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理の巫女  作者: 鶴田道孝
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竜人

■竜人の社会


「雫さんとお姉ちゃんに言われたとおり、ミアに扇を渡して舞の話をしました」

 竜の星から六、灯、光、アカネは帰還し、例によって舞舞台下手袖に全員が揃うと、光がそう言った。

 光は灯、雫へ視線を移した。

「理由は、おいおい説明する」

 雫は、扇を渡した理由、舞の話を光が聞きたがっているのを察したが、話には順番があると考えていた。

「あー光ちゃん、待ってたら教えてくれるから、下手にがっつくと良いようにあしらわれるのがオチよ」

 アリスが何やら偉そうな感じで光に言うのだが、他の巫女達は、それは経験則ですか、と内心思ってしまった。ひっそりと。

「まず、六」

 雫は六の方を向くと、六に尋ねた。

「メキド殿との話。また、ケルクから渡された記憶、それらを総合して、どう見る。竜人の社会について」

 六は雫に視線を向ける。

「はい。まず、メキドさん達が所属する竜人の社会は十数個の島から成り、社会は宗教によって統率されているようです。その宗教は、始まりの竜人を教義の中心に置いています。そしてメキドさん達はその宗教の中の一派の女神崇拝者というグループに属します。どちらかと言うと、マイナーなグループです。各島々は、司祭を中心に統治されていますが、司祭は島の竜人の家から選ばれる形になっています。竜人は家を単位に主に生活、経済活動を行っています。公共的な仕事は家からかり出された竜人が担い、それを司祭が指揮する、という形です。竜人はマナの箱を使い、無線通信を行い、連絡を取ります」

 ここでアリスが割り込んだ。

「すごいわね。文明レベルは狩猟社会みたいなのに」

 六はアリスの方に頷いた。

「ええ。竜人は農耕を行わず、島の果実の採取、海での漁で食料を賄っています。それと竜からマナを採取しています。このマナが経済通貨として機能しているようです。少し話が脱線しました。マナの箱の無線通信は島の周辺に届く程度なので、大型のマナの箱を使って、島々をリレーする形で無線経路を作っています。この大型のマナの箱が置かれた施設は、祭礼所と呼ばれています」

 六はここで言葉を区切った。

「実は、この祭礼所にケルクさんはある意味、拘留されていました」

「どういう事?」

 やや睨むような感じの表情を作ったアリスが言った。

「ケルクさんは、持ち主、ローザの事ですが、ローザがマナの採取の際、溺れて死んでしまい、そのため、次の持ち主が見つからず、祭礼所の大型のマナの箱を操作する要員として働いていたようです。どうもこの役職は妖精には嫌われている仕事だったようです」

「あ、それなんとなく分かる」

 珍しく光が口を挟んだ。

「ミアのキュイという妖精。割と気ままに振る舞っていたんです。多分、自由にあちこち行くのが好きなんだと。妖精さん、そういう気質なのかと」

 六は光に視線を向けた。

「光さん、ご明察です。祭礼所の妖精のほとんどは持ち主がいない妖精で、新しい持ち主が来て、狩に出たり、外を飛び回りたい、と願っている、とケルクの記憶にもありました」

「ケルクもそう願っていたんだね」

 雫は六にそう言った。六は頷いた。

「ええ雫さん。妖精は、生まれたマナの箱からあまり遠くへは行けません。ケルクさんはどういう訳か相当遠くまで行けましたが、マナの箱の拘束を使われると、呼び戻されてしまう。マナの箱は、ある意味、妖精の檻でもあるようです」

「ケルクは、マナの箱の拘束から抜け出した」

 雫は、自分が日本から離れられない呪いを受けていた時の事を思い出した。亡くなった弟の「あと」の亡骸(なきがら)を使った呪い。

「話を続けてくれ。六」

「はい雫さん。いくつかの祭礼所を経由する事で、十数の島々の通信回線が形成されています。このため、司祭が会議を行うのに一つの島に集まる、という事は滅多に無く、大抵の会議は通信で行われます。これは、島の家々の会議、長老会も同様のようです。竜人は女系の家系で、家長は高齢の女性です」

「男性は短命なの?」

「はい、アリスさん。男性は海での漁、そして狩、つまり竜からのマナの採取を主に行うのですが、事故が多く、特に竜からのマナの採取は危険を伴い、長生きできないそうです」

「ローザもミアも、狩を行ったらしいけど、職業の男女の区分けは明確では無い、ということ?」

「はい、アリスさん。各個人の適正、好みで決まるそうです。ただその結果、男女比に偏りが生じる、という事のようです。社会的に男性の仕事、女性の仕事、という区分けは無いようです」

 アリスはちょっと考え込んだ。

「竜人の繁殖と子育てについて教えて」

「竜人には繁殖期があり、その間一時的につがいになりますが、女性が妊娠するとそれぞれ元の家に戻り、女性は子供を出産後、仕事に復帰します。子供は家中の竜人が面倒を見るそうです。補足すると、竜人は胎生ではありますが哺乳類ではありません」

「社会参加の機会と繁殖が上手く噛み合っているのね」

 アリスはそう呟いた。

「アリス。昔の日本の農村もそんな感じだ。子供は村の子供。誰の子供かなど考えず世話をする」

 近代化がその仕組みを壊した、という言葉を雫は飲み込んだ。それをアリスは察した。そうね。今はその議論をする場じゃ無い。この辺は雫とちょっと意見が違うから。まあ、育った環境の違いだからかな。そうアリスは思った。

「司祭の権力関係も、島々は分散統治されているため、司祭間の権力抗争はあまり無いようです。島毎が独立した経済単位となっている事も要因のようです」

 雫はその言葉に頷いた。

「それは良かった」

「そうね」

 アリスも頷いた。

 雫は光が教えて欲しそうにしているのに気がついた。

「もし、司祭間で権力争いがあった場合、マイナーな宗派の女神崇拝者の所に、その当の女神が降臨した、となれば」

「いきなりメキドさんの権力基盤は強大になって、ライバルは対抗策を講じて、熾烈な権力抗争に発展。女神を火種とした権力争い、の図って事になるんだけど、あんまりそれは気にしなくても良さそうね」

