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理の巫女  作者: 鶴田道孝
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竜の星

■竜の星


「うー。あの小さい竜に会いたい」

 竜の星の空に、六、灯、光、アオイ、アカネが浮いていた。そのアカネが駄々をこねている。

「ダメよ。今回は先の未来に行くのが優先なの、判ってるでしょ?」

 判ってはいるが、竜の星に来たら小さい竜に会いたくなったアカネをアオイが(なだ)めていたのだった。

「アカネ、この会話も雫師匠やママが聞いているのよ」

 あ!

 アカネは広げた右手を口の前に。

 そうだった。アリスママ、雫さんが聞いてるんだった。

 アカネはちょっと肩を落とすと、わかりました、という顔をアオイに向けた。

 光はアカネに笑顔を向けると、アカネの肩に手をおいた。

「アカネちゃん、じゃ、夢で見た未来にアリアドネの糸を飛ばして」

 アカネは、閉じた舞扇の先で気脈を糸状に引き伸ばし、アリアドネの糸を形作った。

 そして目を閉じると、舞扇を開く。そして一振りした。その糸は、しばらく宙を飛んでいたが、やがてふっと消えた。

 目を開けたアカネは、「届いた」と言った。

 巫女達は再び手を繋ぐと、手を胸の高さまであげると、まるで何かを引っ張る様に、その手を下に引き下ろした。

 そして彼女達は消えた。

 時の間では、アカネの作ったアリアドネの糸が光って見えた。そしてその先端が見えた時、再び竜の星の景色が広がった。

「すごいわね。こんな感じなのね」

 アリスの声が全員に響いた。アリスの声は光のスーツを中継して送られていた。

「リモート時の女神計画、完成よ! ありがとね。じゃ、あとはみんなでよろしく。何かあったら呼んでね」

 アリスの声は消えた。

『なんだか、元気なメタアリスさんがいるみたい』

 光のその考えは、手を繋いでいる関係で、読心の術で全員に伝わった。

『光お姉ちゃん、それ、アリスママに伝わらなくてよかった』とアカネの声が光に届く。

『あ、ホントだ』

 光は伝わったらと思ったら、少しだけ寒気を覚えた。アリスさんにいじり倒されるのは良い気分ではない。

 光とアカネは小さな笑みを作り互い頷き合った。

「アカネちゃんが夢で見た星空の位置関係から、『本』がある場所が特定できました。メタアリスに位置情報を送りました。スーツの視覚情報にマークが出ます」

 六がてきぱきと任務を進めていた。

「流石ね。六」

 灯が六に言った。灯は六の表情に気がついた。六の顔は灯にだけ分かる表情で「大丈夫ですか?」と聞いていた。灯は「大丈夫」という様に優しく頷いた。

「場所はここから通常移動でそれ程かからないと思います。ワープでいきなり現れるより、通常移動の方が問題が少ないと思います」

 六の言葉に全員が首肯した。

 そして、視覚に現れている矢印の方向へ巫女達は宙を移動し始めた。

 本のある場所は島だった。視野に地図が表示され、その島と『本』の位置。そして移動先を示すマーカーが巫女達それぞれの視野に映っている。

 島の上空に来た時、『本』がある場所の近くに、人だかりができているのが判った。

「竜人さん達がいっぱい」

 アカネが洞窟の前に集まっている竜人達を指差した。

「『本』の起動が、彼らの興味を引いたのかもしれない」

 灯が応えた。

「どうする? 灯お姉ちゃん」

 灯は、雫が『本』を回収するだけのつもりではないと察していた。

 きっと雫さんは、『本』の起動に関連して起こった怪異を収めたいと思ってる。だから、『本』を回収するだけじゃなくて、怪異が何かも調べないといけない。

「アカネちゃん、下に降りて竜人とお話ししてきて。情報収集」

「え?灯お姉ちゃん。あたしだけで?」

 アカネは少し気後れした。一人だけで大勢と対峙するのは気が引ける。

「アカネちゃんは竜の女神だもの。竜人の言葉が分かるし」

 灯は自分の手を握っている光の手が少し握られるのを感じた。

 灯は光を見ると、光は頷いた。

「判ったわ。アカネちゃんと光の二人で行く」

 光はアカネの側に移動した。

『竜人の言葉の翻訳は、メタアリスにお任せ〜』

「よろしくね。メタアリス」

 灯はそう言うと、アカネと光に頷いた。

 二人は、洞窟前に集まっている竜人達の側に降下した。空には竜が作るオーロラが所々に輝いている。

 竜人の一人が降りてくる二人に気がつき、指差した。何か言葉を発している。

 それに反応して、他の竜人も二人に気づく。

 洞窟まえでざわついていた竜人達の動きは消えた。竜人達は空から降りてくる二人の姿を注視した。

 二人は浜辺に降り立った。

『何て言えば良いのかな』

『マップと本の位置関係考えると、多分、あの洞窟の中に『本』があると思うんだ。だから何が起こったのか、って聞くと良いんじゃないかな』

 手を繋いだアカネと光は読心の術で会話していた。

「何が起こったの?」

 アカネはそう竜人に尋ねた。

 身動きしない竜人の中から、一人の竜人がアカネの問いに応えた。

「見守るもの様が触った竜の骨を、どうしたら良いか、困っているんです」

 問いに応えた竜人はミアだった。


■怪異


