雨降小僧
夜中に、雨音で目が覚めた。
夕方のニュースで大雨になると言っていたのを思い出す。まるで、ドラムを連打しているみたいな音。雨が家を叩いている。
風も強く、大きな箒で屋根を掃く様な音もする。強くなったり弱くなったり。それでも途切れない激しい雨音。
暗闇の中、僕は布団から起き上がるとカーテンを細く開けて外を見た。窓ガラスに雨が滝の様に流れ、風が吹き付ける。隣接する公園の外灯の光の中に、雨が束になって落ちていた。
(大丈夫かな、明日、学校に行けるかな)
明日は、学校でサツマイモの苗の植え付けがある。児童会長の僕は、全校生徒の前で挨拶しなければならない。何度も練習したし、「頑張ってね」ってお母さんも期待している。だから、失敗したくないんだ。
(止まないのかなぁ)
ふと、外灯で薄明るく照らされた向かいの二階屋に目を移すと、屋根の上にぽっちり灯りが見えた。何か居る。猫にしては大きすぎるし、こんな大雨の時に、猫は屋根に上ったりしないだろう。座って居るみたいな黒い塊。
(何だろう。子供?)
眉根を寄せて、じっと見ていると、僕の視線を感じたのか、それは立ち上がって手招きをした。
「えっ、僕?」
自分を指差し、思わず声が出る。
『お前だべ』
耳元で男の子の声がしたと思ったら、僕は大雨の屋根の上にいた。
「わぁぁぁ!」
めいっぱい大声を上げても、雨音にかき消される。頭から爪先まで、パジャマごとびしょびしょになったのに、何故か寒くも冷たくもない。
そばでよく見ると、やはり、子供だった。僕より少し小さくて、変な格好をしている。
頭に半閉じの和傘を被り、裂けた傘の隙間から顔を覗かせ、片手に提灯を持っていた。
「君は誰?」
『君は誰?』
「僕が訊いているんだ」
『僕が訊いているんだ』
「真似っこするな」
『真似っこするな』
段々、イライラしてきた。これって、少し前に学校で流行った奴じゃん。
僕が口を閉じて睨み付けると、そいつは大きな口を開けてケラケラと笑った。
『ごめん、ごめん。オラは雨降小僧』
「雨降小僧?」
『お前、名前は?』
僕の質問に答えないで質問かよ。
「……ユウキ」
『ユウキ、遊ぼう。ほら、この家の屋根は滑り台みたいだべ』
雨降小僧は、屋根の天辺からシューッと滑り降りる。屋根には止めどなく雨が流れて、まるで昔、お父さんと行ったプールのウォータースライダーみたいになっていた。
『ほらほら』
屋根の下の方から、振り返って急かす。
こいつ何? とか、雨降ってんじゃんとか、夜中に屋根の上とか。突っ込みたい事を全部忘れてしまいそうな笑顔だった。
「うん」
僕は屋根にお尻を付けると上半身をグンと前に倒した。勢いがついて滑り出す。あ、下に落ちちゃうと、思ったら雨降小僧が片手で止めてくれた。
「あ、ありがとう」
『面白いべ。瓦屋根じゃ滑んないけど、この屋根はよく滑るべ』
僕は頷くと、また屋根の天辺まで登って行く。
二人で何度も何度も繰り返して、大雨の中で僕らは笑い声を上げていた。
そうこうする内に雨は更に激しくなって、眼下の道路が冠水し始めた。
『もっと、降れ! もっと、降れ!』
雨降小僧は提灯を掲げ、棟の上で片足ずつ左右に跳ねながら、唄うように囃し立てた。
それに連れて、雨脚は強くなる。
以前テレビで見た洪水の映像が頭を過った。
楽しい気持ちは吹っ飛んで、僕は不安になる。
「ねぇ、君が降らしているの? やめて」
『何で? 楽しいべ?』
公園の向こうには川が流れている。きっと、増水しているだろう。川が溢れたら大変な事になる。
「洪水になっちゃうよ」
『オラには、関係ないべ。もっと、降れ! もっと、降れ!』
雨の勢いが増す。どうなってしまうのだろう。
僕は怖くなって泣き出した。
「やめて! やめてよう!」
僕は、雨降小僧の腕を掴んで、唄うのをやめさせる。
『ユウキも、目から雨を降らせてるべ』
「ちがう! 泣いているんだ!」
『ユウキ、泣いているんだべ? 楽しいべ?』
「楽しくなんかない! 怖いんだよ。洪水になったら、皆困るんだ。せっかく作ったサツマイモ畑の畝も崩れちゃう」
『ユウキ、怖いのか? 楽しくないべか』
雨降小僧は、目をパチパチさせた。
手を離し、僕は大きく頷いて見せる。
『人間は、雨が欲しくて雨乞いするべよ? 雨が降ると喜ぶべ』
「そりゃあ、雨が全然降らないのは困るけど、降りすぎるのも困るんだ」
『……わがままだべ』
「そうかもしれないけど。学校の先生も言っていたよ。何でも、ほどほどが良いって」
雨降小僧は『ほどほど』と言って頭を傾げた。
『オラは、雨が降ると楽しいべ。でも、ユウキは、降ると困るんだべ』
「ごめんね。君が楽しい事を、やめてって言って。でも、明日、サツマイモの苗を植える全校集会があるんだ。こんなに雨が降ると出来なくなっちゃうよ」
足元が滑るから棟に跨って、空を仰ぐ。
猛烈な雨の中で目を開けていられるのが不思議だ。
『なんだ。そんなことが心配なんだべ。オラは、ユウキと遊んで楽しかったべ。だから、ユウキが、困ることはしたくないべよ。なら、こうするべ』
同じく棟に跨った雨降小僧が空に向けて口を大きく開けると、雨が吸い込まれるように入って行く。口はドンドン大きくなり、雨降小僧の身体よりも大きく広がっていく。
僕は声を失くし目を見張った。
「ユウキ、学校に遅れるわよ」
階下から呼ぶお母さんの声で目が覚めると、僕は布団で寝ていた。
(そうだ、雨は)
急いでカーテンを開けて外を見ると、ピカピカの晴れだった。空には虹が架かっている。家の前の道路も水が引いていた。
(良かった。雨降小僧のおかげかな?)
「ん? 雨降小僧ってなんだよ」
自分で突っ込む。昨日の夜、向かいの家の屋根で一緒に遊んだ気がするけれど、そんな訳ないか。夢でも見たのかな。
「あーっ、何だこれ」
気が付くと僕のパジャマは絞れるほど濡れて、布団もぐちゃぐちゃだった。濡れている理由は……、やっぱりそうなのか?
『ユウキ、またな』
耳元で声が聞こえた気がした。