかった。封が切られたんだ。

 そんな春香とレイの間に入って制止する近所の人たち。

「まぁ、落ち着いて。帰ってきたんだから家でゆっくりこれまでの事を話せばいいじゃないか。」

 春香を呼びに来たおじさんがそう告げると、近所の人たちはそれぞれの生活に戻っていく。

「お帰りなさい。家に帰りましょう。」

 春香はそれだけ言う事にして、レイを連れて家に戻ろうとした。

「ちょっと待って。彼らも一緒に連れて行っていいかな。」

「彼らって……。」

 春香が振り返るとレイの背後には五つの異様な物体。明らかに同じ生物には見えない。

「おっ、お友達は五人かしら。良いわよいらっしゃい。」

 春香は驚きを押し込めて、歩き出す。すると背後からレイの声が聞こえた。

「正確には僕を除いて八体だよ母さん。残りはこの中に一体。」

 春香が再度振り向けばレイを除いて七体に増えていた。今までどこに居たのだ。最後の一体は彼女があげたペンダントの中だそうだ。信じられない。

「お母様。信じなくても構いませんが私はここに居ますので。」

 ペンダントの中から少女の声が聞こえる。春香をしっかり認識しているようだ。急に足元がおぼつかなくなった。何がなんだか分からない。彼女が渡したペンダントにそんな女の子は入っていなかったはずだ。いや、その前にどうやって入っているのだ。

 いや、ここで考えすぎても良くない。一度家に返って落ち着いてから整理しよう。

「じゃあ、みんないらっしゃい。」

 家への道を歩く中、背後からレイたちの会話が聞こえる。聞き取れたのはごく一部で「マザー」が何とかと言っていた。

 八体も居るとなると家に入るのかと考えてしまったが、そんな心配は無かった。レイの話では、レイ以外伸縮自在だそうだ。八体は土足で入ってきたが、そもそも足が無く浮いているようなので汚れる心配はない。

 ソファーに八体とレイを座らせると、習慣的にお茶とお菓子をテーブルに出していた。

「ど、どうぞ。つまらないものですが。」

 出してから気がついたが、そもそもお茶やお菓子を食べる所が八体にあるのかどうか謎だ。八体すべてが春香たちとは全く違う。

「母さんも驚いただろう。みんな外の世界で出会った仲間だよ。順番に自己紹介しようか。出会った順番とかで。」

 春香はレイの隣に腰を下ろす。とにかく彼らが何なのかはっきりさせないことには受け入れられない。

「それじゃあ、自己紹介スタート。あ、最初に僕の能力について説明してからね。」

 レイは自分の能力について説明を始めた。能力と言うとわかりづらいが、世界にヒビを入れた事がレイ自身の力らしい。具体的にはある情報を使って別の何かを創りだす能力。情報というのはこの際物質と考えれば良くて、すべての物体は情報の塊と置き換えられるらしい。例えば、土から石を創りだすとからしい。意味も分からず信じがたいが、実際にこの力で外の世界に行って戻ってきたので納得するしかない。

 春香ははっとして他の八体を見た。みんなレイのような力を持っているということだろうか。

「じゃあ、ブランシェからどうぞ。」

 最初はペンダントの中に居る少女。名前はブランシェと言うそうだ。このペンダントの中に居る理由も何時からそうなのかも分からないらしい。能力は、物体の時間的操作が出来るらしい。例えば、木なら過去未来への成長が自在で、木が存在しない時点まで巻き戻すと真っ白い物体になるらしい。本来使われるべき情報が使われないまま存在する状態。

「それを僕が有効な物体に創り変える事が出来るわけ。」

 レイが再度説明してくれた。ブランシェという女の子がある物体を時間操作で、存在しない地点まで戻したとしよう。すると、物体を構成している情報自体は過去には存在しないから真っ白い何も無い情報になる。その情報は何にでも無いからレイが自由に作り替えて物を作り出せるそうだ。

「例えば、これで試してみよう。」

 レイが台所から野菜くずを持ってくる。あれは捨てようとまとめておいたものだ。わざわざそれにしなくても。

「ブランシェ、頼む。」

 ブランシェの返事とほぼ同時に、野菜くずは真っ白い物体に変化した。

「じゃあ、これを何か別の食物に。母さん、何か要望はある。」

 特に無いと言うと、レイは少し考えると両手で白い物体を包んだ。再び手を開いた時、中にはじゃがいもが現れた。

 じゃがいもが創られた。いや、こんな事あっていいのか。これがあったらその辺の土から食べ物が出来上がってしまう。しかし、レイの話ではその辺りは食べられるものからしか、食べられるものは作れないらしい。質量保存の法則というものを昔どこかで知ったが、そういったルールの元に成り立っているそうだ。レイ自身外の世界にいる間に自分の力について理解したそうだ。

