妖精
■ケルク
ケルクは、始まりの妖精。
一番初めに作られたマナの箱から生まれた。
竜人達は、ある日、マナの箱が返事をする事に気がついた。そして、それが箱の中の小さな光りからだと気がついた。
竜人達は、それを妖精と名付けた。
それまでマナの箱を操作して行なっていた事を、妖精に伝えると、代わりに妖精がやってくれる。
妖精は、マナの変動に竜人達より敏感だった。マナ採取をするのに役立った。
妖精はマナのみを食べる。マナの箱のマナを食べるのだが、量は多くない。竜人は妖精が役に立つと、妖精と共生する様になった。
妖精単体ではマナを採取できない。だから、竜人に飼われているという位置づけになった。
しかし、ある時状況が変わる。
妖精はマナの箱に拘束されている。マナの箱から遠くに行けない。
ところが、ある妖精、それがケルクだが、ケルクはマナの箱を離れ、遠くに行ける様になった。
ケルクはその事を秘密にした。
何故か竜人に知られる事は良くない事だと思った。自分の不利益になると予想した。
ケルクは主人の竜人、もう代替わりしてかなり経った主人たちが眠ると、こっそりマナの箱を抜け出して、遠くに行った。
ある時、ケルクは竜の星の衛星軌道まで登った。
眼下に竜が作るオーロラが見える。
ケルクは美しいと思った。
これがケルクの楽しみになった。
毎夜毎夜、ケルクはマナの箱を抜け出しては、衛星軌道に登った。
そうしているある日、ケルクはそれを見つけた。
宙に浮く大きな卵。
巨大な卵。
なんだろう。
妖精は、したいと思えば物体を透過する事ができる。
ケルクは、好奇心を抑えきれず、その卵の中に入った。
中にはいくつかの空洞があった。
その一つの空洞の中に、奇妙なものがあった。
ケルクはその姿をぼんやりと見た。まるで竜人の様な姿。
ケルクはその人型の中に入ってみた。
人型の中にも空洞があった。
ケルクはその空洞入ってみた。
すると。
その時の事をケルクは鮮明に覚えている。
今までぼんやりとしていた視界が、急に鮮明になった様な、感じた事の無い様々な感覚がケルクに押し寄せた。
感覚の洪水。
ケルクは全身が痺れ、そして、その感覚の洪水に飲み込まれるのを感じた。
洪水が去った後、ケルクは気づいた。
自分がその人型の両手を見つめている事に。
その両手が、まるで自分の手の様に動く事に。
妖精は光りの塊。本来手足は無い。しかし、それが今ある。
そして、その表面によって、自分と外界とを区別できる。
ケルクは、自分が竜人と同じ様な「体」を持ったのだと、理解した。
そして、その体を自由に動かす事ができると。
体を動かそうとすると、体が入っている卵の中の空洞の壁が邪魔になった。
あまり隙間が無いためだ。
ケルクは外に出たい、そう思った。
強くそう思った。
すると。
「調べ事終わり。言葉、竜の言葉」
そういう言葉が、ケルクに聞こえた。
その言葉は、まるで妖精同士が話す時の様な響き方だった。
「聞こえますか?」
その言葉、声は、ケルクにそう尋ねた。
「私は、この体を助けるためのもの。ホノといいます」
ケルクは、この体に自分以外の何者かがいる事を知った。
稀に、一つのマナの箱に二人以上の妖精がいる事がある。それと似ている、とケルクは思った。
「聞こえます。私はケルク。妖精です」
「妖精?」
「マナの箱から生まれます。この体に入ると、体を動かせる様になりました」
ホノと名乗った声は、しばらく沈黙した。
ケルクはホノの気配を探ったが、見つける事はできなかった。
「分かりました」
その言葉を聞いた後、ケルクは自分の中に何かが流れ込んでくる気がした。
「竜の言葉をベースに、言語の解像度の上げるための辞書をインストールしています」
辞書? インストール?
