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火炙り回避したいのに、ヒロインの記憶バグで怒りゲージが限界突破した話

 私を非難した時とは異なるざわめきを残した群衆は、レオンハルトとアナスタシアの一声で散り始め、徐々にいつもの日常が戻りだす。知らぬ間に入っていた肩の力が一気に抜けて、私は長いため息を吐いた。


──あー、疲れた……


 元々、勉強漬けで疲弊していた体が5倍近く重くなった気がする。私は重い体を引き摺って、それでも淑女らしく教室へ向かう。午前中は特別クラスの授業に出席するらしいリサをチラリと見やれば、最後まで困惑した表情を浮かべていた。


──これからもっと、その顔を私に見せてね。


 そんなリサに私は心の中でそう伝えると、立ち尽くすリサに背を向けた。


◇◇◇


「エレナさん、素晴らしいですわ!」


「私も見習わなければなりませんね」


 昼休み、いつものように数人の令嬢方と食事をしていると、皆口々に私へ祝いの言葉をかけた。まだ一部には私の成績に懐疑的な人もいるようだったが、同じ組みの人たちは私のここ1ヶ月の様子を知っているおかげか、あまり疑っていないようだった。


「ありがとうございます。これも良い先生に恵まれたおかげです。ね、アンナさん?」


 私は焼きたてのパンを味わいながら、そうアンナに伝える。するとアンナは困ったような、でもどこか誇らしげな様子で答えた。


「兄が良い先生かどうかはわかりませんが、いつもエレナさんのことを褒めていましたよ。とても努力家だと」


──絶対嘘でしょ。


 アンナの微笑みを見ながら私は思った。


 父が連れてきた家庭教師は、なんとアンナの兄だった。アンナの家、ブルドア子爵家は王都の物流ギルドを運営している。アーレン家が得た輸入品を流通させる過程で両家は長らく交流があったのだが、まさかそこから人材を引っ張ってくるとは思いもしなかった。

 

──でも、あの人の課題の量は異常よ、異常。もはや嫌がらせレベル。私を褒めてたなんてあり得ない!


 しかし、貴族社会において建前は欠かせない。私は先生との地獄の日々を思い出しながらも「ありがとう」と笑顔で返した。


「でも、お父様がお連れした先生が、アンナさんのお兄様だとは夢にも思いませんでした」


 アンナの兄は別に教師ではない。運送ギルドで実務に携わる彼の仕事ぶりを気に入っていた父は、彼が成績も優秀だったことから家庭教師として私につけたらしい。


──結果成績は上がったけど、本職の教師を連れてきてほしかったわ……


 私はこの世界に来て、知らなかったことを幾つも知った。この好きで好きで堪らない世界のことなら、私は何もかも知っているつもりだったけど、実際は知らない、いや、知り得ないことも多かった。

 例えば私のことや私の家族、今ともに食事するこの友人たちのこと、それから王都の住民のこと。ゲームの背景である私たちにもそれぞれのストーリーや性格があるのだと知った。


「うちの兄、見た目は優しいけれど、授業は大変だったでしょう?」


 アンナが言った。首が取れるくらい激しく同意したかったが、適度な表現に私は抑える。


「ええ、学園の授業の2倍くらいは大変でした」


──実際は20倍ね。地獄よ地獄。


「そんなにですか? 私もぜひアンナさんのお兄様に家庭教師をお願いしようと思いましたのに……」


 隣に座った令嬢が、本音か建前かわからないことを口にする。


──やめときな。


 私は心の中で強く止めてあげる。


「私も昔は兄に教わっていたですが、兄のペースにはついていけず……成績も去ることながら、兄の授業を耐えたことが私はすごいと思います」


──私、命懸けですからね、文字通り。やらなきゃ焼かれる。


「まあ、そんなにですの!?」


 最近は昼休みも勉強に時間を費やしていた為、久しぶりのゆっくりとしたランチタイムを楽しんでいた。


──火炙りルートさえなければ、このモブの生活も悪くないのに……


 日本が開発したゲームのため、和食はないが見知った洋食も多いうえに、アーレン家は家族仲もいい。さらにこうして令嬢たちとの話も慣れれば案外楽しいものだ。

 

──もちろん、いつかは絶対元の世界に戻りたいけど。


 こうして楽しいランチタイムを過ごしているとふと忘れかけるが、それでも根っこの部分にはいつもこの気持ちが存在していた。特に離れてしまった家族の顔がよく浮かぶ。


──もし、私の体が昏睡状態とかだったら、心配してるよね……


 楽しいランチタイム中に、暗い影が心を覆う。私はその心を温かいパンと一緒にごくりと飲み込む。その時だった。


「あら、本日はルーデウス様ですのね」


 一人の令嬢が口にする。なんのことかは見なくてもわかる。


──ほらね。


 カフェテリアの一番隅の席。長い黒髪をきっちりと一つに結び、切長の眼をシルバーの繊細そうなメガネで縁取ったイケメンがコーヒーを嗜んでいた。その隣には案の定、あの人の姿。


