暁色の空 Ⅰ
「… ボンボン・ア・ラ・リキュールが食べたいわ。」
「え?」
小さく呟いた一言に丁寧に紅茶をいれてくれている侍女がこちらをみた。
「いいえ。なんでもないの。」
クレメンティーネ・ブロア伯爵令嬢は暁色の髪をかきあげてため息をつく。
つい先程まで父であるブロア伯爵から詰められていたのだ。
「結婚なんてしたくないのよ。」
「まあ、どうしてですか?」
クレメンティーネはある人物の顔が脳裏を掠め、ブンブンと頭を降った。
「どうしてかしらねえ。」
クレメンティーネは貴族学校を卒業したばかりだが、在学中に婚約をして卒業とともに結婚をする令嬢も少なくない。爵位を継げないクレメンティーネは伯爵夫人の元で花嫁修行のような事はしているが、事実暇だ。
「午後は神殿にお祈りに行くわ。」
「畏まりました。」
ブロア伯爵家は国教の敬虔な信者で、神殿への寄進や支援を熱心にしている。その影響でクレメンティーネも頻繁に祈りを捧げに行っているのだ。
クレメンティーネは侍女に暁色の髪を丁寧に結って貰った。目立つ暁色の髪とは対照的に、一度見てもすぐ忘れてしまいそうな標準的でありふれた顔立ちと自負している。
そして最近新調したばかりのデイドレスに着替える。神殿訪問用の華美過ぎない、落ち着いたデザインの物だ。しかし、かなりこだわりのあるドレスでクレメンティーネの身体のラインを極力美しく魅せられるように緻密に計算されていた。
「昨日作ったケーキの準備は出来ている?」
「はい、勿論です」
昨日、侍女と共に手ずから作ったパウンドケーキはオレンジピールを練り込んだ自信作だ。ケーキ入ったバスケットを侍女に持たせ、馬車に乗込む。
ゆっくりと馬車が動き始めると、クレメンティーネはしきりにドレスの裾を気にしながらソワソワと外の様子を眺めた。
「ふふふ。いらっしゃるといいですねぇ。」
「…」
少し揶揄うように言う侍女の言葉をクレメンティーネは聞き流した。
クレメンティーネが神殿に出向くのは祈りを捧げる為ではない。もっと俗っぽく、打算的な理由だ。
神殿に到着するとまずは神官に挨拶をしてから祈りを捧げる。熱心な両親と来ると、真剣に祈る母に合わせて時間をかけるが1人で来る場合はアッサリ終わらせる。なぜならクレメンティーネの本当の目的は祈る事ではない。もっと言えば神殿に来る事でもない。
神殿に併設された孤児院に行く事なのだ。
「きゃっ、きゃっ」
「あはははー」
クレメンティーネは祈りを終えると足早に孤児院の方へ向かった。孤児院に近くなるに連れて子どもの遊ぶ声や笑い声が大きくなって行った。
門をくぐり、孤児院の前の庭に行くと十数人の子ども達が走り回っていた。クレメンティーネはキョロキョロと見渡し、目当ての少しくすんだ金髪を見つけた。
「ジーク様、もう一本!!」
「いいぞ、さあ来い!」
少年と2人木刀を手にしている。どうやら剣術を教えているようだ。
何度も踏み込んでくる少年を軽く受け流している。細身で軟弱そうに見えるが、実はきちんと鍛えているようだ。
「あー!クレメンティーネ様だー」
「クレメンティーネ様、そのバスケットはなあに?」
子ども達がクレメンティーネに駆け寄って、目敏くバスケットを見つけた。予算に限りのある孤児院の子ども達にとっては貴族が差し入れする甘味は何よりの楽しみなのだ。
「今日はパウンドケーキを焼いてきたの。みんなで食べましょう」
「「「やったー」」」
手を挙げて喜ぶ子ども達にクレメンティーネはにっこりと微笑んだ。
「やあ、クレメンティーネ嬢」
ジークハルトがクレメンティーネに気軽く挨拶をしてくる。公式な場ではないので服装も振舞いもかなりフランクだ。
「オースティン様、ご機嫌よう」
クレメンティーネもにこやかに答えるが内心はジークハルトの美貌にドキドキしていた。
「今日も奉仕活動ですか?頭が下がります」
「い、いえ。オースティン様こそ」
クレメンティーネは邪な気持ちに罪悪感を覚えながらも答えた。
クレメンティーネお目当ての相手、ジークハルト・オースティン子爵令息はその美貌で社交界では令嬢に大人気である。子爵家と言っても名門ローゼンタール侯爵家一門に連なるので、クレメンティーネの生家ブロア伯爵家にも引けを取らない。むしろ権力、財力でその辺の伯爵家には負けないだろう。
子ども達が手を洗い、パウンドケーキを食べ始めたので2人もベンチに腰かけることにした。クレメンティーネがジークハルトにも勧めると礼を言ってから口に運んでくれた。
「美味しいです。オレンジの香りがいいですね」
「良かったですわ」
ジークハルトの笑顔が眩しくてクレメンティーネはつい目を逸らした。そんなクレメンティーネの状況を知ってか知らずかジークハルトは話を続ける。
「クレメンティーネ嬢は甘いものがお好きなのですね」
「ええ、お菓子には目がなくて…」
「一番お好きなのは?」
「そ、そうですね…」
クレメンティーネは、少しだけ考えてから答えた。
「ボンボン・ア・ラ・リキュール…でしょうか?」
「ボンボン・ア・ラ・リキュール??」
「あ、薄い飴の中にリキュールが入っていたりするお菓子です。私が好きな物は口にするとコアントローが広がって美味しいのです。」
「なるほど。それはとても美味しそうだ」
ジークハルトは愉快そうに言った。
「ただ、王都でもなかなか手に入りませんわ。舶来品です。兄が隣国へ出張に行った際に見つけると買ってきてくれます。」
「では今、我が再従姉妹殿がローゼンタール領にいるようなので領都の湊にあったら買ってきて貰いましょう」
「え、そんな!滅相もないですわ」
ジークハルトが指す再従姉妹とはローゼンタール侯爵家の令嬢フラヴィアの事だ。彼女とは面識はないが、とても綺麗な人で社交界の花と言われる一人である。
そしてそのローゼンタール領には国内有数の河川湊があり、近隣国の舶来品が集まるらしい。
「気にすることはありません。彼女はあぁ見えてとっつき易い人ですよ」
「そうでしょうか?」
ジークハルトにとっては気のおけない人であってもクレメンティーネにとっては違うのだ。そしてクレメンティーネには聞きたい事があった。
「あの…その…オースティン様とフラヴィア様はその…将来を約束されている…のですか?」
モジモジと聞いてみると、ジークハルトはエメラルドの瞳を丸くしてキョトンとした表情を見せた。それから破顔して教えてくれた。
「いや、彼女とはそんな関係ではありませんよ。それに彼女には相思相愛の婚約者がいる」
「そ、そうなんですか…」
内心ホッとしているクレメンティーネは不意打ちを付かれた。
「クレメンティーネ嬢は?」
「え?」
クレメンティーネは見つめるエメラルド色の瞳に言いたかった。
ーーー私は貴方をお慕いしている、と。
『婚約破棄をした側令嬢の話』のスピンオフ的位置づけの物語です。