 アリスに雫は頷いた。

「ただ、気をつけるに越した事は無い」

 六は二人の会話が終わると、話を続けた。

「ユニットの情報を検証した所、メキドさん達竜人グループの他にも、竜以外のマナの反応がありました。おそらく別の竜人グループが存在するようです」

「やはりな」

「こっちの方が面倒そうね」

 雫は光の方を向いた。

「光、ミアに扇を渡し、安寧の舞を教える理由。それは、竜の星は自力で安寧を為し得なければならない、と考えるからだ」

 光は話の成り行きから、雫の考えが大体わかってきた。

「もし、私達が他の竜人とメキド殿の竜人のグループの抗争に関与すれば」

 雫はアカネの方を向いた。

「アカネはミアの味方をするだろう」

 アカネはすごい勢いで首を縦に振った。

「しかし、アカネ。竜人である以上、どちらも小さい竜の子孫なのだぞ」

「あ」

 アカネは思わず口を開けてしまった。そして口を閉じると、困ったように考え込んだ。そして、雫の方を向くと頷いた。

「そうだ。元となる争いが起こらないようにする。かと言って、竜の星は遠い。私達が関与し続けるのにも無理がある」

「だから、自力で安寧を為し得なければならない、そのための安寧の舞」

 雫は光の言葉に頷いた。

「六が話した他の竜人グループの調査は行うが、直接の接触は控える。既に竜人と接触しすぎているとも言える。彼らには、彼らの女神に代わる何かが必要なのだ。その調査の話は後に回すとして」

「ミアに安寧の舞を教える話、ですね」

 光が言った。雫は頷く。

「ミアがここで修行できれば良いが」

「それは土台無理な話ですよね」

 時の女神か、それと同等以上の時空間移動能力が無ければ、遠い時の線にはたどり着けない。

「それに、もし、ミアがここに来れたとしても、ね」

「どういう事?アリスママ?」

 アカネの言葉にアリスが答えた。

「竜人の生活環境と地球、似てるようで違う所、特に習慣、文化、食生活なんかいろいろ違うから、ここでミアに生活してもらうのは難しいのよ」

「かと言って、頻繁に竜の星を訪れて、舞を教える、というのにも無理がある」

 竜の星は遠い。巫女全員にその考えが浮かぶ。

「舞自体でしたら、教えられる人が居ます」

 灯が言った。

「そうか。灯がケルクに舞を教えた」

「はい、雫さん。ケルクはもう舞を習得しました。それと」

 雫は灯の意を察した。

「ケルクに宿る仄の気脈。巫術も習得したと」

「はい、雫さん」

 ケルクに宿る仄の気脈。すなわち時の守神の気脈の名残。強大な巫術の使い手の記憶。それが舞によって呼び起こされ、ケルクは巫術師となっていたのである。

「分かった。ケルクがミアに舞を教える」

「そうね。その策が良さそう」

 挙手して発言を求めるアカネの姿が雫の視界に映った。

「あの〜雫さん。それだったらケルクが安寧の舞を舞ったら済んでしまう、気がするんですけどー」

 雫は微笑んだ。だが、その目の奥には少し厳しいものがあった。

「ケルクはもはや見守るもの、だ。しかし、元は妖精」

「ええ、雫さん。竜の社会ですが、少し問題があります」

 六が眉根を寄せた。

「もし、妖精と竜人の関係が、ミームである私と以前の地球人類と同じとすれば」

 一瞬の静寂が、玄雨神社境内を支配した。

「竜人は滅ぶ事になります」


■竜人と妖精


「六の言う地球人類とは」

「焼き滅ぼされた地球、そこに発展した新しい人類、の事ね」

 雫とアリスの言葉に六は無言で答えた。六は仄が秘密にしたい事は語らない、と雫とアリスは知っている。

「六の母星が月である事を考えれば、六が以前話した元いた惑星は地球となる。その地球の人類。それで良いな?」

 六は頷いた。

「その人類の最期はお話しした通りです」

「六のようなミームを生み出した後、彼らの生命力は低下し、滅んだ」

「はい、雫さん」

「つまり、竜人もまた、妖精を生み出した結果、滅ぶ、と」

「その可能性は、あります。竜人と妖精の関係は、私達ミームと人類の関係とは少し違う関係にあるようです」

 竜人が滅ぶ、と聞いた時、アカネの双眸は見開かれた。そして、六が、少し違う関係、と言うのを聞いて安堵した。だが、六の次の話を聞いて、再び不安に襲われる。

「現在はそれ程でもありませんが、竜人と妖精は対立関係に発展する可能性があります」

 光がぽつりと言った。

「竜人に命令されるのを嫌う妖精」

「ええ、光さん。ミアさんのキュイ、のような妖精です」

 光は思い出していた。キュイが言った「命令だけして、エラソーなの」と言う言葉を。その言葉を六も聞いていた。六はメキドと話をしながら、光達がミアと話しているのをメタアリス経由で聞いていたのだった。そして、ケルクの記憶からもケルク自身もそういう思いがある事を、六は知っていた。

「現在は、妖精はマナの箱に拘束されているため、竜人に従わざるを得ません」

 その六の言葉を受けて、雫が言った。

「しかし、その拘束、いずれ無くなる、と六は考えている」

 六は首肯する。

「はい、雫さん。ケルクさんがマナの箱の拘束から逃れられた一番の要因は、外殻に入り仄さんの気脈の名残と一体化したためですが、既にマナの箱の拘束は解けつつあった、と考えます。理由は、マナの箱から遠くへ行けるようになっていた事」

 ケルクは、マナの箱を出て、竜の星の衛星軌道にまで昇れるようになっていたのだから。

「ケルクさんの記憶から、ケルクさんの時間経過と、マナの箱から遠くへ行ける距離の間に、正の相関関係がありました」

「妖精が歳を()ると、マナの箱から遠くへ行けるようになり、やがてマナの箱から巣立つ」

「そうです、雫さん。そうなった時、妖精と竜人の関係は変化します」

「対等となった妖精は、どうするか」

 光は思い返した。キュイの事を。そしてミアの事を。ミアとキュイは仲良しだった。しかしキュイはおそらく他の竜人をあまり好きでは無い。光はどうしてケルクではなく、ミアが安寧の舞を舞わねばならないかの理由を悟った。

「もし、ケルクさんが舞を舞うと、その舞には、妖精の安寧を願う思いが無意識に入る可能性出てくる。それは場合によっては、竜人を滅ぼす要因、弱くても遠因になりかねない。ミアとキュイは仲良しでした。ミアが安寧の舞を舞えば、竜人全体の安寧と共に、妖精の安寧も」

