ただ窮地を脱するだけの第四話
認識阻害の魔法は便利だなと喜んでいたら、思わぬところでバグが見つかり、マイクロでソフトな窓屋さんとかに投げかけてみたら「仕様です」と返されたみたいな感じのよくある運用上の落とし穴にはまり込んだおかげで、今は警笛があっちでこっちでぴーびー響き渡り、私たちはそれに追い立てられるように逃げ回っている所。
後で聞いた所によると、この警笛も、めいめいが好き勝手に鳴らしているわけではなくて、それぞれに「東の方向にいった」とか「西側で発見」などの意味があって、連携の合図としているらしい。
ちなみに、これを教えてくれたのはドロボだ。なにかにつけて追いかけ回される事が多く、そんな中で自ずと気付いたらしいが、普通は気付かないと思う。
そんなわけで、無計画に右往左往する私たちは、複数で連携を取り合う衛兵さんたちに効率よく追いつめられていく。
ホールで弾劾イベントがあったのが放課後の事で、それから時間を経ること今は夕刻。オレンジ色の西日が長い影を教室や廊下に落とす頃だった。
直線の廊下の片側に連なる教室の扉は、さすが中世ヨーロッパ風の文化的背景にある貴族専門の教育機関施設と思えるほどには、適度に装飾過多。
来し方に追いかけてきた数人の衛兵と、往く方に待ち構える二人ばかりの衛兵に挟撃を受けて、私たちはその教室の一つに逃げ込む。
前世では教室の扉と言えば横にスライドする引き戸タイプだったが、こちらの世界では外から内に向かって押し開くタイプの観音開きだ。渋い色の金属だか、それとも金属にすら見えるほど磨き抜かれた木製なのか、確たるところ定かではないその豪奢な扉を、ゆっくり開け閉めするような余裕はまさかないので、バン!と開けて、バタン!と閉じる。そして私はすぐさま詠唱開始。イザベルお姉様とドロボは魔法陣を開く。
「identification division. this method name is rocksbullet. environment division. connect to the foundation of creation. this is myconnector. destroy and reconstruct phenomena. this is mybuilder. data division. myconnector summons rocks from the earth. mybuilder expands into the third dimension.」
めっちゃ早口。めっちゃ早口だ。魔術の授業では、詠唱は定まったスピードで行う必要があると教えられるが、ゴブリンの中でやたらに魔法に詳しい子が、早口で詠唱するコツを教えてくれた。大切なのはスピードではなくテンポ。分節分節のテンポさえ正しく押さえられていれば、そのテンポの間隔がいくら短くなっても問題ない。のだそうだ。
「procedure division. the life of the rock that was born in the night pine forest. closed division.get started. ロックスバレット!」
なので、めっちゃ練習した。めっちゃ練習したのだ。
扉の向こう側にいる衛兵が、こちらの気配を警戒しながら、わずかに扉を開こうとした所に、無数の石礫がズガガガッ!とぶち当たる。
「ひっ!」だか「きゃっ!」だかいう、短い悲鳴が聞こえたような気がしたが、扉は内側から石礫を叩きつけられてすぐにバタンと閉まった。
それから、数瞬の間をあけて、というか、定まったスピードで詠唱したくらいの間隔をあけてから、ドカン!と扉がふっとばされた。
「動くな」
おじさんの低い声を先に、衛兵の人たちが周囲に視線を走らせながら、ゆっくりと入ってくる。考えるまでもなく、衛兵の誰かが、何らかの魔法で扉をふっとばしたものだろう。屋内でまさか火系は使えないだろうから、風系かな?
