異世界国籍ロンダリング第六話
夕刻までにはまだ間がある頃合い。空腹が満たされ、いくばくか足取りもしっかりして見えるゴブリンたちを引き連れて、イザベルお姉様の足先はハロワに向かった。
クエストは成功しても失敗しても、期限後5日以内の報告が義務付けられている。これを怠ると、ペナルティとして、クエストの成功報酬と同額の罰金が課せられるのだ。
そういうわけで、今はハロワの窓口係のお姉さんを、その怒り顔で睨みつけてる最中。
「おじょ……えっと、その、服装は、どうされたんですか?」
クエストの報告をする前に服装について言及された。出発時には上等な革鎧を着ていたのに、帰ってきたら平民の着るような色褪せた古着を着ているのだから、気になるのは当然だろう。というか、最初に思わず「お嬢様」と言いかけているし。
「服装の事は気にしなくて結構。それよりもクエストのお話をしましょう。詳しい事はこの子から聞いてくださるかしら」
自分からクエストの話を切り出しておきながら、最初から自分の口で説明する気がなかったイザベルお姉様だった。視線をサンに移して、丸投げのサインだ。
いきなり話を振られたサンは一瞬、目を丸くするが、素早く頭を切り替えたか、戸惑う素振りもなく前に出て話を繋げる。
「あの、はじめまして。私たちは、聖戦で焼きだされた小さな村の難民で……」
と門番にしたのと同じ内容をご説明。
口実としては、クエストは失敗して難民の子供たちに助けられた形となる。別にそれが決まりが悪かった、というわけではない。ただ、この説明だと。
「三人のおじさんが既にゴブリンに殺されていて」
三人を殺したのはゴブリン、という事になる。が、本当はゴブリンではなく、殺したのはイザベルお姉様自身なのだ。それを、自らの口で誤魔化すのは、イザベルお姉様には我慢ならない事だったろう。それが、説明の丸投げという形になった。
ただ、誤解がないように一言申し添えておくとすると、殺した事自体には全く後悔はない。罪悪感など一片たりと存在しない。
なんだったら、状況さえ許せば、あんなクエストを発注したハロワ自体、火をつけて全員皆殺しにしたいくらいだ。状況が許さなかったら行動できないなんて、日和った自分が腹立たしい。くらい考えているのがイザベルお姉様だった。
「あの、大変でしたね」
と、全てを聞き終えた受付のお姉さんは、イザベルお姉様の方に向けて、気遣わしげに声をかけた。
「別に、大した事ではありませんでしたわ」
「一緒に行ったパーティを殺されて、お一人になって襲われて」
「結構大変でしたわ」
頭の回転が早いイザベルお姉様は、すぐに相手に合わせて言を翻す。
「これからどうされるんです?」
受付のお姉さんは言いながら、ゴブリンたちの方を見る。
「問題ありませんわ。ウチに連れ帰ります」
「そうですか……」
自信満々に語るイザベルお姉様に、受付のお姉さんは、気の毒そうな表情を浮かべて答えた。
その様子を見ていたサンが、半眼を閉じる。
ハロワを出ると、様々な店舗が軒を連ねる大通りを、イザベルお姉様は北に向かう。
領主邸がその先にあるのだ。
領都であるこの街───オルレアでは、その方向に貴族の邸宅が集まっている。いわゆる、貴族街というヤツだ。
その貴族街に入るより前、サンがイザベルお姉様に急に話しかけてきた。
「少し、よろしいでしょうか」
「……なにかしら?」
振り返ったその形相に、サンは息を呑んで後ずさる。平民に話しかけられて無礼討ちをする貴族の怒った表情そのままの顔だ。もちろんイザベルお姉様はそんな事は一つも考えていない。馴れるには、いくらか場数が必要だろう。そして馴れると少しゾクゾクする感じが、むしろクセになるのだ。
「と、突然話しかけて、も、申し訳ありません!」
イザベルお姉様が立ち止まったので、ゴブリンたちの行進も止まる。
「……その、これから、お嬢様のお屋敷に、向かわれる、のでしょうか」
「それがなにか?」
「恐れながら、申し上げますが、おそらく、私たちは、お嬢様のお屋敷に、入れていただけないものと、思われます」
イザベルお姉様の怒り顔に、いぶかしげ、という表情が加わり、お美しい中にもなんだかよく分からない複雑な造形が浮かぶ。
「……ワタクシの家なのに?」
