減点主義のハーメルン。加点主義のなろう。そして勇気が欲しいわたし。
ここ二週間ほど、ハーメルンでラノベ一冊分くらい書いていた。
せっかくだから宣伝させてもらうけど、
【悲報】私氏、小学生妹ちゃんのヒモになりそう
って作品で、まあいつものTS作品です。
主人公を小学生にするのは、わたしの作品で言えばわりとデフォ。
メスガキにしたのが特殊と言えば特殊か。
ついでに言えば、姉妹百合に特化させるために、この作品では姉妹二人しか解像度の高い人間は存在しない。配信や掲示板でモブを半キャラ化させたりはしたけど、そこは姉妹関係にモブ的な立ち位置からしか発言しないので、姉妹関係は絶対的に保全されるという寸法だ。
やはり百合の間に挟まる男は撲滅させなければならぬ。男は一匹残らず駆逐してやるという決意をもって書いている。ネトラレは絶対に発生しないので、もしも読んでる人がいたらそこは安心してほしい。
ただ、こういう話は、あんまりなろうウケはしなさそうな感じもする。
ていうか、平均7000文字で二週間ぶっ続けで書き続けると、さすがに粗も出始めたように思う。もうちょい文字数を……というより執筆スピードを抑えたほうがよさげかなと考え始め、いったん筆を止めた。
上記の作品はオリジナルなので、なろうにも投稿できるところではあるんだけど、わたしはそうしなかった。
なんでと問われれば、ハーメルンはTS好きな読者が多そうなイメージだからだ。単純に二重投稿すれば、読者層が被らなくても読まれる総数は増えるところだろうけど、わたしの作品を読んで、それなりに満足してくれるモブが増えるより、めっちゃ好きと言われるほうが嬉しい。つまり、半モブを望んでいるというべきか。このあたり、自分でもよくわからんのだよ。
なぜって、その作品だけど匿名投稿してるから。
たぶん、匿名投稿するってことは、読まれなかったらどうしようっていう恐れがあるのだと思う。防衛機制が働いて、結果として完全匿名が保たれるハーメルンで投稿した。
大変お恥ずかしながら、わたしはわたしを見つけてほしいという、かまってちゃんだったのである。は、はずかしぃ……。
しかしながら、ここで暴露したのは、それなりに満足のいく結果を残せたからか。
完全に満足しているかと問われれば、まだまだと言いたいところだけど、この作品はもともと小さな箱庭を創りたかったというものもあるから、ここらが限界なんじゃないかとも思っている。
ここから先に進むためには、姉妹百合の純粋性を壊さないといけない。
一度創りあげた作品を自らぶち壊していかなくてはならない。
恐ろしい。とても恐ろしい。再構築が失敗してしまえば、作品全体の質は低下する。
ここで終わっておけばよかったのにと後悔すること必至。
あまりの恐怖に、ドラえもんがメスガキになる話を投稿してしまったよ……。
ところで、この自らの手で作品をぶち壊してでも先に進んでいく怖さは、失敗の恐れと言い換えてもよいと思う。
その点でいくと、ハーメルンは減点主義だから、失敗に対する恐れはより強く働く。
どういうことかというと、ハーメルンでは平均点というものが、読まれやすさにとてつもなく影響するということだ。
作品の横には平均点により、色と長さで区分けされたバーが常時表示され、それを見た読者が、ああこの作品は『ヤバい』んだとか、あるいは赤マン(赤色でバー満タン)だから『おもしろいのかな』とか思ったりするというわけ。
当たり前だけど、読者はおもしろい作品を望んでいるのではなく、おもしろいかもしれない作品を望んでいる。読む前に得られる作品の情報は『タイトル』とか『あらすじ』とか『作者名』に集約されるが、ハーメルンでは平均点もまた重要になってくるというわけだ。
まあ、それ以外にもランキングとかの影響もあるので、単純に平均点だけが問題ではないと思うが、ともかく影響力はなろうの比じゃない。
これは読者がおもしろくないと思った場合に、平均点を大きく下げる評価点を入れることで、作品を表舞台から引きずり下ろす効果があるということを意味する。端的に言えば、評価点は表面上は加点でも、実際上は減点になっているということだ。
ハーメルンは事実上の減点主義なんだよ。
もちろん、読者がどんな評価をくだすのかは自由だし、評価されたくなければ、チラシの裏にでも書いてろよというのはわかっている。
作品の質がその程度のものだったから、平均点が落ちるのは当然だろっていうのはその通り。
しかしながら、失敗の恐れは、それがモロに読者の評価として現れてしまう可能性は、わたしの足を止めさせるに十分だった。
ハーメルンが悪いとか、減点主義が悪いとか、そういうことが言いたいわけじゃなく、勇気が欲しい。だから声をあげている。
実を言えば、わたしが勝手に推測している読者ウケする盤面って少し手前だったような気もする。
感想では批判はしにくいだろうから、そのことは表面上あらわれにくいけど、おそらくは『勘違い』した姉妹の偏頗構造を維持したまま話を続けるほうがよかった感じもするんだ。
モラトリアムの期間を長引かせれば、もうちょい点数的には伸びた感じも……。
しかし、わたしは先に進むことを選んだ。
というより、猛烈な執筆スピードに任せて、そのあたりは考えないようにしていたというべきか。
最初からわたしは勇気が足りなかったのかもしれない。
新兵が絶叫しながら敵兵に打ちかかるとすれば、その新兵は恐慌状態であると判断されるだろう。
わたしがしたことは、それに近い。
ただ、それもひとつの自分を鼓舞するやり方だったんだ。
いまわたしは立ち止まって、迷っているわけだけど、最初からラノベ一冊分程度、10万文字前後で閉めようって思っていたから、話はどんどん先に進めるし、構造はめまぐるしく変わる。それでいいというようなやけっぱちな気持ちで書いていた。
この勢いってけっこう有用だよなと思う。停滞すると一歩も進めなくなることある。
ただこれから先は、構造自体が抜本的に変わっていくので、さらなる勇気を必要としている。
実は今もまだ迷っている。
ここで完結させろ、安住を選べとという心の囁きが聞こえてくる。
たぶんだけど、この恐怖との対峙は、書き手なら誰しもが持っているものだと思う。
そして勇気もまた。
書き手が作品をおもしろくしようと悩まないで、自分の恐怖と戦わないで、なぁなぁで済まそうとするなら、勇気という点で隔絶している。
そんなものは作者ではない――と言い切るほどわたしには実力もないが、少なくともわたしはそうありたいと願っている。
進め! 進め!
あ、でもやっぱやめようかな……。
わたしの脳内はこんな感じです。
今日もメスガキを書こう