第9話:新たな出会い
「ここで何をしている――」
イーリアスが静かに声を発した。その口調は冷ややかでありながら、どこか柔らかな響きを帯びていた。
だがウィリアムは、すぐに返答できなかった。息は荒く、喉は渇き、声が出ない。
それでも――彼女の視線に、どこか見覚えのある気配を感じていた。
「あんたは……どうしてここに?」
ようやく、かすれた声で問い返す。
焼け跡で目にした仮面の男たち。その背後に、この女がいるのではないかという疑念が、彼の心の奥底で渦巻いていた。
彼女の警戒が緩んだように見えるのも、ただの演技かもしれない。
イーリアスは目を細めたが、何も答えなかった。
ただ、その言葉に呼応するように、彼女の纏っていた緊張の気配が、わずかに和らいだ。だが、ウィリアムはその変化に信を置かない。
(敵意を隠して、油断を誘っているだけかもしれない)
疑念が喉を塞ぎ、言葉が出ない。何を言えばいい。どう動けばいい。
答えは見つからず、重い沈黙が二人の間に立ち込めた。まるで、張り詰めた鋼線の上を渡っているような緊張が、空気を支配していた。
「言葉は通じるようだな……改めて聞こう。ここで何をしている?」
剣から手を離さず、イーリアスが再び問いかける。
その金色の瞳は鋭く、まるで心の内側まで見透かそうとするかのようだった。
ウィリアムは、彼女の真意を測りかねていた。
この問いすら、罠かもしれない。
(下手に喋れば、命取りになる)
慎重に言葉を選びながら、ウィリアムはわずかに口を開いた。
「俺は……故郷を焼かれ、行き場をなくした。ただ、それだけだ」
搾り出すような声だった。その言葉に、イーリアスの瞳がかすかに揺れる。
「故郷を失った……そういうことか」
先ほどまでの冷たい口調とは異なり、どこか探るような柔らかさが声に混じっていた。握っていた剣にも、わずかに力が抜けているのがわかる。
「……ああ」
ウィリアムは短く頷いた。語ることではない。語れるものでもない。ただ思い出すだけで、胸が締め付けられた。
イーリアスはその沈黙に付き合った。
彼の瞳に宿る悲しみと、その奥で燃える怒りに気づいたのかもしれない。
沈黙は、ウィリアムの内に渦巻く感情を静かに物語っていた。
「……すまない。辛いことを思い出させたようだ」
その一言に、ウィリアムの警戒はさらに強まった。
同情の言葉――それは、相手の心を解かせるための常套手段だ。
「いや……」
首を振りながらも、ウィリアムの目から疑念は消えなかった。彼女は何者なのか。なぜ、こんな場所にいるのか。
自分の敵なのか、それとも――。
「あんたこそ、なぜここにいる?」
敵意を隠したまま、ウィリアムは逆に問いを投げかけた。情報を渡す前に、まずは相手の出方を窺おうとした。仮面の男たちと繋がっているのなら、どこかに綻びを見せるはずだ――そう信じて、彼は彼女の表情を細かく観察した。
「数日前、この辺りで山火事があっただろう? 私は、その調査を頼まれて来た。……依頼でね」
イーリアスは彼の警戒を察したのか、そっと掌をひらいて見せた。敵意はない、という意思表示だった。
だが、ウィリアムには「依頼」という言葉が、遠い世界の出来事のように感じられた。
彼の故郷では、人々は助け合い、困った者には村の誰もが手を差し伸べるのが常だった。見返りなど求めず、互いを支え合うのが当たり前の世界。
金を払って誰かに何かを頼む――そんな習慣は、彼の村にはなかった。「依頼」という考え方そのものが、彼には馴染みのないものだった。
「依頼、とは……?」
彼の疑問が予想外だったのか、意表を突かれたように、イーリアスは目を丸くした。ほどなくして、彼女は何かに気付いたかのように、腰に下げた小さなポーチから紙切れを取り出し、ウィリアムの方に広げた。
見せつけるように広げられた紙には、奇妙な線や点が描かれており、それが地図というものだと彼女は説明したが、ウィリアムにはまるで理解できなかった。
