II 侯爵家の密談
始まりは初夏の爽やかな日の事だった。
その日は昼食の頃、ローレンスが王都にある屋敷を訪れて2人で食事をする予定だった。
フラヴィアは早起きをして侍女に完璧に仕上げて貰っていた。金色の長い髪を綺麗に結い上げ、瞳と同じ菫色のドレスを身にまとった。久しぶりに新調したお気に入りのドレスを早くローレンスに見せたくて心を弾ませていたのだった。しかし17歳で貴族学校を卒業したばかりのローレンスは癒官として駆け出しで忙しく、到着が遅れるとの旨連絡があった。
「残念だわ。早く見せたかったのに。」
予定が遅れた為、侍女にお茶を入れて貰い外の緑が美しく映える窓際の席に座り、少し口を尖らせた。
「まあまあお嬢様。楽しみはとっておきましょう。本当にお似合いですもの。きっとローレンス様は見惚れるに違いありませんわ。」
「ふふふ。そうだと嬉しいわ。」
少し頬を染めて微笑むと、侍女達は微笑ましいそうにフラヴィアを見つめた。
「あら?」
窓から屋敷の門の方に目を向けると一台の馬車が入って来るのが分かった。ローレンスが急ぎ訪問してくれたのかと思ったが、乗っている馬車には家紋がない。
貴族であれば家紋入りの馬車に乗っているのが一般的だ。
「お嬢様。」
フラヴィアは出窓から身を乗り出すようにして外を見た。侍女から咎められたが、好奇心は止まらない。
馬車の扉が開き、見知った人物が2人降りてきた。
「オースティンのおじ様とジークハルト様だわ。」
親戚のオースティン子爵とその令息だった。フラヴィアは少し首を傾げる。
2人が訪れる時はいつも家紋の入った黒い馬車を使っているのに。それに親しい親子の来訪をフラヴィアに伝えられていないことも不思議に思った。
「ご挨拶しなければね。」
フラヴィアは姿見で自分の姿を確認する。
ローゼンタール家に伝わる金色の髪を整える。そして菫色の瞳は母の色だ。母の家系は元々は王家に連なる家系であった。母の祖母、つまりフラヴィアの曽祖母は王の末妹姫で降嫁されたのだった。
完璧な姿を鏡に映し、にっこりと微笑んだ。お気に入りのドレスを早く誰かに見せたい気持ちが強かった。
「お嬢様!!」
タタっと駆け出すと、再び侍女から声がかかるがそのまま部屋を1人で出た。
(お客様と会うなら応接室かしら?でも、お仕事の話かもしれないわね。だとしたら書斎かも。)
フラヴィアはとりあえず父の書斎に向かうことにして早足で廊下を進む。
書斎の前には誰もいなかった。普段なら家令が立っているが、誰もおらず、シンとしている。
(やっぱり応接室?)
首を捻る。厚く重厚な扉なので、部屋の様子は全く分からない。フラヴィアは扉をノックする。
反応はなかった。いつもならオースティン子爵が笑顔で迎えてくれるからやはり書斎ではなかったのだろう、と応接室に向かおうと歩き出そうとしたその時。
扉がわずかに開き、中からジークハルトが顔を出した。
「フラヴィア嬢?」
「…ご機嫌よう。ジークハルト様。」
フラヴィアは一瞬息を飲んだ。ジークハルトの整った顔は青白く、血の気が引いているようだった。
「どうしてここに?」
「ええっと、おじ様とジークハルト様が馬車から降りられるのが見えたのでご挨拶にと…。」
ジークハルトは乾いた声でフラヴィアに言った。いつもなら挨拶を交わした後、慣れた様子でゆったりとフラヴィアの髪型やドレスを褒めたりしてくれるのにそこにあるのは僅かな焦燥感だった。
「フラヴィアか?」
書斎の中から父の声がした。
「良い機会だ。話がある。お前も入りなさい。」
「失礼します。ご機嫌よう、オースティン子爵。」
「お邪魔しているよ。フラヴィア嬢」
中には父と父の従兄弟で仲の良いオースティン子爵がソファーに座っていた。しかしいつもなら軽い調子で掴みどころのない子爵も、常に悠然と構えている父も纏う空気が重い。ジークハルトとフラヴィアが入って来るのを見届け、父が座れと手で合図するので、フラヴィアは空いていた父の隣に腰掛けた。
