【読切】「片思い」6
「お疲れさまでーす! お先でーす!」
「じゃ、家まで送るぜ、レベッカ」
「シバちゃん、ありがとう。でも、ロックホールさんって悪い人じゃないから、ちゃんと説明すれば反省して、普通のお客さんに来てくれると思うよ」
「いーや、あいつは必ずお前さんをストーキングして、夜道で襲うよ」
満月が照らすメイドレストラン《ANEGO》から帰るのは猫耳メイドのレベッカと、ボディーガードを意気込む柴犬、シバちゃんだ。
「いっぱいおカネを使ってくれるお客さんだし、結婚は冗談だと思うけど」
「冗談なわけがあるかよ、結婚指輪を買っていたんだぞ。カネで物を言わす野郎はタチがわりぃと決まってんだよ。オレの鼻がそー言ってる」
「そうかな。ちゃんと『ありがとう』と『ごめんなさい』が言える人だよ」
「それはイイ奴だな」
そのとき、「レベッカ!!!!」
「え、ロックホールさん?!」
「やっぱり出やがったな、ストーカー野郎!」
どうやら柴犬の予感が当たったようだ。店から出てきたレベッカを待っていたのは常連客、オルランド・ロックホールだ。自信満々に仁王立ち、柴犬を睨みつける。
「のこのこよく来たな。また噛まれてぇなら噛んでやるぞ!」
「やれるもんなら、やってみろっ!」
歯をむき出す犬を見て、脹脛の痛みが蘇る。だが、男は力いっぱいに一歩踏み出す。
「僕は本気だ! 僕の運命を邪魔するお前を倒し、レベッカと結婚する!」
「け、結婚?! うそ、マジじゃん」
女は驚きの顔を見せた。オーナーからマックス☆バーでの事の顛末を聞いていたが、本気にはしなかった。むしろ、出禁はやりすぎだと批判した。
だからこそ、女は男に頭を下げた。
「ごめんなさい、ロックホールさん! タイプじゃないんです!」
ハッキリと断るべきだった、売上を取るべきではなかったと後悔した。
男は噛まれた痛みよりも、失恋した痛みのほうが心をえぐった。
そして思う、レベッカはあの犬に唆されてボクを嫌うんだと。
男の決意は揺るぎない。ジャケットの裏ポケットから木箱を取り出す。その細長い小箱に見覚えがある柴犬が声を荒げた。
「おい、ストーカー野郎! どこでそれを手に入れた! 答えろ!」
「お、お前には関係ない! レベッカ、そのギャング犬をぶっ飛ばして、ボクがマフィアに負けない強い男だと証明する! だから、だから結婚してくれ!」
「ムリムリムリ、ムリだから!」
どうやら、番犬が言うようにこの男はタチが悪いようで、女はようやく常連客が話の通じない危険人物だと理解した。
女性と付き合ったことがないピュアな男で、本気で恋をするまではレストランのメイドにハマっておカネを使うお金持ちだと思っていた。自分に恋をしているのは、遊びが行き過ぎているだけで、飽きたら他の子に行くだろうと高を括っていた。
フン、素直じゃない女だと勘違いする男は注射を首筋に射す。
「レベッカ、僕の雄姿を見ていてくれ! ギャング犬、俺を噛み殺してみろ!」
呆れる柴犬がレベッカに命じる。
「レベッカ、リュージを呼んでこい! ストーカー野郎が悪魔になったとな!」
「え、悪魔?! わかった。すぐ呼んでくるね!」
店前の男は月の光の力か、はたまた注射の血を脊髄に入れたからか、見る見るうちに身体が怪物へと変貌していく。注射の血が男の心に潜む悪の欲望や感情、遺伝子が記録してきた大小問わない罪の数々を刺激し、未開の大罪を呼び起こしているのだ。
まん丸い顔と体型が風船のよう萎み、ほっそりとした長身となった。顔と肌の色が濃緑に変化し、背中からジャケットを突き破って漆黒の翼が生え、ナイフのよう頭から一本の角、フォークのよう爪がぐんぐんと鋭く伸びていく。