それは、彼が見慣れた自然の風景とはかけ離れた、抽象的な模様の羅列に見えた。彼の目は紙の上を彷徨い、眉間に深い皺が刻まれた。
「なるほど……依頼もわからないし、地図も見たことがないときたか」
ウィリアムの戸惑った様子を見た彼女は、どこか納得したような表情で小さく頷くと、広げていた紙切れを先ほどまでと同じようにポーチにしまい込んだ。
彼女の行動は、ウィリアムにとって全く理解できないものだった。しかし、その行動自体に不快感はなく、悪意のようなものも感じられなかった。
彼女がウィリアムを見つめる瞳はまるで、珍しい生き物でも見ているかのような、そんな観察するような眼差しだった。
イーリアスの様子を見ているうちに、張り詰めていた自分自身が馬鹿らしくなり、ウィリアムは警戒心を緩めた。
あの仮面の男たちから感じた、こちらを人間とは認めていないような、冷酷な視線。まるでこちらの意思など存在しないかのような振る舞いは、彼女にはない。
「俺は、そこの山で暮らしてた……そして、奴らが急に村を……」
緩んだ警戒心と共に、喉の奥に詰まっていた言葉が、ぽつり、またぽつりと漏れ出した。あの夜以来、誰とも話していなかったせいか、声は掠れて出にくかった。
抑えきれない感情が、ウィリアムの口から少しずつ言葉となって現れていった。乾いた唇が震え、途切れ途切れの言葉が空気の中に溶け込む。
ウィリアムが時を利言葉を詰まらせながら、断片的に襲撃の様子や、村の話をする。そんな消え入りそうな言葉を、イーリアスがは静かに受け止める。
そんな何でも無いような、落ち着いた時間がゆっくりと流れていった。
「……仮面の男たちに魔法、か。それとスプレンディアス、ね……私の知識にはない種族だ」
焚き火まで場所を移し、ウィリアムと名乗った青年から、今までの経緯を聞いたイーリアスはそう呟くと、その言葉の真偽を測るようにじっとウィリアムを見つめた。
魔法の存在と、未知の種族。そして、目の前にいるウィリアムという存在そのものが、彼女に多くの疑問を抱かせたのだろう。
魔法を扱う仮面の男たちに関しては思い当たる節はあった。しかし、スプレンディアスという聞いたことのない種族、それが彼女には一番の問題だった。
この世界には多様な種族が息づいており、その中でも友好的な種族たちは『良き隣人たち(ザ・フォーク・ビサイド)』と呼ばれ、寄り添うように暮らしている。
しかし、中には友好的ではない種族もいる。『亜人種たち(ザ・フォーク・エルスウェア)』と呼ばれる彼らは、時には討伐対象とされ、彼女自身もそのような亜人種を殲滅する任務を受けたことがあった。
目の前に居る青年は隣人なのか、亜人なのか……その判断がつかないうちは、深入りするわけにはいかない。
イーリアスはそう自身に言い聞かせようとする。だが、目の前にいる彼の光を失った瞳が、それを許さない。
(いきなり現れた存在に家族も、住処も奪われたんだぞ……!)
自身と比べて一回りほど若く、年の頃は十六歳くらいだろうか。この青年は、どれほど凄惨な光景を見てきたのだろう。
この少年が内に秘める燃えるような復讐心と、端々から伝わる憂愁の香りが、彼女の心に強く訴えかける。
「そうか、ありがとう」
まだ心を許してはいないのだろう。ウィリアムはそう答えると、ゆっくりと立ち上がり、俯いたまま、ぎこちない様子でイーリアスに向かってお辞儀をした。
「……邪魔をしてすまない」
かろうじて聞き取れるほどの小さな声で、彼は呟いた。
こちらに気を遣っているのだろうか。ウィリアムは、疲れた足取りでこの場から立ち去ろうとしていた。
(この物を知らない青年を、このままにしておくのか……?)
イーリアスはそんな言葉が、自身の内から響いてくる気がしていた。
「……私はあんたみたいな死んだ眼をした子供を放っておく趣味はない。そこで、提案がある。」
自身の言葉に一瞬驚きながら、イーリアスはウィリアムを見つめた。
夜はまだ長い。これからのことはゆっくり考えれば良いだろうか。彼女は自身の呆れた性格に苦笑した。