暁色の空Ⅳ
夢のような見合いからしばらくしてからブロア伯爵家から婚約の打診をした。見合いからすぐに婚約の打診とならなかったのはブロア家側の事情である。
急遽当主である父が国王陛下直々の任命で辺境の地まで視察を向かう事となり多忙な日々を過ごしていたのだ。
打診まで少々の時間がかかってしまったもののブロア伯爵家からは確かに打診をした。
それなのに。しばらくの間返事はなかった。ヤキモキする気持ちを抱えながらもクレメンティーネは社交に出向きつつ過ごしていた。
しかし当事者達しか知らないはずなのに。貴族のネットワークを侮るなかれ。ジークハルトとクレメンティーネが見合いをした話は耳聡い貴族令嬢達の間で話題になっていた。
元々令嬢達の憧れの存在だったジークハルトの見合いについて周囲は興味津々のようだ。普段はその他大勢の中の1人でしかないクレメンティーネもこの時ばかりは令嬢達に囲まれてあれやこれやと詰められた。
政略結婚が主とは言え、令嬢達は素敵な貴公子と幸せな結婚生活を送る事を夢見ているのだ。
クレメンティーネも返事が来るまでの間、優しく誠実なジークハルトとの結婚生活を想像して不安な夜を乗り越えたのだった。
暫くしてジークハルトの生家オースティン家からやっと婚約の打診の返事が届いた。ブロア伯爵家にとって待ち侘びた書簡だった。
「…否、だ」
「今、なんと?」
「婚約の打診は断られた、と言う事だ。クレメンティーネ」
クレメンティーネは息をすることさえ忘れた。
「オースティン子爵家の令息は美丈夫だからな。よりどりみどりなのだろう。気にするな、クレメンティーネ」
ガッハッハと笑う熊の様な父を呆けて見つめる。そのややデリカシーにかかる態度のせいか父も兄も数度縁談に失敗しているらしい。だからこそクレメンティーネの見合いが上手くいかなくても大した問題ではないと笑い飛ばしてくれたのだろう。
「そう…ですね」
だからクレメンティーネも笑った。
「あんな素敵な方が私との縁談を受けて下さるなんて思えませんもの」
震える唇を隠しながら、笑った。
「それでは私は部屋に戻ります。また見合いの話が来ると良いのですが」
父に挨拶をして自室に向かう。なんでもないかの様に精一杯の虚勢を張って。
「…お嬢様…」
娘の心の機微を分からない脳筋の父と違って仕える侍女達は分かっているのだ。唇を強く噛み締め、瞳に大粒の涙を溜めるクレメンティーネの気持ちを。
自室の前でやっとクレメンティーネは口を開いた。
「ご、ごめん、なさい。今は、1人に、してちょ、頂戴」
「…畏まりました」
クレメンティーネは部屋に入ると後ろ手に鍵を閉めた。
「私ったら1人舞い上がってしまって恥ずかしいっ…」
貴族の婚約は本人達の気持ちだけで決まるようなものではない。熊の様な見た目の父の見合いがなかなか成婚に至らなかったように本人達の相性も考慮されないわけではないが、両家の思惑や他家との兼合いが強く影響する。
伯爵令嬢として育ったクレメンティーネだってそれを知らないわけではない。寧ろ幼い頃から嫌と言う程貴族の婚姻を見てきた。
それなのにこの恋が実る事を期待してしまった。叶わぬ恋だと、ただの憧れだと、そう思ったままなら良かった。1度は手に入るかもしれないと思ってしまった幸せを手放す痛みがクレメンティーネを蝕む。
「それならそうと言ってくれれば良かったのに」
婚約の断りがジークハルトの心変わりなのか、それとも家の事情なのかクレメンティーネには分からなかった。
ただ、婚約の打診をして欲しいと言ってくれたのはジークハルトだったのに。
想い合う人と共に人生を歩める幸せに舞い上がっていたのはクレメンティーネだけだったのだろうか。
クレメンティーネは三日三晩部屋に籠り泣き腫らした。母や兄、さすがに脳筋父でさえもその異変に気がついたようだった。
ようやく部屋を出られるようになってからも思うように食べ物が喉を通らなかった。
一口食べては溜息をつくクレメンティーネを両親はもちろん使用人達も心配していた。
長い間家でぐずぐずと過ごしていたが流石にいつまでも籠ってあるわけにもいかず、社交に出向く事にした。久しぶりに社交用のドレスに腕を通すとだぶだぶとして大きかった。知らず知らずのうちに痩せてしまっていたようだ。
「まあ、クレメンティーネ様。お痩せになってお綺麗になられたのではなくて?」
「そんなに痩せたでしょうか?」
「ええ。かなりほっそりとされて。」
「クレメンティーネ様も大変でしたものね。あまり気を落とさず…」
やっと出かけたパーティーでは目ざとい令嬢達に囲まれた。クレメンティーネ本人に直接的には言ってこないが、噂では有る事無い事言われているのだろうと理解した。
心の中では辛い思いもしたが、伯爵家の令嬢としてみっともない姿は見せられない。笑みを貼り付けて、何でもないかのように振る舞った。
「あら、そのネックレス素敵ですね。お似合いですわ。」
「最近、貴金属の値段が急に上がったとか?でも父にねだって買ってもらったのです。」
そのおかげか令嬢達はすぐ別の話題に移ってくれた。
「ところでここだけの話ですけれど、フラヴィア様の噂はお聞きになって?」
「噂ですか?」
「婚約者との仲が冷めきっているとか」
「以前は仲睦まじくお茶会やパーティーに参加されていたのに最近では全く…」
クレメンティーネは以前、ジークハルトが再従姉妹のフラヴィア様が婚約者と仲睦まじく羨ましく思っていると言っていた事を思い出し、1人首を捻っていた。
「フラヴィア様の心変わりが原因では?」
ふふふ、と笑う令嬢達の声がクレメンティーネにはどうしても好きになれない。
「婚約者がいるのに節操ありませんのね」
1人の令嬢が扇で口元を隠す。隠された口元はにんまりとしているのだろう。
「そういう憶測で人を貶める発言をなさるのはどうかと」
よせば良いのに、クレメンティーネはつい口にしてしまった。クレメンティーネは普段決して気が強いわけではなく、むしろ内気なのに変な所で正義感が強かったのだ。
気持ちよく噂話に花を咲かせていた令嬢達が、一気に鼻白む様が分かる。
しまった、と思っても後の祭りである。
興が冷めたとばかりに、令嬢達は散っていってしまった。こんな時、クレメンティーネは自分に流れるブロア家の血を少し恨めしく思うのだった。