 ブランシェの紹介が終わり、次はヴェニスらしい。名前を呼ばれて返事をしているが春香からは見えない。声だけが聞こえる。

「ここですよ。ここ。」

 春香は声の聞こえてくる場所を理解してぎょっとした。先ほど出した飲み物からだ。

「ヴェニスっていうのは僕がつけたんだけど、ようは水みたいな液体状なんだよ彼は。」

 ヴェニスというネーミングセンスは気にしない事にして、彼の能力は液体なら何処へでも入っていけるそうだ。彼が入った液体は触れると危険らしい。ヴェニス自身が言うのだから危険なのだろう。彼自身は単体でも居られるらしく、テーブルの上に透明の芋虫みたいな形で現れた。春香が試しにそれを光にかざしてみると反対側が見えるので本当に不思議だ。

「ヴェニスとはある世界の湖で出会った。最初会った時は殺されそうになったけどね。」

 レイが冗談のように言った言葉は春香にとっては衝撃で、すぐさまヴェニスに何なのか問い詰めようとした。

「あれはレイが勝手に侵入してきたからですよ。そもそも、私は……。」

「お互い侵入者同士だったんだからそれでいいだろう。」

 レイはヴェニスとの話を切り上げて次の紹介に移った。春香自身よく理解できていないが、質問するタイミングを逃してしまう。

 次はソリキッドに移る。何かが引っ付く音がしたと思ったらテーブルに半透明の四角い固体が現れた。これがソリキッドなのだろうか。

「彼がソリキッド。液体でも固体でもないやつさ。」

 レイが試しに触ってみると表面が波立つ。

「マザーにお会いできて嬉しいです。レイに付いてきて良かった。」

 ソリキッドはそれだけ言うと元の位置に戻っていく。レイが言うには、元々は形を変化させながら世界を行き来するレイみたいな存在だったらしい。それと、確か今「マザー」って言ったような。家に来る途中にも聞こえたけど何なんだろう。しかし、それを問う前に、次の紹介に移っていた。

 その後も続いたが正直名前ぐらいしか覚えていない。ブランシェ、ヴェニス、ソリキッド、ベリーナ、インフェルノ、ネビュラ、デスフェリア、タニス。ブランシェが紅一点といったところか。

 名前はわかっても、よく分からないのは彼らが何故レイと一緒に居るのか。何故ここに来たのかだ。そのことを恐る恐る話題にすると、ネビュラが応えた。

「レイの力と決意に魅せられたと言えば良いか。こいつと一緒なら世界を変えられると思ってね。そして、そのマザーの存在だ。」

 ネビュラは緑色の円盤で目らしきものは見当たらないが、確かに春香を見ていた。そんな気がした。

「そうだ。その通りだ。」

 いつの間にかその場の全員が納得している。レイの決意。それはやはりこの世界を出る前に春香に言った事だろうか。その言葉を必死に思い出してみる。

『母さんの望む世界に連れて行ってあげる。』

 レイは確かそう言っていた。それに同調したということか。しかし、「マザー」とは何なのか。母なるものだとは思う。

「マザーとはお母様の事ですよ。」

 春香はブランシェに言われて、はっとした。周りを見ればみんなこっちを見ている。彼女がマザーなのか。

「レイの決意の根幹にはお母様の決意があります。」

 春香の決意。それはやはりあれなのだろうか。それは一つしか無かった。

「神への宣戦布告なのね。」

 確かに春香は言った。そうしようと思った。だけど、今の生活を壊したくないから押さえ込んだのだ。結局、反動はレイに受け継がれたんだ。

 春香は独りでに笑い出す。何時かはこうなると決まっていたんだ。無理して押し込めた分、噴出す勢いは凄まじい。

「そうね。私がやらなくても誰かがやるべきだったのね。」

「私たちは気が付かないうちに神に利用されてきました。神のほんの小さな自由を得るために。」

 ブランシェの言葉に春香も心当たりがある。彼女も昔神に利用された。いや、今も利用されているのかもしれない。

「レイと出会って、自分たちの自由を得なければ行けないって思ったんです。だから……。」

 そこで、ブランシェの言葉にレイが割り込む。

「だから僕らは宣戦布告する。僕らが、母さんが望んだ世界を手に入れるために。」

「マザーも神に勝って、新しい神になれば良いと思うよ。」

 今の神に取って代わる神になる。春香は考えても答えの出ない問題を無理に解こうとしていた。

「そんな力私にはないわよ。第一今の生活をこれ以上壊したくない。」

 レイの生活を変えた春香が言える言葉じゃない。しかし、これ以上壊すことは出来ないんだ。

「レイを広い世界に解き放っただけでも、十分力があるよ。」

 春香に世界が変えられるだろうか。あの時の想いを思い出し、心が揺らぐ。

「マザーはただ私たちを統べればよいのです。」

 話はそこで切り上げた。あとはレイの部屋に居るらしい。泊まるならとレイに相談したら、彼らは眠らなくても大丈夫らしい。伸縮自在の体を合わせればレイの部屋にすべて収まるだろうとのことだ。無理だったら春香に言うようにと言ってみんなレイの部屋に行ってしまった。