 光がそこまで言うと、雫は首肯した。

「その通り。だからミアが安寧の舞を舞わねばならぬ理」

 雫はアカネの方を向いた。

「アカネ、分かったかな」

 アカネは真面目な顔をして、そして頷いた。

「さて、舞を舞うのはミア、として」

「どこで稽古するか、ね」

 アリスの言葉に雫は頷いた。

「竜の星では、スーツの機能もあって、浮遊して舞を舞った」

「洞窟の前、凸凹だったものね〜」

「まったくだ。アリス」

「舞舞台が必要よね」

 雫は頷いた。

「メキドさんが洞窟の前を平らな石畳にする計画を話していました。ただ」

 六の言葉は、それが決定的な案では無い事のようだった。

「竜人の技術では、石で舞舞台のような整った平面を作るのは難しいだろう」

「はい、雫さん。その点が問題です。また、完成までの期間も相当かかると予想されます」

 珍しく雫、アリス、そして六までもが、煮詰まっている様子だった。そんな雫、気がついた。例によって挙手して発言を求めている女神の姿を。

「はい、はーい」

 雫は小さく微笑むと「なんだアカネ」と言った。

「竜人に無理なら」

 巫女達は、女神が行えば、とアカネが言うと予想した。いや、それを女神がやるんだったら、関与しすぎだと、などという思考が各自渦巻く中。

「ケルクにやって貰えば良いと思います!」

 雫は、軽い驚きの混じった笑みを漏らした。

「なるほど。どう思う六?」

「能力的には可能です。また、新しい見守るものが、竜人の願いを聞き入れた、という形に見えるため、女神の関与は隠蔽されると思います」

「隠蔽って、いい響きじゃ無いわね」

 策謀家のアリスがそういうのを聞いて、巫女達は、お前がいうな、とまでは思わなかったが、似たような感慨を得てしまう。

「ケルクには、私が伝えます」

 灯がそう言った。そうしたいと言っている様に、雫には聞こえた。

「私も同行します。ケルクに外殻の機能について、説明する必要があるでしょうし、メキドさんと話す場合もあるでしょうから」

 雫は頷いた。

 かくして竜の星の舞舞台建設の段取りは整った。


■再会


「ケルク、女神様が現れました」

「ホノ、外に出よう」

 ケルクはユニットの外に出た。ケルクはユニットの側に灯と六がいる事に少し驚いた。

「お会いできて嬉しいです。灯、見守るもの」

「私の今の名は、六と言います」

 ケルクは頷いた。

「ケルクにお願いがあって来ました」

 灯はケルクに言った。

 ケルクは体に走る小さな震える様な感覚を覚えた。それは大きかった。

「あなたの力となる事、とても嬉しいと感じています」

「ありがとう、ケルク。あなたに作って欲しいものがあるのです」

「なんでしょう?」

「舞舞台です」

「舞舞台?」

「舞を舞うための舞台。前にここであなたに舞を教えました。あの時視せたもの、あれを石で作ったものです」

 ケルクは戸惑った。灯の願いを聞き届けたい。しかし、どうやってそれを作ったら良いか、分からない。

「ケルク、あなたの体には、それを作るのに必要な力が備わっています。六がその方法をホノに教えます。あなたはホノに手伝ってもらえば、舞舞台を作れます」

 ケルクはホノに尋ねた。

「ホノ、そうなの?」

「ロックされている機能があります。それを外せば、おそらくできると思います。ロックを解除する権限は、派遣者、つまり、六様が持っています」

「つまり、ホノが六様から教われば、できるようにしてなるんだね?」

「ええ、ケルク」

 ケルクは、灯に「分かりました」と答えた。

「ケルク、もう一つお願いがあります」

「なんでしょう?」

「その舞舞台で、竜人の女性ミアに、舞を教えて欲しいのです」

「この竜人です」

 六からケルクにミアの映像情報が送られた。

「洞窟の前に居た竜人ですね」

 ケルクはなんとなく、ミアがローザに似ていると感じた。外見は違うけれど、雰囲気が似ている、と。

「私が教えるので良いのでしょうか?灯が、教えた方が」

「ケルク。私達女神が、あまりこの世界に直接関与するのは、好ましく無いと思っています。この世界の事は、この世界で行うのが良い、と」

 ケルクは、灯が言う言葉の内容よりも、それが意味する事に少し悲しくなった。

「もしかしたら、もうお会いできないのですか?」

 灯は微笑んだ。

「それはまだ分かりません。でも、私は、いつでもあなたの中に居ます」

 そうだった。

「あなたが竜人を思う気持ちを忘れなければ、竜人を導くものになると、私は思います」

 ケルクは、ホノが小さい声で言うのを聞いた。

「ケルク、大丈夫」

「分かった、ホノ」

 ケルクは、六の方を向いた。

「六様」

「私の事は六、で問題ありませんよ。ケルク」

「では、六。ホノに教えてください」

「はい」

 六は派遣者の言葉でホノと通信した。ロックの解除、そして舞舞台の構築箇所、構築方法について教えていた。それは短い時間だった。

「ケルク、必要な機能、情報を得ました」

「分かったよ。ホノ」

 眼下に、オーロラが広がった。

「舞舞台を作るには、竜人の司祭マキドと話をする必要があります」

 ケルクは頷いた。ケルクは竜人の社会をよく知っている。

「ケルク、六と一緒にマキドと会って来て。私はここで待ってる」

 そう言うと、灯はケルクを抱擁した。

「ありがとう、ケルク」

 灯はそっとケルクから離れた。

 ケルクは黙って頷いた。

「行きましょう。ケルク」

 降下する六に、ケルクも続いた。眼下に見えるオーロラ。小さくなっていく六とケルクの姿。

 灯は二人の姿が見えなくなるまで、見えなくなった後も、その方向を見つめていた。


■石の舞舞台


 洞窟の前に降り立ったケルクと六に、洞窟から出て来たミアが気付いた。

「見守るもの様、六様」

 ミアは両手を交差させ、肩を上下させた。

「ミア、メキドさんと話をしに来ました」

「承知致しました。それでは、司祭の社にご案内致します。メキド様はそちらです」

 ミアは六の言葉に応えると、右手で道を指し示した。

 ミアが先導し、六、ケルクの順に進んだ。六は歩いていたが、ケルクは少し宙を浮いていた。

 司祭の社は、木造の建築物だった。床が高く階段を登ると、引き戸があった。

「メキド様、見守るもの様と六様がいらっしゃいました」

 ミアが引き戸を開くと、部屋の奥にメキドが居た。メキドは立ち上がると、「どうぞこちらへ」と両手を交差させ、肩を上下させた。