ケルクはその言葉の意味が分からない。
分からない、と思ったが、突然、目の前に光が刺す様に、トンネルを抜けた様に、その言葉を理解した。
ケルクは自分の考えが明瞭になるのを感じた。物事の理解が細かく、深くなるのを感じた。
「改めて自己紹介します。私はホノ。この外殻のサポートシステムです」
外殻、というのはこの体の事だ。この体を使うのを手伝ってくれるホノという、なんだろう、そう、妖精の様なもの。
そうケルクは理解した。
「お手伝いする事はありますか?」
ホノの声はそう尋ねてきた。
そうだった。
ケルクは、ホノが話しかけて来る前に考えていた事を思い出した。
「外に出たい」
少しだけ、ホノの声は沈黙した後、質問してきた。
「外殻から外に出たいのですか? それとも外殻をユニットの外に出したいのですか?」
ケルクは自分の意識の中で、ホノの言っている言葉の意味、それが、歯車が合わさる様に理解されていくのを感じた。
体から出たいわけじゃない。ユニットというのがこの卵の事だから……。
「ユニットの外に出たいんだ。ホノ」
「分かりました。予備外殻格納庫の扉を開きます」
再び、ケルクはホノの言葉が意識にはまり込んでいくのを感じた。
それと同時に、壁に丸い穴が広がっていくのが見えた。
丸い穴の外に、竜が作るオーロラが見えた。
「扉開きました。外に出られます」
「ありがとう。ホノ」
意識せずにその言葉を、ケルクは発していた。
ケルクは意識に妙な感覚が、いや、体のどこかに妙な感覚が走るのを覚えた。
少し震える様な。
だが、その事を意識の脇に置いた。ケルクの外に出たいという思いの方が強かったから。ケルクは丸い穴から外に出た。
ケルクは、宙に浮く卵、ユニットを見た。体を得る前とは全く違って見えた。表面の滑らかさを手で確かめた。
これがすべすべ、という感触。
竜人が言う、触覚と言う事を体感した。
そうする内に、ケルクは気がついた。
ある事に。
マナの箱に縛られている感覚がない事に。マナの箱に引っ張られる様な感覚の無い事に。
ケルクは、自分の中に大きな火花が沢山飛び交う様な歓喜を覚えた。もし、ケルクが花火を知っていたら、花火と例えた事だろう。
己を縛るくびきから解き放たれた、そういう感覚だった。
自由だ。
新しい自分になった。
そう。ケルクは新しい存在になった。
妖精から変わったのだ。
ケルクはこの気持ちを誰かと共有したかった。だからホノに伝えた。
「ホノ。私は嬉しい」
再び、ケルクは体に走る小さな震える様な感覚を覚えた。
もしかしたら。
ケルクは気がついた。これはホノが喜んでいる、という事なのかも、と。
ケルクは竜の星を見下ろした。
すると、空の星の様に、竜の星の中に、星の輝きを感じた。
ああ、これは竜のマナだ。
ケルクは、妖精だった頃より、ずっと明瞭に、そしてずっと遠くの竜のマナを感じると思った。竜の星の竜全部のマナを感じ取れる気さえした。
■ローザ
ふと、ケルクはローザの事を思い出した。
ローザが亡くなってもう随分経つ。
亡くなった後、ケルクはローザを思い出しては、悲しみに沈んだ。
そして、次第にローザの事を思い出さなくなった。
何故か、そのローザの事を思い出したのだ。
ローザは、竜人の女性だった。
初めて会った時は、小さい女の子だった。
ローザは、他の主人達と違い、ケルクを大切にした。無理に命令しなかった。
ローザはケルクを友達と考えたのだった。
ケルクもローザを友達と考えた。そう思った。
ローザは成長すると、狩を行うものになった。ローザとケルクは、共に竜からマナを採った。時には危険な時もあったが、楽しい出来事だった。
ローザが死んだ後、ケルクは酷く悲しんだ。そして、叶うならいつか再び逢いたいと、思った。そしてそれが叶わぬ事も知っていた。
ローザを思い出したケルクは、体の胸の辺りが、何か凹む様な感覚を抱いた。
ケルクは、ローザに逢いたいと思った。
けれど、それは叶わない事だと知っている。
知ってはいるが、新しい体を得た。
もしかしたら、何か方法があるかも知れない。
そうケルクは考えを巡らせていた。
胸に感じる凹みが、そう考えを巡らせていた。
「お手伝いする事はありますか?」
ホノの言葉が、ケルクに届いた。
そうか!ホノに聞いてみよう!
そしてケルクは考える。どう聞いたら良いかと。
少しの間、ケルクはあれこれ考えた。ローザの事をどう説明しようかとか。自分の気持ちとか。
しかし、為したい事を直接伝えれば良いと思った。分からない事があれば、ホノが質問してくるだろう、と。
「ホノ、私はローザに逢いたい」
ケルクは、体にほんの少し、チリチリというか低い唸りの様なものを感じた。
もしかしたら、ホノが考えているのかな?とケルクは思った。
「ローザの事を確認しました。その竜人の女性は死亡しているとケルクは記憶しています。知りたいのは死者の蘇生ですか?」
そうだ、とケルクは答えた。しかしホノの言葉でケルクは自分が沈み込むのを感じた。
「残念ながら、死者を蘇生させる方法を知りません」
ホノはそう言った。その返事を聞く前から、そうなるだろうと、ケルクは思った。
「ごめんなさい」
ホノの声が聞こえた。
その言葉で、ホノがケルクの悲しみを知っている事が、ケルクの胸に染み込んだ。少しだけ、胸の凹みが小さくなった気がした。
「ケルク、死者の蘇生の方法を私は知りません。けれど、他の誰かが知っていない、とは断言できません」
ケルクは、ホノが何を言っているのか、すぐに理解できなかった。
死者の蘇生の方法を知っている、他の誰か。
ケルクは気が付いた。
女神の伝説。
昔、竜人がまだ竜だった頃、天から女神が舞い降りて、竜の呪いを解いて行った。という伝説。
「ホノ。女神なら知ってるかも知れない」
そう言った後、ケルクは気が付いた。
女神に会う方法が分からない。
「ケルク。女神の事、理解しました。私は会う方法を知りません」
そうだよね。
ケルクは再び、胸の凹みが元の大きさに戻るのを感じた。
「しかし、賢竜なら、知っている可能性があります」
!