 残されたのは全く手が付けられなかった飲み物と茶菓子。

 春香はそれを眺め、ため息をつく。

 父親が帰ってきたので説明すると、彼は恐る恐るレイの部屋に行く。レイが行く時に色々言った事を思い出しているのだろう。

 父親は戻ってくると椅子に腰掛けてため息をついた。

「追い返されたよ。反抗期ってやつなのかね。」

 後でレイに話すと言って、その話は終わらせた。

 夜も更け、町の灯りが消えて行く。



 春香は目覚めた。手に伝わる冷たい感触。視界に見える石で出来た部屋。あの日見た。あの日見た部屋だ。

 その時、心の奥底に押し込めた記憶が溢れ出す。幾つもの部屋で消えていく人々。意味もわからず世界に放り出されたあの日。記憶の塊に耐えられず吐き出そうとした。吐き出せばきっと楽になるはずだと。ぽたぽたと床に垂れるのは何なのかもう分からない。

「やあ、久しぶり。元気でやっていたかな。」

 春香が歯を食いしばって見上げた先に、あの男が居た。突如フラッシュバックされる男との過去。この男から、全ては始まったのだ。

「なんで今更あんたが出てきたのよ。邪魔しないって言ったでしょ。」

 春香は顔の表面を伝う液体を拭いながら言った。

「予定が変わってね。もう君たちの世界は用済みなんだよ。外からの異物も混入してるからいっそ消してしまおうと思ってね。」

「そんな勝手な事……。」

 男は春香に歩み寄り、睨みつけた。

「君たちが居る世界は私が作った世界だ。どうしようとこっちの勝手だろう。」

 春香はそれ以上言えなくなった。間近でみた男の顔はやはり彼女たちと同じで神という存在には見えなかった。

 男は立ち上がり元の位置に戻っていく。

「明日で終わりだ。最後の日なんてものは君たちには必要ない。」

 男を白い光が包んでいく。

「さあ、君も最後の日常に戻りたまえ。」

 男の声とほぼ同時に春香の視界は暗転した。



 春香は目覚めた。レイに起こされて。

「母さん大変だ。得体のしれない奴らが襲ってきやがった。」

 得体のしれないもの。なんだろう。そういえば夢の中で何かあったような。

「いや、だからそれはこの世界を一掃する奴らだと。何度も……。」

 周りにはレイの仲間が居る。状況が分からないがとにかく起きよう。時間を見れば朝七時だ。ふらふらと立ち上がった先に見えたのは何時もの日常。

「何よ。特に変りないじゃない。」

 新鮮な空気を部屋にいれようと窓を開いた。

「空気が濁っているから、そんな事考えるのよ。さあ、朝食を食べましょう。お父さん起こしてきて。」

 春香がキッチンに向かおうとした時、外で何か大きな音がした。

「なんだ騒がしいな。休みの朝だっていうのに。」

 父親が寝ぼけ眼で部屋に入ってくる。春香は挨拶もそこそこに何が起きたのかと外を見た。その時、強い力で窓から引き剥がされた。直後、爆発音とともに吹きこむ風。窓ガラスが割れる音。

