07 期待
部活は2時間ほどで終わり、全体ミーティングのあと解散となった。
一足先に競技場を後にした僕は帰りの駅で尊と待ち合わせをし、それから同じ電車に乗った。こうして尊と一緒に帰るのも入学して間もない頃以来だから、随分と久しぶりだ。
「どうだった? うちの部は」
並んでシートに座ると、尊が早速今日の感想を求めてきた。
「思っていたよりも和やかな雰囲気だったね。みんなすごくフレンドリーみたいだったし」
「もっとおっかないもンだと思ってたか?」
「そういうイメージじゃん、体育会系って。声が小さいと上級生にシバかれたり、なんでもない時でも突然ウォーとか叫ばないといけなかったり」
「ひでえ偏見だな。うちの部にはそういうの無いから安心しろよ」
それは僕も遠目に眺めていて感じた。全体でのウォーミングアップはとても和気藹々としたムードで行われていたし、種目ごとの専門練習に移ってからも同じチームの人どうしで盛んにコミュニケーションを取り合いながら楽しそうに練習していた。よくスポーツの指導現場などで見受けられるような理不尽な厳しさや上下関係といった風潮は一切なかった。
楽しそう、か……。
練習に対して自分がそう感じたことが、なんだか不思議だった。
というのも、かつての僕には練習に〝楽しい〟などという観念は存在しなかった。
そもそも練習は楽しむためにするものじゃない。強くなるためにするものだ。他者との馴れ合いなんて必要ない。そんなものはトレーニングに注ぐべき集中を妨げる。
子どもだてらに、そんなこまっしゃくれた考えを持っていた。
それゆえ僕はひとりで黙々と走り続けることで、誰よりも真剣に走りに向き合っているのだという自信を養っていた。
いま思えば、そのせいで僕は心の底から陸上競技を愛することができなかったのかもしれない。走ること自体を純粋に楽しいと思えていたならば、ケガなんかで走るのが嫌いになることもなかったのではないか。
練習中の部員たちの生き生きとした表情を見ているうちに、そう感じるようになった。
あの場所でなら、また走ることが楽しいと思えるかもしれない——
まだ完全に迷いを断ち切れたわけではないが、僕の中では決意は固まりつつあった。
地元の高田野駅で電車を降りた後、まっすぐ家には帰らず、尊の家に寄って夕食をご馳走してもらうことになった。
尊の実家は母親が飲食店を経営している。尊がこっちに引っ越してきた頃からやっている店で、昔から近所のお年寄りや部活帰りの中学生に人気だった。一見するとあまり客受けが良さそうな店構えには見えないのだが、あの尊を育てた母親だ、きっと人を惹きつけるのが上手いのだろう。
もちろん料理のほうも申し分ない。二人掛けのテーブルに向かい合い、尊は運動部員ご用達のスタミナ定食を、僕は普通のカツ定食をいただいた。
しばらく懐かしい味に舌鼓を打ってから、いまのうちに部活について気になったことを尊に尋ねておくことにした。
「練習中の服装って、特に決まりはないんだよね」
ああ、と尊は唐揚げを豪快に口の中に頬張りながら頷いた。
「そっか、なら僕も早いうちに買い揃えておかないと……」
別に練習するだけなら体育の授業で使っている体操着とシューズでも問題ないのだが、皆が『TAKASHIRO』と記されたチームウェアや自前で用意したスポーツメーカーのものを着用している中で一人だけ学校指定の体操着というのは些か格好がつかない。
「小学生の頃に使ってたヤツは? まだ残ってねーの?」
「そんなの、もう小さくて使えないよ」
「そうか? 俺、小学生の頃のパンツとかたまに履いたりすることあるけど、いまでも全然イケるぜ?」
「そりゃあ尊はあの頃からデカかったもんね」
「デカかったって、ナニが?」
「なんでもない。いいから食べたら?」