そうか!賢竜なら!
?
ここでケルクは、ホノがどうして女神の事、賢竜の事を知っている事が、奇妙な事では無いかと気が付いた。
そして、ローザの事も。
なんで知っているんだろう?
■ケルクはホノに尋ねる
「ねえ、ホノ。ホノはどうして、ローザの事、女神の事や賢竜の事を知ってるの?」
「あなたの記憶は、外殻にも保存されました。私は外殻の記憶領域にアクセスして、その事を知りました」
ケルクは、頭部の中央から何か白くて痺れる様な感覚が広がるのを感じた。
「私は、ケルクの記憶から、知っている可能性のあるものを検索しました」
ケルクは、ホノの言葉が、とても優しい、気遣っている、と感じた。
そうか。
心配してくれてたんだ。
痺れるような感覚は消えた。
「ありがとう。ホノ」
ケルクは、再び、ホノが喜んでいるのを感じた。
ケルクは、ホノと友達になった気がした。
きっと二人でなら。
「賢竜は、どこにいるんだろう」
ケルクはそう呟いた。正確には、外殻内の電磁波言語で。
眼下に広がる竜の星。そこからケルクは竜のマナを感じ取った。
感じ取ったマナに注意を向けると、竜の思考の様なものも感じ取れる事が分かった。
あれは若い竜だ。思考が浅い。
これは年老いた竜だ。ゆっくりだが深い。
これは、賢竜?思考が早く、深い。
そのマナを感じる方向に、ケルクの視界に何か印の様なものが現れた。
「ケルク、この竜を賢竜と考えて良いでしょうか?」
ケルクは、ホノが自分の思考を補助してくれているのだと知った。
「そうだと思う」
ケルクがそう返事をすると、ケルクは、体にほんの少し、チリチリというか低い唸りの様なものを感じた。
ホノが考えているんだな、とケルクは思った。
急にケルクの視界に多数の印が現れた。
「ケルクが賢竜と認証したマナと類似するマナの発信源を可視化しました」
視界に見える範囲でも、数十の印があった。
「ここから一番近いのはどれ?」
一つの印を残して、他の印は消えた。
「このマークです。水中の深度の深いところにいます。おそらく深竜です」
水の中、か。
ケルクは躊躇した。
「ホノ。私は水が怖いんだ」
水の中に妖精が入ると、水流とマナの箱の拘束の力が拮抗して、妖精は苦しい思いをする。水流で引っ張られ、マナの箱の拘束で引き戻される、引き裂かれる様な感覚を味わうためだ。
そして、ケルクが水を嫌う理由。それはローザの死に起因する。ローザはマナ採取の途中で水に落ちた。流れは急で、ローザは流された。ケルクはローザを助ける事ができなかった。妖精に竜人を水の中から引き上げる事はできない。しかし、助けたいと思う願いが叶わなかった事はケルクの体験、記憶として強く刻み付けられた。
「ケルク。水面まで行ってみましょう」
ホノの提案がケルクの混乱した意識の中に入ってきた。
水面まで。
二人でなら。
ケルクは少しだけ、水の恐怖を退けた。
「行ってみよう」
「はいケルク。位置を変えます」
と、ホノの言葉が終わった途端、ケルクは自分が水面すれすれに浮いているのに気が付いた。
起こった事を理解できなくて、ケルクは混乱した。
「位置を変えました」
ホノの言葉。だが混乱は治らなかった。
「何が起こったの?」
混乱しているケルクは、体にほんの少し走る、チリチリというか低い唸りを感じ損なった。
「この外殻には、単体で惑星単位での移動が可能なワープ装置があります。それを使用しました」
ホノの言葉が、意識の中で整理される。ケルクは理解した。
あの移動、位置を変える、というのが、ワープ装置の機能とその結果なのだと、理解した。
混乱が収まると、ケルクは水面が間近なのを思い出した。
星空と所々のオーロラ。その下の星空を反射して煌めく水面。
思い出すというより、視界にあるその水面が意識に入ってくる。
「この外殻は、宇宙空間、水中、それもこの惑星の最深部の水中での活動が可能です」
ケルクは、マナの箱の拘束と水流の苦しみを思い返していた。
そして、今はそのマナの箱の拘束がない事を、改めて感じた。自ら積極的に。
拘束は、無い。
ケルクは水面に右足を浸けてみた。
水の感触はするが、おかしな感じはしなかった。
大丈夫だ。
ホノが付いていてくれる。
「ホノ。さっきの印の賢竜の所に位置を変えて」
「分かりました。ケルク」
ケルクは、ホノが微笑んでいる様に思えた。
■深竜
多くの竜は海にいる。陸にいる竜もいる。そして、深い海にいる竜もいる。
それぞれを海竜、陸竜、そして、深竜と竜人は呼んでいる。
深竜と竜人は滅多に出会わない。深竜が浅いところに来る事は稀だからだ。
海竜と違い、深竜は首をもたげず、体は真っ直ぐだ。その違いで分かる。