 二人が入ると、ミアは下がろうとした。

「ミア、ミアにも残って話を聞いて欲しいのです」

 ミアは動きを止めると、メキドを見た。メキドは肩を上下させた。

 ミアは二人に続いて、部屋の奥に進んだ。

「お会いできて嬉しゅうございます。見守るもの様、六様」

「メキドさん、私も嬉しく思っています。お願いがあって参りました」

 メキドはお願い、と聞いて少し緊張した。

「お願いというのは、洞窟の前に舞舞台を作りたいのです」

「それは、作る予定とお話しした石畳の広場、の事でしょうか」

「はい。ただ、舞を舞える様に、石畳を滑らかにする必要があります」

 メキドは困った。石を敷き詰めるのにも相当の労力がいる。その上、表面をその様に仕上げるとなると、長老会にどの様に(はか)れば良いか、と。

「石の配置、表面の加工は、こちらの見守るものが行います。メキドさんにはそのための許可を頂きたいのです」

 メキドは六の言葉に驚き、その意味が浸透するまでの短い間、その表情のままだった。意味が染み込むと、喜びが浮かび上がった。

「それは、誠でしょうか。いえ、夢の様なお申し出に、驚くばかりに御座います」

「それでは、許可は」

「なんの異存も御座いません」

「ご許可頂き、ありがとう御座います。舞舞台の設置、できればこれから行いたいのです。それと」

 メキドは、六からのお願いがまだあると、そして、それがミアに関わる事であると、察した。

「舞舞台で、ミアさんに舞を学んで頂きたいのです。舞は見守るものが教えます」

「舞、というのは、玄雨雫様が舞われた、あの」

「はい、その舞です。この世界の安寧を願う舞。その舞をミアさんに舞って欲しいと、私達は願っています」

 メキドは異存なかった。そして、ミアが舞を舞う、その事が神官見習いとなったミアの運命を、決定づける事になる、と思った。メキドはミアを見た。ミアは困惑している様子だったが、既に意を決めた様子が伺えた。

「ミア」

 メキドの言葉に、ミアは両手を交差させ、肩を上下させた。

「舞を学び、舞を舞うお役目、承りたいと存じます」

 もし、ここにロイが居たら、ミアの物腰、口調に面食らった事だろう。狩の最中のミアとはまるで別人だからだ。狩は危険を伴う。だからその言動も荒っぽいものにならざる得ない時がある。

「その舞を舞う時なのですが、ミアさんにはそのマナの箱を持って行って頂きたいのです」

「それを」

 メキドはミアのマナの箱を見て、そう呟いた。そして、少し思案した。と言うのは、ミアが持っているマナの箱は、本来狩を行う者が持つものだからだ。神官見習いとなって間もないので、以前のマナの箱をそのまま使っていたが、狩で使うマナの箱はやや特殊で、狩専用と言っても良い。端的に言えば、他のマナの箱より小型で高性能なのだ。だから、ミアが抜けた後、補充の人員が入れば、その竜人に引き渡す予定だった。

 そのマナの箱をそのままミアが使う。余人の言葉であれば断る所だが、六からの申し出。メキドはなんとかしなくてはならない、と心を決めた。

「畏まりました。六様。ミア、そのマナの箱、引き続き使える様、手配致します」

 ミアは表情にこそ表さなかったが、内心安堵と喜びを感じていた。これでキュイと離れなくて済む、と。そしてマナの箱の中では、キュイが喜びのあまり飛び回り、箱の内側にぶつかっていた。

 ミアは思い出していた。神官見習い引き受けた後、マナの箱を返さないといけないと、ロイに言われた時の事を。キュイは激しく文句を言った。ミアと離れるのは嫌だと。神官見習いを辞めて、狩をしようと。しかし、キュイも分かっていた。ミアが神官見習いになりたいと思っている事も。そして、キュイは狩用のマナの箱の妖精だという事も。キュイは自分がしている事が半ば八つ当たりに近い事も承知していた。しかし、ミア程、気の合う竜人は他に居ないとも思っていたのだった。

「良かった。では、洞窟の前で祈りを捧げている竜人の皆さんを」

 六がそう言うと、メキドは両手を交差させ、肩を上下させた。

「畏まりました。見守るもの様が舞舞台を作る用意、致します」

 そう言うと、メキドは部屋を出て行った。洞窟前の竜人達へ場所を開ける様にと、伝えるために。

 その後を、ケルクがついて行った。

 部屋には、六とミアが残った。

「ミアさん。あなたには、重いお役目をお願いする事になってしまいました」

「たとえ重いお役目でも、あの美しい舞を舞える様になるのでしたら、私はそれを行いたいと願います」

 そう言うとミアは両手を交差させ、肩を上下させた。

「あなたが、舞を学び終えた頃、最後の仕上げに雫さんがいらっしゃるでしょう」

 ミアは少し驚いた。なんとなくかの女神、玄雨雫はもう二度と現れない、と思っていたのだから。

「その時は、二人で舞を舞う事になりましょう」

 ミアは緊張した。

「あの方と一緒に」

 ミアは自分でも気づかぬ内に、そう呟いていた。そして、それがある意味最終試験、の様なものだと感じた。

「舞の修行、尽力致します」

「ミアなら、なし得ます。そう信じています」

 六はそう言うと、消えた。

 ミアは、必ずあの舞を舞えるようになる、と決意した。

 そして、部屋を出ると、洞窟の前に向かった。

 ミアが洞窟の前についた時。

 そこには、ちょうど雫が舞を舞った辺りには誰も居なくなっていた。そしてその中央にケルクが宙に浮いていた。ミアには、舞を舞ったあたりとその外側に、何か良く見えない境界の様なものが有る様に感じられた。それは光を屈折させ、ケルクの姿を微かに揺らがせていた。

「ケルク、フィールドの展開問題ありません。これから敷石の配置の変更を行います」

「うん。お願いホノ」

 雫が舞を舞った範囲とその外側の間に、ケルクがフィールドを張ったのだった。フィールドの内側の大小の石、岩がカタカタと振動し始める。やがてそれらはまるで自らの意思で場所を交換するかの様に動き始めた。めまぐるしい石、岩の移動。それらが終わった時、フィールドの内側は平らになっていた。

「次は、石畳の表面の加工だね、ホノ」

「はいケルク。フィールドを強化します」

 ミアは、揺らいで見えていたケルクの姿が見えなくなった。そして、巨大なキューブが現れた。その表面はオレンジ色、青、様々な色彩を帯びて輝いた。ケルクが展開したフィールドの表面に、それらの色彩が現れ、まるでキューブが有る様に見えたのだ。キューブの表面の輝きはやがて収まり、ケルクの姿が見える様になる。石畳の表面は、まるで鏡の様になっていた。