私は降参の意思を示す為に両手を上げている。衛兵との距離は十歩くらいだろうか。この距離なら、私が詠唱を終えるより、衛兵が踏み込んで刀で斬りつける方が早い。
衛兵のおじさんの一人が、一歩を踏み出そうとして、ふと違和感に気付いた。
「イザベル様はどこだ?」
「ぐわっ」
おじさんの悲鳴。
それは外から、扉の破壊された出入り口を侵入しつつある衛兵たちの後ろから聞こえた。
何事かと、全員の神経が背後に向かう。これに続いて、一つの警笛が鳴り響いた。
「は? 西棟方向だと。誰だ、適当な指示を出してるのは」
「あ、このガキ! いつの間に!」
前者のセリフは、さっき「動くな」と叫んで真っ先に教室に入ってきた衛兵だ。リーダーっぽいので、きっとこの一団のリーダーなのだろう。
後者のセリフは、後ろの方にいる衛兵の声だ。
警笛の音が遠ざかるに従い、何人かがそれを追いかけるようにして、こちらにいる衛兵の数を減らす。
認識阻害の魔法で姿を隠したドロボが(実際には姿が消えたわけではないが)、こっそりと衛兵たちの背後に回り、背中を見せる衛兵の一人を殴り倒して警笛を奪ったものだろう。
警笛の意味するパターンはある程度把握しているらしいので、それをもって衛兵の指揮に混乱をもたらしている。
続いて、リーダー格を含む二人の衛兵の喉笛を、イザベルお姉様の刺突が貫いた。モンクなので、剣とか槍とかは必要ない。お姉様の貫手は凶器と一緒だ。
イザベルお姉様も認識阻害の魔法を使っていたので、衛兵の眼の前で構えの姿勢に入っていたのに、攻撃が入るまで気付かれる事はなかった。攻撃が入ったので今はもう、認識阻害の魔法は解除されている。
残る衛兵は、命令系統を失った5人ほど。
「俺の妹に手を上げろとか言うヤツは許さん」
イザベルお姉様が私を守るように立ちはだかり、貫手を掲げて凄む。
誰も「手を上げろ」とは言ってないし、かりに言ったとしても沸点が低すぎるけど、それはそれとして。
すごい。嬉しい。震える。犯罪者の仲間入りになっちゃったっぽいけど、ついてきて良かった。
「お前か!」
「おわっ!」
イザベルお姉様が吠えて、一番手前の衛兵の首に貫手を伸ばした。狙われた衛兵は、とっさに剣でこれを遮ろうとしたが、イザベルお姉様の反対側の手がその刃の腹を叩いて受け流し、再び貫手でその首を狙う。衛兵は後ずさってこれを回避した。
嬉しいけど、正直「狂犬か」と思った。
さて、嬉しいばかりの私だが、イザベルお姉様の作ってくれた時間を無駄にするつもりもない。この間に私も、ささやくような小声だが、早口詠唱を一つ終えていた。
「closed division.get started. ウィンドカッター」
ロックスバレットはさすがに生身の人間に撃つには、致死性が高すぎて躊躇する。
薄く鋭い風の刃が、衛兵の目を狙い撃ちした。
「うぉ! 目が!目がああ!」
突然目を押さえて悶え苦しみだす先ほどの衛兵。他の衛兵はぎょっとして後ずさる。
早口で詠唱するなんて学校では教えてないし、衛兵たちも知らないはずだ。だから、まるで、イザベルお姉様が得体の知れない力を行使したように見えたのかも知れない。
イザベルお姉様を見る衛兵たちの顔には、恐怖の色が浮かんでいた。
一番後ろにいた衛兵が、警笛を鳴らす。
援軍を呼ぶつもりなのだろう。
イザベルお姉様は無言で私の手をとると、後ろにとって返した。教室の、廊下側でない方。そこは中庭に面した窓で、窓ガラスに夕暮れの空が見て取れた。
いくつもの警笛が響き合っているが、その中の一つにはドロボのニセ情報が混ざり込んで、今も指揮をかき回しているはずだ。
いや待て。ドロボは私たちと別れて、一人で逃げたけど、大丈夫なんだろうか。突然、気になりだす。だが、今はそんな心配をしている場合ではなかった。
一体、どんな歩法を使えば、早足で歩きながらそんな芸当が出来るのか、私には想像もつかないが、気がつくと、私はイザベルお姉様に足払いをかけられていた。
「あいた」
そんなに痛くなかったけど、ちょっと痛かった。
私の両足が宙に浮き、お尻を膝で軽く蹴られる。浮遊感。大地が回転する。そして次の瞬間には、私とイザベルお姉様は、窓ガラスを割って外に飛び出していたのだった。
私の体はイザベルお姉様の腕の中。お姫様だっこだった。
なにこれ。嬉しい。ルパン三世。嬉しい。ルパン三世。
頭の中で嬉しい気持ちとルパン三世が交互に浮かびあがる。
今日はいい日だ。
一階の窓だったので、滞空時間はそんなにはなかった。でもイザベルお姉様なら、二階からでも大丈夫なはず。今度、お願いしてみよう。ぜひに。
しかし、中庭はまずかったかも知れない。四方を囲む建物から丸見えだ。
これではドロボが間違った情報を警笛で撒き散らしても効果はなくなるだろう。
ただ、幸いな事は二つあった。
一つは、この中庭は、対面に突っ切れば、正面の建物は玄関口につながっているのだ。何しろ無駄に大きくて無駄なスペースが山盛りの建物なので、中庭はここ以外にもいくつもあるのだが、この中庭は玄関口に最も近いのだ。
それともう一つは、警笛で撹乱する意味がなくなったと判断したドロボが、再び合流してきた事だ。
四面の建物からワラワラとにじみ出てくる衛兵たちの一握りに追われる形で、ドロボがこちらに走ってくる。
しかしこれはもう、取り囲まれる未来しか見えないな。
「姐さん」
ドロボがイザベルお姉様を見上げて報告する。
「飛行の魔法の準備が整うまでの時間がまだ全然つぶせてないけど、これ以上の時間かせぎはムリだ」
「当たり前でしょう!」
私はびっくりして声を荒げてしまった。
「たしか三時間くらいですか? こんな状態で三時間も時間かせぎ出来るわけありませんわ。え、時間かせぎのつもりだったんですの?」
「そんな本気でびっくりしないでくれよ。ちょっとした冗談じゃねぇか」
冗談かよ。そんな冗談言ってる場合じゃないと思うんだけど。
言ってる間に、取り囲まれる未来が来てしまった。
お揃いの軽鎧に廉価版くさい片手剣を構えた衛兵が、何十人くらいいるのだろう。五十人前後、と勘定すれば大きく外してはいないのではないか。
そこでドロボが突然、思い切り空気を吸い込んだかと思えば、肺活量検査に全力を振り絞る人のごとく思い切り警笛を吹き鳴らした。
ピリピリピリピリピリピリいいい!