「あの竜の骨が光っている?」

「ええ、それに近寄るとどういう訳か、うまく前に進めないのです」

 ケルクが会った竜人のロイが、ロイよりも身なりの立派な竜人に説明していた。

 洞窟の前には、見守るものが現れて竜の骨に触った、と言う話を聞きつけた竜人達でいっぱいだった。

 ロイが説明している相手は、メキド。女神崇拝者の司祭だった。高齢の女性である。

 ロイ達がいる西の島は、壁画がある事から女神崇拝者達の聖地となっていた。そして、そこは女神崇拝者のリーダーである司祭のメキドが治めていた。

 司祭メキドは、高齢の女性で、長老と言っても良いだろう。

 ロイは昨日の事をメキドに説明すると、翌日の夜、島の主だった者は、洞窟の前に集まる様にという知らせを出した。知らせはマナの箱経由でそれぞれの竜人に伝えられた。

 そして、集まった竜人に事の次第を説明し始めた所、興奮した竜人の数人が洞窟に入ろうとしたため、ロイ達狩を行うグループが洞窟の前を封鎖した、という状況だった。

 メキドは、ロイから報告を受けると、ロイに竜の骨の番を頼んだ。他の誰にも触れさせない様にと。そのため、ロイは竜の骨の近くで番をしていたのだった。

 竜人達が集まって来て、騒がしくなり、その中の数人が洞窟の中に入ろうとする。

 その様子を洞窟の中からロイは感じ取っていたのだった。そして、騒ぎの大元となった竜の骨に何気なく視線を向けると、骨が光っている。そして、なんだろうと近づこうとすると、思う様に近づけない。体を前に動かす事ができない。不思議な事に前に進む事はできないのだが、後退りはできる。ある程度離れると、体は自由に動かせた。

 この怪異を、ロイはメキドに知らせに洞窟を出た。

 そして、あの説明をしていたのだった。

 洞窟をロイが出てきたのを、ミアが見つけた。ミアは二人に近づいた。会話が聞こえてきた。

 思わず、ミアはロイの言葉に反応してしまった。

「え?竜の骨に近づけない?昨日あたしが触った時はなんともなかったのに」

「バカミア」

 キュイがミアに警告した。ミアは慌てて黙った。ミアの声は小さかった。しかし、ロイは耳聡かった。

 ロイはミアの腕を掴んだ。

「昨日、帰りが遅いと思ったが、あの骨に触った、だと?」

「イタタ。そんなに強く握らなくても良いじゃない。興味があったのよ」

 ミアはロイを睨んだ。ロイは忌々しそうな顔をした。キュイの光りは心配そうにゆらゆらとミアの側を漂っていた。

「ロイ、手を離してあげなさい。妹さんが痛そうにしている。それに事の経緯を詳しく知る必要があります」

 ロイはミアの手を握る力を弱めた。ミアは自分の手を振ってロイの手を振り解こうと、体を捻った。ミアの体が洞窟から浜辺の方を向く。そのミアの視界に、空から降りてくる二つの人影が入った。

「あれは何?」

 ミアは空を指差した。

 また、話を誤魔化そうと、そう思ったロイだったが、ミアが指差す先を見ると、動きが止まった。ミアの腕を握る手の力も緩む。同じ様に見上げるメキドの動きも止まる。

 洞窟の前でざわついていた竜人達は、メキド、ロイの様子がおかしいのに気づくと、同じ方向を見た。そして空から降りてくる人影を見る。

 二つの人影は、ゆっくりと浜辺に降り立った。

 二つの人影の内、右側の人影が言葉を発した。

「何事が起こったか?」

 ミアの耳には、かなり古い竜の言葉が、そういう様に聞こえてきた。ミアは前に出ようと動き出した。

「ミア、危ないよ」

 キュイが警告する。しかし、ミアは、竜人の群れから抜け出すと、その人影の前に進み出た。

 貴方は何者ですか、そうミアは質問したくてたまらなかった。しかし、もし、相手が伝説のあの存在だったら。質問に質問で返すのは失礼にあたる。どう応えたら良いだろう。ミアは考えて、こう答えた。

「見守るものが様触った竜の骨を、どうしたら良いか、困っているんです」


『アカネちゃん、言語が大幅ではないものの、かなり変わっている様です。アカネちゃんの言葉のままだと、うまく伝わらない可能性があります。六とあたしで辞書作成しつつ翻訳するから、アカネちゃんはそのまま喋ってて。他の人には向こうとアカネちゃんの言葉は逐次翻訳するから。それと、アカネちゃんの竜の言葉そのままだと、すごく古い言葉に聞こえるはずだから、まるでお婆さんが喋ってるみたいに受け取られるかも』

 え〜〜〜!!アカネまだ十歳なんだけど。

 アカネはお婆さんの言葉と言われて、少々ショックだった。

『アカネちゃん、推論した状況を説明します』

 六からの通信だった。

『「見守るもの」は派遣者の事です。以前私が竜に自分の事をそう名乗りました。だから、そう伝わっていると思います。そして、その「見守るもの」が触った竜の骨、それが、おそらく『本』です』

 アカネと光は、互いに握る手に力が入るのを感じた。

『アカネちゃん、その竜の骨の所に連れて行ってと伝えてみて』

『うん。光お姉ちゃん。それが良さそう』

 ミアの耳に、古い竜の言葉が届いた。

「その骨の所に我を導け」

 ミアは身震いした。やはりこの人たちは女神だ。ミアは身振りで洞窟の方へ二人を誘った。その動きに従う様に、洞窟の前の竜人達は道を空けた。ロイも、そしてメキドさえも。普段のミアなら自尊心がくすぐられるのを感じた事だろう。しかし、今は女神への畏怖のみが彼女を突き動かしていた。

