暁色の空Ⅶ
「お父様、私は神殿に入り神様に仕えたいと思っているのです」
クレメンティーネからそう告げられた父は驚きのあまり椅子から転がり落ちた。
孤児院での出来事から1週間。クレメンティーネは自室に引きこもり、1人自分と向き合った。そして一大決心をしたのだった。
「クレメンティーネ、それはあまりにも極端と言うものではないか?いくらジークハルト殿に惚れていたとは言え、星の数ほど異性は居るだろう」
ブロア家は敬虔な信者なのであっさり許してくれるかと思いきや、そこは別の問題であるようだった。
「でも私はオースティン様を含め、先の革命で命を落とされた方々が安らかに眠って下さるように、この国が安寧を取り戻せるように祈りながら生きていきたいのです。」
「いや、だが…」
クレメンティーネは生前のジークハルトを忘れる事がきっと出来ないだろう。
「それに不相応にオースティン様とお見合いをして無様に振られたと噂になっている私を、妻にしたいなどと考える奇特な殿方はなかなかいらっしゃらないでしょう?それでなくても我が家は先の革命から冷遇されていますし。」
フラヴィアはふふふ、と笑って見せたが父は逆に眉間の皺を深めた。
「それがだな、そんな奇特な方がいるのだ」
「え?まさか」
「そのまさかだ」
父は机の上から一通の釣書を差し出した。
「シーモア伯爵家の嫡男だ。以前見合いをしただろう」
「…お断りしたはずでは?」
「した。だが、どうしてもと。最後にもう一度だけと言ってくださっている」
シーモア伯爵家は以前から一貫して穏健な中立派を保って来た家だ。
日和見派と揶揄された事もあったが、現在の立場で言うとブロア伯爵家よりも格段上だろう。
「オースティン子爵家との事や我が家の立場を理解してなお、再度お前を娶らないかと打診してくれている。」
「そんな。どうして…」
「クレメンティーネ、お前には幸せになって欲しいのだ。お前をこんなにも好いてくれている人がいるのだから父を安心させてくれないか?」
父はブロア家の当主としてではなく、父親としてクレメンティーネを心配してくれているのだ。それが理解できるだけにクレメンティーネは押し黙ってしまった。
暫くの沈黙の後、父はゆっくりとデスクに置かれたティーカップを手に取り口に含んだ。
「父の願いは聞き入れて貰えないのだな?」
答えに困るクレメンティーネを見つめ、そして目を閉じて少し考えるようにしてからこめかみを揉んだ。
「ふぅー。まあ、お前の気持ちは分かった。だが先方にはお前が直接断りなさい。それが誠意と言うものだ。」
物言わぬクレメンティーネに父はゆっくりと諭したのだった。
「申し訳ありません。シーモア様との婚約は受ける事が出来ません。」
数日後、クレメンティーネはシーモア伯爵家を訪ねた。父の言いつけ通り、直接お断りをするとシーモア伯爵家ハロルドは静かにクレメンティーネを見つめていた。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「…ご存知かもしれませんが、シーモア様とのお見合いの後でお見合いをした方がいらっしゃいました。その方をお慕いしていたのです。」
ハロルドは目を瞑って小さく頷いた。
「その方は亡くなってしまいましたが他の方と夫婦になる事はなかなか考えられないので、私は神殿で神に仕えたいと思っています。その方が安らかに眠って頂けるよう祈りながら過ごしたいのです。ですから、結婚は出来ません。」
「…私はジークハルト殿を尊敬していました。」
「え?」
クレメンティーネは誰とも言わなかったが、ハロルドには伝わったようだ。
「彼とは短い期間でしたが共に鍛錬をしたり、手合わせをした事があります。彼は私などとは違って御婦人からの評判も良く、私は…僻んでいました。体格の面で私にはかなり有利です。彼は細身に見えますし、正直に言うと見くびっていたと思います。」