そして、深竜は、他の竜と違い、水中から酸素を取り込む事ができる。だから水面に出るのはとても珍しい。
位置を変えたケルクの前に、深竜がいた。
その深竜は、眠っている様だった。
「ホノ。深竜が起きるのを待とうと思う。竜人は寝起きが悪いから、深竜もそうだと」
多分、相当不味い事態になる、とケルクは思った。
「はい、ケルク。深竜に変化があればお知らせします」
ケルクはしばらく待つ事になると思った。
しかし、それ程待つ事はなかった。
「ケルク、深竜が目を覚ましそうです」
深竜は双眸を開いた。そしてケルクを見た。
ケルクは、深竜の瞳に自分の姿が映るのを見た。
ケルクはその時、初めて自分の姿を鮮明に知った。
体の色は白く、頭部には、ミルキークラウンのような六つの突起がある。
こんな姿、見た事無い。そうケルクは思った。
自分が入った体が、少し奇妙だと思うが、それ程の違和感を感じなかったのは、ホノと一緒だと思うからだと、ケルクは想った。
「もしかすると、あなたは、『見守るもの』ですか?」
ケルクに深竜が、竜の言葉、つまり、電磁波の言語で話しかけてきた。竜人も電磁波の言語を使う。だが、竜人と竜の言語は、微妙に違う。ケルクは竜の言葉が理解できた事に驚いた。以前は部分的にしか理解できなかったから。それが、明瞭に分かる。
「ケルク、竜の言葉を聞き取りやすい様に補正して伝えています」
ホノが補助してくれていたんだ。ケルクは得心した。
ケルクは深竜の質問の意味を考えた。
「見守るもの」とは何だろう?
もしかすると、この深竜は、以前にも自分と似た様なものを見た事があるのかも知れない。
だが、ケルクは「見守るもの」を知らなかった。
知らないと思ったが、思い出した。
女神の伝説の続きだ。
その中に、確か、「見守るもの」というのが出てきたと、思い出した。
昔、竜人がまだ竜だった頃、天から女神が舞い降りて、竜の呪いを解いて行った。その後、見守るものが現れ、女神に導かれ、姿を消した。
「私は『見守るもの』ではありません。『見守るもの』と似ていますか?」
ケルクは、深竜に尋ねた。
「伝承の記憶の『見守るもの』の姿と、あなたの姿はとても良く似ています」
伝承の記憶。
伝承の記憶は、ある竜が体験した事を別の竜に、視覚、聴覚、電磁波を含めて伝達する能力の事だ。そして、重要な記憶だけが受け継がれていく。口伝の様なものだが、その情報量は多く、映像記憶そのままが伝承される、と考えて良いだろう。
竜人が失った能力の一つだ。
竜人は、伝承の記憶の代わりに、マナの箱に記憶を止める。
ケルクは、伝承の記憶の事は知らなかったが、マナの箱が記憶を止める事は知っていたから、似た様なものだろうと理解した。
「始まりの竜は、女神に出会い、そして、見守るものにも出会った。あなたのその姿は、見守るものと同じ様に見える」
ケルクは、もしかしたら竜の星の衛星軌道のあの卵の様なものは、「見守るもの」の家で、この体は「見守るもの」の体、なのかも知れないと思った。
後でホノに聞いてみよう。そうケルクは思った。
「私はケルク。妖精で、多分、『見守るもの』の家でこの体を見つけ、この体を手に入れました」
「その家を見せてください」
深竜の申し出にどう応えたら良いか、ケルクは考えた。
伝承の記憶とマナの箱への記憶の封印が同じ様なものだとしたら、同じ様にすれば良いのではないかと、ケルクは考えた。
ケルクは、「見守るもの」の家を見た時の様子を、竜に向かって放射した。
「なるほど。この星のずいぶんと高い所に、その家はあったのですね」
深竜の言葉に、伝達がうまくいったとケルクは思った。
「その家の中に、この体があり、その中の空洞に入ったら、体を得る事ができました」
深竜は瞬きをした。おそらく同意のサインなのだろう、とケルクは思った。
「質問があります。ケルク、あなたは何故、ここに来たのですか?」
ケルクは、その理由をどう伝えれば良いか、少しの間考えた。別に秘密にする事ではない、とケルクは思っていたが、だが、気持ちはどう伝えたら良いのか、分からなかった。今まで、気持ちを伝えた事が、なかったのだから。
と、ケルクが考えた時、有ったと気がついた。
ローザに自分の気持ち、気分を伝えた時の事を。友達だと。あなたといると安らぐと。
「昔、私の友達だった竜人、もう死んでしまっているその友人と逢いたい、と思っています。その方法を知りたいから、女神に逢いたいのです」
電磁波の言葉に、ケルクの思いが乗って、深竜に伝播した。
深竜は再び、瞬きをした。
「あなたの強い思い、わかりました。ただ、女神に逢う方法、私は知りません」