 ミアに導かれ、アカネと光は洞窟に入る。中は薄暗いというよりほぼ真っ暗だった。アカネと光には女神の視覚をしても、それはぼんやりとしか見えなかった。

『可視範囲を拡張したわ。これで明るく見える?』

 メタアリスの声が聞こえてくると同時に、あたりが明るくなった。ミアの後ろ姿がよく見える。そしてその向こうにある洞窟の壁に、何か絵が描かれているのが見えた。

『光お姉ちゃん、あれ』

『これ、壁画、だね。それに』

 黒い竜、二人の女神、四人の女神。

『あの時のあたし達、物語になってるよ、光お姉ちゃん』

 光は自分が女神だと自覚していたが、壁画を見て、まさか神話になっているなんて、と奇妙な感慨を覚えた。アカネも同じ様だった。

 その壁画の下の方をミアが指差していた。

 ミアはロイが言っていた事が、体験して事実だと知った。これ以上前に進めない。指差すのが精一杯だった。

 二人はミアが指差す先を見た。そこには何か、大人の二の腕くらいの太さの、角の丸い円筒形の岩の様なものがあった。おそらくそれが竜の骨、なのだろうと二人は思った。

 二人は近づいた。

 ミアは二人が何事もなかったかの様に竜の骨の前に進むのを見て、何かに圧倒される様な気持ちになった。呼吸が早くなり、少し息苦しかった。

「ミア、ゆっくり呼吸して」

 キュイがミアを落ち着かせようと、ミアの目の前でゆっくり旋回した。

 ミアは自分の呼吸が落ち着いてくるのを感じた。

「ありがとう、キュイ」

 小さい声でミアは言った。キュイはミアが素直に礼を言うのを珍しいと思った。

 光とアカネは、竜の骨に触れるところまで近づいた。

 さて、これからどうしたら良いだろう。骨ごと持って帰るのが良いのか、それとも……。

「光、その中から霊脈を取り出して、スーツの予備の空の圧縮くんに入れて持って帰ってくると良い。アカネが竜の気脈を連れて帰ったのと同じ手順だ」

 光に雫の声が届いた。それは同時に読心の術で繋がるアカネにも伝わった。

 アカネは、スーツ、つまり巫女装束の帯に刺した六角形のデバイス、の上の面にある二つの丸い凹みの一つを押して、ちょうど単三電池くらいの筒状のものを取り出した。

 光は舞扇を開くと、扇を水平にしたまま、竜の骨を指し示す様に下ろした。そして緩やかに扇を上に上げる。すると、竜の骨から霊脈が立ち上った。光は扇を持つ手を返し、扇でアカネが持つ筒状のもの、空の圧縮くんを指し示す様に下ろした。霊脈は圧縮くんに吸い込まれた。アカネはそれをスーツの元の穴に仕舞った。

