いたずらブームに呪い人形を
今日の放課後は当番があったから、それを終えてからは寮の部屋に戻って宿題をしていた。友達は適当に遊びに行くと言って早々に学校を出てしまったし、時間を考えると合流するには遅すぎる。それにお土産を買ってくるとも言っていた。いつもは誰かが当番になっていたら、みんなで片付けてから遊びに行ったりするのだけど、今日はそれはなく。一度くらい置いて行っただけでお土産だなんて大袈裟だな、と思いつつ、現状を考えたら変なものを買ってこないでほしいと思った。
今、ちょっとしたいたずらを仕掛け合うことが私たち友人の間だけで流行っている。大方、私を置いて行ったのもいたずらに使う何かを調達するためで、お土産というのは単に口実だろう。ただ、その時点でお金がかかってしまうから、この流行もそろそろ切り上げ時かもしれない。だから本当に、変なものは買ってこないでほしい。
集中力が切れてきてそんなことを考えていたら、ドアがノックされて私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。随分と弾んで楽しそうな声。大丈夫かと不安になりながら、私は直接ドアの鍵を開けに行く。
「ミコットー! ただいまー!」
「おかえり、ご機嫌だね」
「そうなの!」
ドアを開けたらいい笑顔のカーリンが飛び込んでくる。その後で、ルコとミーナも部屋に入ってきた。私はドアを閉めて戻ろうとしたら、さっきまで座っていた椅子にカーリンが足を組んで悠々としていたため、仕方なくルコとミーナが向かったベッドの上に座る。
「おじちゃんにおまけしてもらっちゃった」
「えー、骨董屋さん行ってきたの? 私も行きたかった」
「まぁまぁ、それはまた明日一緒に行こうね」
得意気にピースサインを打ち合わせるカーリンに、私は本気ではないながらも肩を落としてみせる。どこに行かれても不思議ではなかったとはいえ、私へのお土産といたずらの何かを両立させるには骨董屋がうってつけだったというわけか。行きたかった。それはそれとして、一体どれだけお金をかけたのか。
カーリンはテーブルの上に置いていたバッグの中に手を突っ込む。
「はい、というわけでお土産」
「人形だ」
ぽん、と雑な手渡しだったけれど、手の中に収まったその人形に思わず笑みがこぼれた。
古代といえば、な白い布の衣装を纏った、紺色の髪をした男の子の人形。石のような陶器のような不思議な材質でできていて、手触りはつるつると滑らかだ。見るからに古そうで、しみついたかのような汚れは目立つものの、その古さを感じさせないくらいに綺麗だった。この精巧な造形的に、作られたのはそう昔ではないように思うけれど、やはりずっとずっと昔に作られたものではないかと感じさせる何かがあった。それと珍しいことに、この人形は目を閉じている。
これはいたずらと関係はあるのだろうか。普通にお土産に見えてしまうけれど。
「ありがとう、すごい好きかも。それでー……」
「言いたいことは分かってる。でも大丈夫、それがおまけしてもらったっていうか」
「おじいさんが持って行っていいよって」
どれくらいのお金をかけたか心配になった私が言いかけたところで、カーリンが手で制してくる。もったいぶった物言いだったけど、それを引き継ぐようなかたちでルコがあっさりと明かしてしまった。けれどカーリンは気を悪くした様子もなく次の話に移る。
「それがさ、ちょっとよくないものかもしれないって言われちゃってさ」
「なんでそういうの持ってきたかな……」
「ミコットが好きそうだし、今の遊びにはちょうどいいしで、ほぼ強引に持ってきた感じだよね、カーリンが」
「ちょっとルコ!」
ただひたすら理由を並べ立てていただけかと思いきや。最後には全てカーリンの仕業であるかのようにまとめられる。確かにその通りであり、光景が目に浮かぶようだけど、今のはルコの言い方がよくなかったと思う。
「とにかく、おじちゃんがくれちゃったものだから! 今日はこれだけよ!」
「もらうだけもらってきたんだね……」
カーリンは自信満々な仕草で胸に手を当てる。そんなに堂々と主張することでもないような。
曰く付きかもしれないけれど、いたずらとお土産を両立させつつ私に渡すにはこれ以上ない品物だったというわけか。それによく話を聞いてみるとお金はかかっていないことにはなる。おまけというから買い物のついでなのかと思っていた。
すると、左隣に座っていたミーナが私の方に身を屈めてくる。
「ただし、ね。何かあったらおじいちゃんに返しに行くか、聖堂に持って行って見てもらうように、って」
「それができる余裕があればいいけどね」
手にしてしまった以上、何かがあるとするならその何かが身に降りかかることになるのは間違いない。一体、何が起きるのだろうか。定番の呪いの類だとすると、よく聞くのは病気や事故、不審死だったりする。事故だとした場合、即死級だったらもうどうしようもない。この人形は何を起こすものなのだろうか。綺麗な子なのにもったいないな、と持っている人形を見下ろした。
「ということで、お店のものに手を出したから今回の遊びもここまでにします」
「短かったなぁ」
「どうせみんなネタ切れでしょ?」
カーリンが真面目くさって締めくくった後で、薄々感じていたことを口にする。ネタ切れ、確かにそうだ。ベッドに座っていた私たち三人は揃って頷く。
だよね、と小首を傾げたカーリンは、テーブルの上に広げたままだったノートのページを一枚めくる。
「ミコットってばちゃんと宿題なんかやってくれちゃって」
「あんまり進んでないよ、ちょっとゲームとかやってたし」
一ページと少しという、残念な具合。それに、ちょっとしかゲームをやっていないというのは嘘だ。それなりにやった。あとは、何か持ってこられるかもしれないと考えたら途端に手につかなくなった。
ミーナがいたずらっぽく喉で笑う。
「みんなで宿題会やる?」
「宿題なのにそこまでいるかな」
「ルコは勉強できちゃうからねぇ」
カーリンは大袈裟に頬杖をつき、ミーナは小さく頷いている。二人だって勉強ができないわけではないのだけど、宿題としてやる気があるかどうかはまた別の話だ。だからテスト前でもないのに集まって宿題会、というのはそれなりにある。
「ま、言うこと言ったし、一旦部屋戻ろっか。ちょっとしたらご飯食べに行こ」
カーリンは机の上に置いていたバッグを取ると、組んでいた足を戻して膝の上に乗せる。
「その後で宿題詰まったら広間行きかもね!」
「やれるだけやってからにしてよ?」
「わかってまーす」
元気よく軽い返事。これはわかってないなぁ、とルコを見たら同じような顔をしていた。手伝う方に回ることの多い私たちは目が合うと肩を竦める。
後の予定が詰まっているからか、カーリンは椅子から跳ぶように下りた。合わせて、ルコとミーナもベッドから下りる。
「じゃ、また後でね!」