この音に驚いたように、私たちを取り囲んで衛兵が型作る人の輪が、その輪の絞るのをピタリと止める。
いや実際、私も驚いた。状況も忘れてドロボの方に目をやってしまった。
そんな注目にもお構いなしに、笛から口を離したドロボは、これに続いて全身を肺にして声を上げる。
「姐さんのお通りだあ‼︎ 道をあけろい‼︎」
反応に困る数瞬の間に、妙な余韻がたなびいた後、ドッと笑いが起こった。笑っているのは衛兵たちで、私は何にも面白くない。ただただ恥ずかしいだけだ。
「ヤケクソにしたってこれはないだろう」とか
「誰が道を開けるって? 大声を出せば威風に慄いて俺たちが道を開けるとか考えたのか? お前、現実を自分に都合良く考えすぎ」とか
「ヤバいって。このガキヤバいって。ウチのガキだって、ここまで夢見がちじゃねえぞ。ちょっと誰か! コイツの親呼んできて! はよう」とか
笑い声の合間から聞こえてきた衛兵の皆さんの声を拾い上げて、さすがの私もごめんなさい。この子ちょっとバカなんです。みたいな。
そうしていると、それらの衛兵の垣根が割れて真正面、その合間から身なりの違う男が二人、連れ立って現れた。
一人は若い男で、見慣れた顔。ローベル殿下だ。そしてもう一人。こちらは初めて見る熟年世代。だが一度みたら二度目はもう結構、と思わずお断りを入れてしまいたくなるような下品な佇まいが特徴的な男だ。
その佇まいは決して生来のものではなく、ろくでもない行いの積み重ねによって後天的に獲得したものだろうと思える。
ところでロベール殿下はほんの数時間ほど前にイザベルお姉様のモンク的鉄拳によって伸びていたと思われるのだが、もう大丈夫なのだろうか。ヒールで治療してもらったのだろうか。治療してもらったのだろうな。それにしたって、もうこんな所まで出張ってくるとは、なんて元気な腹黒王子なんだろうか。
「イザベル。君が往生際が悪く衛兵の連行に抵抗していると聞いて、王宮刑吏殿にムリを言って現場に来てもらったよ。全く君ときたら、あいかわらず周囲の迷惑も顧みず……」
「いいだろう。かかってこい」
「ちょっ……!」
イザベルお姉様が半身の姿勢になって右腕を突き出し、ロベール殿下に向かってグッと拳を握って見せると、ロベール殿下は慌てた様子で隣の熟年おじさんの後ろに半身を隠す。
「いけませんな、公爵令嬢ともあろうお方が拳に物を言わすというのは。ああ、いや失礼。さきほどの殿下のお話にもありましたが、ワタクシが王宮刑吏のジラールという者です。以降、お見知りおきいただきますよう」
「王宮刑吏?」
ドロボが首をかしげる。警笛のパターンや鍵開けテクには詳しいドロボも、貴族関係の事情には疎い。
「王宮刑吏というのは、伯爵以上の貴族を相手にする刑吏の事ですわ。主に貴族の事情に従って調書をでっち上げたり、冤罪とわかっていながら刑を執行したりする仕事ですの」
私がドロボに詳しく教えてあげると、ジラールはわざとらしく不快そうな表情を作る。
「若者があえて斜に構えた物言いでインスタントに知恵者ぶりたがる気持ちは、ワタクシも覚えのある事とて理解できぬわけではありませんが、このような公の場でそのような物言いは関心しませんな。お父上たる公爵様の名にも傷がつきますぞ」
「あらそう。でも、今まさに、ロベール殿下の事情に従って、イザベルお姉様に無実の罪をかぶせるために、わざわざご足労くださったのでしょう? 若くて美しい貴族の令嬢の案件の時は特にご趣味が高じてみえるともっぱらの噂でしてよ」
この時、私は、彼らの背後、彼らの後ろに居並ぶ衛兵たちの、更にその後ろの辺りで、なにか喧騒のようなものが起こっている事に気付いた。だがこの時の私は、なんかちょっとうるさいな、くらいの印象しかもっていなかった。
「やれやれ」とジラールが、あたかも頭でっかちな若者を諭す年長者の風体で吐息つく。
「無実かどうかを判断する為の取り調べです。無実ならばなおのこと、その場で身の潔白を証明されればいいだけの事ではないですかね」