 ふう。光は息を吐き出した。

 「本」の回収は終わった。

『アカネちゃん、次は』

『うん。光お姉ちゃん、「本」に願いをかけた竜人を探さないと』

 アカネと光は、案内をしてくれた竜人、つまりミアの方を向いた。

「この竜の骨に、願いを告げた者、その者を我は探している」

 女神の発した言葉に、ミアは震え上がった。女神に咎め立てされている。とんでもない事をしでかしてしまった。畏怖を超えて、それはもう恐怖の領域だった。

 ミアの恐怖がキュイに伝染し、キュイはミアの後ろに隠れた。

「ミ、ミア。正直に言った方が良いよ」

 キュイがミアの耳元でそっと囁いた。

 ミアもそうした方が良いと、そうするしか無いと思っていた。しかし、言葉が上手く出てこない。

『アカネちゃん、この子、知らないのかもしれないね』

『そうだね。そう都合よくは行かないかぁ。じゃあ、洞窟の前の人達に聞いてみようよ』

 アカネと光は洞窟の出口の方に向きを変えようとした。

 女神が行ってしまう!ミアの本能は、正直に話すなら今しかない、と告げていた。そしてその機会は失われようとしているとも。

「わ、私です。竜の骨に願いをかけたのは、私です」

 その言葉は半ば悲鳴の様、ではなく、か細い声だった。

 体の向きを変えようとしていたアカネと光は、動きを止め、ミアの方を見た。

 ひっ。

 ミアの目には、両目を爛々と輝かせてミアの罪をとがめる女神、という様に見えた。キュイはすかさずミアの後ろに隠れた。

「汝が?」

 ミアは「はい、私です」と言葉を絞り出した。

『光お姉ちゃん、いきなり見つかったよ!良かったぁ』

 アカネは安堵した。大勢の竜人に、竜の骨に願いをかけた人、どこ〜?と尋ねなくて済んで良かった、と。

『アカネちゃん、竜人さんって、気脈の流れが人と違うから、この竜人さんに異常があるかどうか分からないなぁ』

 ミアの気脈を読んだ光が、アカネにそう言った。

『じゃ、外に出て、他の竜人さんと見比べてみれば良いんじゃない?』

 その言葉に光は首肯した。

「汝、我に付いて参れ」

 ミアの耳に、女神の声が届いた。

 アカネはミアに手招きした。

 アカネと光は洞窟の出口に向かって進む。その後ろをミアが付いて行った。

 やがて三人は洞窟から出た。

 洞窟の入り口に詰めかけていた竜人達は、女神が出てきたのに驚いて、急に洞窟の入り口からわらわらと離れた。

『ねえ、光お姉ちゃん、あたし達、なんだか怖がられてるみたいな気がする』

『そうだね。アカネちゃん。なんでだろう』

 玄雨神社では、アリスが思いっきり大笑いしていた。

「そりゃ怖いに決まってるじゃない。空からいきなり伝説の女神が降りてきて、あれこれ指図し始めたら。それも多分時代がかった言い方で」

「こら、アリス、笑いすぎだ。少しは緊張感をだな」

 そんな二人のやりとりをユイは面白そうに見ていた。

 さて、話を竜の星に戻しますと。

 光は他の竜人の気脈を読んでみるが、ミアとの違いが分からない。少々困った。それで、姉の灯に助けを求めた。

「お姉ちゃん、こっちに来て、見比べてくれる。あたしには違いが分からない」

「分かったわ。降りて視てみる」

 灯は六とアオイに「一緒に降りましょう」と言うと、二人は首肯した。

 そして三人は光とアカネの側に降り立った。

 なるべく竜人を驚かさない様にと注意したのだが、竜人達は新たに現れた女神三人にやはり驚いた。驚かない方がおかしいだろうと、アリスは笑いを堪えていた。

 灯は光と手を繋いだ。

『どの竜人が「本」の書き手?』

 光は、アカネと繋いだ手を一度離すと、ミアを指差した。指差されたミアが小さい悲鳴の様な音を立てた。その音を聞いたキュイもミアと同じ心境だった。

 灯はミアを視た。そして、他の竜人達を視た。光は指差す手を下ろして、アカネと手を繋いだ。

 ミアは自分の鼓動をこれ程大きく聞いた事は無かった。

『光、大きな違いは見つからない。「本」はその竜人に影響を与えなかったのかも知れない。でも、念のため、何か変化を感じなかったか、聞いてみた方が良いと思う』

『分かった。お姉ちゃん』

 光はアカネの方を向く。アカネは頷いた。

「汝、その身に何ぞ変わりは無いか? 竜の骨の願いの後」

 ミアは、その言葉の意味が分からなかった。古い竜の言葉。急に天から降りてきた女神。ミアの心は大きく波打っていた。

『アカネちゃん、辞書の作成だいたい終わり。アカネちゃんの竜の言葉を話している時に使っている脳と気脈の領域に、辞書を読み込んで欲しいから、これから送る信号をよく聞いて』

 メタアリスの声がアカネの脳に響いた。

『うん。分かった』アカネはメタアリスにそう返事をした。すると、(さざなみ)の様な音が、電磁波の音が、アカネに聞こえてきた。アカネがその音に意識を集中すると、それは体に、そして気脈に浸透した。

『う〜ん。なんだか、竜の言語弍ってのが、頭の中に入った感じ』

『じゃ、その言葉で話してみて』

 アカネはうんと頷いた。メタアリスはそこに居る訳では無いが、ついそうしてしまう。アカネはミアの方を向いた。

「あのね。あなたに何か、変わった事、なかった? あの竜の骨に願い事をしてから」

 ミアの頭の中には、え?という思いが()いた。今までなんだか怖い感じで話をしていた女神が、急にまるで年下の様な話し方をし始めたのだから。恐怖とは別の意味で固まった。

『ねえ、メタアリス。ちゃんと伝わってる?』

『辞書の作成に問題は無いわよ。六も翻訳は正常だと言ってる。竜人さん、戸惑ってるんじゃ無い?』

 そうかも。

 アカネは、自分の胸に左手を当てた。

「あたし、アカネ。竜の女神。あなたの名前は?」

 ミアは両耳が後頭部に引っ張られるのを感じた。今まで古い竜の言葉で重々しく話していた女神が、急に親しげに話始めたのだから。ミアの鼓動は大きかった。だがやがてそれが小さくなると、ミアの恐怖も去り、ミアは自分の名を告げるべきだと、決心にも似た心持ちになった。

「私の名は、ミア。狩を行う者です」

 狩?アカネはその意味が分からなかったが、それは後で考える事にした。

 あたしが考えなくてもメタアリスや六が調べてくれるだろうし、あたしはあたしのやる事をやる。

「ミアが触れた竜の骨には、強い力があって、場合によっては触った人に影響が出るの。だから、ミアに何か変わった事がなかったか、知りたいの」

 ミアは、その言葉を考えた。骨に触って、確かに妙な感覚はあった。でも、今はなんとも無い。

 そこでミアは気がついた。もし、何かあったら、どうなるんだろう?