私も遅れてベッドから下りて、既に廊下へ出ようとしているカーリンが手を振ってくるのに応えながら、三人を見送る。続いてミーナが小さめに素早く、ルコは控え目に手を振りながら部屋を出ていった。私は鍵をかけた後で、手に持ったままの人形をどうしようかと、棚に向かう。
教科書やらノートやら、勉強関連のものや、他にも小説や漫画が並べられている棚。日々の物置にもなっているけれど、その一角は飾り棚としての役目も担ってもらっている。この子みたいに、気に入って買い集めた小さな人形たちがいたり、鉱石だとか、工芸品とかも飾ってある。全体的に小さめで、綺麗だと思ったものを、なるべく素材別に。
もう一度人形の頬のあたりを指で撫でてみて、やっぱり石とも陶器ともとれない質感だな、と思った。なので鉱石と、陶器でできた小人の人形のあたりに置いてみる。うん、世界観がちぐはぐ。でもどうしたって物同士のテーマが揃わないのはいつものことなので気にしないことにする。何をどう並べ替えたところで何もかもがかみ合わないと、大分前には諦めている。
私は満足に笑って、食堂に行こうと呼び出しがかかるまでに、少しでも宿題を進めてしまおうとテーブルに戻った。尚、この後本当に広間に集まって宿題会をすることにはなった。
「おや、いらっしゃい」
翌日の放課後、私たちは骨董屋に来ていた。私にとっては久しぶり、みんなにとっては昨日ぶりだ。ここに来るまでに、昨日見たであろうおじいちゃんが亡くなった友人から譲り受けたという、このお店にはないような骨董品の話を聞かされてはいた。けれど、いつもながら雑多に物の置かれた店内にそれらしいものは見当たらない。まだ裏で整理中なのだろうか。そんな話をしていたら、おじいちゃんが気づいたのか奥から顔を覗かせた。
「おじちゃーん、昨日のは?」
「まだこっちにあるよ、見たいのならおいで」
出てきたかと思ったら、おじいちゃんはまた奥に戻ってしまった。入って行っていいということなんだろうけど。私たちは追いかけてお店の奥に入る。
普段入ることのできない場所とだけあって、私は思わずおぉ、と声を漏らしてしまった。店内よりずっと雑多な倉庫という感じがあって、まだ袋にくるまれたそれに埃が積もっていたり、古い袋が飛び出した木箱が積まれていたりする。もちろん、曇ったガラス戸の棚に入れられた品もたくさんある。その中で、古びたテーブルの上に箱と一緒に並べられたままの品がいくつかあった。店内では見かけないような意匠のそれらが、おじいちゃんが友人から譲り受けたというものだろうか。
このお店は全体的に色味が茶色で、木の温かさを思わせるものが多いのに対して、友人さんのお店は深い色彩のものが多かったようだ。ここでは群青や深緑と寒色系が多い。深いけれど暗すぎない、とても綺麗な色だ。
「お友達から人形はもらったかい?」
「あ、はい!」
触れないように体を動かしながら骨董品を見ていたら、対面側で手入れを再開させたおじいちゃんから話をふられた。夢中になっていて返事が遅れた挙句、少々声が出すぎてしまった。おじいちゃんは微笑ましそうに笑う。
「気に入ってもらえたかな」
「はい、とっても綺麗な子で。部屋に飾ってます」
「そうかい、そうかい、それはよかった」
おじいちゃんはまるで我が事のように嬉しそうに頷いた。
「私もね、覚えている限り探してはいるんだけどね。本当に危ないと感じたらちゃんと言った通りにするんだよ」
どこまでも穏やかな声音だけど、しっかりと言い聞かせるような重みがあった。私たちは骨董品を眺めるのはやめて、並んで対面側にいるおじいちゃんの顔を見ながら頷く。
「確か、君たちはそこの学校の子、でよかったかな」
「そうだよ」
「それなら、普通の人とは少し違う身の守り方ができるかもしれないね」
言われてみて、そういった曖昧なものから身を守る方法はあっただろうかと記憶を探ってみる。けれど、すぐには思い出せなかった。
おじいちゃんの言う通り、私たちの通う学校はいわゆる魔法学校で、素質や技量を問わず、魔法を使えるという条件が備わっていれば入学することができる。そこで魔法について学びながら、自分に備わった素質などを見極めて伸ばす道を選んでいったりする。もちろん、世間一般のことも学ぶわけなのでやることはそれなりに多い。
とはいえ、備わった素質を見極めるなんてことはそう容易くできることではないため、適当な選択をしてしまう人の方が多い、らしい。興味がある分野に行く人もいるけれど、それでも十分やっていけるとの話はよく耳にするから、あまり深刻に考えなくてもいいことだ。
「身の守り方かぁ、習ったっけ?」
「相手が放ったものに対してはやってるけどね」
「今回みたいなのは選択で別れた先から、かもしれない」
みんなが話していることを聞きながら、やっぱりやってなかったかと記憶違いを改める。果たして日常生活において、そんな防御を取る必要に迫られるのかどうかという話だが。確かに、放たれた魔法に対する防御の仕方は習った。でもそれは授業の形式がそうなっているだけであって、本来は日常に起こりうる事故などを、魔法が使える人たちが少しでも軽減したり、助けに手を貸したりする、なんて目的があってのことだったりする。本当にそうなった時に動けるかどうか、というところはさておきだけど。
だから見えない力が降りかかった時の対処はまだ習っていない。それも、これからの選択次第で習うかすら定かではないだろう。それが事故として襲い来るなら、多少力業にはなるけれど何とか防げるかもしれない。が、現状防ぐ術はないに等しい。そういったものへの対処について、自分たちで調べて実践してみるのはかえって危険だから選択肢には入って来ないし、結局のところ本当に困ったら聖堂に行くしかないというわけだ。
「私は魔法に詳しくないから余計なことを言ってしまったかな」
「ううん! 何もできなさそうだってわかったから聖堂に駆け込むよ!」
「ああ、うん。それがいいね。私が譲ってしまったから君たちに何かあったらと思うと寝覚めが悪くなってしまう」
こういう時、軽口ながらも相手を気遣って気負わせないことを言えるカーリンにはいつも助けられる。きっとおじいちゃんも、よくないものかもしれないと、不確かでも情報を持っていながら、私たちに人形を渡してしまったことに対して後悔しているんだろう。そのよくないものが私たちに害を及ぼすかもしれないから。
「でもほら、あたしだってちょっと強引に持って行った感があるっていうかさ」
「そんなことはないさ。私も君たちみたいな若い子がお店に興味を持ってくれているのが嬉しくて、浮かれてしまっていたのかもな」
沈みかけていた空気が戻って安心する。おじいちゃんの心配ぶりからして、思っていたよりもずっと深刻な事態に陥っているのかもしれない。なんだか胸がざわついてくるけど、ここであからさまな態度をとってしまえば、せっかくの空気に水を差すことになる。あまり考えないようにできないだろうか。
「ミコット、どう? おじいちゃんの友達の骨董品」
「……あ、うん。ここでは見慣れないから新鮮だね」
