5話 琥珀の眼差し
担当医による幾つかの問いかけに答え、診察が一段落した頃だった。
静かに開いた扉の向こうから、一人の少女が滑り込むように入ってきた。窓から差し込む午後の光を透かし、淡い琥珀色のセミロングがさらりと肩で揺れる。陶器のように白い肌に、潤みを帯びた大きな瞳。その透き通るような琥珀色の双眸がカズヤを捉えた瞬間、彼女の表情にぱっと安堵の光が差した。
「わぁ……良かったです。……やっと目覚められたのですね」
少女はカズヤの枕元まで歩み寄ると、その華奢な体を折って、深々と頭を下げた。
「助けていただき、本当に……ありがとうございました」
(あぁ……あの時の女の子か……。無事に逃げれたんだな……よかった。知り合いというか関係者といえば、あの時の女の子くらいだよな……)
病室の白い壁に、彼女のあまりにも浮世離れした美しさが鮮烈に際立つ。カズヤは気恥ずかしさを誤魔化すように、視線を泳がせながら声を絞り出した。
「あの状況なら助けるのが普通だろ。気にすることないって」
「いえ、『助けて!』と助けを求めましたけれど……誰も目も合わせてくれませんでした。ですから、普通ではないと思います」
少女は顔を上げ、真剣な眼差しでカズヤを見つめた。その言葉には、冷たい都会の夜に独り置き去りにされた絶望と、そこから救い上げられたことへの深い、深い感謝が込められていた。
「そう……だったのか。でも、無事に俺も助かったわけだし、気にすることは無いよ。困ったときは、お互い様だろ。お見舞い、毎日来てくれてたみたいだけど……今日が最後で良いよ。貴重な時間を奪っちゃって、逆に迷惑を掛けて悪かったよ」
これ以上、こんな綺麗な子を自分の醜い現実に繋ぎ止めておいてはいけない。そんな自虐的な思考が、無意識に拒絶の言葉を選ばせた。しかし、少女は首を横に振った。
「え、いえ……そんな訳には。命の恩人ですし……何かあれば言って頂けると嬉しいです」
彼女は面会者用の椅子を寄せると、そこへちょこんと腰を下ろした。膝の上で揃えられた細い指先。そして、向けられるのは汚れひとつない、花が綻ぶようなニコニコとした笑顔。
(可愛い美少女に見つめられても……緊張して困るんだけどな……)
これまで嘲笑や蔑みの視線しか浴びてこなかったカズヤにとって、その好意に満ちた眼差しは、どんな刃物よりも鋭く、けれど温かく胸の奥を掻き乱した。
琥珀の少女と小さな告白
向けられ続ける無垢な笑顔に、カズヤの居心地は悪くなる一方だった。
沈黙に耐えかね、包帯の下の顎を動かしてどうにか言葉を紡ぎ出す。
「あ、あの……」
「はい。なんでしょう? 喉が渇きましたか? それとも、お腹が空き……あ、でも食事の許可をいただいてからでないと……!」
カズヤの声を遮るほどの勢いで、彼女は身を乗り出してきた。心配そうに眉を寄せたり、慌てて窓の外を確認したりと、その仕草はいちいち大袈裟で、けれどどこまでも懸命で可愛らしさを感じる。
(あ、この人……もしかして、天然さんなのかな)
拍子抜けしたカズヤの肩から、少しだけ力が抜けた。
「いや、そうじゃなくて。名前を知らないから。……俺、夜月カズヤ」
「あ、そうですよね。わたしは病院の手続きで一方的にお名前を知っていたので……つい。申し訳ありません。わたしは、綾瀬レナです。レナと、お呼びください」
レナと名乗った少女は、恥ずかしそうに頬を染めながらも、もう一度丁寧に会釈をした。その仕草一つをとっても、育ちの良さが隠しきれずに滲み出ている。
「いや、綾瀬さんは……どうして夜に一人で出歩いて……」
カズヤはそこまで口にして、すぐに後悔した。自分だって他人には触れられたくない、暗い過去や事情を抱えて生きているのだ。初対面の、それも年頃の女の子に踏み込んだ質問をするのは無神経だったのではないか。
「えっと……」
レナは琥珀色の瞳を少しだけ伏せ、困ったように自分の膝の上で指を遊ばせた。
「わたし、悪い子なので……。その、習い事がどうしても嫌になってしまって……。こっそり家を抜け出したところ、あの男の人たちに声を掛けられてしまって……」
『わたし、悪い子なので』
少しだけいたずらっぽく、それでいて申し訳なさそうに添えられたその言葉が、カズヤにはあまりにも可愛らしく、そして純粋に響いた。
家出というにはあまりに慎ましやかなその「反抗」が、彼女の住む世界の清廉さを物語っている気がして、カズヤは思わずふっと微笑んでいた。




