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Last Run  作者: 広川ナオ
第一部
7/65

06 部活

 校舎から歩いて5分という距離に市営の運動公園があり、その敷地内にいつも我が校の陸上部が使っている陸上競技場がある。


 いつも登下校の時に通りかかっている場所だが、こうして足を踏み入れるのは久しぶりだ。最後にここで走ったのは小6の秋に出場した引退レースでのことだから、実に3年半ぶりということになる。


 現在も昔と変わらない、田舎くさい競技場だ。客席があるのはホームストレート沿いだけで、他の外縁は土手に囲まれている。草木の匂いがとても懐かしい。ただ僕が走っていた頃はまだ従来の赤色のトラックだったので、現在の青色のトラックはすごく新鮮だ。青には生理学的に気持ちを落ち着かせる作用らしく、競技に臨むランナーたちがリラックスできるようにという配慮のもと、近年ではこのような青色のトラックを備える陸上競技場が増えているらしい。


 尊がゴール側の入場ゲートの前で一度立ち止まってお辞儀をした。どうやら競技場に入る前に一礼するのが高城高校陸上部の()()()()のようだ。

 僕もそれに倣って頭を下げながら、心の中で「ただいま」と唱えた。


 それから場内に足を踏み入れ、ホームストレートに沿って客席の前の通路を歩いていこうとする尊に、


「じゃあ僕はこの辺りで見ているよ」


 と告げたら、尊は「えー、なんでだよ」と露骨に眉をひそめてきた。どうやらすっかり僕のことを仲間たちに紹介する気でいたらしい。


「だって顔を見せたら、後になって『やっぱり辞めた』とか言いづらくなるじゃん」

「そうかあ?」


 豪胆な性格の尊には、僕の思考は理解できなかったらしい。

 そりゃあ僕も尊くらい図太い性格だったら気にせずにいられるかもしれないけど。


「とにかく、今日のところは離れた場所からひっそりと見ているよ」

「ったく、しゃーねえなあ」


 尊におとなしく別れてもらい、僕は近くの空いている客席ベンチに荷物と共に腰を下ろした。


 間もなく100m続く通路の中程から尊の「こんにちは!」という大きな声が聞こえてきた。すぐにその付近の客席にいた部員からも同じように「こんにちは」と挨拶が返される。どうやらあの一帯が集合場所になっているらしい。


 そういえば僕が以前通っていた陸上クラブもあんな感じだったな……などと懐かしい思い出に浸っていると、何やら遠巻きに視線を感じた。見ると、付近の中学の体操着を着た三人組の女子が不審者でも見るような訝しげな目をこちらに向けていた。

 その視線の意味はすぐに分かった。僕が座っていたこの一帯の客席は彼女らの中学が荷物置きとして使っていたのだ。


 慌てて立ち上がり、「すみません」と中学生相手に腰を低くしながらその場を離れる。


 この競技場は市が運営しているもので、普段は近隣の中学・高校が共同で利用している。だから見学する時でも、他の学校の邪魔にならない場所を選ばなくてはならない。


 もっと隅っこの客席に移ろうと、先ほど入場してきた出入り口へ引き返そうとした、その時、


「……あっ」

 

 ちょうど場内に入ってきた我室さんとばったり出くわすことになった。


 いつもの藍色のニット帽ではなく、白地のスポーツキャップを被っていた彼女は、僕と同じように目を丸くしていた。今日のところはお忍びで見学させてもらうつもりでいたから、彼女にはそのことを伝えていなかったのだ。

 

 しかし彼女はすぐに安心したようにニッコリと表情を和らげて言った。


「南雲くん……来てくれたんだ」

「うん……ちょうど尊にも誘われていたし」


 素直に頷くのが恥ずかしくて、親友の名前の陰に隠れる。


「そうなんだ。南雲くんって、渡会くんと仲良かったんだね」

「まあね……」


 ……どうしよう、会話が続かない。

 我室さんと顔を合わせると、どうしても昨日の大胆かつ刺激的な彼女の告白が脳裏を過ぎってしまうのだ。

 