ミーナが肩を組むように話を変えてくる。やっぱり気づかれていたかと、でも気を紛らわすにはちょうどよく、私は骨董品を眺めて緩む頬をそのままにした。話の流れが変わってしまったとはいえ、元はこれを見に来たようなものだったから不自然ではないはずだ。
ここでカーリンが手を鳴らした音が響く。
「そうときたらいろいろ調べなきゃ! いつまでもこっちにいるのも悪いしね」
「おや、もういいのかい?」
「そうですね。まだお店の中を見て回るかもしれませんが、聖堂のことは早めに調べておいた方がいいと思うので」
「そうだね、気を付けてお帰り。またいつでもおいで」
何だか悪いことをしてしまった気分になったけど、ルコがそれ以上はないくらいの理由を挙げてくれたので罪悪感にも似たそれは少しだけ薄れた。おじいちゃんの笑顔も穏やかになっているし、引き上げるにはいい流れだ。
私はミーナに肩を押されるようにして部屋から出る。振り返ってみたおじいちゃんは、作業の手を止めて手を振りながら私たちを見送ってくれていた。
「なんかごめん……」
「いいのいいの、それに調べなきゃいけないのも大事だし」
店内に戻り、入り口付近で誰からともなく足を止める。そこで私は呟くように謝った。こういう、ちょっとしたことを深刻な方向に捉えてしまうのは悪い癖だと、自覚していながら止められないのはもう、私の根っこがそうなっているんだろう。カーリンはただ、近くに置いてあった鏡を見ながら前髪を直すだけだったけど。お店に入ってきた時も直していたからこんな短時間で乱れはしないはず。だから気にするな、ということだ。
「逆にミコットはいいの? おじいさんのご友人の骨董品見たかったでしょ?」
「う、うん。でも解決策出したくてそれどころじゃなくなってきちゃった……」
「だよね、じゃあさっさと帰って調べちゃおっか」
そのまま、私はまたミーナに肩を押されるようにして店を出る。足取りはしっかりしてはいるんだけど、どこか支えてもらっているようだった。
今日も今日とて、広間の一角にたむろした私たちは宿題に調べものと時間を費やした。結果、一番近い聖堂でもそれなりに交通機関を利用しないと行けないような場所にあった。寮生活で制限がある私たちにとっては、半日は使わないと難しい距離。もし行くことになるのだったら、タイミングは見極めなければならない。
あれから一週間は経っただろうか。ここにきてみんなが体調を崩し始めた。魔法の実習が過酷だったわけではないし、放課後に遊び歩きすぎたわけでもない。体を休ませるために寮で大人しく過ごしていたにも関わらず、日が経つごとにみんなの体調は悪化していった。
ただ一人、私だけが何事もなく。
風邪だろうかと、しかしそれらしい症状は現れず、ただ倦怠感のみが襲ってきているらしい。まるで原因不明だ、と言いたいところだがただ一つ、あの人形の影響が出てきたのだろうかと揃って背筋を冷やした。今すぐにでも聖堂に駆け込みたかったのに、休日まではあと数日ある。次の日が休みだったとしても、門限までに戻ってこられないのはさすがに問題行為になってしまう。動けるのは私だけで、一人だけなら規則を破ってでも動いてしまおうかと考えたが、みんなに全力で止められてしまった。
動けない歯がゆさに休日が早く来ないかと過ごしていたその前日。とうとうみんなは授業に出られないほどになってしまった。放課後に様子を見たくて部屋を訪れても、何の返事ももらえないまま。恐ろしいくらいの静寂が返ってくるだけだった。
その夜、私は聖堂への行き方をこれでもかと確認した。念に念を入れて悪いなんてことはない。第一、一人で知らない場所に赴くなんてことは絶対にしたくない質なんだ。緊張でどうにかなりそうになる。だから、しっかり、緊張に緊張を重ねていたとしても動けるように、頭に叩き込む。焦りだって禁物だ。
そうしてベッドにもぐりこむ前、私はまだ飾り棚にいるままの人形をただ眺めた。古代の衣服を身に纏った、目を閉じた男の子。本当に、よくないものだったのだろうか。既に緊張の中にあるまま、私は明日のために眠ることにした。きっと浅い眠りになってしまうだろうけど。
──ふと、目が覚めた。明かりもない真っ黒な天井が見えて、違和感を抱く。暗いのではない、黒い、と。ベッドのすぐ横に窓があるため、夜中といえど街の灯りはうっすらとカーテンの向こうにあったりする。けれどそれもない。心臓が嫌な跳ね方をして、張り付くような嫌な汗も出てくる。部屋はどうなっているのかと頭を傾けてみて飛び込んできたものに、思わず肩が跳ねて寝たままの姿勢で後退る。
男、青年ともいえる誰かがいた。いつも勉強をするテーブルの上に腰掛け、椅子に足を置いている。
全身黒ずくめ、といいたいところだけど、よく見てみれば全身濃紺でまとめられていた。一番目に入りやすいのは、物語の貴族が身に着けていそうな厚めな生地のロングコート。けれど装飾はおそらく銀の刺繍のみで、小綺麗な印象を与えてくる。やや長めの紺の髪を肩に流し、顔立ちこそ親しみやすそうなのだが、どこまでも冷たく見下ろしてくる青い瞳のせいで恐ろしさが増す。
そこから目を逸らしたくて、起き上がりながら部屋の中を見渡してみれば、家具の配置はそのままに、全てが真っ黒に模られたようになっていた。私の部屋という輪郭だけが真っ黒に塗りつぶされたような。
混乱するばかりで呼吸も鼓動も落ち着かないところに一つ、短く息を吐ききった音がして青年の方に顔を向けた。
「災難だったな、俺みたいな呪いを掴まされて」
「呪、い……?」
最初、その言葉の意味を理解できなかった。自分で噛み砕くように呟いてみてようやく繋がる。
まさか、いや、やはり本物だったというのか。よくないもの。呪いの、人形。
どこかで理解していながら愕然としてしまっていた私をよそに、呪いを名乗った青年は目を伏せる。
「やはり、力が落ちたわけではなさそうだな」
どこか一人で話を完結させられているような。私も理解が追いつきつつあっても、置いてかれているのは確かだ。
それにしてもまずここは、この状況は何なのだ。すぐに浮かぶのは夢の中ということだが、それにしてはやけに意識がはっきりしている。明らかに夢ではない何かに巻き込まれていることだけは分かった。
そして、この青年が呪いを名乗ったということは、あの人形に潜むものと考えていいのだろうか。紺色の髪という点のみでいえば結びつかないこともないけれど、特徴が何もかもかけ離れすぎている。わざわざこんなことをしている理由と、みんなの体調が日々悪化しているのは関係があるのだろうか。
答えのない憶測ばかりが頭を占めて、目の前にいる青年とまともに対面することができない。どうにも分からなくなって一瞬だけ青年の目を見てみれば、先程よりも一層冷たさを増した瞳に捕らえられた。
「お前の友人とやらも随分衰弱しただろう」
頭が、一気に冴え渡った気がした。間違いない。みんなの不調の原因はこの呪いだ。だけど、どうすればいい。
「あ、あなたがやったんですか」
「構わないだろう。良からぬものと知りながら友人に贈るような奴らだぞ。悪ふざけにしても質が悪い」
「っ、それ、は……」
