GrimReaper - impulse
「あなたの魂はおいくらですか」
背の高いスツールから足をぶらぶらさせながら、宮下清は怪訝な顔を上げた。何杯目かのグラスで酔いが回っている。霞かかった目に、深夜のバーに不似合いなスーツ姿の若い男が黙礼した。
「なんだ、何の話だ?」
若いと思ったのは気のせいだったのか。無表情な顔が三十半ば、あるいは四十代にも見えた。細い縁の眼鏡の奥に、切れ長の目が静かな色を湛えていた。
「失礼しました。私はこういうものです」
名刺を差し出された。
「あ、どうも」
頭を下げて両手で受け取った。馴染んだ行為だ。返す名刺がもうないことに気づいた。
渡された名刺は、初めて見るタイプだった。向こう側が透けて見える。プラスチックかと思ったが、薄い割にたわんでいない。名前は横書きで一行。アルファベットの単語がふたつだった。
「ぐり……」
「Grim Reaper。いわゆる、死神です」
大きなミスではなかったのだ。ちょっとした行き違いで、会社に損失を出してしまった。彼の評価は大きく下がった。そう思ったのは自分だけだったかもしれない。
会社は彼を引き留めたが、責任を取るという形を取った。退社の挨拶のとき、重役の顔が笑ったように見えた。気のせいだと思うことにした。
再就職に奔走した。運良く、高校時代の悪友に誘われ、職に就くことができた。職といっていいのかわからないような仕事だったが。
「黙って運ぶ」
「中を見るな」
それがルールだった。だが、見てしまった。
受け渡しの中継場所で、前の運び屋から引き継いだ後に、封が解かれていることに気づいた。透明のテープが切れ目に沿って巻かれていただけだったのだ。相手は、緊張した面持ちだった。そして、逃げるように去っていった。始終俯いていたから、顔はわからない。
宮下は誘惑に抗えなかった。他の人間が見たのだから、自分もちょっとくらいいいだろう。そんな考えに囚われた。
前の仕事も、それで失敗した。誘惑に弱い。つまり、まっとうな企業に勤める人間にとっては欠点だ。
テープをゆっくりと剥がし始めたとき、彼は仕事を辞めざるを得なくなった責任が、自分にあることを理解した。
重役は笑っていたのではなかった。彼の前途を杞憂し、それでも笑って送り出さずにはいられなかったのだ。
人生は自分自身が決める。
彼はまたしても無意識のうちに決めてしまった。
「ひっ」
箱が落ちた。あわてて拾おうとしたが、恐怖がその手を止める。
触れたくない。
気づくと逃げていた。あの時と同じように。
「俺に価値なんてないんだ……」
宮下は嗚咽を漏らした。
「そうですか。それではこれを」
スーツの男は紙片にペンを走らせた。
「失礼いたします」
慇懃に頭を下げられた。礼儀をわきまえた対応だった。
宮下は指の隙間から、テーブルに置かれた小切手を見た。数字が書かれていた。
0、と。
バーに数人の男たちが入ってきた。バーテンダーが宮下の席を教えた。
「宮下だな。死体損壊の疑いで逮捕する」
見なければよかった。
容器の中で小さな身体が、いつまでも叫んでいた。