思いつき犯罪の極み 第六話
これまでの捜索により、つい最近までここに住んでいたのは、ほとんど出歩くことのできない一組の老夫婦、あるいは、それに息子を加えた三名であるはずだ。住民たちが背負っている多額の資産額と比較して、ここを守るべき人員は非常に少ない。この近所を定期的に見回る組織もない。友人知人も少なかったはずだ。これでは、犯罪者集団に目を付けられても致し方ない。できることなら、もっと早く、市役所や警察の指導を仰いだ方が賢明であったかもしれない。我が国は高齢化が進み、多くの家庭が同じような悩みを抱えている。跡継ぎ問題、遺産相続、遺産分割の問題、引き取り手のない痩せた土地の処理について、あるいは遺品の整理や処分、孤独死、働き手を失った家庭の年金受給に関する問題などなど、市役所が数千人単位のスタッフを抱えていても、対処できないほどの問題を全国各市町村が抱え込んでいて、処理できそうにない難問が山積みである。この哀れな老夫婦のような分かりやすい実例が、全国各所に散らばっているのだ。現在よりかなり以前に警察に身の不安を届け出ていたとしても、万全の方策を講じるのは難しかっただろう。せいぜい、この地区の巡回を一日三回から四回に増やす程度か。そのくらいのことでは、プロの犯罪者集団の襲来を防ぐことはできなかったわけだ。今思えば、この豪邸から、わずか二百メートルの地点に居住しているこの私としても、もっと早い段階で、このような緊迫した事態が起きていることに気づいてやればよかった。自分の手で悪党たちの身勝手な欲望から、か弱い老人たちの命と資産を守ることができたかもしれない。しかし、こういう場合に後悔は禁物である。自分だけが反省をしていても、過ぎ去った時間は元に戻らない。ここはなるべく早く涙を拭いて冷静に立ち戻り、未来の被害者を減らすことにまい進すべきである。ここに押し入って狼藉を働いた者たちへの怒りを、今後活動するための正義のエネルギーへと変えなくてはならない。
奥の和室に何者かの作為の気配を感じた。すなわち、今回の殺戮事件の全貌はここにあるといってよいだろう。敷き詰められた畳はどれも美しく生活感をまるで感じさせなかったためだ。部屋の奥側に広い床の間があり、40インチのテレビが整然と置かれていた。壁際には二枚の座布団が立てかけられていた。すなわち、この部屋の普段の生活者は二名である。それは夫婦とみてよいだろう。床には埃ひとつ落ちておらず、壁には染みひとつない。数十年にわたり使用されている部屋にしては綺麗すぎてずいぶん不自然である。この部屋で食後の他愛もない会話を楽しんでいた老夫婦が、突然の悪意の来訪により、この場にて無惨にも命を奪われたと、そう考えてしまってよさそうだ。
さて、実行犯は四名か五名程度であろう。先述のとおり、敷地を囲む壁が低く、犯行の一部始終を外から目撃されてしまう恐れがある。そうでなくとも、警ら中の巡査が何かの異変に気づいて、ここの大扉を叩くかもしれない。そのため、広い庭のどこかに外部への見張り役を一名配置しなければならない。まだ血の滴る死体を運ぶためのポリエチレンの袋やドイツ製の消臭剤、ドアノブやテーブルに付着した血痕や指紋を消すための清掃係が一名。この邸内の詳しい地図を所有し、全体の指揮にあたる人物がひとり、もしくは二名。最後に、実際には、これが一番重要な役割かもしれないが、金庫の解錠を短時間で行える人間が必要となる。
