57 羽崎邸にて その1
山口が玄関でインターフォンを押すとすぐに柔らかい男性の声で返答があり、扉が開いた。
「ようこそおいでくださいました。初めまして、羽崎です」
笑いかけてくれた男性は山口を歓迎し、家へ招き入れた。
「途中、道に迷いませんでしたか?」
防風林に入る道は何本かあるがどれも似かよっていて、海岸へ下りる道と間違える人がよくいるのだという。
「晴彦君は道も間違えてこの家に来たと言ってました」
そう言って穏やかに微笑む羽崎は、家出少年の世話をしたのも納得できるほど人が良さそうだった。
「あの、警察の人に教えてもらうまで、羽崎さんが久住君を助けたって全然知りませんでした。ニュースなんかでも全く羽崎さんのこと聞かなかったんですけど」
どうしてなんでしょう、と山口は不快な本心が表情に出ないよう抑えて、不思議そうな顔を作って聞いた。
「多分ですけど、この屋敷の持ち主が変に事件に巻き込まれて騒がれたくないから、マスコミに裏から手を回したんじゃないでしょうか。交友関係の広い、政財界に顔の利く方らしいので」
井川から山口からこの質問が来たらこう答えれば良いと言われた通りの台詞をさらりと吐いて、話題を変えた。
「今日山口さんの他に招待したゲストの方は、一足先に来ておられます。すみません、お約束の時とはちょっと事情が変わって、招待客に変更がありまして」
羽崎は申し訳なさそうに頭を下げた。
「元々招待した方のおひとりは来て下さいました。その人に会えば、少し驚かれるかも」
案内された部屋に入ると、山口は羽崎が予言した通り驚きの声を上げた。
「原田さん? どうして原田さんがここに?」
「……私も久住君の話を聞きたかったので」
ぶっきらぼうに答える原田の言葉に被せるように、羽崎が口を挟んだ。
「原田さんとは僕が以前高田町に住んでいた頃、急な病気で入院した時に病院で知り合ったんですよ。ご家族とも仲良くさせていただいて」
今も一家と交流があり、山口を家に招待するに当たって女性がいた方が良いと思い、知人の中で唯一こういう頼み事ができそうな原田の母親に連絡して事情を話し、一家で家に来てもらえないかと相談すると、
「原田さんは山口さんの受け持ちクラスの生徒さんだったそうですね。こんな偶然もあるのかとびっくりしました」
ところが今日になって、父親は急な仕事で、母親は風邪を引いて来られなくなってしまった、と羽崎は説明した。
「それで原田さんの保護者としてご親戚の井川さんに来ていただくことにしたのですが、女性ばかりだと緊張するとおっしゃるので、井川さんの同僚で山口さんと歳の近い小宮さんをお誘いしていただきました。こちらの皆さんには事前に事情は説明してあるので、どうぞ気兼ねなくお話しください」
笑顔で山口に語りかける羽崎を原田は何も言わず見ている。
何を見ても危険でない限りこの場では言わない約束だったが、原田はそれをきちんと守ってくれるようだった。
羽崎と原田が知り合いというのも、井川が原田と親戚というのも、この場に疑われず参加するために井川が考えた嘘だ。
事件後、山口の事情聴取に行ったのは他の署から応援に来た刑事だったので、山口は井川と小宮とは面識がない。
なので井川は羽崎に頼んで、二人が警察官であることは隠しておいてもらった。
警察官が同席しているとなれば山口も滅多なことはしないだろうが、その反面、何が目的で羽崎に接近してきたのか探りにくくなる。
山口の様子を見るために、ここはあえて立場を隠す方を選んだ。
今日も山口と約束した時間の一時間前から羽崎の家に来て、防衛のため四人でじっくり打ち合わせしてある。
三人をこの場に招待したいきさつは姑息でさすがに作り事めいて疑われるかと思ったが、深く考えない山口の性格が幸いしたようだ。
念には念を入れて、原田の病気を知っている山口に保護者の付き添いもなく原田が遠方に来るのはおかしいと疑われないよう井川を原田の保護者にして、小宮は井川の同僚としたのだが、その辺も山口は全く疑っていなかった。
山口は名前を言うだけの簡単な挨拶をして、羽崎に勧められた井川達の対面の真ん中の席に着いた。
「本当に驚いたわ、原田さん。何故久住君の話を聞きに?」
真向かいに座る原田はそれには答えず、
「山口先生こそ今更どうしてですか? 久住君が生きてる時には全然相手にもせず、宗田君達の話しか聞かなかったのに」
棘のある言い方で問い返してきたが、山口は笑顔で受け流した。
「そんなことないわ。久住君は話が下手で分かり難かったから、忙しい時に相談にきてよく聞いてあげられなかったこともあるけど」
