52 大切な友だち
国体予選が終わり、夏休みはあっという間に最終週を迎えてしまった。
午前の夏期補習の後、昼過ぎから海辺の水族館に遊びに行こうという約束をした。メンバーはお馴染みの4人だ。
午後1時に髙田野駅に集合した僕らは、電車に乗って3駅ほど移動し、そこから歩いて海辺にある水族館を訪れた。
田舎の水族館だから規模はそれほど大きくないが、外観は真新しくて綺麗だ。去年リニューアルオープンしたばかりなのだと、言い出しっぺの圭子が熱く語っていた。もっとも、小学校に入学して以来、水族館など一度も訪れたことのない僕にはあまりピンと来ない話だったが。
最初の1時間で館内の展示を存分に堪能した後は、全員でイルカショーを観に行くことにした。
平日の昼下がりとはいえ、いまは夏休みの真っ盛り。ショーの客席は小学生くらいの子どもたちで賑わっていた。
そのちびっ子たちに負けずとも劣らない無邪気さで最前列の客席に駆け下りていったのが、尊と圭子の二人。僕と恋歌は、階段を下る途中で足を止めていた。
「おーい、ナグとレンカちゃん、どうしたんだー?」
「いや、はしゃぎすぎ……っていうかそこ、『水しぶき注意』って書いてあるじゃん」
イルカショーがどんなものか知らないが、『水しぶき注意』というのは、おそらくイルカに水をぶっかけられる可能性があるということだろう。
「ああ、そうだけ……まさかナグ、おまえ水族館に来るのに雨ガッパ持ってこなかったのか?」
「持ってないよ、そんなの」
「おいおーい! お前、義務教育でナニ習ってきたんだぁ?」
「なんでこれくらいのことで、そんな非常識人みたいに言われるのさ」
水族館に行ったらイルカショーを見るのは当たり前で、イルカショーを見るなら最前列に座って水しぶきを浴びまくるのは当たり前で、それに備えて雨ガッパを用意してくるのは当たり前のことらしい。陽キャラ界の中では。
当然とばかりに圭子もポシェットの中から折りたたみの雨ガッパを取り出しながら言った。
「しゃーない、二人は後ろの席で見てれば良いよ」
「えー、ナグばっかりレンカちゃんと二人きりだなんてズルいぞ! 俺の雨ガッパ貸してやっから、お前はケイコと一緒にずぶ濡れになって来いよ」
ズルイって……アンタたち、付き合ってるんでしょーが……
案の定、すかさず圭子に脛を蹴られてピョンピョン飛び跳ねている尊を見て笑わせてもらった。
「僕らはすぐ後ろで見ているからさ。二人は思う存分水浴びしてきなよ」
「ちぇー、分かったよ」
尊と圭子はステージ正面の最前列に座り、僕と恋歌はその後方、《水しぶき注意》という立て札の外側のセーフティゾーンに並んで座った。
程なくしてリズミカルな音楽と共にイルカショーが始まった。
イルカショーを最後に観たときの記憶などろくに残ってなかったから、懐かしいというよりも初めて観るかのような新鮮さがあった。そして想像していたよりも何十倍もエキサイティングだった。
2匹のイルカが音楽のリズムに合わせながら完璧なタイミングで同時にジャンプしたり、人を乗せて泳いだりと、人間基準で考えても難易度の高い技が次々に披露されていく。
以前がどうだったのかは覚えてないが、現代のイルカショーとはこんなにも進化しているものなのか。
中でも一番驚いたのが、体を垂直に立てた状態で水上をドルフィンキックで進む、いわゆる《立ち泳ぎ》というだ。
それを観た恋歌が、隣にいる僕にひそひそ声で話しかけてきた。
「ふつうイルカってあんな泳ぎ方しないよね……どうやって覚えさせたんだろ?」
彼女のふとした疑問に、僕は少しマジメに考えてみた。
「クレーンみたいなのでイルカを垂直に吊り上げた状態でバタバタさせる……とか?」
「えー、なんかそれ可哀想……」
たしかにイルカが縦に吊るされて必死こいて尾ヒレをバタつかせている姿を想像すると、なんかシュールだ。
「あはは……まあ、どうやって覚えさせたのかは分からないけど、でも、よくあんなに綺麗な動きができるよね。それも音や人間の合図に合わせて。言葉なんて通じないはずなのに」
「きっと、ものすごく練習したんだと思うよ……何回も、何回も」
イルカたちの華麗なる演舞に目を輝かせながら恋歌は言った。
「すごいよね、生き物って。頑張って練習すれば、なんだって出来ちゃうんだから」
「うん……ヒトも同じだと思うよ」
言葉以上の強い思いが込められた彼女の言葉に、僕も心から頷いた。
人間の可能性は計り知れない――
このことを僕に教えてくれたのは、こうして隣で笑っている彼女なのだから。
イルカショーが終わると、今度は近くにあるカラオケボックスに4人でやって来た。