「フラヴィア嬢にも伝えるのですか?」
子爵が問いかけると、父は静かに肯定した。そして真面目な顔でフラヴィアに問答を始めた。
「フラヴィア、お前は救済院や孤児院を慰問したり、領地の民と交流したりしているな。この国の現状をどう思う?」
「そうですね。私の主観で正直に申し上げても?」
「構わん。」
戸惑いながらも少し考えてフラヴィアは答える。
「今、国民の負っている負担は重いと思います。紛争地帯に住まう国民達は特に顕著でしょう。農民は昨今の気象不良によって収穫が減っているのに納める税負担は重いままで苦しんでいます。商人も商品に重い関税をかけられて流通が滞っています。これでは貿易が活性化されません。また、兵役も適齢期の男性にとっては重い負担となっていますし、働き盛りを徴収しているので出生率もわずかに下がっています。」
「なるほど。」
「出生率が下がっているのに孤児が増えています。口減しに捨てられたり、両親が病気や戦禍に巻き込まれ亡くなったりしているからだと思います。救済院の利用者も増えています。これは十分な治療が受けられなかったり、食べるのに困っている国民が増えているからでしょうか。」
正直言って、現在国内は荒廃している。国境を接する隣国とは常に緊張状態で小競り合いは日常茶飯事、辺境の民族が何度も蜂起しては紛争が起きている。
それらの地に住まう国民はもちろん、それ以外の地の国民も天候不良による食物の不作や重課税に喘いでいる。
「よく分かった。では、ジークハルトに問おう。今、フラヴィアが挙げた問題を解決する方法はあるか?」
フラヴィアも分かっていた。それが問題だ。
様々な問題を解決するのが政治だが、正解が分からない。これらをいとも簡単に解決する名君など夢物語にしか存在しない。そもそも現在の国王陛下は正直に言って名君には程遠い人物だった。
「それは、難しい問題ですね。」
ジークハルトは少し考える仕草をしてから言葉を発した。
「私の個人的な意見ですが、まずは隣国と和平を結ぶ道を模索するべきではないかと考えます。解決すればそれらに関連する国家予算を貧困対策など他に割けるようになりますし、徐々に兵役や税の負担を減らせるかもしれません。それから医療、衛生、教育にはもっと力を入れるべきかと思います。」
「たしかにそうだな。」
「あとは、そうですね。天候不良であっても育つように穀物の品種改良に力を入れるべきかと。研究には時間も予算も必要なので一朝一夕には解決出来ない問題ですが。」
フラヴィアもジークハルトの説明に熱心に耳を傾けた。父もオースティン子爵も腕を組み頷いている。
フラヴィアとジークハルトの答えは及第点を貰えたらしい。
「ジークハルト、フラヴィア、お前たちの意見は分かった。そして私達と大枠は似た意見だ。」
父親2人が頷き合い、オースティン子爵がやれやれと頭をふる。
「…だが、国王陛下はそうは思われていないのだ。陛下は隣国へ攻め込み、統治する事で豊饒な土地と兵力を確保するべきとお考えだ。」
「まさか大規模な戦争を始めようとなさっている、と?」
フラヴィアは驚いて立ち上がった。ジークハルトも子爵も頷く。
「フラヴィア、落ち着け。そして座りなさい。」
フラヴィアはおずおずと腰掛ける。他の3人にとっては周知の事実だったようだ。
「ローゼンタール家一門としては、陛下に諫言申し上げている。しかしそのせいで今、中枢からは外されている様な状態だ。」
父がローゼンタール家の紋章の入った指輪を何度か丁寧に撫ぜた。ローゼンタールの薔薇の紋章だ。
「我々とて、ただ手をこまねいているだけではない。どうにか戦争は回避しようとしている。しかし、どうしても回避できなくなった、その時には…。」
父であるローゼンタール侯爵の瞳が鋭く光ったことをフラヴィアは決して見逃さなかった。