発動
この物語は、「玄雨雫シリーズ」の「結び目の巫女」の続きになります。
「安寧の巫女」「竜使いの巫女」「結び目の巫女」の順に読まれた後、読まれますと、登場人物、設定が分かりやすくなります。
■プロローグ
「また、マナの箱で記憶を見てるの?」
「うん」
「島々を巡った竜人の記憶を集めたものだよね。それ」
「そうだよ」
「面白い?」
「面白い!」
「ほんとにローザは、そういうの好きだね」
「あたし、大きくなったら、狩をする人になって、島の外、見て回るんだ!」
「大きくなったら、ね」
「もう、ケルクったら。そうだ、ね!ケルク」
「何?ローザ」
「狩をする時は、ケルク手伝ってね」
「え〜〜。そうだなぁ、どうしようかなぁ」
「手伝ってね!」
「まあ、ローザが狩するの、認められたら、考えようかなぁ」
「もう、ケルクの意地悪!」
「あー。分かった、分かった。そうなったら手伝うよ」
「約束する?」
「分かった。約束する」
「やったー。ケルクと狩をするんだ。嬉しいなー」
「ローザ。そろそろ寝ないと、お姉さん達に叱られるよ」
「あ」
「じゃ、ローザ、お休み」
「おやすみ。ケルク」
■「本」
「来ました」
ユイが雫に告げた。
早朝、雫は舞を舞う。舞舞台上手袖で、正座し雫の舞を見ていたユイが告げたのだった。見ていた、というのはやや正確では無い。ユイは目を閉じている。ユイは世界の中心にある万能の器物、塩の石臼のメッセンジャーだ。
雫はその言葉を聞くと、舞を止め、扇を閉じた。ごく僅かに首を傾げると、目を細めた。
舞舞台下手袖を向くと、そこに居るアオイに言った。
「アオイ。アカネの様子を見てきて欲しい」
アオイは頷くと、双子の姉妹のアカネの様子を見に行った。双子ではあるが、アオイはアカネの母親でもある。
「雫さん、今回は時の結び目では無いようです」
ユイが雫に告げた。
雫は、ユイに視線を移した。
「それは何より」
前回、雫が塩の石臼と邂逅するに至った事件は、時間が多重に絡み合ったものだった。それ故、かなり厄介な事、だった。
「しかし、ここからは、かなり遠い時の線」
ユイの言葉に雫は頷いた。
そこにアオイが戻ってきた。小走りで。足運びに従うように金髪が左右に揺れた。
「雫師匠。アカネが髪を真っ赤に燃やして寝ていました! まるであの時と同じように」
アオイは緊張した面持ちで雫に言った。
「やはり」
雫はアオイに向けていた視線を、ユイに戻した。
「竜の星、ですね」
「おそらく」
雫の言葉にユイが返事をした時、下手袖に繋がる廊下に灯が立っていた。
灯は雫の視線が自分に向けられると、やや強張った表情で言った。
「事が起こりました」
灯の言葉に雫は眉を潜めた。
「私に繋がる何か、どこかで、事が起こりました」
雫は体をまっすぐに灯に向けた。
「それは、仄と関係がある、という事か?」
灯はゆっくりと頷いた。
「遠い時の線、しかも、仄さんとも関係がある」
ユイのゆっくりとした言葉は、まるで玄雨神社舞舞台に漂う様に、誰に言うでもない様に、響いた。
雫はゆっくりと息を吐き出すと、右手に持った扇を帯に刺した。
■アリスの予感
「で、あたしを呼んだわけね」
舞舞台上手袖に現れたアリスは、下手袖に集まっている巫女達を眺めて、こう言ったのだった。
下手袖には、雫、アオイ、光、灯、六、そしてユイが居た。この順番で車座になっている。
顔ぶれを眺めて、アリスは言う。
「まだアカネちゃんは眠ってるのね」
雫は頷いた。
「わかってる範囲で教えて」
舞舞台を横切り、下手袖に着くと、アリスは用意されている座布団に座った。胡座をかいている。
「『本』が発動しました」
ユイが目を閉じたまま、アリスの方を向いてそう告げた。
「で、アカネちゃんが髪を真っ赤にして寝てると」
「そうだ。アリス」
雫が答えた。
「もうそれって、竜の星、しか無いじゃない」
「そうなる。が」
雫の言葉に、眉をひそめるアリス。
なんだか、嫌な予感がするわ。
「アリスさん」
アリスが声の方を向くと、灯が見つめていた。
「私に纏わる何かが、その事、に関連している様です」
キタ! 嫌な予感の正体!