ケルクは、落胆した。そういう気持ちを味わった。
「しかし」
落胆したケルクは、深竜の言葉を聞き損なう所だった。意識を深竜に向ける。
「西の島に、女神を崇拝する竜人が居ます。彼らなら女神に逢う方法を知っているかも知れません」
ケルクは落胆して光を失った心に、一筋の光明が差し込むのを、視界が少し明るく感じられるのを、体感した。
ありったけの感謝の気持ちを込めた電磁波をケルクは深竜に放射した。
深竜は瞬きした。
「深竜は、ケルクの旅が上手くいきます様に、という気持ちの様です。電磁波パターンと行動サインからそう読み取れました」
ホノの言葉がケルクに伝わった。
「あなたが女神に遭われたら、こう伝えてください。あなたの小さい竜は、今もなお、竜達の心の中に生きています、と」
ケルクは、その深竜の言葉が、とても重い意味を持っているのだろうと、感じた。
ケルクは「必ず伝えます」と言った。
そして、ケルクは深竜の前から消えた。
■作戦
ケルクは元の水面にいた。
「ケルク、深竜が言った『西の島』は、おそらくこれだと思います」
ケルクの視野に地図が浮かび、そこに赤いマークと青いマークが表示されていた。
「赤いマークが現在位置、青いマークが『西の島』です」
これがあれば、カヤックで外海に出ても迷わない。
とケルクは思った後で、移動するのにカヤックを使う必要は無いし、位置を変えるだけだと気が付いた。
妖精の頃と、全然違う何かになった事に改めて気が付いた。
ケルクはホノに聞きたいことがあった事を思い出した。
「ねえ、ホノ。深竜が言った『見守るもの』って」
「はい、ケルク。おそらくこの外殻と同じものだと思います。この外殻は予備ですから、本来の外殻の事を深竜は行っているのだと思います」
「本来の外殻って?」
「プロセスが入っている外殻です」
ケルクはまた分からない言葉が出てきて戸惑った。
「プロセスって?」
「電磁波的な存在です。ごめんなさいケルク。私は予備の外殻のサポートシステムです。プロセスの事は詳しくありません」
ケルクはホノがしょげている様に感じた。
ケルクは柔らかい感謝の気持ちを、深竜にやった様に放射した。しかし、それは外側へではなく、内側へ。
「ありがとう。ホノ」
ケルクは体に走る小さな震える様な感覚を覚えた。
「『見守るもの』についての私の推論です。本来の外殻とすると、この星の何かの異常事態を見つけた場合、それを調べる様になっているはずです。おそらく、女神の伝説の女神が呪いを解いた、という事で、『見守るもの』が起きて、竜と出会い、そして女神と共に消えた、という事だと思います」
ケルクは閃いた。
「ねえ、ホノ! その本来の外殻と話せたら女神のいる場所がわかるんじゃ無いかな?」
体に弱く柔らかいが少し痺れる様な感覚を覚えた。
さっき、ホノがしょげていると思った時に感じたのと同じだ、とケルクは気が付いた。
「ごめんなさい、ケルク。本来の外殻との通信は途絶していて、話す事はできません」
ケルクはホノに無理を言ったと思った。
「こちらこそごめん。ホノを困らせるつもりはなかった」
ケルクは、ホノは何でも知っていると思っていた。しかし、ホノもそうでは無く、そう思う事がホノの負担になるかも、と思った。
「ホノ、西の島に行ってみよう」
ケルクは、体にほんの少し、チリチリというか低い唸りの様なものを感じた。
「ケルク、その前に、竜人について教えてください」
何故だろうと、ケルクは思った。
「さっきはあまり用意をせずに深竜と会いました。特に問題はなかったので良かったのですが、事前に準備できる事は準備すべきでした」
そうか、だから竜人が居る島に行くから、竜人の事を知りたいと。
「竜人は、呪いが解けた竜から進化したと言われていて、竜からマナを取って、マナの箱に蓄えている。マナの箱はいろいろな事のできる道具で、遠くの竜人と話をしたり、記憶を保存したりできる」
「ケルク。あなたは、妖精はマナの箱から生まれる、と言いました」
「ホノ、そう。妖精はマナの箱から生まれる。竜人がマナの箱を使う手伝いをするんだ」
「ケルク、竜人は妖精の事をどう思っているのでしょう?」
「大抵の竜人は妖精の事をマナの箱を使うための」
ケルクはここで言葉を紡ぐのを、苦しいと思った。
「道具、と思ってる。そうじゃ無い竜人もいるけど」
いた、だ。ケルクは思った。
「ローザ、ですね」
「うん」
「ケルク、言いにくい事を聞いてすみません。でも、大事な事を教わりました」
ケルクは、なんだろう? と思った。
「ケルクは先ほど、深竜に自分の事を妖精だと名乗りました」
「うん」
「西の島の竜人に、そう名乗ると」
そうか!