痛いところを突かれて叫びたくなる。そう、全くもってその通り。こちらに反論の余地なんてない。実際私たちは楽しんでいて、悪ふざけより程度は軽くても呪いにとってはそうではないはず。こんな人の形をして現れる呪いについての知識なんて一切ないけれど、何か逆鱗に触れてしまったのは確かだろう。たった数日のうちにみんなを動けなくしてしまったのだから。
私はかけたままだった布団を退かして、ベッドの縁に座り直す。手を握りしめて。
「とっ、とにかく今すぐやめてください。呪いってまずは持ち主に降りかかるものなんじゃないんですか!?」
「その通りだ」
若干の早口と熱が入ってしまったことは見逃してほしくなる。一刻も早くどうにかしたくて滑り出てきた言葉だったのに、意外にも私の言い分は通ってくれたようだ。だとしたら相手がどんなに凶悪的な呪いであっても引いてはいられない。それに何故か、話が通じるような気がするから。
冷たい瞳は変わらないけれど、私はそれをしっかりと見つめ返す。しばらく、耳が痛くなるほどの静寂に包まれながら向き合っていれば、呪いは小さく息を吐いて目を伏せる。
「いいだろう、友人からは手を引く」
「え……」
「俺が定めた性質にも反するからな」
こんなにもあっさり引いてくれるとは。もっとずっと残酷に軽率さの代償を叩きつけられるかと思っていたのに。身構えすぎていたのか、気が抜けて言葉が出て来なくなる。
呪いの目から恐ろしいほどの冷たさは失われたものの、私の反応は気に入らなかったのか眉を顰める。
「そもそも、お前が一向に死なないから出方を変えたんだぞ」
「……はい?」
聞き流してはいけないことを言われた気がする。死なないからと文句を言われたのか、今。
その出方、とは。こうして私の意識に潜り込んできたようなこの状況なのか、みんなを衰弱させたことなのか。後者なのだとしたらどうにも許しがたい。
「あいつらは普通に衰弱していったからな。お前が特殊なだけなのか」
呪いは、私も知らない素質でも見抜こうとしているかのように思案顔を浮かべる。まさか、両方の出方を試しているのではないだろうか。ここらでようやく、私も頭が回るようになってきたかもしれない。
「これ、は、ここで私を殺すつもりで……?」
「残念ながら俺はその性質を持っていない」
思わず首を傾げてしまう。呪いに性質があるのは分かる気はするけれど、その性質を持っていないならどうしてわざわざこんなことをしているのか。力がどうとか言っていたからただの確認だったとして、こうして言葉を交わす必要なんてないのでは。
「これはただの真似事だ」
「意識に入り込むことが?」
「そうだ。しかし、これができているなら呪いに倒れていてもいいはず……」
言葉を切りつつ、呪いは顎に手を当てると私の方に身を屈めてくる。内を覗こうとするように細められる目。私は反射的に身を引いてしまった。
同時に、体が動いたことで、余分に入っていた力が抜けてきたことに気づいた。緊張の名残で疲労感がある。
「お前、神聖な血でも引いているのか? だとすると相性は最悪だな」
「さ、さぁ……聞いたことないですけど……」
「使えないな」
酷い言い草。舌打ちまでついてきた。大体、今の子は由緒ある家柄でもない限り自分がどんな血筋なのかを把握している方が珍しいのではないだろうか。だから授業の選択だって適当になるし、何より血筋に興味がないのかもしれない。私だって今聞かれなかったら一生気にしなかった気がする。
呪いは一瞬だけ表情を歪めてから身を起こした。
「全く、骨董屋を渡り歩いてようやくらしいことになってきたと思ったら三回殺しても死なない持ち主か。俺も運がない」
「さっ……!?」
独り言のようだったが、あまりの衝撃に言葉が出なくなる。三回、三回だって?
確かに、それは私がおかしいということになるのだろうか。あの人形を貰ってからみんなの体調不良が起こるまでに何日かはあった。その間に私は三回殺されていて、だというのに不調は一切なくて。だから呪いはみんなの方を狙った、ということになるのだろうか。確認のためにこんな接触までしてきたのも。
最早治まっていた怒りが沸き上がってくるどころか、訳が分からなくなりすぎて言葉が出てこない。
「こんなところか、あとは向こうで──」
「ちょ、ちょ、っと待って!」
そこへ割って聞こえてきた、無情にもこの状況を断ち切ろうとする一言。まだまだ聞きたいことがあると引き留めたのはいいけれど、それがすぐに出てくるわけでもなく。
「何だ」
だというのに、意外にも呪いは止まってくれる。思い切り顔は顰められていたけど。
ただ、一度慌てはじめてしまった頭を戻すことは難しく、私は言葉にすらならない音を二、三出すしかなくなる。
「あれ、今向こうでって……」
なので、たった今引っかかったことが口を突いた。私の質問でも待ってくれていたらしい呪いは深々と溜め息を吐く。
「あとは向こうでお前の生命力を吸い上げつつ聞いてやる。どうせ訪れる友人もいないだろう?」
「なんっ……だってそれは──!」
いちいち対応してくれるところが意外にも律儀だとか、話の分かるヒトなのかだとか。それでも更に言い返したくなるようなことをぶつけてきて。言葉を選ぶ間もなく、強制的に意識が遠ざかっていく気がした。
朝の目覚めはいつもと変わらなかった。気分は最悪だけど。
すぐ横の窓、厚手のカーテンを引いたそこからは陽が射し込み、部屋を薄明るく照らしている。色のある、いつも通りの自分の部屋に安心した。それと同時に、起き抜けでぼうっとしてしまっているにも関わらず、頭の中は怒涛のような情報量を処理するために回っていた。寝起きの頭なのになんて酷な。これならとんだ悪夢を見た方がまだよかったかもしれない。寝た気がしない気分であのやりとりをさらっていたら、急に今日やるべきことが降ってきて飛び起きた。少しだけ頭がぐらつく。
聖堂に行かなければ。
だけど、とそこで動きを止める。念のため行っておいた方がいいのか、あの呪いの言葉を真に受けて様子見をしてみようか。ここを出るまでの時間でみんなの様子を見に行って、呪いと話をつけることはできるだろうか。というか、こっちで話を聞くとは言っていたけど、どういうことなんだ。人形なのに。
私はレースカーテンまで引っ張ってしまわないように厚手のカーテンを端まで一気に開け、そのまま放った。日の光が目に刺さるくらいのいい天気。今のどんよりした気分と状況には残酷に思えるくらいだ。
早く支度を済ませてしまおう。私はベッドから下りた。
朝食は適当に済ませて部屋に戻る。いつぶりだろうか、すごく静かな時間だった。途中、みんなの体調を気にしたクラスメイトたちも同席して、昨日のお見舞いの話をしたりはあったけど。あの時の、部屋から何一つ返ってこない静けさを思い出すと、また背筋が震えそうになる。でもあの呪いは手を引くと言ったし、出かける前にもう一度みんなの部屋に行ってみてもいいかもしれない。