こうした冷酷無比な犯罪の一部始終を聞かされると、ふと、人生の無為に涙したくなるのではなかろうか。それは常識人として当然の感情である。誰しも自分の想像の限界を超えるほど残忍な人間の存在を認めたくはないものである。「このような愚か者にでも丁寧に人の道を説けば、いつかは分かってくれる」そう信じたいものである。しかし、現実には何度生まれ変わっても畜生道に堕ちていくような人間が存在するのも、また事実なのである。絶望に値することではあるが、他人が悔しむことに、他人が悲しむことに、他人の幸せを破壊することに、何ら躊躇しない人間が存在してしまうのである。人間の性質や能力や育ちや出会いが千差万別である以上、時には、こうした獣以下の人間が生まれくる可能性を渋々と認めなければならない。彼らを理解したり、同情したり、許したりする必要はない。ただ、最高の栄誉があり得る以上、そういった最悪の行為もまたあり得ることを遺憾ながらも信じなければならない。自分にとって得になる存在だけを身の周りに置いておくことはできないわけだ。
ただ、ここまでの説明を聞かされて、ふと、「それらの想像は皆、あなたひとりの思い込みであり、実際には老夫婦は今も元気にどこかで生存しており、例えば、病院での長期療養や老人ホームでのデイケアに通うために家を空けているだけなのでは?」などと勘ぐっておられる方はいないだろうか。言葉は悪いが、そういった安直な考え方こそ、こういった最悪の所業をなす犯罪者集団の思惑通りなのである。すなわち、被害者らが長期療養や深夜徘徊する程度にまで衰えた老人だからこそ、こういった大胆不敵な犯罪が可能になったのである。
『火のない所に煙は立たぬ。臭い屁の近くにおっさんはいる』
闇の組織に雇われたプロの犯罪集団とは、すべての憶測から逃れるために、現場に残されるべき、あらゆる火の種、犯罪臭を完全に消し去ることのできる恐ろしい輩である。これでは地元警察の手抜き捜査では、この件は悪意の介在しない、単なる行方不明事件だと結論付けられてしまう。実は、この国の自衛軍でも及ばぬほどに、彼らの組織の実力は相当に高いのである。まず、彼らが最初に立ち入ったはずの庭先と、玄関に至るまでの通り道には、ひとつの足跡も残されてなかった。ドアはあの通りの質の悪いものだが、強引に押し開けたり、こじ開けられたような形跡もない。犯人たちとて人間である。犯行の最中に生理現象が起こった可能性だってある。しかし、一階のトイレの内部も水道も使用された形跡はいっさいなかった。廊下の床板の上には、引き上げる際に足跡を拭き取ったはずの雑巾吹きの跡すら残されていないのだ。この邸内から、少なくともふたつの遺体を搬出したはずであるが、壁や畳にさえ触れたり擦ったような跡がまったく見られない。これではまるで透明人間の犯行である。床の間には掛け軸がかけられ、伊万里の中皿が飾られていたが、その右側には、かなりのスペースがあった。おそらくは、ここに金庫が置かれていたはずである。なるほど、単独犯であれば、扉をこじ開けて中身だけを持ち去るところだが、集団での犯罪ならば、金庫をそのまま持ち去ってしまった方が、かえって安全で、しかも単純明快である。手慣れた細工師であっても、形式も分からない金庫を短時間でこじ開けることは困難である。いつ、不審に思った近隣の住民が警察に通報しないとも限らない。人数さえ確保できれば、金庫を持ち上げて、そのまま運び去ってしまう方が手っ取り早く、しかも安全なのである。彼らの作業は全般にわたりほぼ完璧であったといえよう。だが、壁際に二枚の座布団を置いていったことについては、唯一の失敗といえた。この部屋でテレビを見ながらくつろいでいたふたりが、音もなく侵入してきた集団に突然襲われたことは明白である。こんなことを想像するのは、自分にとっても非常に辛いが、おそらく、老夫婦は主犯格の男により、この畳の間で瞬時に刺殺されたか、絞殺されたと思われる。奴らの仲間のうち、ふたりはすぐに遺体を専門の袋にしまい、そのまま、外のワゴン車に運び入れる作業に入る。その間に、ひとりは金庫の重さを計り、それを持ち運ぶ準備に入る。ひとりは残りの部屋を捜索して、他に住民がいないか、遺留物はないか、犯罪が行われたことを示す痕跡はないかの確認をする。犯行部隊が邸内に侵入して夫婦に襲いかかり、乱暴に殺害して金庫を奪い室内を整頓して逃走を完了させるまで、わずかニ十分足らずだったはずだ。