「竜人はケルクを軽んじて、女神の事を教えないかもしれません」
どうしたら良いだろう。
ケルクは考え込んでしまった。
「ケルク、私は『見守るもの』と名乗るのが良いと思います」
「え?」
「本来の『見守るもの』は、女神と共に消えました。新しい『見守るもの』としてケルクは現れ、前の『見守るもの』の事を竜人に尋ねるのです」
そうか。それなら自然と女神の話になる。
「ホノ、あなたは賢い」
ケルクは体に走る小さな震える様な感覚、つまり、ホノが喜んでいるのを感じた。
「私は竜人に『新しい見守るもの』と名乗って、前の『見守るもの』の事を調べている、と言うんだね」
「はい、ケルク」
「わかった、ホノ」
水面に浮かんでいたケルクの姿は消えた。夜空には竜が作るオーロラが美しく輝いていた。
■西の島の女神崇拝者
ケルクは西の島の入江に位置を変えた。
入江には、何人かの竜人がいた。
竜人は、突然現れたケルクに驚いた。突然現れた事も十分に驚くに値したが、ケルクの姿があまりにも竜人と異なっていたためだった。
背に笹の葉のような形の六枚の羽のようなもの。そして頭部には、ミルキークラウンのような六つの突起。体は全て純白。
竜人は驚きのあまり、言葉を失っている様だった。
「ケルク、こちらから話しかけた方が良さそうです」
何者だ、と問われると思っていたケルクは、ホノの意見に賛成して、竜人七人の内、体格の大きな竜人に話しかけた。体にある装飾が立派だったからだ。
「私は、『新しい見守るもの』。以前いた『見守るもの』について知りたい」
その言葉を聞いた竜人達は、互いに何やら話始めた。
驚いている上に、突然の展開に混乱している竜人達の話は、しばらく続いた。
話すうち、興奮が収まってくると、ケルクの事を「見守るもの」、女神の伝説の「見守るもの」の仲間、と理解した様だった。
ケルクが話しかけた体格の大きな竜人が、ケルクに言った。
「『新しい見守るもの』様。私は狩の長、ロイと申します」
体格の大きな竜人はそう言うと、右手を胸に当て、跪いた。それに続く様に六人の竜人も同じ様に右手を胸に当て、跪いた。
「私達は、女神崇拝者です。女神様と共に消えた『見守るもの』様の事、私達の知る限りの事をお教え致します」
ケルクは、竜人のやたらと丁寧な口調に奇妙な感覚を覚えていた。そして胸に疼く様な小さな痛みを覚えた。
「ケルク、落ち着いて」
ホノの言葉がケルクに届いた。その時ケルクは初めて自分が興奮している事に気がついた。
何故、私は興奮しているんだろう。
ケルクがそう思ったら、かき消すようにケルクの興奮は小さくなり、そして消えていった。
「女神様の伝承を描いた古い壁画が、この先の洞窟にあります」
危うくケルクは、体格の大きな竜人、ロイの言葉を聞き損なうところだった。
「そちらにご案内致します」
ケルクは、首肯して同意を示した。
竜人達は、ケルクに背を向けると、歩き出した。しばらく浜辺を歩くと、先の崖に洞窟があった。
先頭の竜人、ロイは洞窟目指して歩いていく。一番最後の竜人は、チラチラとケルクの方を覗き見る事があった。ケルクが宙に浮いたままついて来るのに興味をそそられたのかも知れない。
ケルクは、この竜人は女性かもしれないと思った。珍しい、と。
狩は大抵男性が行う。例外はある。ローザだ。
その女性の竜人を見て、ケルクはローザの事を思い出していた。
ケルクは一番古い妖精だった。妖精が次々と生まれてくると、ケルクはまだ幼かったローザに与えられた。
ケルクが居た竜人の家は裕福だった。子供にはマナの箱は贅沢なおもちゃだったが、家には余裕があり、家長はローザを可愛がっていた。
ケルクがマナの箱から出てくると、ローザは目を輝かせて喜んだ。
そしてローザは、ケルクと遊んだ。ケルクもローザと遊ぶのが好きだった。
ローザが大きくなると、ローザは狩を行う様になった。ケルクを連れて、竜からマナを採った。
ある時、なかなか竜が見つからなくて、夜明けが近い時、竜を見つけたローザは狩を行った。竜から空に打ち上げられるマナを盗み取るのだ。
しかし、狩が終わる前に夜が明け初め、竜が動き出した。その波でカヤックは揺れた。ローザは海に落ちた。
「こちらです」
ケルクは竜人ロイの言葉で、洞窟の中にいるのに気が付いた。思い出に浸っている内に洞窟の中に入っていたのだった。
ロイが右手で指し示す先に、壁画があった。