手が動くままに歯磨きも済ませ、テーブルの上に外出用のバッグを置いて準備を始める。と言ってもそんなに持って行くものもないけれど。最悪、お金と携帯端末さえあれば十分だ。それから忘れてはいけないのが、呪いの人形。棚の前に行き、手に取ろうとして、躊躇った。あの青年が思い浮かんだのもあるけど、話を聞くと言ったのはどういうことだったのかと。まさかここで私が聞きたいことをぶつけるだけぶつけておいて、返答は全て寝てから、なんてことじゃないといいけど。だとすると、部屋でただ一人人形に話しかけるという最悪の絵面ができあがってしまう。
「……は?」
思わず声が出た。この躊躇いが悪かったのだろうか。いや、何がいいとか悪いとかそういう問題ではない。
人形が、瞬きをしたように見えた。元々目を閉じていたから、開いた目と視界を馴染ませるような瞬き、というべきか。
いよいよ私もおかしくなったのか、またあの真っ黒い部屋に引きずり込まれたのか。頭を振ってみるけれど、特に変化は見られなかった。いつもの、私の部屋。しっかり現実だと認識しながらも、人形はさらに動きだしていく。周囲を確認するように首を巡らせて、手前に飾ってあった背の低いものをまたいで前に出てくる。
「う、うごっ……」
一歩と半歩くらい後ろに下がった。あまりの出来事に一言すらまともに発せなくなる。
人形は体を見下ろすと顔を顰め、私を見上げてくる。閉じられていた瞼の向こう、あるはずのない瞳が私を捉えていた。呪いを名乗った青年と同じ、深い青色。
更によく見てみれば、あの不思議な材質でできていた全身も変化していた。髪は一本一本が繊細に揺れ、身に着けている衣服には動きに合わせた布の柔らかさを感じる。何より肌が生き生きと、触れればその通りに弾力を返してきそうだ。もしも小人なんて種族をお目にかかれるのだとしたら、こんな感じなのではないだろうかというほどの、生きた人形がそこにいた。
「叫び出さなかったことは褒めてやる」
「えぇー……」
そして当然のように発せられた声は、あの部屋で聞いたそのまま。正直、この人形の体から青年の心地よい低い声が聞こえてくるのは妙に合わなくて違和感しかない。だからといってマスコットのようなかわいらしい声が出てきても、それはそれで違和感でしかないかもしれないけど。
とにかく、この人形の中にいるのはあの呪いだと考えていいだろう。それ以外が入っていたのだとしたら逆に誰なんだということになる。
「何やら忙しくしているようだが、聖堂なんざ行っても徒労に終わるぞ」
「なんで……」
何故目的を知っているのかとかはこの際疑問にすらならないと思った。どうせ人形のふりして私たちの会話を盗み聞きしていたに違いない。話していた内容からして筒抜けだと思っておいた方が身のためだ。
「過去、どれだけの聖職者が俺を見て匙を投げたと思う」
「さ、さぁ……」
とにかく、手のつけようがないくらいの凶悪的な呪いだというわけか。今日も断られるのが目に見えているらしい。当の本人からそんな出鼻を挫かれる忠告を受けてしまったとはいえ、聖堂に行かないとなると時間を持て余してしまいそうだ。今日はそのための一日にするとしか考えてなかったから。
「どうせ無駄足になるんだ、それなら俺と話した方が早い。こっちも動かしたのが無駄になる」
「後半が本音じゃないですか」
本当に、話ができるヒトなのか、やっぱり自己中心的なヒトなのか分からなくなる。
それはそれとして、聖堂に行こうとしたのはそもそもみんなの回復が全て。解決する兆しがあるというならわざわざ一日を費やさなくてもいいのかもしれない。話してくれるというなら本人から聞いた方が早いし、対処もできることがあるかもしれない。その場合、みんなにはどう説明したらいいのだろう。いっそのこと、ただの体調不良が回復していったことにしてしらばっくれてしまおうか。絶対に通らない気はするけれど。
「本当にみんなからは手を引いてくれたんですよね?」
「ああ。動けるまで多少時間はかかるだろうがな」
「そう、ですか」
本当に手を引いてくれたかなんて確証なんかないくせに、この呪いはそんな嘘はつかないような気がして勝手に安心してしまう。みんなの様子を見に行けば分かるのだろうけど、遠回しに今は行くなと言われていることも分かった。無駄な聖堂には行かず、友人は無事だから今すぐ話をしていけ、ということだ。
踏ん切りがつかない私に、呪いは機嫌がよくなさそうに片眉を上げる。
「引き留めたのはお前だろう。俺も聞くと言った」
「それはそうなんですけど……」
確かに、呪いに言わせてみればそうだ。釈然としないけれど、予定をかぶせた私が悪いということになる。私から言わせてもらえば、あの状況であんなことを言われて引き留めない方がどうかしているのだけど。それに、人形が動いて喋って話を聞いてくれるなんて夢にも思わないのに、予定を取りやめろというのもなかなか横暴な話だ。
「とりあえずそっちだ。移動させろ」
顎でテーブルの方を指される。もう私の予定なんかなかったことにして話を進めるらしい。時間を見てみるとまだ余裕はあったけれど、それまでには絶対に終わらない。聖堂に行くのは諦めて、大人しく話をするしかないようだ。私も話はしたいところではあったけど、今日の目的を投げ出したことに対してのやるせなさは残る。
それを一息で吐き出すようにして、私は呪いの人形の前に手を差し出してみた。あの呪いが中にいる人形に対しての運び方なんて分からないけれど、今まで通り無遠慮に掴むよりかはずっといいはずだ。
「落とすなよ」
案外素直に乗ってきてくれたのはいいけれど、脅しめいた一言に喉が引き攣る気がした。これは落としたら恨み言の一つや二つ飛んでくるだろう。だったら人の手の上で堂々と立っていないで、落ちないように努力してくれたらいいのに。
けれど幸いなことに、棚とテーブルは目と鼻の先だ。振り向いて二、三歩行けばいいだけ。それでも手の甲がテーブルにつくまでは慎重に、呪いに下りてもらうまでは下手に動かず気は抜かない。
その後で私はテーブルの上に用意していた、おそらく今日は使わなくなってしまったバッグを元の収納場所に戻しに行く。入れた中身は今はそのままでいい。戻って椅子に座れば、やっと落ち着いた心地がした。
「本当、とんでもない呪いなんですね……ていうかこれって呪いのうちに入るんですか」
「そんなことを言いたいわけではないだろう」
「その通りなんですけど、あーもう」
聞きたいことは山ほどあるはずなのに、いざ改めて面と向かうとどこから聞こうか迷ってしまう。まだ聖堂に行く予定を潰されたことから抜け出せていないのだろうか。せっかく呪いから話を持ち掛けてくれたのだから逃すことはできない。聞きたいことを人形に投げつけるだけの最悪な事態にはならなくて済んだのだから。
それと一応、軽めの遮音魔法でもかけておこうか。隣室に聞き耳を立てるなんてことはされないだろうけど、内容が内容だ。防ぐに越したことはない。私は腰に差していた杖を取って軽く唱え事をする。効果が部屋全体に張り巡らされたと肌で感じて杖を戻すと、改めて呪いと向き合った。軽くでも魔法を使ったからか意識がまとまった気がする。