以前、僕と恋歌は〝インターハイが終わったら一緒にカラオケに行こう〟という約束を交わしていた。もちろん二人でということも考えていたが、僕も恋歌も場を盛り上げられるタイプではないので、尊と圭子にも賑やかし役として参加してもらうことにしたのだ。
この日のために僕もそれなりにカラオケの練習をしてきたつもりだったが、いざ人と聴き比べてみると全然しょぼかった。尊は天性のエンターテイナー気質だから盛り上げるのがめちゃくちゃ上手だし、恋歌は元の声が綺麗なうえ、マネージャー経験で培った声量があったから、普段の静かな彼女とのギャップもあってすごく感動した。
だが中でも断トツで上手かったのは圭子だった。マイクを持った幼馴染は、いつものキャッキャとうるさい感じの声とはまるで別人のような美声だった。声に感情を乗せて歌う姿や表情は、ピアノで音を奏でている時とよく似ていた。
まさか、圭子がこんなに歌が得意だとは……
てっきり賑やかし役だと思っていたのに、とんだ誤算だ。
圭子が一曲歌い終わると、尊が盛大に口笛を吹いて囃し立てた。その隣でタンバリンを握っていた恋歌も、中学時代からの親友に惜しみない賛辞を送った。
「久しぶりにケイちゃんの歌聴いたけど、やっぱり上手だね! 中学の頃よりもさらに上手くなってる気がする!」
圭子はテーブルにマイクを置き、照れ笑いを浮かべながらいつものキャピキャピ声に戻って言った。
「ありがとう! 実はちょっと前から歌の練習もしてるの。
音楽科の入試って試験項目に歌唱が含まれてることもあるから」
期せずして圭子の口から〝入試〟という言葉が出てきたことに、高校3年生の耳は敏感に反応した。
「そういえば圭子って、音楽の先生を目指してるんだっけ?」
「そうそう、だから音楽科のある教育大に行こうと思ってるんだ!」
圭子が小学校の音楽の先生になりたがっているという話は去年から知っていた。圭子は音楽が大好きだし、子どもの世話をするのも得意そうだから、先生という仕事はぴったりだろう。
いいな、僕もそれくらい明確な夢を持っていれば、大学選びに迷うことなどないだろうに。
「そういえば、みんなはもう行きたい大学は決めたの?」
圭子からの切り返しにまず堂々と答えたのは尊だった。
「俺はまだこれといって決めてはいないけど、とりあえず関東の大学で陸上やりてーな」
陸上の強豪と呼ばれる大学は関東に多く集まっている。関東インカレや箱根駅伝といった陸上界のビッグゲームに出場できるのも関東の大学だけである。
「僕もそんなとこ」
僕も尊に同調した。大学で学びたいことは決まってないが、とりあえず陸上が盛んな関東の大学に行きたい、という考えは僕も同じだった。
ただしすでに決意が固まっていそうな尊と違い、僕には迷いがあった。本当に陸上だけで大学を選んでよいのかという迷いが。
「ふーん、それじゃあレンちゃんは?
レンちゃんもやっぱり陸上の強いとこ行くの?」
恋歌はすでにいくつもの強豪大学からスカウトを受けているはずだから、当然それらの大学の中から進路を選ぶつもりなのだろうと思っていた。
しかし意外にも彼女はきっぱりと首を縦に振ることはしなかった。
「それも考えてはいるけどね。でもわたし、大学では福祉について勉強したいと思ってるから……」
へー、恋歌は福祉を学びたいのか。
恋歌が大学を決め兼ねていたことは意外だったが、それ以上に彼女が大学で学びたいことをちゃんと考えていたことに感心した。
「そっか……それなら、いずれにせよ大学に行ったらみんなバラバラになっちゃうね」
圭子が腰を下ろしながら、寂しげな笑みを浮かべて言った。いつも明るい圭子が急に暗いことを言うと、通常よりも余計に場の空気が重くなる気がした。
圭子の言うとおり、こうして気軽に4人で集まることができる夏休みも今年で最期になる。大学生になれば今みたいに頻繁に集まれやしないだろう。
いまは当たり前だと思える時間が、いつかは当たり前ではなくなる。
分かりきっていたことだけど、やっぱり寂しい。
でも裏を返せば、それは素晴らしいことなのかもしれない。離れたくないと思えるような素晴らしい仲間に、僕は出会えたということなのだから。
腰を下ろした圭子と入れ替わるように、その恋人が勢いよく立ち上がった。
「よっしゃ、だったらいまのうちに全力で楽しもうぜ!
ほらナグ、次は俺とデュエットだ!」
尊はそう言って、両手で掴んだマイクのうち片方を僕に突きつけてきた。
そうだな、せっかく4人で集まっているのだ。
楽しまなくちゃもったいない。
僕は手渡されたマイクを受け取り、親友に負けじと大声を絞り出した。