 ミアの心に、再び恐怖が忍び寄っていた。

「もし、ミアに何か変わった事があったら、あたし達はそれを元に戻したいと思ってる」

 言葉の意味が染み込むまで、少しかかった。だが、ミアはその言葉の真意を知った。

 女神は私の身を案じている。

 ミアの心の中の恐怖は、温かい安堵の気持ちに押し流された。

「竜の骨に触った時、よく分からない感覚がありました。でも、今は変わった感じはありません。お答えになっているでしょうか」

 アカネは笑顔を作った。

「それなら良かった」

 ミアは、アカネの表情は良く分からなかったが、それが良い印だと感じた。温かい感じだと思った。

『灯お姉ちゃん、光お姉ちゃん、この竜人の子、ミアっていうんだけど、骨に触った時、変な感じはあったけど、今はなんとも無いって』

 光は握られている灯の手から、少し力が抜けるのを感じた。

『それなら問題無いわ』

 灯は光とアカネの二人にそう伝えた。しかし、経過観察は必要、とも思っていた。

 良かったね、と光とアカネは頷き合った。

 ミアの緊張が無くなり、女神の言葉も重々しいものから、どちらかというと優しい感じになり、竜人達の空気も穏やかな感じになっていた。

「あ、あの。私があの骨に触ったから、女神様達は現れたのですか?」

 ミアがそう問いを、アカネに言った。

 アカネは、そうだよ、と答えようとした。

 その時。

 ミアと女神達の間に、ケルクが位置を変えて現れた。


■ホノ


「ケルク、妙な胸騒ぎがします」

 竜の星の衛星軌道。ケルクはユニットの予備外殻の格納庫で眠っていた。妖精も眠る。本来体の無い妖精は、マナの箱に戻って眠る。マナの箱の拘束が無くなったケルクは、外殻の中で眠る。ケルクは何か夢を見ていた様な気がしたが、ホノの声で目を覚ました。

「ホノ、どうしたの?」

「ケルク、理由は分かりません。あの洞窟にもう一度行った方が良い気がするんです」

「分かった、ホノ。まず外に出てみようよ」

 ホノはユニットに信号を送り、外部への出口を形作った。

 ケルクは外に出た。

「ケルク。私、女神があの洞窟の前に居る、と思います」

「ホノ、どうしてそう思うの?」

「分かりません。でも、そう感じます」

 ホノは予備の外殻のサポートシステムだった。だから、女神出現の素粒波の変動をユニットが検出して、それを連絡される様に手続きする権限を、六の様に持っていない。ホノは独自に、女神の出現を検知したという事になる。

 ケルクは考えた。

 もし、女神が現れたのなら、竜の骨の願い事が叶った事になる。

 しかし、女神が居る状況がどんなものか分からない。

 いきなり洞窟の前に位置を変えるのは、なんだか不味い気もする。

「ねえ、ホノ。洞窟が見える場所に位置を変えて、様子を見てみるのはどうだろう」

「はい、ケルク。その考えに賛成です」

 ケルクは、洞窟の入江からかなり距離のある海上に位置を変えた。

「ここから洞窟までは、かなり距離はありますが、洞窟が見えるはずです」

 ケルクは海上に浮いたまま、洞窟の方を見た。

 洞窟の前が拡大されて、まるですぐ(そば)に居る様にケルクは感じた。

「ホノ、洞窟の周りがすごく良く見える。竜人達が大勢集まってる。洞窟の前に、竜人とは違う何かが見える」

 それが女神?とケルクは思った。

「ケルク、洞窟の上空に浮遊している物体を確認しました」

 ケルクは、ホノが付けたマーカーを頼りにそれを見た。急に拡大される。

「あ、同じ姿の、何かが三つ、宙に浮いてる」

 竜人が宙に浮くなど、ケルクは見た事も聞いた事も無かった。

 そうケルクが思っていると、その三つが降下し始め、洞窟の前のその何かの近くに降り立った。

 間違い無い。あの人達は、女神だ。

「ホノ、洞窟の前に居る竜人じゃない人、空に浮いていた人、女神だと思う」

「ケルク、その意見に賛成です」

「洞窟の前に位置を変えよう、ホノ。ホノ?」

 ホノの返事が無い。

「ホノ、どうしたの?」

 ケルクは、体が奇妙に振動しているのを感じた。

 見つけた。

 ケルクは、意識の底の方に、そういう言葉が小さく響いてくるのを感じた。ホノの声かと思ったが、声ほど明瞭では無かった。「ホノ?」ケルクはホノに尋ねていた。ちょうどそれは、お化け屋敷を探検している時、隣に居たはずの仲間が急に黙り、代わりに得体の知れない声が聞こえて来た、という状況に似ていた。ケルクもそんな心境になり、思わずホノに声をかけてしまっていた。

「はい、ケルク。どうしました?」

 何事も無かったように、ホノの返事が帰って来た。

 ケルクは自分が少しムッとしたと感じた。

「ホノ、位置を変えようって言ったのに、黙り込んでて」

「すみませんケルク。ごく短い時間ですが、停止していたようです」

 こんな事は今までに無かった。いや、竜の骨に触れた時に一度あったが、あの時はその後ケルクも意識を失っていた。ホノに何があったのだろうと、ケルクは心配になった。

「ケルク、今は正常に動作しています」

 ホノが大丈夫なら。

「じゃあホノ、洞窟の前に位置を変えよう」

「はい、ケルク。空いている空間を特定しました。位置を変えます」

 そしてケルクは、女神とミアの間に位置を変えた。


■ケルクの願い


「六が、いや、初めて会った時の六と同じ、派遣者、だっけ、が現れたわ」

「アリス、同じものを見ている。解説は不要だ」

 玄雨神社では、アリスのボケと雫のツッコミという奇妙なコント、それを面白そうに見ているユイという状態だった。

「しかし」

 雫の眉根が寄った。

「アリス、言霊一号では気脈の視覚情報は分からないのか」

「ん〜、雫、簡単に言ってくれるわね。大体機械で気脈を読むのは、そもそも難しい、って雫が言ったじゃない」

「それは承知している。光が視た情報を送る事は出来ないか?」

「できない事は無いとは思うけど、光ちゃんが気脈を視てその視覚情報を送っても、あくまで視覚情報でしか無いわよ」

「それは仕方ない」

 巫術師が気脈を視る時、単に視覚情報として視ているだけでは無い。気脈から発するものを同時に検知している。その感覚は五感とは異なる。気脈を感じる時は、この感覚を使っている。


