暁色の空Ⅵ
そして、その日はやってきた。
その日は朝から何かと屋敷の中が騒がしかった。父や兄から様々な指示が飛び交い、使用人は勿論、伝令や馴染みの商人もバタバタと出入りしていた。
そしてあっという間に出立の用意をした父と兄がクレメンティーネと母を呼んだ。
「よく聞くのだ。ローゼンタール侯爵家一門が国王陛下の隣国への侵攻に抗議して蜂起した。」
クレメンティーネも母も息を飲んだ。
「これより私は伯爵家の当主として軍を率いて王都の守備に向かう」
「私は要人の警護に向かう予定です」
つまりそれは父も兄も国王軍側につくと言う事だった。ブロア伯爵家は武の一族らしく、国王陛下への義に熱い。忠義のブロア家、悲しいまでに真っ直ぐな家系なのだった。
「ここからは何が起こるか分からない。ローゼンタール侯爵家一門が我が家を取り込もう人質を取りに来るかもしれないし、戦闘に全く関係のない狼藉者が混乱に乗じてやって来るやも知らん。お前たちは私たちが留守の間、しっかりと誇り高きブロア家を守ってくれ。」
「畏まりました。ご武運をお祈りしております」
母は緊張した面持ちで丁寧に頭を下げた。クレメンティーネもそれに習うが、頭の中は他の事でいっぱいだった。
ローゼンタール侯爵家一門、と父は確かに言った。それは間違えなくジークハルトの生家であるオースティン子爵家が属している。つまり、ジークハルトもこのクーデターに参加し、国王陛下に反旗を翻していると考えられた。
「…クレメンティーネ」
足早に部屋を出て行こうとした父は、扉の前で少し迷ったように足を止めた。
「残念だが、オースティン子爵家とは敵対する間柄となってしまった」
「…はい」
「彼はこの計画を知ったから…」
父は途中まで呟くと、頭を振ってから言葉少なく屋敷を後にしたのだった。
ーーー歴史的な革命を終えて半年を迎えようとしていた。まだまだ王国の混乱は続いていたものの、少しずつ新たな体制に移行しつつあった。
先に蜂起し、国王軍に鎮圧されたローゼンタール侯爵家は当然一時逆臣として貶められた。
しかし直後にローゼンタールを隠れ蓑にして、攻め上った王弟殿下が政権を奪取してからその印象は変わった。
隣国に攻め込み、戦争を始める計画だった国王から国と国民を守った正義のヒーロー、それがローゼンタール一族に対する現在の国民の評価だ。
対して国王軍側としてクーデターに関わったブロア伯爵家の立場はあまり芳しくない。ブロア家は忠義を大切にする家系だったので積極的に国王派ではなかったものの、鎮圧にも関わった事で今後しばらく重要なポストに就くことは難しそうだ。
そしてクレメンティーネの婚姻が更に難易度が高くなった事は間違えなかった。
そんな状況なので社交の場に出る事もなく、神殿へ祈りを捧げる事と孤児院への慰問を熱心に続けていた。
ジークハルトはローゼンタール侯爵領で勇敢に闘い、その命を散らしたと聞く。けれど、クレメンティーネが知っているのは一般的な情報だけだった。
だから、つい祈ってしまうのだった。どうか、ジークハルトがどこかで密かに生きていて欲しい、と。
神殿でお祈りをした後、孤児院へ向かう。
「きやっきゃっ。」
「あははー」
久方ぶりに子どもたちの笑い声が聞こえる。
クーデターが起こり孤児院に現れることのなくなった彼を思い、どこか沈みがちだった子どもたちの笑い声を聞くのはいつぶりだろうか。
「ーーー様、もう一回!」
「いいぞ、こい!」
クレメンティーネの胸はドキリと跳ねた。
まさか、まさか。
こんなに子どもたちを笑顔に出来るのは。
クレメンティーネはスカートの裾を掴み、淑女にあるまじき姿で駆け出した。
まさか、貴方がここにいるなんて。そんな事、あるわけないのに。
まさか、だって、そんな。
「ジーク…ハルト様?」
息を切らして小さく呟く。けれど、目に映ったのは勿論焦がれたくすんだ金髪ではなかった。
「お初にお目にかかります。クレメンティーネ嬢でいらっしゃいますね?」
そこにはいたのは見慣れぬ黒髪に紺青の瞳の人だった。
「先程は名乗らず、大変失礼致しました。改めましてローレンス・エジャートンです。こう名乗った方が分かりやすいかもしれませんね。フラヴィア・ローゼンタールの元婚約者で、ローゼンタール侯爵家に婿に入る予定だった者です」
取り乱したいたクレメンティーネが落ち着いてから、孤児院の庭の一角のベンチに座るとローレンス様が挨拶をした。
「クレメンティーネ・ブロアです。オースティン様の…」
クレメンティーネは言葉に詰まる。
