暁色の空Ⅱ
初めてジークハルトを見かけたのはいつの時だったか。
恐らくどこぞの貴族に招かれたお茶会だったように思う。まだまだ幼い貴族の子息達の社交の練習の場として用意されたお茶会で彼を見つけた。
そして眉目美しく、いつも令嬢に囲まれてチヤホヤされているジークハルトに何となく軟派な印象を受けた。
クレメンティーネは目立つ髪色をしているものの、その他特筆するべき見た目をしている訳ではない。いつだって群衆の中の1人だったクレメンティーネにとってジークハルトは眩しい一番星のような存在だったのだ。
初めての出会いから月日が経ってクレメンティーネは少女となり、1人で慈善活動などをするようになった。それは貴族の義務でもある。
ブロア伯爵家は神殿の敬虔な信者だったので自然、神殿に隣接する孤児院や救済院の支援を行う事が多かった。
いつもと同じように神殿で祈りを捧げてから孤児院に向かう。孤児院の門をくぐるとすぐの茂みにしゃがみ込む人の姿があった。
かなり小さくなってしゃがみ込む人の姿をみてクレメンティーネは体調が悪いのかと焦ってしまったのだ。
「あ、あの、大丈夫ですか?お身体が悪いのですか?」
つい、大きな声を出してしまった。すると孤児院の子ども達がワラワラと集まってきた。
「あー!!ジーク様、みいつけた!!!」
「見つかってしまったなー」
「え?え?え?」
「クレメンティーネ様のおかげで最後の1人、ジーク様を見つけることが出来たよ」
ははは、と笑いながら立ち上がったのは麗しい姿のあの人だった。
「ほんっとうに申し訳ありませんでした」
「いやいや、お気になさらず」
クレメンティーネがペコペコと頭を下げる。
「お恥ずかしい限りです。あ、ご挨拶が遅れました。私はブロア伯爵家の長女、クレメンティーネです。」
羞恥のあまり名乗るのを忘れていたことに気付き、クレメンティーネは慌てていった。
「私はジークハルト・オースティンです。以後お見知りおきを」
以後と言うか知ってますよ、有名人ですから!と口から出掛かった。
「クレメンティーネ嬢はよく慰問に?」
「クレメンティーネ様はね、いつもお菓子を持ってきてくれるよ!」
「今日はなあに?」
子ども達がお菓子を待ちきれないようなので、バスケットの中からクッキーを取り出して渡した。
「ジーク様はね、いつも剣術を教えてくれるんだ!」
「絵本を読んだりね、数を教えてくれたりするの」
ムシャムシャと食べながら子ども達が教えてくれる。
奉仕活動を精力的に行っているのだと尊敬の念を持ってジークハルトを見る。
「いや、私は子どもと遊ぶのが好きなだけですよ。彼らと遊んでいるとなぜか満ち足りた気持ちにさせられる」
その言葉どおり、その後ジークハルトと度々孤児院で顔を合わせるといつも子ども達に囲まれて朗らかに接していた。ジークハルトはその優れた容姿から軟派な印象のある人だったが、彼の本質は優しく、真面目な人なのだと知った。
それから奉仕活動をする際にジークハルトと顔を合わせる事が度々あった。
顔を合わせれば、子ども達とお菓子を食べている間に話をしたり、一緒に遊んだり出来た。今まで遠くから眺めるだけだった存在との距離が一気に近くなった。
そんな事が一年程続いたある日、ジークハルトは乗馬服で孤児院に現れた。
「今日は馬で遠乗りをしてきたんです」
「それは楽しそうですね」
「武勇の誉高きブロア伯爵家のご令嬢も乗馬がお得意とお聞きしましたが?」
クレメンティーネの生家、ブロア家は武勇で名を馳せる一族だ。父は隣国との争いで武功を上げた人で、兄は要人の警護を任され、それに合わせて国内外を飛び回っている。そして無骨な印象が強いせいか、娘であるクレメンティーネの嫁の貰い手に困っている。
クレメンティーネもそんな家風に漏れず護身術の嗜みはあり、乗馬も好きだ。
「得意ではないかもしれませんが、乗馬は好きですわ。」
「そうですか!では良かったら来週一緒に駆けませんか?」
「…え?」
急な申し出にクレメンティーネは固まった。
「実は渓谷の方の紅葉が実に見事だったのです。来週ごろまで見頃のようなので、もしも良かったらと思いまして」
「も、勿論です!」