「あのような高貴な方々と、よく臆せずにお話しできますわよね……そこは少し尊敬します」


 宰相の息子 ルーデウスと、その目の前で可愛らしく頬杖をつくヒロインのリサ。アンナはそれを見つめながら感嘆の声を呟いた。


「ですわね。私には到底できません」


「……私もそう思いますわ」


 私もみんなも激しく同意だった。今朝、アナスタシアやレオンハルトと会って確信した。メインキャラクターたちはオーラが違う。


──カイル様と一度は会話したいとか、ランチを一緒にしたいとか思ったけど、無理無理。私じゃ喋れない。普通に話せる有紗はヤバいわ。


 頬杖をつき、少し上目づかいでルーデウスを見つめるリサはまさしくヒロイン。だけど中身はただの高校生だ。よくあんな風に大胆に過ごせるものである。元の性格のおかげか、ヒロインである自信のおかげか。


 そんなヒロインを見つめていると、


──あ、ヤバい。目が合った。


 間違いなくリサは、いや有紗は私を見た。カフェテリアのモブたちに埋もれるモブの私を。


──怖い怖い、来てる来てる来てる!


 ルーデウスに手を振ったリサが私に向かって歩いてくる。リサのことを話していた私たちの会話は不自然に止まって、聞こえてないよね? という微妙な空気が流れた。


「エレナさん、今、ちょっと時間大丈夫ですか?」


──ファーストネーム呼びにその話し方……有紗、もう少しキャラになりきりなさいよ……


 原作ゲームファンとしてのため息が出る。


「…え、ええ、どうなさいました?」


 私は世界観を崩さないように答えるが、どうしても慌ててしまう。


「ちょっと私と来て欲しいの」


 リサはコテンと首を傾げて可愛く言った。しかし


──その目は怖いんだって!


 目が笑っていない。

 私はアンナたちを見つめるが、誰にもリサは止められない。


「……わ、わかりました」


 私はそう答えるしかなかった。食べかけのランチを置いて席を立つ。置いて行かれるデザートのプリンが私を見送った。

 「ついてきて」と言われるがままリサの後ろをついていくと、特別クラスと普通クラスの間の廊下、ホールへと繋がる廊下に連れてこられた。イベントのない今日、ここに人通りはない。


──何されるんだろ……まあ、一回話しかけたし、テストの結果もあるから、こうやることは少し覚悟してたけど……


「ねえ、あなた『救国乙女の恋物語』って知ってる?」


 人通りのない静かな廊下で足を止めたリサはそう言った。まさかの、私が最初にリサに尋ねようと思った質問だった。


「なんのことでしょう?」


 まさかの問いに慌てそうになるのをグッと堪える。


「惚けないで。あなたも転生してきたんでしょ?」


 リサが左手の人差し指で髪の毛を弄り出す。有紗が苛ついた時のサインだ。私を転生者だと認識する有紗はもう、私に対して猫を被るつもりは無いようだった。


 私はこの動作をする有紗と話しをするのが苦手だ。その苦手意識が私の決意に僅かな影を差す。そのせいで返す言葉を失った私は、口を閉ざした。


──火炙りルート回避して生き続けるためにも、今から正体を明かして攻略法を伝えるべき……?


 私の努力では、現時点で物語の大筋を変える程には至っていない。そうなればおそらくまだ、バッドエンド回避の方法はほんの僅かに残されている。

 元の世界に戻りたい。それが叶わなくてもこの世界で平和な日常を送りたい。それを実現するためには、本当に不本意だが有紗をハッピーエンドに導くのが手っ取り早い方法なのは事実だった。


「ねえ、どうして何も答えないのよ?」


「……あ、えっと……」


 しかし有紗をハッピーエンドに導くのはやはり不本意で、返事に困る。髪を弄るリサの手は一層苛立ちを強めた。


「もうっ、さっさと答えてよ! あんた、どうせ遥香なんじゃないの? 私と一緒に死んだんだから」


 そんな私にリサは、語気を強めてそう言った。


「……え?」


──死んだ……? 私が?


 火炙りルートを回避して、聖女を断罪した先で、まだ元の世界に戻ることも諦めきれなかった私は言葉を失う。しかしリサは止まらなかった。


「あの日、遥香と茜と歩いてたあの返り道よ。結局あたしも死んじゃったけど、遥香はあたしを庇って即死だったし、どうせそうなんでしょ?」


──は? 庇った? 『盾にした』の間違いじゃなくて?


 はっきりと覚えている。私の鞄を引いて、私の背中に隠れた有紗を。私の中に、ショックと困惑、それから怒りが沸々と沸いた。

 その時、昼休みの終わりを告げる予冷の鐘が響く。


「……はぁ、とりあえずもういいや。また今度話すから」


 そう吐き捨てて、リサはくるりと私に背を向けた。事実を受け入れきれない私だけが一人、廊下にポツンと取り残された。

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