「お嬢様のお屋敷には違いありませんが、それ以上に、お父上様の意見の方が、優先されるのでは、ないでしょうか。果たして、お嬢様のお父上様は、あるいはお母上様は、私たちのような下賤の者を、邸内に入れるのを、良しとするでしょうか」
イザベルお姉様が、それを聞いて顎に手をやる。
「……なるほど。それは少し……難しいかも知れないですわね」
そして、想像する。
言うまでもないが、公爵自身が門前にまで出てきてアレコレ意見するという事はありえない。だがその意思を、常日頃から体現する事を求められている門番やメイド、その他の家人が、彼らゴブリンを邸内に入れる事を許す事は、まずないだろう。
「いけません。たとえお嬢様のご命令でも」
とか絶対に言われる。
そして、呼び集められる衛兵たち。
「お嬢様を誑かして邸内に侵入しようとは、小賢しい難民どもめ」
とか。ああ、すごく言いそう。執事のヴァンサンとか、めっちゃ言いそう。
そして、衛兵たちにまとめてとらえられたゴブリンたちは、再び街の外に放り出されるのだ。
「ふむ、なるほど。一理ありますわね」
とイザベルお姉様は一つ頷くと、すぐに打開策を打ち出された。
「では、ファイアーボールで」
「そこで、その、提案があるのですが」
物騒な打開策を打ち出そうとしたイザベルお姉様の言葉を、サンの言葉が遮る。
「……平民が、貴族の言葉を遮る事は、この国では許されていないはずですが、まさかご存知ないという事はありませんわよね」
「あ、あ、そ、その、申し訳、あ、ありません」
「二度目はありません。ワタクシに、あなたを、傷つけさせないでくださいませ。それで、あなたの提案というのは?」
「は、はい。あ、ありがとうございます。その、申し訳ありません。ありがとうございます」
「礼も詫びももう結構ですから、あなたの言う提案を、早くお聞かせなさい」
「はい、申し訳……」
と反射的に謝りかけて、イザベルお姉様にギロリと睨みつけられ、サンは慌てて言葉を飲んだ。
それから、一呼吸を入れて息を整えた所で、人差し指をたて、その指で大きな商館の一つを指し示す。それは、ちょうど彼女たちが通りかかっていた大通りの、彼女たちの顔の真横にある商館だった。
「私たちを、奴隷商に売ってください」
「……なんですって?」
デフォの怒り顔に青筋がトッピングされた。
何がイザベルお姉様の癇に障ったかすぐに気付いた賢いサンは、慌てて言葉を続けた。
「そ、それで、すぐに、私たちを奴隷として、買い戻してほしいのです」
「……なるほど。理解しましたわ」
青筋解除。イザベルお姉様は、すぐにサンの言わんとしている事を理解した。
そうすれば、ゴブリンたちには、ルーヴォア公爵家の奴隷としての身元が手に入るのだ。そして、奴隷としてなら、ルーヴォア公爵邸にも大手を振って入れてもらえる。そういう事だ。
奴隷は最底辺の身分かも知れないが、少なくとも、屋根も壁もある所で眠れる。森の中で、魔物や獣におびえて夜を過ごさなくて良いというのは、大きいメリットと言えよう。
その上、奴隷から開放される条件を満たす事ができれば、市民権も得る事ができる。まあこれは、だいぶ先の話になるだろうが。
「ではそう致ししましょう」
言うが早いか、方向転換して商館に向かう。
商館の前には、身なりのいい用心棒が立っていた。門番みたいな役割なのだろう。
「ちょっと待った、お嬢ちゃん。ここは貧乏人のガキが遊び場にしていい場所じゃねえんだ。向こうに行きな」
平民の服を着ているので、用心棒はイザベルお姉様の事に気付かなかった。
「貧乏人のガキというのは、まさか、ワタクシの事を言ってるのかしら」
そう言って、用心棒を見上げる。
「あ?……あ、憤怒の!」
「ふんぬ?」
「い、いえ、失礼しました。イザベルお嬢様でしたか。これは申し訳ありませんでした。しかしそのお召し物は一体……」
「服装の事はどうでもよろしい。それより、ふんぬって」
「いやいや、それこそお気になさらず。単なる感嘆詞でございます。い、今、店主をお呼びしてきますので、へえ、しばらくお待ちを」
手の平を返してヘコヘコし出す用心棒だった。
ちなみに憤怒というのは、イザベルお姉様は預かり知らない事だが、巷で呼ばれる、イザベルお姉様の異名だ。七大罪の一つで呼ばれているお姉様かっこいい。