アリスは、自分が冷や汗をかく前兆を感じ取った。
「灯ちゃん、それって、仄ちゃんの」
灯は頷いた。
うわ〜。また時がこんがらかってしまってるのね〜。
アリスは心の中で、自分の頭身の低いキャラクターが頭を抱えているのを感じた。
「幸いな事に、此度の件。時の結び目は生じていない様だ、とユイが言っている」
アリスは心の中で頭を抱えるのを止めて、雫を見た。
「結び目は出来てなくても、それなりの大事、なのね」
雫は頷いた。
「例によって、『本』が絡んでいる。そしてその発動をユイが感じ取った」
「正確には、私の中のイトが教えてくれました。放置するのは好ましくなく、こちらで対処可能だろうと」
対処可能だろうと、という言葉をアリスは考える。
対処できる範囲内だが、対処できるかもしれない、という意味だと。
雫は塩の石臼に一目置かれてる。そこに依頼される案件となれば、それはもう。
「はい、アリスさんのご想像の通りです」
あー、ほんとにこの娘と話をするの、手取り早くていいんだけど、馴染めないわ〜。
アリスは心の中で落としていた肩を、ぐいっと元に戻した。
「分かったわ。で、どういう段取りになるの?」
「アカネが明日の朝目覚める。そこでアカネに話を聞く。アリスに頼みたいのは」
「分かったわ。アレを用意するのね」
雫は頷いた。
「あ、あの。アレってなんですか?」
暫しの間のあと、おずおず、という感じで光が聞いた。
もし、ここにアカネが居たら、アカネが真っ先に聞いたのだろうが、どうも他のみんなはそのアレが何か知ってる雰囲気みたいだし、灯お姉ちゃんは、微妙にテンパってて聞きづらいし、ここは勇気を出して聞かないと、と、という様な事が顔の表面にびっしりと書いてあった。
ふと光は気がついた。この面々の中では自分が一番、年齢、というか、経過年齢が少ない、と。雫、アリスはもちろん、六はとんでもないし、灯も仄と一体化しているから、一体どれくらいの経験年数か計り知れない。一番近そうなアオイでさえセリスの記憶を受け継いでいる。ユイはもちろん論外だ。
はあ、と光は心の中でため息を漏らした。
そんな光のざわつく光の心中に頓着せず、アリスは言った。
「超空間通信装置よ」
あ、アリスさん。ますます訳が分からないです。
「そうね。時の線を跨いでも、通信が可能になる装置、と言った方がいいかしら」
光は、え?という顔をした。
隣で灯がギョッとした様な表情になった。
その隣で、六が、いや六はそのままだったが、じっとアリスを見ていた。
「前の時、竜の星との情報伝達に光ちゃんに伝令お願いしたでしょ。あれ、あんまり良く無いなって思ってて、その前から、六から貰ったデータやら理論やら使って、霊脈の同時性とかいろいろ使って、そういう装置を開発してたのよ」
腕を組んで、アリスはサラッと言った。サラッと言ったが、その顔には、どうよ、という滲む自慢と、こんな事もあろうかと、というのが書いてあった。
「違うだろ、アリス。どうせ自分の好奇心を満たす為だろ」
雫の鋭いツッコミがアリスの臓腑を抉った。
「な、なんのコトかしら〜」
「アリスさん、メタアリスから聞いてますよ」
今まで黙っていた六が口を開いた。
え、何?