しかも、家の外観にも内部にも痕跡は何もない。目の前を走る道路の車通りは比較的多いのだが、その沿道は意外なほどに人通りが少ない。深夜や早朝など、通行人のない時間帯に犯行の一部始終が行われたとすれば、事件の目撃者を探すことも困難であろう。犯人グループはどこの国籍なのか、何名か、犯行が行われた時間帯はいつなのか、重要な要素のほとんどが不明では捜査にどれほどの時間と人員を費やしても、結局は迷宮入りする可能性が高い。捜査が滞ればマスコミの取材も減り、付近に住む市民たちも次第にこの事件への興味を失っていく。情報提供者の数も日増しに減少していく……。捜査に進展のないまま、数ヵ月も過ぎれば、この国のどこかで次の凶悪事件が起こされるだろう。マスコミのカメラはそちらへと移されていく。人々の興味や同情は「そもそも、何を目当てとした、どのような事件だったのか」という、曖昧な疑念へと変わっていく……。遺族たちの希望も虚しく、このような解説しにくく捉えどころのない事件は、時の流れには逆らえず、ある程度の期間で風化してしまう傾向がある。
しかし、そういう現状だからこそ、偶然にもこの現場に居合わせた私が、この難解な事件に取り組むべきだろう。後からここへ来る警察に、どの程度の感性があるのかは知らぬが、一般人でこの場の空気を確かめられるのは、被害者の親族を除けば、現場に踏み込んだ経験のある自分だけである。心には正義の炎が熱く燃えている。普段は野良犬との喧嘩も避けるほど心優しい自分であるが、被害者たちの無念を垣間見た今なら、この社会の裏にこびりつく悪党どもと正面切って対峙する自信さえある。自分でいうのはいささか恥ずかしいが、犯罪心理学に精通しているこの私でさえ、現場に一枚の葉っぱの痕跡すらも残さぬ、このような大胆でありながら細心の注意を払った犯罪を目にしたことはなかなかない。この事件は金も職もなく町をうろつくだけの札つきの不良や、出所したばかりの前科者が起こした、いわゆる思いつきの犯罪ではない。ふたりの住民が姿を消したというのに、周辺の住民はその異常に誰も気づいていない。警察や役所も未だに動き出していない。もしかすると、警察関係者やタクシードライバー、あるいは、この家の住人をよく知る近所の住民の中にも裏組織への内通者がいるのかもしれない。そして、ここで大金の奪取に成功したなら、次にはマネーロンダリングも必要となる。大手銀行の幹部や証券会社も絡んでくる可能性が出てきた。となれば、政界の重鎮とて黙ってはいないだろう。精密な計画と大胆で圧倒的な行動力。これと同じことを成し遂げられる組織は、世界広しといえど、それほど多くはないということだ。凶悪事件となると、まずは暴力団関係者を疑う人も多いだろうが、千九百九十二年に施行された暴力団対策法により、暴力団の活動は麻薬取引以外は、詐欺事件やギャンブルの裏開催や外国人労働者の斡旋など、いわゆる民事事件へとシフトしてきた。民間人を標的とした残虐事件はバブル前とは打って変わって影を潜めた印象がある。それに、もし、この件に暴力団関係者が関わっているとすれば、彼らがこの家の住民に対して脅迫をかけたり、住宅の周囲を下見に来た段階で、警察や行政はもっと動いてきたはずである。近所の住民とて、怪しい空気を感じることができた可能性もある。それがなかったのだから、今回の一件が暴力団崩れの犯行である可能性は低い。逆に、警察や行政のトップさえ震え上がらせるほどの強力な海外ネットワークを持つ犯罪組織が関わっているとみるべきだろう。