「計算通りに、水準の高さで加工終了しました。舞舞台施工プログラム、終了です」

 ケルクは、舞舞台を見た。

「綺麗だね」

「はいケルク。表面は鏡面の様に見えますが、摩擦係数はそれなりにある様に設計されています」

 舞おうとして滑る、という事は無い様にしているのだった。

 ミアはメキドを見つけると、その隣に寄った。

「なんとも、見事に仕上がっている」

 舞舞台を見たメキドが、独りごちた。

「はい。とても綺麗です」

 ミアがそれに応じる。

 夜空にはオーロラが輝いていた。それが舞舞台に映り込む。神秘的な光景だった。

 浮遊してケルクは、二人の側に近づいた。そしてメキドの前に。

「舞舞台、終わりました。ですが、まだ加工したてです。明日の朝まで、舞舞台には誰も入らない様にお願いします。火傷するくらいには熱いと思います」

「承知致しました。見守るもの様。誰も入らぬ様、言い渡します」

 メキドは両手を交差させ、肩を上下させた。

「それでは、明日の夜、また参ります。その時」

 ケルクはミアの方を向いた。

「舞をお教え致します。ミアが覚えるまで幾日でも」

「はい、見守るもの様。どうぞよろしくお願い致します」

 ミアは両手を交差させ、肩を上下させた。

「そしてミアが舞を覚えた時、あの方がいらっしゃいます」

 あの方。ミアはそれが雫の事だと分かった。そして再び、両手を交差させ、肩を上下させた。その動きはゆっくりと、そして優雅だった。

「では、私は家に戻ります」

 そう言うとケルクは消えた。

 メキドは、ケルクの言葉を周りに居る竜人に伝えるため、足早にミアの側を去っていった。

「ねえミア。一緒にいられるんだね。良かった」

 キュイがミアの顔の前に躍り出て、そう言った。

「うん。良かった」

 神官見習いになりたい、という思い。キュイと一緒にいたい、という思い。その二つが叶った。

 浜辺からは小波の音と共に、遠くに居るのだろう、竜の泣き声が聞こえて来た。

 大空には星々、竜の星の大気は澄んでいる。だから、夜の空はまるで宇宙がそのままそこにある様に見える。そして竜が作るオーロラ。

それらを舞舞台が映す。熱の残滓が、それを僅かに揺らめかせながら。


■二人の舞


 ミアの舞の修行は何日も続いた。元々、地球人が行う動作だった事もあり、竜人であるミアが同じ所作を行うのは、初めは難しかった。しかし、男性の竜人に混じって狩を行うミアの身体能力は高く、また、元々身体動作の記憶力も良かったため、一旦コツを掴むと、見る見る上達していった。

 ケルクは、比較対象が無いため、ミアの上達が目覚ましいものであるという実感はなかった。ケルク自身は、灯の舞を記録して、それを再現する、というホノの補助によって、ほとんど完全にトレースする事ができた。しかし、気脈の操作には舞の動きと演者の意識の連動が必要だった。ケルクは仄の気脈の残りからそれを獲得していたが、ケルク自身は、それを意識する事はなかった。

 ケルクは、ミアの舞を見ると、灯の舞との違いが分かった。そして、ホノがその違いを可視化して、ミアに伝える事ができた。極めてよく出来たリアルタイムフィードバックシステムだった。ミアの上達がめざましいのも、このホノの助力のお陰でもあった。

「ケルク、ミアの舞、灯の舞との誤差、許容内に到達しました」

「灯とは違うけど、何か、似た雰囲気を感じる」

「ケルク、微弱ですが、素粒波の変動があります。灯のものと比べられる様に可視化します」

 ミアの周りに僅かながら霊脈の動きが発生していた。そして、ミアの体に気脈の流れも活性化していた。その霊脈と気脈の流れは、灯の流れとかなり類似していた。ケルクは、それが、雰囲気が似ていると感じる原因だと思った。

 実際に生じたのは、ミアが雫の舞を見ていた事に起因する。舞の動き自体はケルクから教わったが、ミアは雫の舞を見た。竜人にも人間と同じ様なミラーニューロンがある。動作を見ると、真似するための機構だ。だが、竜人には電磁波レベルでそれを検出する。人の動作も電磁波を生じる。さらに気脈の動きも、ミアは電磁波として捉えていたのだった。無意識で、だが。舞を覚える内に、気脈の流れをその流れにしていったのだった。

 ミアが舞を終えた。

「ケルク、女神様が現れました」

 ケルクはホノが示すマーカーの方向を見た。

 そこには、玄雨雫が居た。そして、六、灯、光、アオイ、アカネの姿も。ゆっくりと降下してくる。


「ねえ雫ぅ。いつミアの所に行くか、どうやって分かるの?」

 アリスがすでに答えを予想しつつも、そう聞いてきた。

 六と灯が竜の星から戻ってきて、舞舞台下手袖に巫女が例によって車座に座った時の事である。

「無論、占いで、だ。行くべき時を占う」

「その時、雫だけで行くの?」

 雫はアカネを見た。アカネはミアに会いたい、と思っていた。それを雫は感じ取る。

 雫は灯を見た。灯もまた、ケルクの姿を見たいと思っている様だ、と、雫は感じた。

 雫は六を見た。六は無表情だった。しかし雫は、ケルクと何か話したい事があるのだろうと、思った。

「行くのは、私、六、灯、光、アオイ、アカネの六名だ。竜の星は遠い。一人で行けると思う程、思い上がってはおらぬ」

「雫の最後の仕上げ、っていうの、何をするの?」

「竜の星に安寧の霊脈を作る。舞舞台で舞を舞うと、霊脈が流れる仕組みを作る」

「え?それってそんなに簡単にできるの?だって、雫、江戸時代にあちこち歩いて、かなりの年月かけて日本にこの霊脈編んだんでしょう」

「アリスさん。竜の星の心象に必要な情報はもう十分集まってます」

 アリスの質問に灯が答えた。

「それに、あの星の霊脈の流れも」

 雫が安寧の霊脈を編むのに時間がかかったのは、日本の霊脈の流れ、地形を知る必要があったためだ。そのために雫は日本中、とは言えないまでも、かなりの場所を訪れている。

 そしてその事を知っているアリスは、竜の星の安寧の霊脈をそれ程早くなし得る、と驚いたのだった。

「そうかー。あたしが竜の星の基本情報を集めた成果、ってコトね」

 アリスさん、そういうのを我田引水(がでんいんすい)、というのですよ、と光は思ったが、顔色に表すことさえ無い様に気をつけた。嗅つけられてアリスに弄られるのは想像さえしたくない、と光は思った。