 窓から遠ざけたのはレイだった。父親もレイの仲間によって助かったようだ。

「始まったみたいだな。すぐにここから離れようぜ。準備はしておいた。」

 ネビュラが大きなバッグを2つ床に落とす。

「始まったってどういう事。なんでこんなに手際が良いの。まさかあんたたちこうなると知っていたの。」

 彼らが来た次の日にこんな事が起きたのだ。疑いたくもなる。

「私たちが来ればこうなるって事は予想出来ていました。私たちを排除するために世界を一掃しようとしているんです。」

 ブランシェたちはうつむいている。レイの仲間がそもそもの原因だったのか。

「そんな。私たちの生活を壊すために来たわけ。ねえレイそうなの。」

 春香はレイに詰め寄る。何故彼らを連れてきたのだ何故こうならなければならなかったのだ。

「母さんをこの世界から解き放つためだよ。」

 レイは窓から外へ出た。振り返り春香を見る。

「母さんたちを安全な場所へ。ブランシェが連れていってやってくれ。」

 レイの投げたペンダントを受け取った。ペンダントからはブランシェの声。一緒に戦いたいと言う言葉は、外から聞こえる爆音にかき消された。

 レイの友達はみんな窓から外へ出ていってしまった。ブランシェを残して。

 外から誰かの悲鳴が聞こえてくる。夢でさえ見たことのない現実が今目の前にあるんだ。

「今は逃げるのです。ご自身のために、そして私たちのためにも。」

 春香はペンダントを付けるとバッグを持って父親と一緒に家を出て走りだす。

 周りの家々は所々白く、そこから真っ白い煙が空に昇っている。不思議な事に黒や灰色の煙は見当たらない。

「何なのあの白い煙は。」

 春香は逃げる中ブランシェ聞くが、ブランシェは何も知らないほうが良いと言うだけだ。

「そもそも安全な場所って何処だ。この世界にはもう無いんじゃないのか。」

 父親は荒い息をしながら走るのを止めた。もう、何処に逃げるんだという話だろう。春香もそう思う。何処に逃げろというのだ。

「危ない、避けて。」

 ブランシェの声に反応したときには既に遅かった。春香の間近でひどく大きな爆発音と爆風が起きる。目を開けられず地面を転がった。

「あなた。あなた大丈夫なの。」

 酷い土煙の中、周囲を見渡した。体中が痛い。傷だらけみたいだ。

「あなた、何処に居るの。」

 虚しく通りに響く声。返事は無い。もう一度言おうとした時、ブランシェに止められた。

「お母様。お父様は先程の爆発で跡形も……。」

「ちょっとそれってどういう事よ。」

 春香はペンダントに怒鳴りつけると、父親の名を何度も叫んだ。しばらく呼んでいない名前。周りの建物に隠れたんじゃないかと歩きまわる。

 ブランシェの制止を振りきって歩きまわる。何処かに居る筈だ。何処かに。

「マザー。無理はいけねぇぞ。」

 気がついたときには体を抱えられていた。見上げた先に緑色の円盤、ネビュラだ。

「待って、探さないと……。」

「マザー。諦めるんだ。あいつらが完全に消しちまったんだよ。今は安全な場所に行こう。」

 納得できず暴れる春香を連れてネビュラは移動を開始する。

 街中の大部分が白く染まっていた。まるで、絵を消しゴムで消したような。あったものが徐々に形を失っていく。

 白く染まる街並みを抜けて、たどり着いたのはレイがこの世界を去り、再び戻ってきた場所。あの時と同じ大きな亀裂があった。

「みんな先に逃げているはずだ。早くこの世界から出よう。」

 春香は振り返る。世界が真っ白く染まっていく様を見ると、彼女の記憶までも真っ白に染められていくような感覚になった。

「母さん、早くしないと危ないよ。」

 レイが春香の腕を掴んで亀裂の中に引き入れた。



 亀裂の先は薄暗く頭上には星が沢山あった。この空間にはレイたちの他に近所の人たちを含めたこの世界の人たちが沢山居る。レイたちが連れてきたのだろう。

「あれ、父さんはどうしたの。」

「消えて無くなっちゃったわよ。跡形もなくね。」

 春香の迫力に気圧されながらレイはブランシェに事情を聞く。

「そっか。父さんは死んだんだ。」

 レイは何故か嬉しそうだ。何故そこで嬉しがる。何故、父親が死んだのに嬉しそうにしているのだ。その姿に春香の心の留め金が外れてしまった。

「お母様止めてください。」

 気がついたときにはレイを何度もビンタしていた。父親がどんなにレイを心配していたかを叫びながら。近所の人たちが止めに入ることでどうにか止まる。

「ごめんなさい。そんな事気が付かなくって。ごめんなさい。」

 レイは泣き出した。ぶたれ続けた痛みか、父親の気持ちに気づいたからか。

 春香はそっとペンダントをレイに着ける。

「お父さんもここに来れば伝えられたのかもね。本当の気持を。」

 静まり返る中、春香は独りでに笑い出した。なんだろう、もう笑わないとやっていられないんだと思う。

「本当に。私たちが何をしたっていうのよね。」

 ただそれだけだった。春香たちが何をしたというのだ。彼女たちはただ生きようとしただけなのに。何故その邪魔をされなければならないのだ。

「さあマザー。既存の神に勝ち、新たな神となるのです。」

 ネビュラが頭上に光る星々を指し示した。

「ここに広がる星々はすべて今の神が創りだした世界。マザーと同じ想いを持つ者も中には居るでしょう。私たちと同じように。」

 両手では掴みきれないほどの多くの世界。これらもまた神の都合で創られた世界。神に虐げられた世界。神の玩具にされた世界。春香と同じ想いを持つ者も中には居るかも知れない。

「分かりました。神に、戦いを挑みましょう。そして……。」

 春香は無数の世界に向け、手を伸ばす。

「手に入れましょう。私たちの世界を。教えてあげましょう。本当の価値を。」

 春香は振り返った先に輝く光を握り潰した。

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