店内は二つの向かい合うソファと低いテーブルがあるだけの、簡素な部屋だった。玄関扉の立派さが、なんだか書き割りかなんかの舞台セットに見える。左奥に通路があるのが見えるので、商品となる奴隷はおそらくその奥だろう。
外光を入れるための窓が大きく取られているが、室内の明かりはそれだけだ。玄関近くは明るいが、奥の通路のある辺りは影に隠れている感じ。
「これはこれは、お嬢様。私は奴隷商を営むグレゴワールと言います。本日はこのような所へ、どのようなご用向きで?」
ソファを勧められるまでもなく、勝手に座って待っていると、出てきたのは藪睨みの小男だった。羽振りのいい商人らしく、仕立てのいい服を着ている。
「奴隷を売りにきましたの」
「お嬢様が、ですか?」
驚いたように言っているが、表情は全く変わらなかった。ロンパリの視線と合わせて、なんだか魚類っぽい。
「そうです。なにか問題ありまして?」
「いえ別に。それで商品となるのは、もしやそちらの子供ですかね」
奴隷商は顔をゴブリンの方に向けた。
「ええ、この子たち、全員ですわ」
「ずいぶんやせ細ってますな。もしや難民の子供ですかね」
「……その通りですわ。それで、そちらに売った後、すぐに買い戻します」
「それはまた、いささか、真っ当な取引とは言えませんなあ」
「こちらにもいささか事情がありますの」
「まあいいでしょう。ですがルールには従っていただきますよ」
「……ルール?」
「当店は仕入れた商品は、仕入れたその日には販売しないルールとなっておりまして。最低でも一晩の猶予はあける事になっておるのですよ」
「認めません」
「……いやいや、認めないと言われましてもですね、こちらとしましても、ここは譲れない線でして。どうしてもダメという事であれば、他を当たっていただくしかありませんな。なんならお父上であらせられる公爵様と直接交渉させていただいてもよろしいのですが」
「わかりました」
イザベルお姉様は交渉決裂とばかりにソファから立ち上がった。
「しかし、こんな真っ当でない取引、他の店では交渉にもならないでしょうな。この街にある奴隷商と言えば、ウチ以外だとあと二つ。その二つを回ってくる時間が無駄になる事を案じまして、あらかじめお伝えしておきますよ」
「……では明日朝一で買いに来ます。但し、決して他に売らないよう、厳に申しつけておきますわ」
「承知しました」
奴隷商は慇懃に頭を下げた。
一人当たり金貨一枚。
それがゴブリンたちの値段だった。
16枚の金貨を受け取った事で、16人いた事をその時初めて知る。
「明日朝一で迎えに来ますわ」
そう言って、イザベルお姉様は一人一人の頭を軽く撫でて、しばしの別れを告げた。
イザベルお姉様が一人、公爵邸にたどり着くと、お嬢様がなぜか平民の服をきて戻ってきたと、門前が少しばかり騒がしくなった。
その騒ぎを聞きつけて、次女である私、シルヴィーと、三女のパトリシアは連れ立って出迎えに出る。
そしてそれを目撃した。平民の服をきたイザベルお嬢様。
はっきり申しまして、レア・スチルでございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
パトリシアはハッとした表情をして立ち止まり、自分の服を見直していた。
その時9歳になる彼女は、イザベルお姉様に心酔するあまり、なんでもかんでも真似したがるようになっていたのだ。イザベルお姉様が常に眉間に皺を寄せているので、パトリシアも、出来る限り眉間に皺を寄せるように顔を作っている。すぐに休憩して、眉間の皺が解けてしまうのだが。この後の、平民の服を来たがるパトリシアの姿が見えるようだ。
一方、この時のイザベルお姉様の様子が不機嫌だったのは、第二話で書いた通りだ。
「……何か、ございましたの?」
「別に、なんでもありませんわ」
私の問いに答える声も、低く押さえたそっけないものだった。
それを聞いたパトリシアが、低い声で喋る練習を始める。
「……そろそろ、晩ご飯の時間ですわね。今日は鶏料理との事でしてよ、シルヴィーお姉様」
「その喋り方、今はイザベルお姉様の前でやらない方がいいわよ」