「アリスの好奇心も、たまには役に立つ」

「何言ってんのよ雫。あたしの知識欲は、必ず役に立つのよ。違った、役に立ってるのよ」

 雫はやや苦笑めいてはいたが、笑みを漏らした。

 その笑みを見て、アリスは矛を収めた。

「で、いつ行くの?」

 雫は扇を開くと、床に置いた。そしていつもの占いを始めた。雫が柏手を叩くと、扇は起き上がり、くるくると数回まわり、ぱたり、と倒れた。

「時は、次の朔。新月の夜だ」

 そう言うと、雫は舞舞台下手袖から見える空を眺めた。


 ミアの隣に雫は降り立った。六はケルクの側に、灯、光、アオイ、アカネは、以前雫が舞った時に居た、四方に。

 雫はミアを見た。そしてケルクを見る。

「雫さん、ミアの舞、整いました」

 雫は頷いた。

「見守るものよ。舞の指導、ご苦労であった」

 雫はあえてケルクと呼ばず、見守るもの、と呼んだ。そして舞舞台を見る。

「見事な舞舞台だ」

 光もそう思った。アオイ、アカネもそう思う。そして灯でさえも、そう思った。

 空の、まるで宇宙の様な星空、竜が作るオーロラ、それらが映り込んでいる。

 雫は再びミアの方を向く。

「ミア。二人で舞を舞う事としよう」

 ミアは、両手を交差させると、両肩を上下させる様に、左足を少し引き、両膝を曲げ、上体ごと上下させた。この所作は、ミアが舞を学ぶ内に自然と身につけたものだった。肩を上下させるよりも、この方が美しいと。この所作はやがて他の竜人にも広がっていく。

 雫は舞扇を取り出すと、広げた。

 ミアも舞扇を持ち、雫と同じポーズを取った。ミアはこれが最終試験だと思った。腰のマナの箱からキュイが出てきて、ミアの顔の横で「ミア頑張って」と小さく言った。ミアも肩を小さく上下させてそれに応えた。

 雫が扇を前に差し出す。ミアもそれに続く。二人の舞が始まった。

 遠くから竜の鳴き声が聞こえる。

 舞を舞う二人の姿は、鏡面の様な舞舞台に天空の星空と共に映り、神秘的な情景を作り出していた。

「ケルク、素粒波の変動です。感度調整して可視化します」

 ケルクは見た。雫の足元から伸びる青い光の筋を。そして、それが地面の下を流れるより明るい青い光の筋を次々と動かし、直交させていく。まるで編み物の網目の様に。

 ケルクは自分の体の奥の方で、何かが振動している様に感じた。

「ホノ。どうしたの?」

「分かりません、ケルク。外殻が振動しています。まるで、雫さんの舞に共振している様です」

 ケルクの体、外殻に残る仄の気脈の名残。それが雫の舞に共鳴しているのだった。

 ケルクは両手を見た。

 両手に流れる気脈が青白く見えた。それは以前見た時よりも、力強く、しなやかに感じられた。

 ケルクは、遠くから聞こえる竜の鳴き声が、途絶えている事に気がついた。

 辺りに響くのは波の音だけになっていた。

 しかし。

 やがて、遠くから竜の鳴き声が次々と響いてきた。

 それはまるで、竜の星の呪いが解かれたあの日、竜が歓喜の声をあげた時の様だった。竜たちも感じていたのだ。この星に、女神が再び奇跡を起こしているのだと。

 竜の鳴き声は、まるで地響きの様にあたりを包んでいた。

 そして、空にオーロラが、多数のオーロラが出現した。それはまるで花火の様だった。それが、舞舞台に映りこむ。

 雫とミアは、オーロラの上で舞っている様に見えた。

 やがて、雫の動きが小さく、静かになっていく。そして、雫は扇を閉じた。同じタイミングで、ミアも扇を閉じた。

 二人の舞は終わった。

 雫はミアの方を向く。

「良い舞だった。ミア。できれば毎日、その舞を舞う事。それが其方の新しい役目だ」

「はい、玄雨雫様。洞窟の女神の印を調べるのも、引き続き」

 雫は頷いた。

「それでは、私は戻る。ミア、くれぐれもよろしく頼む」

「ミア、『本』が現れたら、お願いね。その時は、また来るから!」

 いつの間にか、アカネがミアの側に来て、そう言った。隣にはアオイが居た。

 灯は、ケルクを見ていた。そのケルクの側に居た六は、雫の舞が終わった時、ケルクに言った。

「この星の事、見守るものとして、よろしくお願い致します」

「はい、六。承知しました。ホノもそう言っています」

 その様子を灯は、少し寂しそうな、それでいて嬉しそうな様子で見ていた。

 光はそんな灯を見て、お姉ちゃん、良かったね、と思った。

「それでは、皆、戻るとしよう」

 雫はそう言うと、巫女達は上昇して、そして見えなくなった。ミアは巫女達をずっと見ていた。

「ミア、私も戻る事にします」

 ミアは、ケルクの方に視線を向け、そして体の向きを変えた。

「見守るもの様。ありがとうございました」

 ミアは、両手を交差させ、膝を曲げて上体を上下させた。

「ミア。もし、私に用があるときは、空に向かって、扇を降りなさい。この様に」

 ケルクは灯から貰った扇を広げると、天高く差し上げた。

 その気脈の動きに霊脈が反応し、ケルクの足元から扇を伝い、天空に霊脈の柱が現れた。

 ミアは、それを視た。電磁波を検知する竜人の器官ではなく、巫術師の目で。

 ミアはケルクの動作を真似る。同じ様に霊脈の柱が現れた。ケルク程大きくは無いが、確かに、それはあった。

 ケルクは頷いた。

「その柱は、私にも見えます。だから、私に用があるときは、それを為しなさい」

 そう言うと、ケルクは消えた。

 舞舞台には、ミアだけが残った。

 しかし、舞舞台の周りには、いつの間にか竜人達でいっぱいだった。竜の鳴き声が彼らを呼んだのだ。そして、舞舞台に立つミアが、(ほのか)に輝いているのを彼らは見たのだった。霊脈が作用し、竜人の電磁波検知器官がそう見せていた。

「ミア。成し遂げたのですね」

 いつの間にか、ミアの隣にメキドが来ていた。

「はい、司祭様」

「ミア、これより其方を神官とします。見習いのままでは、役不足です」

 ミアは両手を交差させ、上体を上下させた。

「謹んで神官のお役目、承りたく存じます」

 メキドは、ミアと同じ様に両手を交差させると、上体を上下させた。

 唸る様な竜の鳴き声と、天空のオーロラの輝きは続いていた。

 舞舞台に立つ、ミアとメキドもまた、オーロラの上に立っている様だった。

 次第に、竜の鳴き声は収まっていく。それに連れてオーロラも次第に消えて行った。

 舞舞台には、天空の星空と波の音が響いていた。


■エピローグ


『ねえ雫、ちょっとこっちに来れない?』

 アリスがリンクで雫に言った。

 竜の星から雫達が戻った後、アリスは「いやー、凄かったわ」と感想を漏らし、竜の大合唱、竜の星の空とそれが映り込む舞舞台の様子を周りが少し引く程大絶賛した後、急に、「じゃ、データ解析とかいろいろやるから、帰るわね〜」とさっさと帰ってしまったのだった。