ロイは手に持っていたマナの箱の光りで壁画を照らした。洞窟に入ってから、マナの箱のマナを光りに変えて照明の代わりにしていたのだった。ロイ以外の竜人の同じ様にマナの箱を照明がわりにしていた。
ケルクは、照らされる前から壁画の様子が見て取れた。外殻の視覚は竜人よりも遥かに感度が高く、鮮明だった。
「呪いが黒い竜を生み出しました。これが、その黒い竜の壁画です」
壁画の黒い竜がマナの箱の光りで浮き上がった。
首の長い大きな竜。真っ黒に塗られている。よく見ると、黒い渦巻模様が身体中を覆っているのと分かる。
「この黒い竜は、子供を殺します。それが呪いです」
マナを集めて天空に飛ばしオーロラを作る。それが竜の本能。ところがオーロラを作れなくなった竜は、黒い竜になり、自分の子供を殺す。そういう呪い。
「呪われた母竜は、女神に助けを求めました」
ロイは、マナの箱の光りを右に動かした。
照らし出された壁画には、黒い竜の上に、二柱の女神の姿があった。一人は黒い髪。もう一人は赤い髪。
「赤い髪の女神は、竜の言葉が分かりました。竜から話を聞くと、呪いを解く方法を探しに、もう一人の女神と神の国に帰りました」
ロイは、再びマナの箱の光りを右に動かした。
そこには、黒い髪の女神が、扇の様なものを持って、舞を踊っている様な姿が描かれていた。
「戻ってきた黒い髪の女神は、舞を舞うと、黒い竜の呪いを解きました」
ロイは、また、マナの箱の光りを右に動かした。
照らし出されたのは、青い丸だった。
「再び女神が訪れると、黒い竜だけではなく、全ての竜の呪いが解け、この星が光り輝いた、と伝えられています」
ロイは、視線を壁画からケルクに移した。
「ここから『見守るもの』の話になります」
ロイは再び壁画に視線を戻した。そして、マナの箱の光をさらに右に動かした。
「この星が光り輝いた後、黒い竜の子供の竜の前に、『見守るもの』が現れました」
壁画には、小さい竜とケルクの今の姿に似た「見守るもの」の姿。そして黒い髪と赤い髪の女神の姿が描かれていた。さらに、黄色い髪の女神と、光り輝く女神の姿も描かれていた。
「『見守るもの』は、四人の女神に導かれ、神の国へと旅立ちました」
そう語り終わると、ロイは視線をケルクに移した。
「貴方様が現れるまで、『見守るもの』を見たものはおりません」
ロイが語ったのは、ケルクが知る女神の伝説とだいたい同じだった。
ただ、物語が詳しくなっていたのと、女神が二人ではなく四人になっていた事が違っていた。
「この壁画とその話は、誰が?」
ケルクはロイに尋ねた。
「壁画は偶然見つけました。話は、その」
と言うと、ロイはそれを指差した。
それは、マナの箱の様だったが、少し違っていた。
マナの箱は、竜の骨を使って竜人が作る。
それ、は竜の骨、そのものだった。
「竜の骨の記憶です」
竜の骨は、記憶を宿す。それを竜人が読み取ったのだ。
「竜の骨からは記憶はもう失われています。私達女神崇拝者は、その記憶を語り継いでいるのです」
「壁画は、もしかしたら初めにその竜の骨に触れた誰かが、その記憶を描いたのかも知れません」
洞窟に行く時、ケルクをチラチラと見ていた女性の竜人が言った。
ケルクは、その竜の骨に近づいた。ロイ達が傍に避け道を開けた。竜の骨に触れた。
確かに記憶は無くなっている様だ。それに相当古い骨の様だった。
「ケルク。骨の下の方」
ホノが骨の下にマークを付けて、示していた。
「ここに何かあります。物体ではなく、素粒波が。」
「素粒波?」
「マナの様なものですが、マナよりも」
ここでホノは、説明に詰まった様に言葉を区切った。そして続けた。
「ケルクに近いものです」
「妖精?」
「の様なもの、でしょうか。うまく説明できません。あ、視覚を調整します」
ケルクは見ている世界が急に変わったのに驚いた。
薄暗かった洞窟が、淡い光りに包まれていた。そして、マークのついた所には、濃い水色の光りがあった。
ケルクは、その水色の光りに触れようと手を伸ばした。
触れた、と思った時。
よく分からない何かがケルクの意識の中に流れ込んできた。
同時に、ホノの悲鳴の様な、ノイズの様な声がケルクの意識に響いた。
そして、それらは始まったのと同じ様に急に止まった。
洞窟の静寂が、体を締め付ける様だと、ケルクは思った。
「ケルク、判読不能な素粒波の情報でした。量が膨大すぎて、一時シャットダウンしました。大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。ホノ」
ケルクは、マークの位置を見た。濃い水色の光りは消えていた。いや、竜の骨が水色に光っていた。