 普段ならこうした沈黙など慣れているというか、さして気にも留めないのだが、我室さんが相手だと無性に気まずくてならない。何か喋らなければと脳内の言語野を必死で働かせようとするが、思考はますます混沌としていく。まるで探し物をすればするほどグチャグチャになっていくタンスの中のようだ。


 幸か不幸か、程なくしてタイムオーバーとなった。


「ごめん。もうすぐ集合が始まるから、わたし行くね」

「あ、うん……」


 笑顔を振りまいて去っていく我室さんを、僕は棒立ちで見送っていた。気の利いた言葉をかけることも、愛想のある表情を作ることもできなかった。


 せめて「がんばって」の一言くらい言えばよかった……


 己の奥手ぶりに落胆しながら、女子らしい薄水色のスポーツウェアを着た我室さんの背中をしばし呆然と眺めた。




 結局すみっこの客席に腰を据えることにした頃に、うちの学校の陸上部員らがホームストレートの外で集合を始めていた。


 30名ほどの部員が4列に並んでいる。前側が2年生、後ろ側が1年生だろう。男女比はだいたい2対1といったところ。 

 今日は顧問の先生は来ていないようだった。代わりに部長と思われる、肌の焼けたスポーツ刈りの男子部員が全体の前で何やら話をし、全員で挨拶をした後、今度はいくつかのグループに別れた。おそらく専門種目ごとに集まっているのだろう。陸上競技ではよく種目ごとの特性によって、短距離、中長距離、跳躍、投擲といった分類がなされるのだ。


 僕は尊の動向を目で追った。あいつのいるところが、おそらく短距離チームだ。

 チームの人数は7人で、そのうち男子は4人。ただ短距離チームには110mハードルなどの障害種目も含んでいる場合があるので、昨日尊が言ったように、純正の短距離選手は尊ともう一人しかいないのだろう。尊が嘆いていたとおり、これでは確かに人手不足感は否めない。


 チームごとに集まって短い会合――おそらくその日の練習メニューを確認しているのだろう――を終えると、続いてウォーミングアップへと移行した。短距離チームは跳躍、投擲と合流してトラックの内側にある芝生のフィールドに向かって移動を始めた。このあたりは僕が以前所属していたクラブチームと似たような流れだった。


 ところが、ここで気になる事態を目にした。

 芝生へ移動するためにトラックを横切って行こうとする一団に、マネージャーとして別の場所にいたはずの我室さんが合流したのだ。

 これもマネージャー業務のひとつなのだろうかと思ってしばらく注視していたが、どういうわけか芝生に入ってジョギングを始めた部員たちの最後尾を、彼女も同様にジョギングしてついて行った。


 どういうことだろう?

 なぜマネージャーであるはずの我室さんが、選手たちと一緒に練習を……?


 疑問は解消されることのないまま、ジョギングの後の体操、動きづくりのためのドリル練習、そして締めの流し走と、結局彼女はすべてのウォーミングアップを選手たちと同様にこなしていた。

 いや、さすがは元トップスプリンターと言うべきか。動きの良さだけで言えば、彼女は他の選手たち以上に洗練されていた。


 ひと通りのウォーミングアップを終え、荷物のある場所でしばし休憩をした後、短距離のメンバーは競技用のスパイクシューズを持って100m走のスタート地点に向かって移動を始めた。

 我室さんも同様に移動していたが、彼女が持っていたのはシューズ袋ではなく、ストップウォッチとフリップボードだった。


 結局、彼女が選手たちに混じって体を動かしていたのはウォーミングアップの間だけで、その後は計測やビデオ撮影といったマネージャーらしい業務に専念していた。


 練習の様子を見学させてもらうはずだったのに、僕は終始彼女のことばかりが気になってしまった。


 病人でありながら、部活のマネージャーを務めている。

 そしてマネージャーでありながら、現在も選手たちと共に走り続けている。


 彼女は一体、何者なのだろう――

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