ローレンス様はフラヴィア様の元婚約者だと名乗った。けれど、自分は?正式な肩書のない自分はジークハルトの何だろう?恋人ではなく、婚約者でもない、かと言って友人とも言い難い。
ただ、たまにこの孤児院で話すだけの関係、それが正しい言い方だ。
「ジークから貴女の話は聞いていました」
「え?」
「彼とは貴族学校で同輩でしたから。卒業してからも会えばフラヴィアを交えて会話をしたりして」
「そう…ですか」
「以前、ここで貴女と会う話をジークがしていたので今日は伺いました」
貴族の男性が女性を訪ねるのはそれだけで親しい関係だと思われる。一時期お互いの婚約者たちが起こしたスキャンダルの影響を考えるとブロア伯爵家を直接訪ねるのを避けてくれたのだろう。
「実は先の革命の後しばらくして差出人不明の文が届きました。何人かの人間を経由していて本当に誰からの手紙が分からないようになっていたのですが」
小さな包みを差し出された。
「けれど、これはクレメンティーネ嬢宛てだと思います。」
差出された包みは少し潰れていて、ローレンス様に届くまで紆余曲折あったことが偲ばれる。
「開けてみて頂けますか?」
クレメンティーネは包みを広げて息を飲んだ。
「ボンボン・ア・ラ・リキュール…」
「私は以前、1人だけボンボン・ア・ラ・リキュールを好まれるご令嬢について聞いたことがあります。舶来品で国内では流通していないからローゼンタール領に行った際に見つけたら土産に欲しいとも。当時、ローゼンタール領でも見つけられず、土産にする事は叶いませんでしたが…」
「オースティン様以外には言った事がないはずなのです」
クレメンティーネは震える声で答えた。
外箱をじっと見つめていると、一言書き付けがある事に気がついた。
「『幸あれ』…?」
「貴女には幸せになって欲しかったのだと思います」
「けれど、婚約は断られていますのに…」
クレメンティーネは信じられない気持ちで呟いた。
「…私はジークにフラヴィアの菫色の瞳が好きだと惚気た事があります。その時は揶揄われて笑われたのですが…」
ローレンス様は少し顔を赤らめて笑った。
「ある時、酒を飲みながら私の気持ちが分かるようになったと言っていました。貴女を近くに感じたくてつい、好きだと言っていたコアントローを嗜んでしまう、と」
「あ、ぁぁ」
クレメンティーネは嗚咽を漏らした。どんな気持ちでジークハルト自分にこれを贈ったのだろう。
「貴女宛だと確信しました。それから差出人がジークハルトだとも。」
「そんな…」
その後は言葉に出来なかった。
どうして、こんな物を贈ったの?どうして、今更なの?どうして、何も言ってくれないの?どうして…
「私はジークハルトの友として、フラヴィアの元婚約者として貴女の誤解を解きたいと思ってきました。…勘づいておられるかもしれませんが、2人は世間で言われるような恋仲ではなかったと思います。」
クレメンティーネは頷いた。言葉にしたいのに喉の奥がヒリついて言葉にならない。
「私達を裏切って婚約破棄をしたのではなく…私達を謀反の連座から守りたかったのでしょう。」
「そんな事…私だって…貴族の娘ですもの。覚悟は…出来ていましたのに。」
ヒクヒクと震えながら声を絞り出した。
「…私もそうでした。」
ローレンス様は落ち着いた声で言った。落ち着いてはいるものの、そこには深い悲しみと…後悔の念を感じられた。そこで初めて、ローレンス様が自分と同じ立場なのだと思い知った。
「ジークは貴女を…とても想っていたと思いますよ。」
ーーーローレンスは亡き友人の想い人と別れ、待たせていた馬車に乗り込んだ。
ゆっくりと動き出し、窓から去り行く景色を眺めた。
そして徐に上着の内ポケットから質が封書を取り出す。中に入っているのは簡素な紐で括られた輝くような金色の髪だ。誰の髪かなんて一目見ただけですぐに分かった。
同封された1枚の髪には走り書きされた一文があった。
『菫は咲いている』
それだけで充分だった。彼が言いたい事はすぐに理解出来た。
「ジーク、私は君に報いる事が出来ただろうか?」
あの時はジークハルトの葛藤も迷いも理解出来なかった。全てが終わった今なら彼の気持ちもよく分かる。そして、婚約者フラヴィアの気持ちもだ。
『気がつくとつい、彼女の色を探してしまう』
そう言っていたジークハルトが誰よりも守りたかったであろう彼の最愛の人を思った。そしてせめてその最愛…クレメンティーネ・ブロア伯爵令嬢の今後の人生が幸せであるよう、心から祈りながら馬車に揺られるのだった。