「えーっとそうですね、命を吸い上げるとか不穏なことを聞いた気がするんですけど」
「今もお前の生命力を吸い上げながら動いているぞ」
「う、っそでしょ」
言葉だけを聞くととんでもないことが降りかかっているようだけど、私自身何の異変も起きていない。背景を知ったうえで実際に目の当たりにしてみると、確かに特殊な体質でも持っているのではないかと思えてきてしまう。無意識に両手を見つめていれば、呪いはその場に座った。
「俺としてはこれまで通り持ち主を殺そうとしたが、お前ときたらいつまで経っても衰弱しないうえに、三回は殺したはずでも変化がないときた。おまけに自らの血も知らないとくる。腹立たしいがお手上げだ。滅多にないぞこんなこと」
よほど鬱憤が溜まっていたのか、私が黙っているのをいいことに一気にまくしたてられる。とにかく持ち主ができたのなら殺すことに重きでも置いているのだろうか。私が死なないことに相当いらだっているらしい。
ただこうして、私個人にぶつかってくるのは一向に構わない、のだけど。
「だからってお試しでみんなのこと衰弱させないでくださいよ。力顕在だったじゃないですか」
「手を引くと言った」
「そういう問題じゃ──」
そこでふと、気になった。返答次第ではどうにかしてやらねば。
「これって寿命削るとかじゃないですよね?」
「違うな。俺はその時の生きる力を奪って衰弱死させる」
「そうですか、よかった……」
ほっと肩の力を抜く。一先ず安心してしまったとはいえ、素直に喜んでいいことでもないのだろうけど。これで肯定なんかされようものなら、どうにかして奪った寿命をみんなに返してもらうところだった。あとは呪いが言ったように、自然に回復を待てばいいだけのようだ。
同時に、あの時私を殺す性質がないと言っていたことを思い出した。どうやらこの呪いは、人の生きる力を奪っていくだけで、事故やそういった物理的なことを引き起こすわけではないらしい。夢の中で殺すなんてことも。ただ、最終的には死を招くものだから甘く見てはいけないけれど。
考えながら、みんなの無事に表情を緩めてしまっていると、呪いは私を見上げて眉間にしわを刻んでいた。理解に苦しんでいるような。
「やたら気にかけるが、あいつらは本当にお前の友人なのか?」
「──は?」
まるで見当違いの方向から飛んできた、予想もできなかった問いかけに一つ声が低くなる。そんな私の反応が意外だったらしく、呪いは僅かに目を見開いた。
考えるまでもないことが口を突く。
「当ったり前じゃないですか! いつから起きてたんだか知りませんけど何を見てきたんです!?」
勢い余って立ち上がりかけたのを、テーブルを叩くだけに留める。かなりの衝撃が伝わったようで、人形の体が揺れた。
本当、遮音魔法をかけておいてよかったと心の底から思った。まさかこうも感情に任せて叫ぶことになるとは。隣室の子たちに不審がられてしまうところだった。
今の衝撃のせいか、やはり現状が気に入らないのか、呪いの表情はまた不可解に歪む。
「先にも言ったが、良からぬものと知りながら贈り物をするような奴らが?」
「それはっ、その……」
一瞬で失速した勢い。そこを突かれると反論に困る。だって仕方ないじゃないか、と子供じみた言い訳が通りすぎていった。確かに注意は受けていたとはいえ、本物がそこらへんに転がっているなんて思うわけがない。そういう可能性を考えろ、と言われてしまえばそれまでだけど。私も素直に受け取ってしまったし、もう少しそこらへん慎重になってほしかったな、とやり場のない文句を数日前の自分にぶつけたくなる。
同じ問答を繰り返すなら、大人しく白状してしまった方がいいのかもしれない。どうせこの呪いのことだし、酷い言葉を返してくるに違いない。そうなっても文句を言えないのが私の立場でもあるのだけど。嫌だな、と今度は私が深々と溜め息を吐く番だった。
「その、ですね……ちょっといたずらを仕掛け合うのが私たちの間で流行ってましてですね……」
「何だと?」
険しくなる呪いの表情。少々訝し気に揺れてはいるけど、声音は明らかに怒気を孕んでいる。さあ一体どんな嫌味が出てくるか。私が何の補足もしないでいると、言葉のそのままを受け取ったらしい呪いはふいと視線を逸らした。
「わざわざ関係性を破壊するようなことを……それで諸共死ぬはずだったんだから世話ないな……」
ほら見ろ馬鹿にされた。こんな嫌味だったらまだ何の捻りもない罵倒の方がましだったかもしれない。当然だから甘んじて受け入れるとして、でも苦しい言い訳はさせてもらう。
「いやでも些細なことばっかりだったんですよ? 今回たまたま悪ふざけ方面に行きすぎちゃっただけで……」
「例えば」
「例えば!?」
またも予想外が返ってきて、並べ立てようとしていた言い訳が吹っ飛ぶ。途中でくだらないと切って捨てられそうだと覚悟していたというのに、まさか内容に興味を示されるとは。これも呪いの中では何かの判断材料になったりするのだろうか。
とにかく、私は吹っ飛んで行った思考を切り替えて手繰り寄せつつ、一言二言唸る。
「あー……最近私がやったのはミーナの机にペンのインクぶちまけといたやつですね。机汚しちゃうといけないのでコーティング系の魔法かけましたけど」
「……他は」
「他!? えーっと……カーリンのペンの芯全部抜いといたのもありますね。バラバラになると困るので本体に括り付けておきました、けど……」
適当に挙げたはいいけれど、次第に険しくなっていく呪いの表情。そんな顔を向けられなくたって自分でもよく分かっている。普段やらないことをやれと言われたって、手段の一つすらまともに出てこないことくらい。だから目についたもので思いついたことをやってみただけだというのに。
「お前がやったことはいい。何をされた」
どうやら呪いの求めていた答えをを間違えていたらしい。やはりそちらの方が呪いにとっては重要なのだろうか。それなら、と私は印象的ないたずらを引っ張り出した。
「そうですね……黒板消しを目の前で叩かれたこととか?」
「それで」
「……粉被るのはよくないので、ちゃちゃ~っと花びらに変換して頭に飾られました」
心底呆れたような溜め息が返ってきた。軽く頭も抱えられる始末。聞いてきたくせにそんな反応はないだろう。先に出した私のいたずらで、まともなことをしていないのは察しがついていただろうに。言うつもりはないけれど、頭に色とりどりの花びらを飾られて授業を受けるのはなかなか恥ずかしかった。
呪いは頭に手をやったまま、閉じていた目を開ける。
「一応、もう一つ聞いておく」
「真っ青お茶会ですかね」
呆れ返っているくせにまだ聞く気があるのかと、私は思い出したありのままを伝えてみる。だけどそれだけでは漠然としすぎていたのか、単純に首を傾げられる。相変わらず眉間にしわを寄せながら。
もう言葉もなく次を促されているような気がして、説明を足すことにした。