地元住民同士の関係性や日々のスケジュールまで調べ上げ、我が国の警察すら味方につけて利用し、数千万もの大金をマスコミの記者ひとりにも知られない形で難なく持ち去ってしまう。私は自分の無力さに正気を保てなくなり、床にへたれ込むしかなかった。もし、この邸内に強盗団がいた場合、自分は多少の傷を負ってでも、彼らと一戦を交える覚悟でいた。「大人しくしろ! 警察にはすでに連絡してあるんだ。お前たちには、もはや、逃げ場はないんだぞ!」そう叫んでやれば、奴らも取りあえずは退却せざるを得まい。あまり多くの犠牲者を出すことは、この後に香港への高跳びの予定を控えている彼らにとっても本意ではないはずだ。奴らを取り押さえることが難しければ、最低でも、この家の住民の遺体の確認だけでもしたかった。しかし、今この目で確認した通り、財産もふたりの遺体も、すでに残虐非道な犯人グループに持ち去られた後だった。
このままでは諦めきれない。私は再び歩みだし、部屋の右方にある押入れの方に進んだ。もしかすると、中には血まみれの布団が押し込められているかもしれない。最悪の結果ではあるが、それでも、この凶悪事件が確かに行われたことの証拠にはなる。私は震える手で押入れの襖をゆっくりと開いてみた。すると、その内部には幅一メートルニ十センチくらいの鋼鉄製の金庫が収められていた。不思議なことに私の心は異様なほどに静かだった。(そんなことは絶対にあり得ないが)まるで、このことを事前に知っていたかのようだった。海外からやってきた凶悪な窃盗団が押し入って、残忍な犯行を行っていった後だというのに、彼らの最大の目的であったはずの大金庫は、これこの通り、手つかずのままで残されているのだ。様々な憶測が脳裏を過ぎていったが、その空想のすべては無意味である。事実としては、この通り、誰もいない邸内の奥に、大きな金庫がこの通りきちんと鎮座しているのであるから……。
しかし、このことが私がこの家を訪れる前に何の犯罪も行われていないことの証明にはならない。犯人グループは金庫を巧妙な手法で開けて、中身はすでに持ち去っているのかもしれないではないか。まずは、そのことを確認しなければならない。警察や消防署にこの事件の顛末を報告をするのはその後でもいい。とにかく、この巨大金庫の中身を確認してみる必要がある。犯行グループはこの部屋に侵入することはしたが、この金庫については見つけることはできなかった可能性がある。または、金庫の開け方が分からなかったのか……。金庫の右手に付いているダイヤルは左右に数度、適切な目盛り分回せば開くという、大昔に流行った単純な仕組みらしい。もちろん、それを開くための暗証番号は分からなかった。中身を確かめてみたかったが、無理にこじ開けようとするのも適切ではなかった。私がこの時間にこの場所にいたという痕跡をわざわざ残していく必要はなかった。しかし、もし、強盗団がこの金庫を発見できなかったか、あるいは解錠に失敗して逃走したのであれば、私の未来にとって、この金庫を開くことは非常に重要である。横取りという表現は適切とはいえない。生涯の内に手に入れることのできる好運のうちのひとつが眼前に現れたとみるべきだ。だが、ことが成功するか否かの重要な局面において、焦りは禁物である。しかし、この局面は多少なりとも焦った方が良いだろう。これまでに私が行ってきたことは、不法行為とは無縁であるが、後からしっかりと付けてきた警官たちが、この場面を目撃してしまえば、誤解や先入観により、正義の士を誤って拉致してしまうという悪夢が起こり得ないとも限らない。我が国では個人の意志や尊厳よりも法律の解釈が優先される傾向にある。彼らに容疑者として取り押さえられる事態になれば、当然、厳しい取り調べを受ける羽目になる。どんな起こり得ない事実を喋らせられることになるか知れたものではない。裁判所はその誤った供述を元に審判を行い、私に重罪が科せられる可能性も十分にある。あらゆる人に慈悲の心を持つはずの私が加害者に? そうなる前に、膨大な資金という幸せをつかんで、足早にここを立ち去るという、比較的賢明な選択肢も存在する。
正義感と偽善を混ぜこぜにしてしまった男の犯罪です。奇妙な作風に仕上げてみました。よろしくお願いします。