彼はゴブリンという悪魔となった。ただ、不細工な姿を想像していた柴犬は邪悪な魔力を醸し出すその濃緑の怪物にこういった、
「ゴブリンのほうがカッコいいじゃねーか。痩せたらイケメンになるタイプか!?」
しかし、そのゴブリンは宿敵からの称賛が聞こえていなかった。
「グハハハ、スゲェ! スゲェよ! なんだこの感覚は! 脳から力が全身に伝っていくんだよ。そんで、身体の中から力が漲る。グハアアアアアアアアアッッッ!」
悪魔になった男は手に入れた力に自惚れた。邪悪な魔力を解放し、衝撃波で周囲の店舗のガラスが割れていく。メイドレストランも例外ではなく、窓が割れて店内に破片が散乱、ゴミ捨て場のゴミが遠くへ吹き飛んだ。
「おい、ギャング犬、お前は何者だ? ただ者じゃねーな」
感覚が研ぎ澄まされており、柴犬が隠す力が強力だと手に取るようわかった。
一角を生やす、目が真っ赤なゴブリンは目の前の犬を警戒し、両手に魔力を溜める。
「オレはメイドちゃんを守る番犬だ。ずいぶん強くなっちゃって、先輩には敬語ぐらい使えよ、バカもんが。噛み切るぞ、ゴブリン野郎」
「やれるもんなら、やってみろよ。お前の脳も心臓も、内臓も全て食って、もっと俺は強くなるぜ! もっと金を稼ぐぜ! もっと女にモテるぜ! 大罪よ、俺を解放しろ! 真の姿を見せてやれ! グハハハハハハアアアアアアアアアッッッッッッ!」
そこに、雄叫びを聞きつけた店のオーナーがやってくる。腰には愛刀《紅葉》だ。
「うわ! ガチ悪魔じゃん。シバちゃん、どーいうことだ。説明してくれ」
「見ての通りだ。あの注射を使ったんだよ」
「マジカルブラッドを? なんで持ってんだよ。金持ちのお坊ちゃんだろ?」
「どうやって注射を手に入れたのか、それを知るにはボコるしかねーべ。もしかしたら、マフィアにつながるかもしれねーぞ」
「それはそれは、一大事じゃないですか。なら紅葉を降臨するか」
「紅葉ちゃんをあんなゴブリンと戦わせるのか? 見ろ、今宵は満月だぜ」
紅葉とは、愛刀に封印された大和国の女妖怪のことだ。その正体は鬼女だ。
「ほー、じーちゃん、珍しくやる気なのかい?」
「誰がじーさんだ。久々に踊ってやるよ、リュージ」
その柴犬は両前足で器用に首に巻いた額当てを解き、真上に飛び上がった。とたんに犬顔のお面となり、額当てを結ぶオキタもまた飛び上がり、宙に舞うその仮面を掴む。
「何をする気だ。こしゃくな、死ねぇ!」
訳がわからないゴブリンは手に溜めた魔弾を一発、二発と放った。
しかし、仮面を付けたオキタの身体へとめがけて、満月が一筋の光線を放った。とたんに球体となった。太陽のよう周囲を照らすその光に、魔弾が吸い込まれていく。
「ま、まぶしい! 何しやがった、お前らッ!」
黒い翼をかざして、その球体の正体を見極めようとする。その球体から声がする。
「オレ様は生まれも育ちも東洋に浮かぶ島国よ。好奇心から相棒のケツを追ったのが運の尽き。着いた先は見ず知らずの異国の地。それでも忘れぬ祖国の月。明かりの先には異形の敵。悪に下す御用改め、天誅の裁き。敵への美徳は慈しみという愛」
口上とともに球体の光が消えていく。満月を背景に夜空へ浮かんだのは、狼特有の細長い耳と口、尻尾のシルエットだ。
「花は桜木、人は武士、月が似合うは狼よ。お待たせしました看板登場。とっとと控えろバカもんが、戌神様のおな~~~りだっ!」
舞台に立つ千両役者のごとく見得を切った獣はアロハシャツが破れ、爬虫類の背びれのよう白桜色の体毛が夜風に揺れる。オキタは人狼となった。額当て愛の文字が輝く。
「人狼か、見たことがねぇな」