「私の誕生日がたまたま被りまして、みんながいろいろ用意してくれたんですよ。それで出てきたものが全部青かったんです。テーブルセットはもちろん、食器もお茶とお菓子も」
「何だそれだけか」
つまらん、という本音が存分にこめられた素っ気ない反応。まさか顔が青ざめるようなものが出されたとかそういう想像でもしていたんじゃないだろうな、この呪い。失礼な。
「食欲が失せる色ってことらしいです。お茶は青く出るのがあるのでそれを。お菓子は作るだけ作って一気に着色したみたいです」
「魔法で、か……安くなったものだ」
打って変わって、呪いは憂い顔になる。今の話の中にそこまで憂う要素があっただろうか。
いくら人形の纏う衣装が古代を連想させるとしても、そんな大昔の人のような感覚を持っているとは。確かに歴史的な話、昔の魔法使いは強力な力を奮えたが数は少なかったらしい。今では学校という学びの場があるくらいには数はいるけれど、大多数は奮える力なんてそう大したものではない。だからこそ、日常のちょっとしたことに魔法を使うようになっていったといってもいい。呪いにとってそれは、魔法の安売りとか無駄遣いに映るのだろうか。その背景を考えると、やはりこの呪いは古い時代を生きてきたモノなのかと思わなくもない。
と、私は話が思いきり逸れていることに気がついた。逸らした当の呪いは、また面白くなさそうな表情に戻っている。
「そもそも、こんな馬鹿げたことを始めたきっかけは何なんだ」
「酷い言いよう……」
何でか、うっかり口から零してしまった胸中。気づいた時にはもう遅く、はっきり言い返してみろという無言の圧が返ってきていた。落ち度は私たちにあって、強気に出られないことを分かっているとしたら、相当底意地が悪い。
私はその圧に負けたということにして、思い出すまでもないいつものきっかけを素直に答える。
「言い出すのは決まってカーリンですね。いたずらを仕掛けあいまくる動画でも見つけたんじゃないかと」
「ろくでもないものが転がってるんだな……悪事に振り切れないならやめてしまえそんなもの」
「悪事って……」
どうしてこう極端な言い方をするのだろうか。
元はお金をかけずに楽しいことをしたいと友人間で始まったもので、遊び自体は今に始まったことではない。中にはお金をかけてしまうようなのもあったりはしたけど。だから今回も、実質タダで貰えてしまったとはいえ、お店のものに手が出た時点で終わることになった。ネタ切れもあるだろうし、慣れないことをするものではないということも理由に入っているだろう。
ただ最終的に、遊びの内容と呪いとの出会い方がとにかく最悪なものになってしまったのは、運が悪かったとしか言えない。私は肩を下げて一息吐いた。
「他の流行ものは」
「ありますけど、聞きたいんですか?」
絶対に興味なんかないくせに、何故か呪いは畳みかけてくる。納得できるまでの情報を引き出したいだけにしても、私たちの友人関係を疑いすぎではないだろうか。どうにも口が重くなるが、顎で先を促されては黙っているだけ面倒になるだけだ。なので、とにかく楽しかった遊びの記憶に、呪いの偏見が改まることを祈るしかない。
「前回は持ち回りでヘアアレンジしましたよ。あとはお金かけちゃいましたけどお気に入りのお菓子持ち寄ったりとか、偉人発表会とか……」
「何だそれは」
思いついたから口に出してみたものの、確かに最後のは言葉だけ聞いてみれば謎の流行だろう。というか、本当に一時的なものだったために余計流行感がない。
「テスト近かった時のなんですよ。ただ覚えるんじゃ覚えられないってことで、それぞれ範囲内の人のことを調べて発表、みたいな」
「随分余裕なんだな」
「それが先生の話よりずっと入ってきやすいんですよ、不思議ですよね~」
真面目に聞いているはずなのに、何故授業中の先生の話は頭からすっぽ抜けやすいのか。いつの時分も謎である。と、そんな話で少しだけ前の記憶に浸っていれば、呪いは未だに不機嫌そうな顔をしながら目を逸らして溜め息を吐いていた。
「まあ、お前たちが上辺だけの関係でないことはよく分かった」
「それはよかったです……」
渋々、というかそう受け入れざるを得ないという心の底からの不満を感じる。私としては早めに決着がついて何よりだけど。
それにしても、ここまで話してようやく納得してくれたとは。もし、私たちの関係性を証明できる話が出せなかった場合、どうなっていたのだろうか。一度は手を引くとか言っておきながら、やはり自分が正しかったと理不尽な理由をつけて、またみんなに手をかけようとしただろうか。でも、あれは自分の力を試しただけと言っていたし、そこまで深く考える必要はないのかもしれない。
疑惑を晴らしたというのに悶々としていた私は、呪いと目が合ったことで引き戻された。存外呪いの目が落ち着いていたからだろうか。
「それで、まだあるか」
「あなたが話逸らしたんじゃないですか。ちょっと待ってください」
とりあえず、あの真っ黒い部屋で散々言われたことに対しての聞きたかったことや、ちょっとした謎についての答え合わせだ。
まず、私自身のことは耐性があったということにしておいて、みんなの体調不良も手を引いてくれるということで解決。寿命を削る呪いでもなかったから安心、と。最優先事項は解決している。
「そういえば、性質がどうとか言ってませんでしたっけ」
「言った通りだ。夢に干渉して殺すだの、目に見えた事故だのを引き起こすわけではない」
「いやそっちじゃなくて、殺す……順番、というんですか……」
気になったとはいえ、言葉が詰まる。すると呪いは、ああ、と目を眇めた。手に乗れるくらいに小さくて、親しみのある見た目の人形だというのに、底の知れない恐ろしさが生まれる。相手にしているのは凶悪な呪いなのだと、緊張感が戻ってくるには十分な迫力だった。
「競争が激しかった時代の名残だ。俺を贈られた方を先に殺しはするが、贈った奴もその後で殺す」
「うわぁ……」
理解していたつもりだったが、本当に質が悪い呪いなのだと認識を改める。呪いというのは跳ね返ってくる覚悟が必要だとはよく聞くけれど、この呪いに関してはそれが当たり前のようだ。どんなに覚悟して対策を立てていたとしても、それを容易にくぐり抜けて殺しに来るだろう。
自分でも分かってはいたけど、苦々しい表情をしていたせいか、呪いは片眉を上げる。
「俺という呪いを使うような姑息な連中だぞ。数日間でも甘い夢を見せてやっただけ寛大なものだろう」
「それはやっぱり、衰弱で……?」
「当然だ。原因を知っても知らなくても、徐々に弱っていくのは恐ろしいだろう?」
「えー、うわぁ……悪辣でしかない……」
思わず強めの単語を選んでしまったが、呪いは凶悪的な笑みを深めるだけだった。この人形の見た目なのに違和感がないことで更に恐ろしさが増す。先程の呪いも似たような心境だったかもしれないが、聞くんじゃなかったと少しだけ後悔した。
「本当、これ私たち全員死んでたやつだ……」
「自分の血に感謝でもしておくんだな」