ハロルドは遠くを見るような目をして一気に話をした。口下手な彼がこんなにも話しているのを見るのは初めてのことだった。
「しかし、剣が交わってみると彼の動きはなんと言うか…非常に流麗で。武道に向いているとは言えないあの体格であそこまで極めているのはどれだけの努力を重ねてきたのか。」
孤児院でピーター達に稽古をするジークハルトを思い浮かべた。武道が得意な父の影響もあり、比較的見る目が肥えていたクレメンティーネだったが確かにジークハルトの立ち姿は綺麗だと思っていた。
「恵まれた体格の私には到底想像出来ません。持たざる者があそこまで鍛錬するのは…彼は間違いなく真面目で努力家で忍耐強い男です。」
「私も…そう思います。」
クレメンティーネが小さく言うと、ハロルドは破顔していった。彼の笑顔をみるのもきっとこれが初めての事だった。
「ですから貴方がジークハルト殿を選ばれたと知った時、当然だと思いました。彼は良い男です」
「そんな…」
「勘違いしないで頂きたいのは、貴女に彼を忘れて私に嫁いで欲しいと無理を言いたいわけではない。
私は彼と特別に親しかった訳ではありませんが、尊敬していますし、彼の死を悲しむ1人です。2人でその死を悼み、弔いながら生きては頂けませんか?」
ハロルドの温かい言葉が胸に沁みて、ハラリと涙を溢した。
大きな革命の中ではジークハルトの個人的な死は小さな事でしかないかのように扱われていた。しかしクレメンティーネの中では革命で命を落とした者の中の1人ではない。ジークハルトやフラヴィア、亡くなった1人1人に人生があり、家族や恋人がいて友がいる。クレメンティーネにとってそのたった1人がジークハルトなのだ。
そんな中で彼を悼み、悲しみを分かち合おうとしてくれる人が隣にいると言うのはどれだけ救いだろう。
「でも、それでは貴方を利用する事になります。家を継ぐとなれば、その…子も必要ですし…」
「そう仰ると思っていました。構いません。なぜならもし私が結婚しないのであれば結果は同じですから」
ハロルドは簡単に笑い飛ばしてくれた。
とはいえ、今クレメンティーネの心の中はジークハルトでいっぱいだ。いずれ記憶も薄れて行くのだろうか。その時まで彼の笑顔を心に閉まっておいても良いのだろうか。
クレメンティーネは決意した思いが簡単に揺らいでいるのを感じた。
「神殿に入らずとも、私たち2人で弔いましょう。」
クレメンティーネは今までハロルドの表面的な部分だけをみて評価をして来た事を恥じた。こんなにもクレメンティーネの心に寄り添ってくれる殿方はきっともういない。
けれどクレメンティーネは一度した決断をすぐに覆す事が出来ずしばらくはぐずぐずとしていた。やはりジークハルトの事は簡単には忘れられなかったのである。
しかしハロルドは相当な変わり者だった。家の利益にならないクレメンティーネとの婚姻をただ一途に望んでくれた。
なかなか首を縦に振らないクレメンティーネを根気強く待ってくれたのだった。
クレメンティーネがようやく頷いたのは、この国で2度目の薔薇の祭りが行われる頃のことだった…。
ーーーまだ夜の匂いがした。
ジークハルトはローゼンタールの領都を塔の上から見下ろしていた。目に見て分かる範囲に国王軍が迫って来ているのが松明の光で分かった。
まだ闇を纏う空を形の良いエメラルド色の瞳を細めて見る。ジークハルトはふっと口の端を上げるとコアントローのリキュールを含んだ。
「さぁ、正しいと思う事をしよう」
誰に言うともなく、ジークハルトは呟くとマントを翻して塔の中へと歩を進める。
東の空が僅かに白み始めた。
それがジークハルト・オースティンの見た最期の空の景色だった。
『暁色の空』
end.