「久住君は話し下手じゃありませんでしたよ。まあ、最初から聞く気がない人にはどう言おうと話は通じませんよね」
「それはどういう意味?」
山口が原田を睨みつけると、原田は不適に笑った。
「解説しなきゃ分からないなら、やっぱり久住君が話下手なんじゃなくて、先生が聞き下手なんじゃないですか」
原田の嫌味に山口が顔色を変えて反論しようとしたとき、
「今日は寒いですし、大人数なので鍋にしました」
羽崎はキッチンから大きめの土鍋を運んできて、テーブルに用意してあったカセット式コンロの上に置いた。
鍋の中には溢れるほどの魚介類と野菜が食べ頃に煮えており、羽崎が追加で持って来た大皿にも食欲をそそる具材が盛られていた。
「まずは召し上がってください。どうぞご遠慮なく」
「すごいごちそうですね。これだけのものをお一人で準備するとなれば、相当大変だったでしょう」
井川が労うと、羽崎は笑って首を振った。
「とんでもない。この土鍋を含めて人数に合わせた材料全てが下ごしらえ済みの鍋セットを注文できるネットショップがあるんですよ。届いた物を鍋に入れるだけなので簡単なものです。それより、お土産をありがとうございました」
フルーツとクッキーの詰め合わせを頂いたので、お持たせで失礼ですが後で皆で頂きましょうと羽崎が山口に笑いかけた。
「……私、手土産何も用意してこなかったわ」
山口が俯きがちに呟くと、羽崎が慌てて言い添えた。
「い、いいえ、そもそもはできるだけリラックスして晴彦君の話をしたいがための食事会で、言い出したのはこちらの方ですから、そんなお気遣いはご無用です」
では遠慮なく、と井川が先陣を切った。食べ頃の食材を器に取って入れる。但し、自分の器でなく原田の器にだ。山口の器には羽崎がよそおってくれた。
「苦手な物がないと良いんですが」
「大丈夫です。いただきます」
山口は言いながらイスから立ち上がり、スマホを鍋の方に向けた。
スマホのカメラであらかじめ色々撮る行動ををしておけば、本当の目的の羽崎の顔写真を撮るときに警戒されないだろうと計算してのことだった。が、
「すみません」
山口の横に座った羽崎がスマホのカメラレンズの前に手を出し、首を横に振った。
「写真を撮るのは止めていただけますか」
「え、良いでしょう? こんなにおいしそうだから帰ってから家族に自慢したいんです」
「申し訳ないんですが、この家の持ち主との契約で、セキュリティ対策の一環として家の中や敷地内の写真は撮らないとなっているので」
もし山口が何かの理由で写真を撮ろうとしたら、そういうルールがあることにして止めると事前に井川達と決めてあった。
偶然にでも、羽崎の姿を写真に撮られないようにするためだ。
「たかが鍋の写真ですよ? 大げさじゃないですか」
山口は笑い、思いついたように羽崎へ無遠慮に顔を寄せて自撮りしようとした。
「せっかくだから羽崎さんとも一緒に記念写真を」
「先生、この家の決まりなら、従うのが客としての礼儀じゃないですか?」
原田が冷ややかな目で見ながら諫めた。
「それに、写真を撮って良いかも聞かずにカメラを向けるのは暴力と同じだと、学校でのスマホのマナー教室で講師の人が言ってましたけど」
「そうですね。この家は有名な造船会社の元社長の別荘だそうですが、雑誌に掲載されたこの家の写真を見て目をつけた泥棒に入られた事があって羽崎さんを管理人に雇ったそうですから、この家の客としては当然家のルールは守るべきですね」
井川の援護射撃に、山口は不満顔ながらも「分かりました」と渋々羽崎から離れた。
イスに座り直しながら原田の方を見ると、原田は冷たく光る目でこちらを見ていた。
――やっぱりあの子嫌いだわ
山口は胸の内で怒りを滾らせた。
担任になった時、前担任から心臓疾患のある子だと引き継ぎを受けたので、新学期最初のホームルームで彼女の病気のことと歳が上なことをクラス全員に説明して気をつけてもらうようにしてあげたのに、感謝するどころかプライバシーの侵害だと本人に抗議された。
最初からあの子は生意気だった。生徒の中には『智香ちゃん先生』と慕ってくれる子もいるのに、あの子は全く懐かずいつも何か一歩引いた観察するような目で見てくる。
何もかもお見通しだと言わんばかりの視線が山口の癇に障った。
――あのおじさんも親戚なら、大人に対して生意気な口を利くなってあの子を叱ってくれれば良いのに
山口はイライラしながらキツい視線を井川に向けたが、井川が思わぬ鋭い視線を返してきたので慌てて目を逸らした。