 急に現れたケルクに、緊張が溶け始めていた竜人達の空気は一瞬で凍りついた。ミアは再び自分の鼓動が大きくなるのを感じた。

 鼓動が大きくなったのは、ミアだけでは無い。六の位置を変える、という能力については女神達も知っている。知ってはいるが、いきなり現れれば驚きもする。光とアカネの鼓動も平常時から、準備運動くらいの強度の心拍数に跳ね上がった。

 ケルクの突然の出現に、場は凍りついたままだった。

 ケルクの方はケルクの方で、位置を変えたは良いが、さてこれからどうしたら良いだろうと、躊躇していた。ホノも黙り込んでいる。

「光、その派遣者の気脈を読んでみてくれ」

 雫の声はメタアリス経由でリレーされ、女神達全員に届いた。光は雫に言われるままに現れたケルクの気脈を読む。視る。

「やはり、か」

 雫の声はそう言ったまま沈黙した。

 雫の言葉の意味を、六は推論から追認した。灯は雫の言葉が伝わる前から、ケルクの気脈を読んで、雫と同じ理解に達していた。だが、それは六に確認する必要があった。

「メタアリス、竜の言葉に翻訳してあの派遣者に伝えて」

「了解よ。灯ちゃん、どうぞ」

「貴方の願いは叶いました。話したい事があるのでしょう。ここは人が多すぎます、別の場所に移りましょう」

「伝えたわ。灯ちゃん」

「ありがとう、メタアリス」

『お姉ちゃん、一体どういう事?』

『後で説明する。多分雫さんが』

『ちょっと待って、灯お姉ちゃん』

 アカネの読心の術の言葉に、灯と光はアカネの方を向いた。アカネはミアの方を見ていた。

『いきなり移動しちゃったら、この子もそうだし、竜人さん達も混乱すると思うんだ。ちょっと説明してからの方がいいんじゃ無いかと思って』

 確かにそうだ、と灯は思った。そうだね、アカネちゃん、と光も思った。

「ミア、私達は、この見守るものと話をします。少し遠い場所で」

 ミアは、女神達が居なくなる、と急に気がついた。先程の灯がメタアリスに翻訳を頼んだ言葉も、ミアも竜人達も聞いていた。だが、その意味をアカネの言葉で知ったのだった。

「待ってください。女神様。お話ししたいのは私たちも同じです」

 ミアの声は切実さを帯びていた。

 どうしよう。

 アカネは光、そして灯を見た。

『いずれまた戻ってくる、と伝えたら良いと思う。この星の調査はまだ終わってないから』

 そうだった。アリスママの好奇心がこれで終わるはず無い!

 アカネは灯に頷くと、ミアに伝えた。

「いずれまた戻って来ます。ミア、大丈夫です」

 ミアは、女神の言葉に同意するしか無かった。きっとまた会える。ミアは右手を胸に、そして跪いていた。敬意を表す仕草だ。洞窟の周りの竜人もミアと同じ仕草をしていた。

『行きましょう』

 灯は光、アカネ、アオイに合図する。五人同時に浮かび上がると、海の方に飛翔した。

 ケルクは五人の動きに少し遅れてついて行った。

 海上を飛翔し、島が小さく見える所まで来た。

 五人は速度を落とし、やがて静止した。

 ケルクも静止する。

「メタアリス、私がいう言葉を翻訳して伝えて」

「了解よ。灯ちゃん」

 灯は、ケルクを見た。

「私達は、遠い所から来ました。知らせを聞いて。その知らせは、おそらく貴方が竜の骨に願いをかけた事」

 ケルクは、竜の骨にかけた願いが女神に伝わったのだと、願いが叶ったと、その思いが体の中心に染み渡るのを感じた。

「私達は、竜の呪いを解いた女神です。貴方は何者ですか?」

 ケルクは、戸惑った。なんと言えば良いだろう。起こった事をそのまま伝えれば良いと、深竜に話した時の事を思い出した。

「私はケルク。妖精でした。この星の(はる)か高い所に登った時、見守るものの家を見つけ、中にあったこの体に入りました。今では自分の体のように動かす事ができています」

 妖精? 巫女五人とも、ケルクのその言葉が理解できなかった。どうやら竜の星は、数万年の間にかなりの変化が起きているようだと、灯は思った。

「妖精の事を私達は知りません。教えてください」

 ケルクは、まさか女神が自分たち妖精の事を知らないと言うとは思わなかった。だから少しショックを受けた。

「私達は、竜の呪いを解いてから、長い間、この星を訪れていませんでした。ですから、その間の事を知りません」

 そうか。女神は伝説の出来事の後、訪れたという話は聞いていない。知らなくて当たり前か。そういう思いをケルクは抱いた。そして、少しだけ暗い予感が心の隅に忍び込むのを感じた。

「妖精はマナの箱から生まれます。マナの箱はマナを()める道具です。妖精は体を持たず、小さな光のように見えます。竜人の手伝いをします」

 灯は、ケルクの返事は端的で要領を得ていると思った。

『灯、マナは電磁力重粒子ですから、おそらくマナの箱は、それを蓄積する装置なのでしょう。その事から推論すると、竜人は竜と違い、マナを体内に十分に蓄積できない、また、マナを採掘できない、と思われます』

