16話 柔らかな幸福、甘い重み
(綾瀬さん……無警戒すぎるだろ。……まあ、これだけのお金持ちなんだ。きっと他にも拠点があって、滅多にこの家にはいないんだろうけど……)
カズヤはそう自分に言い聞かせ、動揺する心を無理やり鎮めようとした。しかし、この「連結された家」が、単なる療養のためだけではないことを、彼はまだ知る由もなかった。
運命の寝室
「家に入りましょうか」
レナは当然のような顔をして、カズヤの大きな手を自分の小さな手で包み込むと、新築されたばかりの邸宅の方へと引き寄せた。
「俺の家……あっち、向こう側だけど」
カズヤは自分の古い家の方を指差したが、レナは歩みを止めず、柔らかな笑みを浮かべたまま答えた。
「あちらには夜月くんがゆっくり横になれるような大きなベッドがありませんでしたから。こちらに、夜月くん専用の寝室を新しく作ってあります。今日からはこちらでお休みくださいね」
「……は、はい」
これ以上の抵抗は無意味だと悟り、カズヤは重い溜息とともに諦めた。流れるように玄関の扉が開かれ、高級ホテルのような静謐な空間へと招き入れられる。
案内された部屋の扉が開くと、そこにはカズヤのこれまでの生活からは想像もつかない、広々とした空間が広がっていた。部屋の中央には、見たこともないほど厚みのある、ふかふかのキングサイズベッドが鎮座している。
「さあ、まだ退院したばかりなのですから、無理をせずに。まずは、少し横になっていてください」
レナは甲斐甲斐しくカズヤの肩に手を添え、ゆっくりとベッドへと誘導する。シーツからは、あの病院の夜に嗅いだ、彼女と同じ甘い香りが微かに漂っていた。
(……自分の家なのに、完全に支配されてる気がする……)
カズヤは高級な寝具の感触に背中を沈めながら、天井を見上げた。隣の部屋からは、すでにキッチンで何かを準備し始めたレナの、楽しげな足音が聞こえてくる。
琥珀の休息、重なる距離
「夜月くん、休まれますか? 多少動いていたほうが治りが良いと先生も仰っていましたし、ソファーに座って寛いでいますか?」
レナがリビングの方を指差した。カズヤは促されるまま、体に吸い付くような上質な本革のソファーへと腰を下ろす。
「……良いのか? 俺なんかを家に入れちゃって」
「んふふ、入れちゃってもって……。夜月くんの家と繋がっていますけれど……」
レナは楽しそうに笑いながら、カズヤが座ったすぐ隣に、待ってましたと言わんばかりにちょこんと腰掛けた。触れ合うほどではないが、彼女の体温が伝わってきそうな距離だ。
「どうしましょうか? 映画でも見ますか? 普段はどんな映画を見られるのですか?」
レナは琥珀色の瞳をキラキラと輝かせ、質問を浴びせてくる。その距離の近さに、カズヤは思わずのけぞりそうになった。
「俺は……何でも見るよ。綾瀬さんは?」
あまりの勢いに、カズヤは慌てて答えを返す。
「わたしは、普段はあまり見る暇はないのですけれど……。可愛いアニメを見て癒されていますね」
「……暇がないって、俺なんかに構っている暇なんてないんじゃないのか? お金持ちだし、いろいろ忙しいんだろ?」
ふと、カズヤは現実的な疑問を口にした。しかし、レナは一瞬だけ視線を泳がせ、何かをごまかすように微笑んだ。
「あぁ、それ……必要なくなりましたから大丈夫です。……いえ、その……違います。習い事から逃げ出すほど……嫌だったのだと両親が理解してくれまして。習い事を全部、やめさせてもらったんです」
「綾瀬さんと両親が認めているなら良いんだけど。……後で、怖いお父さんたちが俺のところに怒鳴り込んでくることはないよな?」
カズヤが冗談めかして、けれど半分は本気で心配すると、レナは力強く頷いた。
「それは、絶対にありません。正式に許可をもらいましたから。……これからは、たっぷり夜月くんのために時間を使えますよ」
「……そ、そうか」
彼女が何を引き換えにしてこの「時間」を手に入れたのか、カズヤにはまだ計り知れなかった。ただ、アニメの話をしながら屈託なく笑う彼女の横顔を見ていると、今はただ、この静かな時間を壊したくないと願うばかりだった。
柔らかな幸福、甘い重み
並んで話をしていると、レナの体温が少しずつ、けれど確実に近づいてくるのを感じていた。カズヤが気づいたときには、二人の肩はすでに密着し、彼女の細い肩の感触がダイレクトに伝わってきた。
「あ、ごめん……近づきすぎてた」
「え、ホントですね……。でも夜月くん、柔らかくて気持ちいいです。んふふ♪」
レナは離れるどころか、さらに深くカズヤへと寄り掛かってきた。彼女の重みが、ゆっくりとカズヤの腕から脇腹へと預けられていく。
「本当はやることがいっぱいありますけれど……こうしていると、なんだかやる気が起きなくなってしまいますね」
「退院したばかりだし、色々と忙しかったからな。今日くらい休みにしたらいいと思うよ」