 そして、雫が自室に戻った時に、先のアリスの言葉がリンクで届いたのだった。

 雫は「空の穴」を為した。そして消えた。

「直接話がしたくて、ね」

 雫が出たのはアリスの執務室だった。そしてアリスは執務机の前にある、テーブルの上に紅茶を用意している最中だった。ポットから紅茶を二つのティーカップに注ぎ、一つを雫に勧めた。雫は椅子に座ると、カップを手に取った。アリスも座る。雫はアリスが口を開くのを待った。少しの間、静寂が執務室を支配した。

「雫、あたしに隠してる事があるでしょ?」

「さて、どの事かな?」

 って、そう来たか。アリスの灰色の脳細胞は、目まぐるしく活動した。そして、雫相手に心理戦を仕掛ける愚策、という答えを導き出した。

「あー、もう。良いわ。面倒だから駆け引き無しで直接聞くわよ」

 両手を握り両腕を伸ばし、足も伸ばす。椅子に座った背伸びの様だ。

「行儀が悪いぞ、アリス」

 アリスは伸ばした手をテーブルに付け、顔をぐいと雫の方に押し出した。

「雫、天の竜の事で、あたしに隠してる事、あるでしょう」

 雫は黙って紅茶を飲んでいる。

「少し変だと思ったのよね。まず初めは、時の結び目の部屋の女性を入れる外殻を用意する時。あの時、雫少し反応がおかしかった。ほんの少しだけど。予備の外殻があるなんて、知らなかったから、天の竜から帰った他の派遣者の外殻の事でも考えているのかと思ったのだけど」

 雫はカップを置いた。

「ちょっと違うのよね。違うわよね」

 アリスは前に倒した上体を元に戻した。

「天の竜を生命体は通過できない。だから雫はそれを禁忌とした」

 雫は黙ってアリスの目を見ている。

「よく考えたら、それって変よね。通過できないなら、禁忌にするまでも無い。弟子たちには、危ないから止めておけ、って事で済むはず」

 アリスはここで言葉を区切ると、じっと雫を見た。

「禁忌っていうのは、できるけどしちゃいけない事。あるいは、やりたくなるけどしちゃいけない事」

「アリス、その通りだぞ。天の竜に入ることはできる。しかし、やれば死を伴う。だから禁忌だ」

「一応、意味は合ってるけど、雫。予備の外殻の時、天の竜を超えて、他の派遣者の外殻を入手する方法とか考えていたんじゃ無い?」

「できない事は考えないぞ、アリス」

 アリスは攻め手が尽きたを事を実感した。しかし、それは元から分かっていた事だった。

 アリスはにこりと笑った。

「まあ、こういう問答になるのは、分かってた。で、実はここからが本題。今までの単なる前振り」

 雫の左眉が少し上がった。

「天の竜って、竜の星から見ると黒い遮蔽物。つまりそれ自体は見えない。でも、星が隠れるから」

「黒い月、と呼ばれている」

「そう。ケルクの記憶からそう呼ばれている事が分かってる。そして」

 アリスは思考で、メタアリスに指示を出した。雫の視界に竜の星のあの「本」があった洞窟、その壁画が見えた。

「あの青い丸の壁画。良く解析したら、妙なものが見つかったのよ」

 雫は黙ってアリスの説明を待った。

「青い丸のここ」

 雫の視界に映る壁画。その青い丸の右上に赤丸のマークが付いた。そしてそこが拡大される。

「背景の壁面も黒っぽいから、判別が難しいから見落としてたけど、壁画が気になったから凹凸も含めて精査したら、これが分かった」

 雫の視界に映る拡大された部分が鮮明化した。

「これは」

「そう。雫、これ天の竜だと思う?」

 雫の眉根が寄った。

「一つはそうかも知れぬ。しかしもう一つは」

 雫の視界に映る拡大された壁画、そこには、大きな黒い丸と小さい黒い丸が描かれていた。

「雫、天の竜は一つだけ、この認識は合ってる?」

「私もそう思っている」

「とすると、これは天の竜じゃない。でも、壁画を描いた存在は、別の何かがあった事を知っていた」

「そうなる」

 雫は、扇で六という字を気脈で空間に描いた。

 執務室に六が現れた。アリスと雫がいるテーブルの側に。

「今見ている壁画。そこにある二つの黒い丸。一つは天の竜だと思う。もう一つについて六の考えを知りたい」

 六は僅かの間無言だった。

「確認しました。確かに壁画に二つの黒い丸が描かれています。おそらく大きい方は天の竜、だと思います」

 雫とアリスは頷いた。

「もう一つの方ですが、天の竜ではありません。天の竜は一つです。また、新しい天の竜がある、という情報もユニットにはありませんでした。考えられるのは」

「空を飛ぶ竜、か?」

 雫の言葉だった。

「ウィルスによる進化の途中、十分なオーロラを作るのに至らなかった頃の竜は、採掘したマナの大部分を自分のために使う事ができました。そのため、マナを使い空を飛んだ種類もあった様です。天の竜をその名で呼ぶのは、その空を飛ぶ竜に因んで付けたものでもありますが、ウィルスによる進化が進み、それらの種は飛ぶ能力を失いました」