再び魔力を溜める悪魔だ。地上に降り立つその狼は桜色の霊力を全身に覆う。
「いよっ、戌神様!」
「待ってましたっ!」
「誰だよ、いきなり?!」
どこからか合いの手が入った。気を取られたゴブリンに、その人狼が容赦なく襲う。
「よそ見すんじゃねーよ、素人か?」
《桜狼掌底》
向き直すゴブリンの視界に人狼がいない。気付いたときには吐血していた。
一瞬の隙、右腕から繰り出す桜の炎をまとった掌底が腹に直撃したのだ。
「グ、ハッッッ!!!」
赤い血が地面に飛び散る。「まだまだ修行が足りん。どれ、鍛えてやろう」
右左、左右から繰り出す殴打の連撃に悪魔は五臓六腑が破裂していく。
「調子に、乗るなァ!」
ゴブリンは翼を羽ばたかせ、後ろへ引き、頭の一角で人狼を突き刺そうと飛んだ。
「来いよ、ボクちゃん」
「ワンコの分際で、ブッ殺ス!」
だが、戌神は愛刀を抜き、抜刀術で突進を受け止める。足の爪が地面に食い込む。
「紅葉ちゃん、わりぃな。こんなモノノケなんかに振っちまって」
「クソッ! ナニモンだよ、テメェ! なんでこんな強ぇんだよ!」
「なんでって、神だからよ。オレ様は大和国の戌神、控えろバカもんが!」
「神だって?! 神は龍神だけだろ!」
「あー、お前らの国はそうらしい。大和国が狂ってるんだ。ちなみに、俺は十二支という神の一体だ。俺と同じくらい強い奴があと十一体いる。まー、気にすんなよ」
「じゅ、十一体も?!」
刀でゴブリンを払いのける。井の中の蛙だった己の実力を思い知ったその悪魔は、すっかり腰が抜けてしまった。刀を肩に担ぐ人狼は情けをかける。
「なんだ、もう終わりか? まー、ムリねーか。どうせ、副作用でお前さんは病院で寝っ転がるだろうし、人間に戻るまで満月でも眺めるんだな」
「クソクソクソクソッ! こんなんじゃーっ、あの女がーっ!」
と、レストランの中から戦いの行方を見守るレベッカ・ローレンスが視界に入った。
女は叫ぶ。「もうやめて、ロックホールさんっ!」
だが、もとの心に戻りつつある悪魔は誤解した。
「待っててくれよ、レベッカ。俺はレベッカと絶対に結婚すんだッッッ!!!」
立ち上がったとたんに、全身の魔力を口に集約させた。
「おいバカ、やめろ! 死ぬぞ!」
「うるせぇ! 父さんのためなんだ、死んでしまう父さんに、孫を見せるんだ!」
《悪之絶命 破滅魔砲》
「こんの、バカ野郎がアアアッッッ!」
《近藤流奥義 威風旋風 千本桜》
戌神は愛刀を風車のよう高速に回す。桜色の炎が旋風となり、目の前の悪魔を捉える。
その旋風の火花が桜の花びらとなって、悪魔の身体を斬り刻む。
「まだだ、まだ俺はッ!」
それでも魔砲を放とうとする悪魔に、「死ぬよりマシだ、諦めな」
《オレ様流 桜狼一閃》
人狼が旋風の中へと飛び込み、トドメの一閃を突き刺した。その一撃は悪魔を、一瞬で人間に戻すほど強烈なものだった。
やがて副作用か、倒れた男の体内では、注入された血と男の血が反発し始めた。
口から大量に吐血し、大の字に月を眺めた。
美しい、その一言でさえ、喉から出ないほど男は瀕死の状態だ。
その見た目は肌がツヤツヤでお腹がふくよかな若者ではなく、肌がボロボロでよぼよぼな身体となった老人の姿だ。その変貌ぶりにレベッカは呆然とする。
「オキタオーナー、ロックホールさんはどうしたんですか?」
「あれが悪魔になった代償だよ。強さと引き換えに生命力と精神力を失う」
人間に戻ったオキタはレベッカに救急車を頼んだ。常連客は病院へと送られた。
その様子を、肩書が占い師の女は野次馬の中から一部始終を目撃していた。
「残念、失敗か。ボスに報告して、とっとと撤収しないと」
と、一羽の白い鳩を飛ばした。