34 防風林の中の少女 その2
あれは、何だったのだろう。
井川が運転する車の中で、小宮は林の中にいた少女を思い返した。
幼い女の子が一人で、真冬に薄着で、しかも急に姿を現わしたり、消えたり。
荒唐無稽な話だ。
誰に話しても笑われるか、出来の悪い怪談話にされるだろう。
見間違い。
幻覚。
少女がいたことを否定する言葉を呪文のように胸の内で繰り返しながら、ポケットの中の石を弄ぶ。
おそらく晴彦の撮った写真の見間違いが変に頭に残っていて、もしも少女が実在しているなら子供同士の気安さで久住から何か動機につながる話を聞いているかもしれないと妄想した結果見た、幻だったのだ。
未成年者が起こしたやりきれない悲惨な事件を担当して、自分は自覚している以上に神経がすり減っているのかもしれない。
しっかりしろ、自分はそんなにヤワではないはずだ、と自身に活を入れる。
カーラジオから流れるDJが明るく軽快に喋る話題に気を逸らせ、暖房の利いた車内で心身が温まって来ると、さっきの出来事が夢のように薄れて来た。
まだ少し強張っていた身体を身動ぎして解すと、
「小宮、署に戻るまで寝てろ」
井川が前を向いたまま暖房の目盛りを一つ上げた。
「お前、顔色が悪い。疲れてるんだろう」
帰りは小宮が運転する予定だったのに「いいからそっちに行け」と助手席に回されたのは、井川の気遣いだったらしい。
「そういう時は風邪を引きやすいから、ちょっとでも身体休めとけ」
「いや、でも」
「熱でも出して仕事休まれる方が困るんだよ。俺に迷惑かけたくないなら、今少しでも寝て体力を回復させろ」
確かに疲れてはいた。疲れていたから幻覚めいたものを見たのだと考えて、ここは素直に井川の厚意を受ける事にした。
「すいません。じゃあちょっと寝させてもらいます」
シートに深く身体を預けて目を閉じる。仕事の事は意識して頭から追い出した。
眠りに落ちるまでの間に思い描いたのは何だったか後で思い出せないほど、小宮は早々に寝入ってしまった。
本署の刑事課の部屋に戻ると、同僚の早瀬悟史がうんざりした顔で座っていた。
「何かあったのか」
今年から刑事課に配属された早瀬は小宮とは真逆の喜怒哀楽がそのまま顔の出る人間で、変事があったと容易に推測できた。
「ありましたよ。一騒動」
「もしかして、羽……いや、協力者のことがマスコミにバレたのか」
箝口令を敷いたとはいえ、どこからマスコミにかぎつけられるか分からない。そのためにダミーが用意された。
家出した晴彦を世話したのは「久住氏の昔の知人」だという情報はすでに久住氏の上司からマスコミに知られているのでそれを利用し、わざとマスコミの耳に入るようにして、家出した晴彦が降りたバス停に比較的近い場所に住んでいる久住氏の中学時代の同級生と高校でラグビー部の先輩だった人間の所へ晴彦が訪ねてこなかったか捜査員に聞きに向かわせたのだ。
当然マスコミは捜査員の後を追って行ったはずで、その間に小宮たちが羽崎を訪ねて行ったのだが、自分たちも尾行されていたのだろうか。
「そうじゃないです」
小宮達が出ている間に、山口の母親がネットに出ている娘に関する記事を全て削除させろと刑事課に乗り込んできたのだそうだ。
「住所が出たせいで、電話なんかでの嫌がらせがひっきりなしなんだそうですよ。中には脅迫めいたことを言う奴もいて、家にも悪戯されるし、入院している娘の身も危ないから自分たちを警護しろって、もう怒鳴る、喚く、大騒ぎですよ」
母親は情報をリークしたのは警察と思い込んでいて、早瀬の説明に全く耳を貸さず、最終的には副署長が応対して、夫に連絡し迎えに来てもらったという。
「娘より母親の方が、入院が必要なんじゃないか?」
井川が揶揄すると、早瀬も同意するように苦笑いした。
「まあ、世間の風当たりが強くて大変なのは本当だと思いますよ。ネット上じゃ山口先生は完全に戦犯扱いで叩かれ放題叩かれてるみたいですし」
「馬鹿、心配するならあのクラスの子供らの方が先だ。目の前で友達が友達を斬りつけて教室の窓から飛び降り自殺、なんて一生のトラウマものだぞ」
「カウンセリングと精神的フォローは俺たち警察の仕事じゃありませんよ。その心配は管轄外です。――で、そっちは?」
収穫を聞かれ、井川は首を振る。
「そうですか。結構期待してたんですけどね」
ため息をついた早瀬をぼんやり見ていた小宮は、振り返った井川に声をかけられた。
「おい、小宮。今日はもう帰れ」
結局本署に着くまで寝てしまっていたためかまだ頭が覚め切っておらず、言われた言葉に返事を返すのに少し時間を要した。
「……いや、報告書、書かないと」
「俺が書くから、お前はもう帰って寝ろ」
「え、何? 小宮さん、具合悪いんですか?」
風邪のようだ、と井川が代わりに早瀬に言い訳し、小宮に犬を追い払うような手ぶりを見せた。
「ほら、風邪のウイルス撒き散らす前にさっさと帰れ」
そう言われては無理に残っている方が迷惑になると自分自身に言い訳ができるので、気兼ねなく帰り易い。それを見越して井川は言ったのだろうし、通常の勤務終業時間は過ぎているので、ここは井川の温情に甘える事にした。
「すいません。じゃあ、お先に引かしてもらいます」
挨拶して廊下に出ると、節電で全ての灯りを点けていないためか妙に暗かった。点けている蛍光灯ももう寿命が近いのか不安定に瞬いている物もあり、それで尚更暗いのだろう。
まるであの林の中にいるようだ。
ふと羽崎の家の林を思い返してそこで見た幻の少女の姿が思い浮かびそうになり、小宮は慌てて頭を振って思考を遮り、足早に歩き出した。