 六の読心の術の言葉を聞き、灯は六に頷いた。

「マナの箱から妖精が生まれるのに、どれくらいの時間がかかるか、聞いて欲しい」

 雫の声が、光の言霊一号経由で全員に届いた。

「妖精がマナの箱から生まれるのに、マナの箱ができてどれくらいかかりますか?」

 ケルクは少し困った。妖精が生まれるのに必要な時間など考えた事も無かったからだ。記憶を探って、大体の年数で90年くらい、だと見当を付けた。

「大体90年くらいで、マナの箱から妖精が生まれます」

『この星の公転周期から計算すると、地球での約百年に相当します』

 六のこの言葉は、玄雨神社の雫、そして灯の背中に、ざわり、とした感触を覚えさせた。

「灯、妖精の事は大体分かった。灯もそうだろうと思う。話を進めてくれ」

 雫の言葉は、自分の割り込み質問が終わった事を告げていた。

「雫さん、この星、かなり変わった事になっているようですね」

「私もそう思う。灯の想像は、多分私と同じ」

「話を進めます」

 灯と雫の会話は終わった。

「ケルク、貴方は竜の骨に女神に会いたいと願いをかけました。何故、女神に会いたいと願ったのですか?」

「女神に叶えて欲しい願いがあるからです」

「その願いを教えてください」

 ケルクは、全身が震えるような感覚に包まれた。そうだ、そのために、深竜に会い、竜の骨に願いをかけたのだ、そして女神が願い事を聞いてくる。ケルクは話した。そしてケルクは自分の話す言葉が震えるのを感じた。

「ローザを、亡くなった竜人のローザと会いたいのです」

 言葉は違うが、その切実な響きは、アカネの心に響いた。そしてその響きは、読心の術の効果で女神達に伝播した。

「貴方の大切な人だったのですね」

「はい。私を大切にしてくれました」

 アカネはケルクの言葉に悲しみと後悔が紛れ込んでいる事を知った。

 その思いを知った灯は、これから自分が残酷な事を言わなくてはならないと、心の奥で覚悟を決めた。だが、その前に聞かなくてはならない事がある。

「ケルク。一つ教えてください。どうして貴方は、竜の骨にローザさんと会いたいと願いをかけず、女神に会いたい、と願いをかけたのですか?」

 ケルクは、女神の言葉に衝撃を受けた。言われてみて、初めてそれに気がついた。何故、竜の骨にローザの事を願わなかったのか。ケルクは混乱するのを覚えた。何故、何故、何故。

 だが、女神は返事を待っている。ケルクは正直に言うしか無いと思った。

「分かりません。女神に会えば、ローザに会える、そう思っていました。でも、本当に、何故、あの時、竜の骨にローザの事を願わなかったのか、分かりません」

 アカネはケルクが混乱している事、そして本当の事を言っているのだと感じた。

「貴方が(いつわ)りを言っていないと、私は分かります」

 灯は、そう告げた。

 ケルクは、何故か救われたような気がした。

「その上で、私達はあなたに残念な事を申し上げなくてはなりません」

 ケルクは、妖精の事を質問された時に感じた、暗い予感が広がるのを感じた。体の奥の方に痛みを感じる気さえした。

「亡くなった方を蘇らせる方法はありません。ですから、会わせる事はできません」

 ケルクの心は真っ暗になった。何か、入っている体の中の奥底に沈んでいき、眠りたいと願っている事に気づいた。そして、スイッチが切れたように、自分の意識が途切れるのを感じた。

 ケルクを視ていた灯は、女神全員に読心の術で『来る』と伝えた。

 その直後、ケルクから意外な言葉が伝わって来た。

「女神様、貴方とお会いできる事を、心から願っていました。私はホノ。この外殻のサポートシステムです」

 灯の言葉で、ある意味心理的に身構えていたため、光、アカネ、アオイはこの展開に戸惑う事は少なかった。

 六は、ケルクの発した言葉の意味を推論していた。そして、竜の言葉で言葉を発した。

「ホノ。質問があります。外殻のサポートシステムには自我が無いはずです。その貴方に自我がある。貴方はいつ自我を持ちましたか?」

 ケルク、いや、ホノは顔を六にむけた。

「貴方は、見守るもの、竜の星の管理者ですか?」

「そうです」

「姿があまりに異なるため、分かりませんでした。女神の姿になったのですね」

「この姿に変えました。ホノ、質問に答えてください」

「私が自我、感情、を持ったのはケルクがこの外殻に入った時です」

 灯は、ジグソーパズルの最後のピースがはまり、絵が浮かび上がるのを感じた。

「では、質問します。どうして貴方は女神に会いたいと願ったのですか?」

 この質問は、つまり、竜の骨に願いをかけた時、ケルクの「ローザに会いたい、そのために、女神に会いたい」という思いの「女神に会いたい」という部分をホノが強化した、という事を知っていると、暗に言っているだった。ホノは自分の願いのために、ある意味、ケルクの願いを操作したのだ。

