目覚めたら、ベッドの天蓋が貴族仕様でした
重たい瞼を持ち上げると、白い世界がぼんやりと視界に広がった。
──ここ、どこ…?
てか、なにこれ。香水…いや、お香?
なんか渋くて古くさくて、ぜんっぜん好みじゃないんだけど。
鼻先に漂うのは、深い森みたいに青臭くて土の香りが混ざったような不思議な香り。
── そもそも、あの事故で生きてるってどういうこと!? …ここ、病院じゃないの?
全くもって好みじゃない香りを肺に吸い込みながら、私はそう思った。
なぜなら、霞がかった記憶の最後は、迫り来る巨大なトラックのヘッドライトと誰かの悲鳴。それから流れる走馬灯。大好きなパパとママの顔に、直前までプレイしていたゲームのスチル。ああ、全部解放しておいてよかったと、馬鹿みたいなことを考えた。
そう、私は間違いなく事故にあった。
あったはずだが、どうやら生きているらしい。
──あれで死ななかったの、もはや奇跡でしょ。とりあえずここは、病院…ってことでいいんだよね?
いつもの放課後。私はファミレスでいつもみたいに幼馴染3人でスマホゲームをしていた。テーブルにはドリンクとびっしりメモを残したノート。私と同じ、ゲームガチ勢の茜と攻略ルートをまとめたものだ。それを見ながら、未解放スチルのある有紗のスマホを操作していた。それからファミレスを出て、青信号の横断歩道を渡っていたはず。
──茜は無事? 有紗ちゃんは…?
他の2人の安否も気になった。
確認をしようと体を動かすが、肉や筋がギシギシと軋んで、他人の身体のように重たかった。それに喉はカラカラに乾いて痛い。仕方なく、視線を動かしてまずは周囲を確認する。
──…ここ、本当に病院だよね…なんか、雰囲気おかしくない?
なにかがおかしい。病院にしては違和感がある。まずベッドはキングサイズくらいあるし、上には天蓋までついている。それに壁紙やカーテンは中世ヨーロッパみたいで、ところどころに置かれた調度品は重厚感があり、病人や怪我人がいる部屋とは思えない。そして極め付けは
──あの紋章…え、まさか、そんなわけないよね…
「…! お、お嬢様…! よかった、お目覚めになられたのですね…! すぐに医師と旦那様方をお呼びします!!」
見知った紋章を目にした時、女の悲鳴にも似た声が聞こえた。しかしすぐにバタバタとどこかへ消えてしまう。
私はこれまで一度だって「お嬢様」と呼ばれたことはない。ギシギシ軋む腕を必死に動かして目の前に差し出せば、そこにも違和感がある。私の知っている私の腕よりも細くて白い。「他人の身体のように重い」ではなく、これは間違いなく他人の身体だ。ベッドに広がる髪も、見慣れた黒髪ではなく長い赤毛に変わっている。
そして一番気になるのは、壁に掲げられたあの紋章。
──おかしい、おかしい、おかしい!! …でも、絶対に私が見間違えるわけない…
私は獅子と鷲が描かれた、力強くも美しいあの紋章を知っている。あれは間違いなく、ルーベイル帝国の紋章だ。
ルーベイル帝国。それは事故の間際までプレイしていた人気スマホゲーム『救国乙女の恋物語』の舞台。
──私、もしかして、ゲームの中に転生した…?
ケホケホと掠れた咳が出る。夢と呼ぶにはあまりにも喉が痛かった。身体の重みも妙にリアルだ。
──夢じゃ…なさそうなんだけど…
◇◇◇
しばらくすると、バタバタと侍女と医師、両親が部屋に現れた。やってきた医師の「もう大丈夫でしょう」という言葉を聞いたとたんに母は倒れ、父と医師はそんな母を抱えて部屋を去っていった。目覚めてからなんとも忙しない。
そんな両親の顔を見た私の中に、徐々にこの世界での記憶が沸いてくる。
女子高生の 間宮遥香 という人格の上に、ルーベイル帝国の子爵令嬢 エレナ・アーレンの人格と記憶が追加されていくような感覚だった。
遥香としての記憶を辿れば、エレナ・アーレンは所謂ゲームのモブキャラである。貿易で財を成す子爵家 アーレン家の娘で、ゲーム中に名前が出るのはたった一度。このゲームの最難関ルートである、王太子ルートのその先、バッドエンドで暴君となった王太子、後の国王によって言われなき罪で処刑される哀れな令嬢として登場するのみ。
つまり私はゲームのストーリーに表立って関わっていない。ヒロインが王太子ルートで失敗さえしなければ、安全にここでの生活を送れるはずである。
──元の世界に戻れるならば戻りたい。その前に、処刑されるのは絶対に嫌!!!