「呪いが解けて、その能力を再び獲得した竜が現れた、と?」

「これは黒い丸、よね。竜にしては変」

「考えられるのは、この小さい黒い丸は、この壁画を描いた何かが己を表した記号、というものです」

「天の竜は、衛星軌道上にある。その側に書くその意味は」

「はい、雫さん。その存在は衛星軌道から星を見た、という意味になります」

「ちょっと待って。という事は、竜の星の呪いを解いた時に、衛星軌道から見ていた、って事?」

「その考えには、矛盾があります」

「呪いを解いて空に、そして事によっては、衛星軌道にまで到達でいる竜があった、としても、呪いを解く前となると」

「そうよ。個体毎に竜の呪いを解く時、マイクロドローンを使ったけど、あの時、そんな形跡は観測されなかったわ」

「さすれば、その存在は、己があたかもその時、衛星軌道から見た、という心象を持った、という事だろう」

「どういう事?」

「ミアが言っていた、竜が壁画を描いた、という話。そして『本』が宿った竜の骨。その骨がその竜の骨だとすると」

 アリスは心の中で、そうか。と呟いた。

「死の間際、だったのね」

「おそらく」

「死の間際、その存在は自分が衛星軌道で天の竜を見た事。そしてそれを、過去の記憶の壁画に付け加えた。という解釈でしょうか?」

「そう考える」

 アリスは自分の脳裏に響く感覚、直感を覚えた。

「雫、何か思い当たる節があるのね?」

「洞窟を中と時の間、つまり外から見た時、何か巫術を行った様な痕跡を感じた。おそらくそれがあの洞窟を『本』の漂流場所にしたのだと。だからそれを操作した」

「その巫術を行ったのが」

「あの竜の骨の、竜。衛星軌道にまで昇れた竜。という事ですね」

「六」

「はい、雫さん」

「此度の件で、衛星軌道に到達した竜の存在を検知したか?」

「いいえ。ユニットにその様な記録はありませんでした」

 雫は表情を変えず考えた。雫を良く知るアリスは、それが、雫が深く考えているのだと分かっている。沈黙の時間、1分程度の時間が過ぎた。

「ダイイングメッセージだな」

「何?」

「アリスが精査して見つけたものだ。おそらく竜人や他の竜には見えない」

 アリスは雫が何を言っているのか、分かった。そして、おそらく六もそれを知ったと察した。アリスは開いた右手を上げて、六が何か言うのを静止した。

「六が先に言いそうだけど、あたしに言わせて」

「はい、アリスさん。どうぞ」

 六は何事もなかったようにさらりと述べた。

 アリスはちょっとくたっとなった。暖簾に腕で押し、と言うか、気負った自分が馬鹿みたい、と言う気分を刹那味わった。すぐに気持ちを立て直す。

「星を目指せ、というダイイングメッセージ、違う?」

 雫は頷いた。

「それが正解かどうかは分からぬが、私はそう思った」

「竜人が、壁画をアリスさんくらい見られるようになった時に、現れるメッセージ。技術に対しての目標の提示」

 六の言葉にアリスは頷いた。

「空にかかる黒い月を超えていけ、星を目指せ」

 そこでアリスは、ん?という顔をした。

「ちょっと待って、このメッセージだと、他の天体を目指せ、って言う意味と、天の竜に入って、別の世界を目指せ、って言う二つの意味が取れるじゃない」

「アリスさん、生命体は天の竜を通過できません」

 雫の眉根が寄った。

「もしかすると、その竜は天の竜を越えようとしたのかも知れぬな」

 アリスは、頭の中に白くて痺れるような感覚が広がるのが分かった。

「それだと、意味が変わってくる。天の竜には近づくな、と言う意味になる」

「壁画に禁忌を書き込んだ、事になるな。アリス」

「現状では、どのようなメッセージかは判別できません。ただ、子孫に対してのメッセージである事、読める時になった時、役に立つ、メッセージとして残した、とだけは推論できます」

 雫は紅茶を飲んだ。そしてカップを置いた。

「いずれにしても、あの星の未来は、あの星のもの達が決める事だ」

 アリスはにたり、と笑った。

「そんな突き放す言い方してても、雫の本心はお見通しよ」

「助けを求められれば」

 六がそう言うと、残りをアリスが言った。

「それに応じる」

 雫は薄く笑った。

「されど、女神にも抗えぬ運命はある」

 雫はアリスの執務室の天井を見上げた。雫の心象には、竜の星の夜空が広がっていた。


 竜の星の夜空。ミアはそれを見上げ、そして、洞窟に入った。

「ねえ、ミア。一日一回で良いんじゃないの? 女神の印を調べるのは?」

 キュイがミアの目の前に出て、そう言った。

「なんとなく、壁画を見ていたいのよ。特に」

 ミアが立ち止まった場所は、青い丸が描かれた壁画だった。

「この壁画」

 ミアはそっと壁画に手を伸ばした。

「ダメだよミア。触っちゃ」

 ミアの手は壁画ぎりぎりの所まで伸びて、止まった。

 そして、その手で何かを感じ取るように左右に動かした。

「黒い月のその先へ」

「何?ミア?」

「ううん。なんとなくそんな気がしただけ」

「女神の印は、光ってないね」

「そうだね」

「帰ろう、ミア」

「うん。帰ろうか、キュイ」

 キュイはマナの箱に戻った。ミアは洞窟の出口に向かった。

 そして洞窟の中は静寂に包まれた。

 洞窟の外。立ち止まったミアは無意識に空に手を伸ばす。ミアの視界のその手の先には、星の光遮る黒い月があった。

 ミアの耳に小波の音と、竜の鳴き声が聞こえてきた。そしてオーロラが煌めくと、洞窟の前の舞舞台に夜空と共にそれが映り込んだ。

 黒い月のその先へ。いつか、その意味がわかる気がする。

 ミアは天に伸ばした手を下ろした。

 そして願っていた。

 いつかこの世界の理に辿り着けますように、と。

 打ち寄せる波の音。竜の鳴き声。ミアが去った後には、静寂の他、それらの音と、天空の星空、そして、それを映す舞舞台が残っていた。

 このお話は、2021年1月31日に書き始めたました。

 書き終わり自分で校閲して推敲して、投稿しています。

 例によって、演繹法で書いています。

 今回も前作「結び目の巫女」同様シノプシスも作らず、全くの行き当たりばったりです。

 校閲、推敲しながら、色々と調整して仕上げています。結び目の巫女と同じでプロローグは後から書いています。

 さて、書き終えて、校閲、推敲して読み直して気づいた事がありました。

 安寧の巫女以降、女神の話が続き、今回、竜使いの巫女で呪いを解いた竜の星で、竜人、という種族が現れる、という状況。

 昔女神がこうこうこういう事をした、という伝説があって、で、主人公はイベントをこなし女神と会う、というお話は割とあります。

 そういう物語とは、視点が逆転しているのだな、と改めて気がついた、という次第。

 イベントをこなした登場人物が女神と出会う物語を、女神側から見たら、こう見える、という物語になってたんだな、と。

 天上界はさぞかし素晴らしいところだろうと、竜人は思うのではないかと思います。多分。

 しかし、玄雨神社はそういう所とは少しばかり違うなぁ、と。

 そもそも天上界ではないし、むしろ、そういうのは、塩の石臼が居るところこそ相応しい。


 さて、今回降ってきた物語はここまで。

 続きは、また、降ってきてのお楽しみ。

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