「ケルクの記憶を走査した時、女神の伝説について知りました。私は私が何故生まれたかの推論を立てました。それを確かめたかったのです」

 そう言うと、ホノは両手を目の高さに挙げた。

「この外殻に流れる素粒波。その流れが私を生み出したのだと。そして、この素粒波の流れは、女神様がもたらしたものでは無いかと」

 ホノは、その両手をゆっくりと下に下ろした。

「その質問をしたくて、女神様にお会いしたかったのです」

 六、灯は、ホノの思いを胸の奥で噛み締めていた。

「メタアリス、私の言葉を翻訳して、ホノに伝えて欲しい」

 雫の言葉が、女神全員に響いた。

「承知しました。雫さん。おっしゃってください」

 玄雨神社で雫は頷いた。アリスも黙って雫の言葉を待っている。ユイは成り行きを見守っていた。

「ホノ。其方は己の生まれた理を知りたいと、そのために、女神に会いたいと願った。そしてその願いは、ケルクの願いの一部でもあった」

 ホノはびくりとしたように、体を少し動かした。

「貴方は誰ですか。先ほどまで話していた方とは異なるように思います」

「私は、玄雨雫。ここに居る女神達の師匠だ」

「貴方も女神様なのですね。ここにいる女神様の上位の」

「そうなる」

「教えてください。私が生まれた理を」

 アカネはホノの言葉に、ケルクから感じたのと同じような切実な響きを感じ取った。

「其方の体、外殻には数万年前、ここにいる灯の一部、仄が入っていた事がある。その時、仄の気脈の流れが形作られた。其方の体に流れる気脈は、その名残(なごり)だ」

「補足します。気脈とは素粒波の事です。素粒波の一形態と考えれば良いでしょう」

 雫の言葉を六が補足した。

「しかし、それだけでは自我は生まれぬ。生まれたのは、其方が思う通り、ケルクが其方の体に入ったためだ」

 灯は、自分の考えと雫の考えの答え合わせが進んでいるように感じた。

「それはちょうど、飽和溶液に結晶の核が入ったと同じ。すべてが結晶化する。つまり、ケルクの自我が、其方に自我をもたらしたのだ」

 ホノは、自分の体が震えるのを感じた。

「ケルク、聞いているのだろう。ホノはケルクの願いを横取りした。結果的にはそう見える。しかし、実態は異なる」

 体の奥底で眠っていたように思っていたケルクは、自分を呼ぶ声が聞こえた。そして、今までずっと外の声を聞いていた事に気がついた。

 ホノが私を(だま)した。自分の願いを叶えるために。私の願いを変えた。そんな意識の中に、雫の言葉が差し込んだ。

「ケルク、今の其方の体に残る仄の気脈の名残は、ホノに自我を与えただけでは無い。ケルク、其方にも変化をもたらしたのだ」

 ケルクは、奇妙な感覚を覚えた。

「ケルク、ホノは其方自身だ」

 ケルクは、その言葉を聞く前から、その言葉が与える奇妙な感覚を味わっていた。

「外殻に残る仄の気脈の名残は、ケルクがその外殻に入った時、ケルクはその気脈と融合し、ホノという自我を生み出した。つまり、ケルク。其方とホノは意識と体を共有しているのだ。そしてケルクとホノの融合した意識が別に存在する。それが、ホノが自分が生まれた理を知りたいという欲求の根源だ」

 ホノはもう一人の私。ケルクは混乱した。混乱すると同時に、それが事実だと得心していくのを感じた。

「自我としてケルクとホノは独立しているが、共有する意識を通して一つの心と言える」

 雫は光の視覚野を通して、ケルクの気脈を読んでいた。視覚情報だけで完全に気脈を読む事は難しい。しかし、言霊一号の機能を超えて、光の気脈を読む能力と同期しているとも言える程の精度となっていた。光にはまるで雫が自分の体に乗り移ったかのような気さえしていた。

「ケルクが竜の骨に願う時、女神に会いたい、と願ったのは、ホノが願いを書き換えたのでは無い。それがお互いに共通する願いだったからだ。それと、竜の骨に願いをかけても、願いは叶わない。あれは、願いを収集する装置。願いを聞き届けるものでは無い」

 しかし、女神に会いたいと願って、女神が現れた。ケルクは、自分の中で自分の言葉とホノの言葉が同時に響くのを感じた。

「私達は、竜の骨に願いがかけられた事を知って、現れた。願いの内容と私たちが現れたのは無関係だ」

 ケルクは、再び心が沈み込むような感覚を覚えた。

「ケルク。一つ問う。ホノの事を大切に思っているか」

 なんの事。いきなり。ケルクの沈み込む心は、雫の言葉で緊張し、反動で沈み込むのが止まる。

「ホノ。同じく問う。ケルクの事を大切に思っているか」

 ケルクは、心の底の方から、湧き立つ泡のようなものを感じた。沈み込む心が、その泡で浮かび上がるのを覚えた。

 ああ、これはホノの思いだ。そうか。

「ケルク、ローザの事を思い出したのは、何故だ?」

 何故だろう。この体に入って、ホノに出会った。

 そうだ、ホノに出会った。

 そしてホノは。

 ケルクは、自分がどうしてローザを思い出したのか、そして、どうしてローザに会いたいと思ったのか、その真意を知った。

「上位の女神、玄雨雫様。分かりました。どうしてローザの事を思い出したのか。どうしてローザに会いたいと思ったのか」

 ホノ。ありがとう、ホノ。

「私は、ローザにもう大丈夫、と言いたかったのだと思います。私は、私がローザのように大切に思う者、そしてローザのように私を大切に思う者を見つけたのだと、そう言いたかったのだと」

 ケルクは自分の体に走る決して小さくはない震える様な感覚を覚えた。

「願いが叶ったな、ケルク」

 ケルクは頷いていた。その仕草は、竜人が行うものでは無い。しかし、ケルクはそうするのが正しい事だと、何故か分かっていた。

「ケルク、一度戻る。準備が整ったら参る。その時また会おう」

 ケルクは女神達が去ると直感した。

 その時。

 女神に会ったら、伝えて欲しい。その言葉がケルクの意識に電撃のように立ち上って来た。

「待ってください。伝言があります」

 しかし、その言葉が発せられる前に、ケルクの前から女神達の姿は消えていた。

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