尊の手元にはまだたくさんの料理が残っていた。こいつは昔から食事中によく箸を止めて話す癖がある。そのくせ食べる量は人より多いものだから、いつも食べ終わるのに常人の倍の時間が掛かるのだ。
尊はおとなしく食事に専念し始めたかと思いきや、二度ほど箸を動かしただけでまたすぐに手を止めて話し始めた。
「色々と買い揃えるつもりなら、この休みにでも一緒に駅前のデパート行かね? 俺も夏場に備えてシャツとか補充しておきたいしさ」
「うーん……」
「なにか用事でもあったか?」
「いや、ないけど……」
そこでわずかに逡巡したが、やはり話すことにした。尊も少なからず僕の事情を知っているのだから構わないだろう。
「部活のこと、親にはなんて話そうかなって」
「そんなの、部活に入ることにしたわー、でいいんじゃねーの?」
「でも、ほら……僕、昔勝手に陸上をやめちゃったことあるから」
小学生の頃、僕は両親の意思に背いて陸上競技から身を引き、父さんをひどく失望させてしまったことがある。そのわだかまりは未だに消えてないというのに、どのツラ下げて陸上部に入ることを伝えればよいのやら。
——という僕の境遇をどこまで把握しているのか知らないが、
「あー、なーるほど……」
尊はこちらの心中のほどを察してくれたようだった。
「それなら黙っておけば?」
「そうもいかないでしょ。保護者会とかもあるみたいだし」
「保護者会? そんなのあったっけ」
「なんで僕が知っていることを尊が知らないのさ」
「エホンエホンッ! まあ、もし言い出しにくいようなら、俺からも言ってやるよ。〝おたくの聖士くんを僕にください〟ってな」
「いいよ、これくらい自分で何とかする」
正直、尊の行動力と気丈さに甘えたいという気持ちもあるが、自分の家族との問題に親友の助けを借りるほど情けない人間にはなりたくない。この試練も、僕が自分の足で踏み出すべき一歩なのだ。
「そっか、頑張れよ」
そう言って尊は唐揚げを一つ口に入れて箸を置いた。僕の食事はそろそろ終わりかけているのに、こいつは相変わらず食のペースを早めようとする気配が微塵もない。
「他に部活のことで聞きたいことはあるか? いまなら何だって教えてやるぜ。例えば部内の誰と誰が付き合ってるとか……」
「そんな話はどうでもいいけど、それならひとつだけ」
僕は最後に残しておいた豚カツの一切れを頬張り、冷水を軽く喉に流してから尋ねた。
「我室さんって、マネージャーなんだよね?」
「そうだよ。お前も見てただろ?」
たしかに部活中、我室さんはタイム計測やビデオ撮影など選手たちの練習をサポートする活動をしっかりとこなしていた。あれらは紛れもなくマネージャーとしての活動だと思われるが——
「でもあの人、ウォーミングアップを尊たちと一緒にやってたよね?」
僕が気になっていたのはその点だった。
陸上部には我室さんの他にも二人の女子マネージャーがいた。彼女らは部活が始まってからボトルの水汲みやトレーニング器具の準備などの雑務をしていたのに、どうして我室さんだけ選手たちに混じってウォーミングアップに参加していたのか。
気になったなら本人に聞けば良い話なのだが、自ら女子に話しかけるという行為は僕には難易度が高すぎたので、いまこうして気の置けない親友に尋ねたわけだ。
「あー、そのことね」
尊は納得したような表情を見せると、口の中の食べ物を飲み込んでから答えてくれた。
「たしか治療のためだとか言ってたぜ」
「治療?」
「ああ、適度な運動は癌の治療にも効果があるらしい」
尊の軽い口調とは裏腹に、返ってきた答えが思いのほか重たかったので、他人の背負った悲劇を受け止められる器量のない僕はただ「そうなんだ」と相槌を打つことしかできなかった。
それから程なくして、僕は食事を終える気のない親友を待たずに店を出た。