それを聞いて私は、ホホホと上品な笑い声をたてる。
「身の潔白ですって? それはさすがに、あなたにはムリなのではないかしら」
「ワタクシには、ですかな? イザベル様にはムリ、という話ではなく? はて、それは一体、どういう事ですかね」
これに答えたのは、イザベルお姉様だった。
「その身が潔白ではない者に、どうして他人の身の潔白を裁定できる道理があるかという話だ。王宮刑吏」
私が言わんとしていた所を引き取って言ってくれた様子。
「なんとまあ、公爵家ご令嬢ともあろうお方が、こんな公の場で人聞きの悪い事をおっしゃる」
「人聞きの悪い事を言われたくなければ、今後は行いを改めるがいい」
今日はまたずいぶんと煽るなあ、イザベルお姉様。
ところで、会話から外れた私は、さっきの後ろの方の喧騒が、少しづつ手前に近づいている様子なのに気がついていた。
具体的に言うと「ぐえっ!」とか「なんだこのガキ!」とか「おごっ!」とか「こら待て!」とかの、なんとなく覚えのあるセリフ回し。
それに伴い、私たちを取り囲む衛兵の層が、なんとなく薄くなっていってるような。
王宮刑吏が
「もういい。拘束して王宮地下の拷問室に連れてこい」
と周囲の衛兵に言うのと前後して、その彼のすぐ後ろの衛兵が
「ぬおおおっ!」
と叫んでその場にしゃがみこんだ。
見れば脇腹に木製の杭が突き立てられて、その辺りが赤く染まっている。
それを行ったと見られる小さな子供が背を見せて走っていくのを、周囲の衛兵が「おいこらこのクソガキども!」とかなんとか叫びながら持ち場を離れて追いかけていく。
みれば、そんな子供たちが群れをなして走り去っていくのも見えた。
それに相対して、その子供たちと同じくらいの数の衛兵が、同じような木製の杭を突き立てられて苦痛に悶え苦しんでいる。
ロベール殿下は何が起こっているのか理解できず、いつの間にか少なくなった衛兵をオロオロと見回して、「なんだ、どういう事だ」としきりにうろたえている。
ロベール殿下が幸運だったのは、そうやってオロオロしている内に、なんとなくその身を移動させ、私たちの正面から距離をおいていた事だ。
対して、王宮刑吏は、同じように戸惑いながらも、その場所から動かず
「おい、貴様ら! そんなガキどもなど後回しにして、先にあの女を」
などと自分の都合で文句を言っていた所で、尻に木製の杭を打ち込まれていた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁーー!!」
杭を打ち込んだ所で突然認識される子供の姿───認識阻害の魔法で身を隠していたゴブリンだった。
その子供は───ゴブリンは、杭を打ち込むと同時に背を見せて外に向かって走り出す。走りながら、少し振り返り気味になって、私たちに向かって手を振って見せるのだった。
そのゴブリンの後を、左右の衛兵の何人かが追いかけて去っていく。
そんな風に衛兵の頭数が減っていって、だいぶ見通しがよくなった。残っているのは、左右と背後に数人程度。その残った衛兵たちも、顔を青くして私たちに手を出す気配を見せない。
何しろ、私たちに手を出そうとすると、突然子供が杭をもって現れるのだ。一人一撃のヒット・アンド・アウェイ。現れた時には既に杭を突き立てられているのだからたまらない。
「な、なんなんだ、お前ら。あのガキどもは。一体……!」
衛兵の一人が思わず呟く。おそらく、私たちに問いかけたものではなく、思わずポロリと出た言葉なのだろう。
そんな言葉に、ドロボが首をかしげて「え? ゴブリンだけど?」と律儀に応える。
それから私たちは、イザベルお姉様の為に開けられた道を悠然と歩いて、玄関のある正面建物に向かったのだった。
タイトル「悪役令嬢ですけど、なぜかゴブリンに溺愛されています」というより「悪役令嬢がゴブリンを使って暴れています」みたいな内容になってきた。この後どうしよう。正直、ノープランなんですけど