「お目覚めになられて、本当に良かったです。旦那様も奥様も、それに私も、本当に心を痛めていましたから…」
遥香が持つエレナの記憶を整理していると、エレナとしての私に幼い頃から使えてくれている侍女のルーナが言った。
私はどうにも馬車事故に遭い、しばらく眠っていたらしい。ルーナはそんな私を労るように、お部屋の空気を入れ替えますねと、窓を静かに開けてくれた。苦手だった香りが徐々に薄れていく。あれは回復に良いとされるお香だったらしい。
「残念ながらお花の季節はすぎてしまいましたが、今は若葉の新緑が美しいですよ」
「…え?」
思わず声が出る。医師の処置で多少和らいだものの、まだ少し声は枯れていた。
「私、どのくらい眠っていたの…? 今日って何日?」
エレナの記憶を辿りながら、女子高生としての口調にならないように気をつけながら聞く。
「1ヶ月ほど眠っておられました。今日は5月2日です」
「…そんな…! 学園の、入学式は?」
「残念ながら、既に執り行われました。お嬢様は今、休学されている状態です」
窓を開けたルーナは、一度私に顔を向けると申し訳なさそうな顔で答えた。
「…そう。入学式はどうだったの?」
「今年は聖女様のご入学もあり、急遽、神殿も参加する運びとなって一週間遅れての挙行となったようです。それ以外は学園内のことですので、私も詳しくは存じておらず…」
「そうなのね。ちなみに聖女様って、ハートフィリア家のお嬢さん?」
「ええ、その通りです」
──やっぱり…! 私が眠っている間に、もう物語は始まってる!
ゲーム『救国乙女の恋物語』、通称『キューコイ』は、聖女の力を持つヒロインと5人のイケメンとの恋愛シミュレーションゲームだ。
物語は、聖女として覚醒した男爵令嬢が王立学園へと入学するところから始まる。聖女とは魔物が出るこの世界で、唯一魔物に対抗できる力『聖力』を持った存在だ。聖女は貴族から平民まで身分を問わず稀に生まれ、神殿の管轄下で管理される。その地位は高位貴族にも匹敵するため、ゲームでは男爵令嬢であるヒロインと高位貴族が身分を超えた恋愛を繰り広げるのだ。
聖女が入学したということは、既に物語は動き出し、攻略ルートを決める幾つかの選択肢はもう既に選択がなされているはずだ。言われのない罪で処刑されるのだけは避けたい。そのためにはまず、現状を把握することが必要だった。
しかも私の記憶が正しければ、エレナの処刑は王都の中央広場で『火炙り』だ。
──…え、ちょっと。まじで言ってる?
トラックに撥ねられた上に火炙りなんて、絶対に避けたい。
──ヒロインお願い!! 王太子ルートのバッドエンドだけは、絶対に踏まないで!!
【お知らせ/2025.6.9追記】
いつもご覧くださっている皆さま、ありがとうございます。
本作は現在、再調整を行っており、1〜3話を順次21時に再公開しております。
(※内容に大きな変更はありませんが、一部描写を微調整しています)
初めての方も、以前読んでくださった方も、ぜひもう一度お楽しみいただけたら嬉しいです。
6/13(金)には新エピソード・第4話を投稿予定です!
第二話「ヒロインのキャラが崩壊している件について」
お茶会開いて情報収集すすめてみたら、どうにもヒロインは暴走中で、ルートが私の火炙りまっしぐらなようです。