晩ご飯でも、イザベルお姉様はあまり食事が進まない様子だった。
早々にフォークを置いて席を立とうとするイザベルお姉様を、お母様が止める。
「何があったかは聞きませんが、なにか我慢がならない事があったのなら、今はムリにでも食べておきなさい。理不尽に対抗する気があるなら、まずは体力ですよ」
それを聞いてイザベルお姉様は、深く頷いて再びフォークを取った。
「全くその通りですわ。お母様」
武士。武士だ。会話が武士だ。
この母子はいつも会話が武士だな。私は感慨深く思った。
ちなみにお父様は今は首都だ。お父様は一年を通して大体首都にいる。自領に帰ってくるのは、おおよそ一年に一回くらい。
事のあらましを聞いたのはその食事の後、イザベルお姉様のお部屋にお邪魔しての事だった。
イザベルお姉様は、怒りをぶつけるように、激しい動きでモンクの演武を行っていた。
「あの、イザベルお姉様。何をしてらっしゃるのでしょう」
問いかけても、イザベルお姉様は演武を止める気配がない。ビュンビュンと音をたて、拳を振り上げたり蹴りを入れたりしながら。
やがてポツリと呟いた。
「……ゴブリンだと」
「……ゴブリン?」
「そう、ゴブリン。ゴブリンですわ。ゴブリンと言われて、モンスター扱いされて、身寄りがないからって、子供たちが!」
喋りながらその時の事を思い出したのか、イザベルお姉様の眦に、涙が浮かび上がり始める。それは同情の涙ではない。怒りが振り切れた時に溢れ出る涙だ。
「許せない。許せるものか! それを行う者も、それを見てみぬフリする者も!」
そうして、私は、演武をやめないイザベルお姉様から、激して吐き散らかす言葉を拾い集めるようにして、かろうじて一部始終を聞く事ができたのだった。
もっとも、私に出来るのは聞く事だけだ。
力になりたいとは常に思っているが、私自身はどうにも無力だった。
翌日、話に出てきた奴隷商に行くのだというイザベルお姉様に、私も同行した。
携えた袋には昨日受け取った金貨16枚。これを、二つのソファの間にあるテーブルに乗せる。
「買い戻しに来ましたわよ」
イザベルお姉様のお話にあった、藪睨みの小男が店主然として店の奥から現れた。ただ、イザベルお姉様のお話では魚類っぽいとの事だったが、私に言わせるとむしろ
「NPCっぽい」
「えぬ……なんですかな?」
「なんでもありませんわ。それよりも早く、イザベルお姉様にお話にお答えなさって」
藪睨みの店主は、感情の伺えない飄々とした表情でこれに答えた。
「そうですな。申し訳ありませんが、お嬢様。これで全員分を買い戻すのはムリですな。これだと、そう、10人が最大ですかな」
「identification division. this method's name is fireball. enviro」
「ストップ! ストップですわ、お姉様」
息をするようにファイアボールを打ち込もうとするイザベルお姉様を慌てて止めて、とりあえずその奴隷商の話を聞く。
「どういう事ですの。ここにある金貨16枚で売ったと、お姉様から聞いているのですが」
「ええ。ですが、まさか仕入れ値で商品を売る商人などいませんよ。あれから商品の状態を確認させていただきまして、それぞれ値付けさせていただきました。
小さい子が9人ですが、その内の7人は一人金貨1枚に銀貨4枚。2人は金貨4枚に銀貨4枚をつけさせていただきました。大きい子は金貨2枚の子が2人、金貨3枚と金貨5枚がそれぞれ1人づつ、金貨6枚の子が2人。で、最後ですが、読み書きも計算もできる女の子。この子は金貨7枚です。全員買い戻しされるとなると、金貨47枚に銀貨16枚が必要になる計算ですな」
よく「感想ください」みたいな事を書いてる人がいるが、「感想がない」というのも、一つの感想だと私は考えている。それが納得できないのだとしたら、本当にほしいのは「感想」ではなく、ただ褒めてほしいだけなのでは? と思われる。それは私自身も例外ではない。本当にほしいのは感想ではないのだ。ただひたすら、褒めてほしいだけなのだ。それ以外の感想とか、別にいらないのだ。そこで私は、エア読者というのを考案した。これは、自分に都合の良い感想だけをくれるという、架空の読者だ。全く、相変わらず天才だな私は