命拾いした、という表現は決して大袈裟ではないはずだ。最悪な背景のもと出会ってしまい、けれど持っていた幸運で何とか命を繋ぎとめることができた。呪いは心底残念そうに目を逸らし、私は何も返す気が起きないままテーブルに肘をついて手で顔を覆う。
けれど、すぐにあることが気になり手を離した。
「この場合、おじいちゃんって……」
「ああ、あの手の店の主は古い物というだけで敬意を払ってくれるからな。俺はただいるだけだ。まあ性質上持っているだけで早死にはするが」
「じゃあ大丈夫ってことですね?」
呪いはただ頷いてきて、私はほっと息を吐いた。それなりに足を運んでお世話になっているお店と店主なのだ。私たちの遊びに巻き込むことにならなくて本当によかった。ただ、この人形について調べてくれていそうなおじいちゃんが正体を知ってしまった時、負い目を感じてしまわないか心配になる。実際に被害は受けてしまったわけだけど、みんなもそこは気を遣って何もなかったことにはしてくれるだろう。結局は自業自得、という言葉で片付いてしまうから。どうあれ、誤魔化す方向で話をすることにはなりそうだ。
まだもう少しだけ、この後について考えることはある。
「思ったんですけど、これ私が死なない限り次の被害者出ませんよね?」
「全く腹立たしいがそうだな。だが分からないぞ? 俺欲しさにお前を殺してでも奪っていく輩はいるかもしれない」
「怖いこと言わないでくださいよ……」
少しでも明るいことをと思いついてみれば、すぐさま愉快そうな笑みで叩き落としてくる。先程確信したようなものだけど、この呪いはきっと長いこと人の世を見てきては引っ掻き回しもしたんだろう。そしてその過程で、たった今言われたことが起こったりもした。けれどいいのだろうか。呪いにとっての私という獲物、それが外からの暴力で奪われるというのは。無駄に誇り高そうなのに。
ここで私は時間が気になって時計に目をやる。もう移動中でなければいけないような時間。予定が潰されてしまったからもう意味はないけれど、普通に考えてみれば朝早すぎるわけではなく、かといって動き出すのに遅すぎるというわけでもない、割といい時間。みんなの具合はどうだろうか。目が覚めてくれているといいけど。昨日みたいに部屋から何の返事もないなんてことにはならないはずだ。呪いの言葉が正しければ。きっと、顔を出したらこの時間に私がいるのはおかしいと、なのに体調が良くなっていると、少しだけ複雑なことになってしまいそうだ。
「え、っと、ありがとうございます。もう聞きたいことはなくなったと思います」
「ならいい。せいぜい見舞ってやるんだな」
ああ、もういいくらいなのかな、と。当然のように次の行動を読まれていても特に驚かなかった。私は立ち上がって、椅子の背もたれをしっかりテーブルにつける。
食堂から水は拝借していこうかと考えながら、一度テーブルの横に回り込んだ。
「あっち戻ります?」
「……いや、ここでいい」
何故か呪いも立ち上がっていて、棚の方に目を向けた後で首を振ってくる。テーブルの上には何も置いていないけれど、それでもいいのだろうか。そのことを気遣ったわけではなかったが、呪いは動かない私を怪訝な顔で見上げてきた。
「どうした」
「いやぁ、全部しっかり答えていただけたなー、と」
「その方が都合がいいからな」
思えば、あの黒い部屋での時からそうだった。状況とか衝撃に呑まれて必死で、ちゃんと覚えているわけではないけれど、とにかく投げかけた言葉にはしっかりと答えが返ってきていた、気がする。今の今までしていた話にしてもだ。問答無用で人を呪い殺したい衝動の塊でしかないくせに、会話が成立する話の分かるヒト、でもある。目的をひた隠しにして獲物が惑う様子を楽しみそうなものだけど、その妙な真面目さは呪いとしての徹底ぶりにも表れているか。
そうは思いながら、都合なんかあるのか、と首を捻ってしまった。
「どうせ、お前みたいな奴は老いさらばえるまで死なないんだ。だったらさっさと情報を渡した方が暇つぶしに付き合わせやすい」
「暇、つぶ、し……?」
何やら面倒なことになってきてしまったと、今更ながら後悔してきて眉間にしわが寄る。聞き間違いでなければ、この先一生の付き合いになる発言だったような。もちろん、私がこの呪いの人形を手放さない前提の話だけど。今のところ私にとっては無害であるし、呪いが見当をつけたことを鵜呑みにするなら次の人に渡るまでの時間稼ぎだってできる。だからって別に聖人ぶりたいとかそんな崇高な目的は一切ない。だってもう既に面倒が発覚して手放したくなってきてるし。
そんな私の葛藤なんかお構いなしに、呪いは不敵ともいえる笑みを浮かべた。
「せいぜい末永くよろしく頼むよ、持ち主さん」
こんなにも嬉しくない末永くを聞く羽目になろうとは。最悪の偶然で呪いの人形に捕まってしまったことは受け入れるなり覚悟を決めるなりはできても、その呪いが動いて喋り倒して暇つぶしまで要求してくるなんて、誰が予想できただろうか。しかも一生分。
さすがにそんな明後日の方向への覚悟なんてできていないから、とにかく言葉の羅列だけでも受け入れようかと、私は大きく息を吐き出した。
「分かりました、分かりましたよ。散々私の質問に答えたから今度はあなたの番ってことでしょう?」
「そういうことでもいい」
「ああもう!」
投げやりな気分になってそれをそのまま叩きつけてみたけれど、呪いの意図することとは少し違ったらしい。でもよく考えてみれば確かに、呪いにとって私の情報なんて知ったところで全く意味のないものだろう。血筋に関する情報であれば欲しがりそうではあるけど。
「まあいいです。とりあえずみんなのところに行ってきますので、荒らさないでくださいね」
「そんな意味のないことをするとでも?」
とにかく呪いとの今後の付き合い方については後回しだと、使い古された文句で切り上げてみれば、言外にやらないと返ってくる。妙に常識的な呪いのことだからそんな心配はいらない気はしていたし、私だって何となく口にしてみただけだ。
大事な問答ではあったけれど、足止めを喰らっていた私はようやく部屋のドアに向かい、ノブに手かけたところで一度振り返ってみる。呪いはテーブルの真ん中で腕を組み、早く行けとばかりにこちらを見ていた。ここまで来ておいて出ていかない私に、呪いは怪訝そうに片眉を上げて首を傾げてくる。
こう、少しだけ距離が離れてみると、凶悪な呪いである小さな人形がテーブルの上にぽつんと突っ立っている光景が、今の私の状況が、本当に奇妙でおかしなものだと思えてきて、ふっと笑ってしまった。意外とこんなにも早く余裕を持つことができたのだと、私は腰に差していた杖に触れて、かけていた遮音魔法を解く。それから、少々険しくなっている呪いの表情を横目に見ながら、みんなを見舞いに行くために部屋を出た。
こうして、何気ないいたずらから出会ってしまった呪いの人形と、何やら耐性があるらしい私との、奇妙な生活が幕を開けたのだった。それはもう、本当に末永く。
広げてみようか迷ってる話。とりあえず短編で。いずれ呪いの発生に至る、予定。