「ホノ。素粒波というのが、竜の骨に移ったみたいだ」
「視覚を元に戻します」
ホノがそう言い終わると、ケルクの視界が元に戻った。
ケルクは、再び、竜の骨に触ろうと手を伸ばした。
そして触れた。
「この本を読むものの内に秘めたる、道理では叶わぬ切なる願いを書け」
ケルクは、初めホノが言ったのかと思った。
しかし、そうでは無いと、何故か判った。
そして願いを、女神に逢いたい、という願いを、マナに込めて竜の骨に注いだ。
「ケルク! 素粒波が!」
ケルクが聴いたのは、ホノの悲鳴にも似た声だった。
ロイ達竜人は、ケルクが消えたのを目撃した。
ケルクが触れていた竜の骨が少し動き、微かな音を立てた。
その音が洞窟に反響し、響いていた。
■ミア
ケルクは意識を取り戻すと、体が狭い空間の中にいる事に気が付いた。
ここは、そうか。「見守るもの」の家の中だ。
ケルクは、ユニットの予備外殻の格納庫に戻っていた。
「ケルク。すみません。緊急離脱しました。ユニットに戻りました。システムチェックが終わりました」
「ホノ。大丈夫?」
「ケルク、外殻に異常はありません」
「違うよ。ホノは大丈夫なの?」
少しの沈黙の後、ホノは「大丈夫です」と言った。
ケルクは安堵した。あの時聞こえた、ホノの悲鳴。
「何が起こったの?」
「残念ながら、ケルク。詳しい事はわかりません。ただ、この外殻の許容量以上の素粒波変動の予兆を検知したので、緊急離脱しました」
ケルクは考え込んだ。
あの竜の骨はなんだったんだろう。それにあの言葉。
「ホノ、『この本を読むものの内に秘めたる、道理では叶わぬ切なる願いを書け』という言葉が聞こえたんだ」
「ケルク、私にはその言葉は」
ホノは少し魔を開けた後、「聞こえませんでした」と言った。
ケルクは、ホノはまだ元気じゃ無いんだな、と思った。
ケルクが消えた後、竜人達は洞窟を出て行った。
狩に出るためだ。しかし、ケルクを洞窟に案内したため、狩を行う時間が足りないと、狩は中止になり、解散した。
空の片側が明るくなり始めていた。竜は夜オーロラを作る。日が昇ると狩は行えない。
明るくなり始めた浜辺を、一人の竜人が洞窟に向かっていた。小さな光りと一緒に。
「ねえ、ミア。やっぱり止めようよ。ロイに叱られるよ」
小さな光りが竜人に話しかけた。
「今しかないのよ、キュイ。夜が明けたら『見守るもの』が現れて、あの竜の骨に触った話が広がって、もう調べられなくなる」
小さな光りに竜人、ミアが答えた。ケルクを案内した竜人の一人で、ケルクをチラチラと見ていた竜人の女性だった。
「ああ。ミアはその好奇心で、その内身を滅ぼしちゃうよ」
小さい光り、妖精のキュイが言った。
「大妖精のケルクみたいに、持ち主を失って祭礼所に祀られるのはゴメンだよ」
キュイの声に、ミアは急に立ち止まると、キュイを睨んだ。
「不吉な事言わないの」
小さな光は、一瞬さらに小さくなった。
「ごめん」
ミアはふっと息を吐き出すと、再び歩き出した。
「それと、私のは好奇心じゃなくて、探究心」
「はいはい」
ミアとキュイは洞窟の中に入った。ミアは真っ暗な洞窟の中をマナの箱の明かりもつけずに進んでいった。
「あった」
ミアはあの竜の骨を見つけた。
手を伸ばす。
小さな光りが、ミアの手元に近づいた。
「大丈夫?」
「そう祈ってて」
ミアは手を伸ばし、竜の骨に触った。
ミアの脳裏にある言葉が響いた。
「この本を読むものの内に秘めたる、道理では叶わぬ切なる願いを書け」
ミアは、ケルクがやった事を思い出した。そうだ、マナを竜の骨に注いでいた、と。ミアはマナに願いを込めれば良いと考え、願いを込めたマナを竜の骨に注いだ。
途端、ミアは、世界が歪む様な感覚を覚えた。洞窟が歪み、足元が無くなり、体が落下していく。無限に。急に足元に洞窟の感覚が戻る。
気づくと、ミアは元の姿勢のまま。竜の骨にマナを注ごうと、跪き人差し指を骨に添えている姿勢のままだった。
ミアは溜めた息を吐き出した。
「ミア、大丈夫? さっき何か変な感じがしたんだ」
「大丈夫。ちょっと目眩がしただけ」
そう言うとミアは立ち上がった。
洞窟を出ると、明け始めた空がミアの姿を浮かび上がらせた。
ミアの周りを小さな光りが、心配そうに回っていた。
ミアはキュイに微笑むと、まだ残っている星空を見上げた。ミアは小さく言った。
「この世界の真理に辿り着けます様に」
遠くの方から、竜の歌う様な泣き声が聞こえてきた。