この国では年頃の男女が出歩くことは親兄弟を除くとあまりない。それは相当に親しい間柄、と評価される。
これまでたまにパーティーなどで見かける時もあったがたくさんの令嬢に囲まれているジークハルトに声をかける勇気はなかった。稀に目が合うと互いに目礼をする、そんな関係だった。
だから、孤児院でジークハルトと会える時間がクレメンティーネにとって何よりの楽しみになっていた。なんとも不純な動機だと自分自身でも分かっている。
けれど、そんな時に突然2人での外出のお誘いにクレメンティーネの胸のときめきは止められなかった。
ウキウキとした様子のクレメンティーネに侍女達は気がついているようだった。馬は愛馬に乗るとして、どの乗馬服を着て行こうか軽食に何を用意しようかと思いを巡らす。
そんな浮かれた調子で家に帰るとすぐに父であるブロア伯爵から書斎に呼ばれた。
「お父様、お呼びでしょうか?」
「喜べ、クレメンティーネ。お前に見合いの話が遂に来たぞ。」
「お、お見合いですか?」
「これが釣書だ。シーモア伯爵家の嫡男、パーティーで会ったことがあるだろう?」
「えぇ」
シーモア家の長男である彼なら度々パーティーで顔を合わせて挨拶をする様な間柄だ。榛色の髪色をしたがっしりとした体躯の無骨そうな男性だった。
決して印象が悪いわけではない。少し口下手な様にも見えるが、誠実そうな人だと思っていた。
決して、嫌いではない。けれど、この胸の詰まりはなんだろう。
釣り合わない。そう分かっているのに浮かぶのはくすんだ金髪のあの人だった。
「ーーークレメンティーネ嬢?」
「え?も、申し訳ありません。紅葉のあまりの美しさに惚けておりました」
覗き込まれたエメラルド色の瞳にビクリと跳ねた。楽しみにしていた遠駆けなのに、どうしても見合いの事を考えてしまったのだ。
「どこか体調が悪いですか?無理をさせてしまって申し訳ありません。」
「違います!」
せっかくのジークハルトとの楽しい時間のはずなのにクレメンティーネの胸の靄が邪魔をしていた。
「実は…お見合いの話がありまして」
「見合い?」
「まだお見合いの段階ですよ?婚約が整った訳でもないのに今から緊張してしまって。オースティン様でしたらたくさんお見合いの釣書や婚約の打診がくるでしょう?けれど私は初めてなので、なんだか困惑してしまって」
クレメンティーネはつい笑って誤魔化した。なぜかジークハルトにはお見合いの話はしたくなかったけれど、嘘もつきたくなかった。
「…クレメンティーネ嬢、少し休憩にしましょうか?」
ジークハルトは侍女に命じて簡易的な野外での食事を用意させた。そして侍女に少し離れている様に伝えたのだった。
「良かったらどうぞ」
ジークハルトが用意されたサンドイッチを勧めてくれた。クレメンティーネも侍女と準備したピンチョスなどの軽食を並べた。
「いただきます」
ジークハルトが持ってきたサンドイッチはパストラミや野菜の挟まったもので一口食べると肉らしい味が広がり、とても美味しかった。
いつも孤児院でお菓子をつまむ時は会話を楽しみながら食べるのに、今日は2人して黙々と食べ続けていた。そして食べ終わると最初に口を開いたのはジークハルトの方だった。
「たしかに見合いの話は最近多いかもしれませんね」
「ふふふ。そうですよね。」
クレメンティーネは先程の続きを唐突に始めたジークハルトの納得の言葉につい笑ってしまった。
「私は、本当の私自身を見せられる人と一緒になれたらと思っています」
ジークハルトは少し顔をしかめて続ける。
「私は皆が思っているような人間ではないのですよ。どちらと言うと泥臭い事を好みますし」
「確かにオースティン様はキラキラしたイメージがありました」
「不器用で堅苦しい性格ですし」
「その真面目さを好ましく思って下さるご令嬢がいますわ」
「こう見えて奥手です」
「それ…は存じ上げませんでした」
「…私は本来、令嬢をデートに誘う男ではないのですよ」
「ご令嬢から誘われてはいらっしゃるのですよね?」
「…」
「ふふふ」
少し赤くなった顔で拗ねるような表情をしたジークハルトを初めて『愛おしい』と思った瞬間だった。




