11話 琥珀の食卓、温かな記憶
(……なんなんだ……この展開と、この状況は……)
暴漢に襲われ、生死を彷徨い、目が覚めたら病院のVIPルーム。そして、助けたはずの美少女が、エプロン姿を想像させるような提案を目の前でしている。
あまりにも現実離れした幸福の連続に、カズヤの脳は処理能力を超えようとしていた。
「えっと……病院の食事、出るんじゃないのか?」
「病院の食事は味が薄くて、夜月くんには物足りないかもしれません。お身体に障らない範囲で、わたしが栄養バランスを考えて作らせていただきますよ」
そう言って、彼女はすでにキッチンの冷蔵庫の中身を確認し始めている。その背中からは、誰かのために何かをすることが楽しくて仕方がない、といった純粋な喜びが溢れ出していた。
琥珀の誓いとジャガイモの約束
「……彼女の手料理と言えば肉じゃが……が定番だろうけど……。綾瀬さんは、仕方なく一緒にいてくれてるだけだし……」
自嘲気味に呟いた言葉に、レナの動きがぴたりと止まった。
「仕方なくではないですけれど……。むぅ……。肉じゃがですね、分かりました」
レナはプイッと不満そうにそっぽを向き、スマホを弄りだした。その少し尖らせた唇が、彼女なりの小さな抗議のようで、カズヤの胸をチクリと突く。
「夜月くんの好きな食べ物とか、嫌いな食べ物を知りたいですね」
「え、俺……? 好きな物か……。ジャガイモが好きかな。嫌いな物は特にないかな」
「……んふふ、すみません。……まさか、お料理名ではなくて、食材をダイレクトに言われると思っていなかったので……。えへへ、つい笑っちゃいましたぁ……」
レナは口元を片手で隠し、鈴を転がすような声で笑った。細められた琥珀色の瞳が、陽光を受けて宝石のように煌めく。
(わぁ……笑った顔、めっちゃ……可愛い)
あまりの破壊力に、カズヤは鼓動が跳ねるのを抑えることができない。
「んふふ。そうですよね、もっと夜月くんのことをいろいろと知りたいです。アレルギーは、ありませんか? 好きな献立とか、苦手な味付けとか、もっと教えてください♪」
「アレルギーも嫌いな物もないよ。……食材を言われても困るよな。でも、料理の名前って……詳しく知らないんだ。ずっとインスタント食品で生活していたし。そういえば……あの日も、インスタント食品が切れて、コンビニに弁当を買いに行く途中だったんだよな……」
ふと漏らした孤独な生活の断片。それを聞いた瞬間、レナの笑顔から悪戯っぽさが消え、代わりに深い慈しみの色が混じった。
「……すみません。……そうだったのですね。でも、これからは安心してください! わたしが作りますから。……ふっふーんっ♪」
レナは自信満々に胸を張り、少し鼻にかかったような、誇らしげな声を上げた。
「……え、あぁ……は、はい!?」
退院後も自分の食事を作ってくれるという宣言なのだろうか。それとも、この入院中の話なのだろうか。
カズヤが混乱している間に、レナはスマホで手際よく何処かへ連絡を入れ始めた。どうやら、最高級の「ジャガイモ」を含む食材が、もうすぐこの特別室へと届けられるらしい。
琥珀の食卓、温かな記憶
ピロン♪
静かな特別室に、レナのスマートフォンの通知音が小気味よく響いた。待っていましたと言わんばかりにレナが立ち上がり、部屋の重厚な扉を開ける。そこには誰かの影があったが、彼女は手早くいくつかの買い物袋を受け取ると、軽やかな足取りで戻ってきた。
「それでは、料理を始めますね」
レナは袋の中から、淡いクリーム色のエプロンを取り出した。それを身に纏う姿は、お嬢様というよりは、どこか家庭的な温かさを感じさせる。
キッチンに立ったレナの動作には、迷いがなかった。ジャガイモの皮を剥く手つきは驚くほど滑らかで、規則正しい包丁の音がトントントンと心地よく室内に反響する。食材が鍋で踊る音、出汁のふんわりと甘い香りが広がるにつれ、そこが病院の一室であることをカズヤは完全に忘れてしまっていた。
やがて、正午を告げる時計の針とともに、全ての料理がテーブルへと運ばれた。
「お待たせしました。夜月くん、食べられそうですか?」
カズヤは目の前の光景に、言葉を失った。
彩り豊かな季節のサラダ、艶やかに炊き上がった白米、湯気を立てる優しい香りのスープ。そして中央には、照りよく煮込まれた大粒の肉じゃがが、二人分、仲睦まじく並んでいる。
「……すごいな。これ、本当に綾瀬さんが作ったのか?」
「ふふ、もちろんです。さあ、冷めないうちにいただきましょう」
二人で手を合わせ、静かに「いただきます」と声を揃えた。
カズヤがおずおずと箸を伸ばし、ホクホクのジャガイモを口に運んだ。口の中で崩れる食感とともに、出汁の旨味とレナの優しさがじわりと広がっていく。
「……うまい。こんなに美味しいもの、食べたことないよ」
「本当ですか? 良かった……。夜月くんがジャガイモ好きだって言うから、少し奮発しちゃいました」
レナは自分の皿にはほとんど手をつけず、美味しそうに頬張るカズヤの姿を、琥珀色の瞳を細めて嬉しそうに見つめている。
コンビニの弁当を独りで食べていた、あの味気ない日々。けれど今、目の前には微笑む少女がいて、温かい家庭の味が体中に染み渡っていく。
カズヤは噛み締めるたびに、自分が生きていること、そして誰かに大切にされていることを、心の底から実感していた。