「アリスさん、最近自分の活躍の場が無くて困ってるって。なんとか冒険に混ざりたいと、そういう発明に躍起になってるって」
ぎぎぎ、という感じでアリスは首を雫から六に回した。
「自力で時の線を渡れないなら、遠隔で参加すれば良いじゃない!と叫んでいるって聞きましたよ」
ど、どこまでバレてるの。あたしのリモート時の女神計画!
「全部だ」
さらりと雫が言った。
アリスは、自分の心の中で頭身の低い自分のキャラクターが頭を抱えて叫び声を上げているのを感じた。
「だから、アリスにお願いしている」
雫は真摯な目でアリスを見て、よく通る声でそう言った。
「アリス自身が時の線を渡るので無ければ、私が反対する理由は無い」
その声は優しかった。アリスは、雫の言葉が胸の奥に染み渡るのを感じた。
そして、策謀家を自認するアリスは、素直に雫が上手である事を認めた。
努力を認め、成して良い、と雫は言っているのだと、アリスは判った。
くすり、とユイが笑いを漏らした。
「失礼しました。しかし、どうしてアリスさんは、これ程の方々に秘密で策謀を練られると考えられるのかと、思ってしまって」
きゃ〜〜〜! 止めて〜〜〜!
アリスは、心の中の頭身の低い自分のキャラクターが両耳を塞ぎ、悲鳴を上げているのを感じた。
「それはちと違う。ユイ」
ユイは雫に顔を向けた。
「アリスは、別に策謀をめぐらしていた訳ではない。己が好奇心に忠実なだけだ。それと言わないのは、アリスの美学と、娘への愛情だ」
ユイはゆっくりと頷くと、アリスの方を向くと、頭を下げた。
「失礼いたしました」
ふう。アリスは心の中で安堵の吐息を吐いた。まあ、隠し事が習い癖、というのを美学と言い換えて、ミニアリスと言われるアカネが妙な事をしでかさない様に秘密にする、というのを娘への愛情、と言い換えれば、雫の言う通りだし。ああもう、あたしこのメンツが揃うとどうしていつもこんな感じになるの!
アリスは心の中の、秘密の小箱に心の叫びを注ぎ込むと、蓋を閉じた。蓋を閉じると、その心の叫びは木霊を従えて小さくなって消えていった。
因果応報だ、アリス。今まで人をいじってきたツケが回ってきたのだ、と雫は心のどこかでそういう声が聞こえた気がしたが、それはアリスに可哀想だと、その声をなだめた。
「分かったわ。超空間通信装置は大体完成しているし、テストケースとしても十分」
超空間通信装置、ちょっと長いわね。それに正確には空間だけじゃないし。
「明日、言霊一号を用意するわ。名前は今決めた」
「良い名だな」
「でしょ? 元々、リモート時の女神の通信装置で、特に名前はつけてなかったんだけど。今回は重要になりそうだから、ね」
アリスは立ち上がった。
「そうと決まれば、準備準備。アリスお姉さんは、向こうに戻って支度をするわ。色々と、ね」
ウィンクするやアリスはそそくさと舞舞台を横切ると、上手袖に設置してある固定化された「空の穴」に向かった。が、その前で足を止めた。
「あ! 大事な事、確認するの忘れてた。大丈夫だと思うけど、念のため。アカネちゃんは大丈夫なのよね!」
「大丈夫、ママ。髪は真っ赤だけど、すやすや寝てたわ。気脈の乱れもなかった」
アオイがアリスにそう言うと、アリスはふう、と息を吐き出した。
そして頷くと、固定化された「空の穴」に消えた。
アリスが消えると、雫は六の方を向いた。
「アリスは、その『リモート時の女神』というのを用意する気だな。どんなものか、詳しく知っているのか、六?」
「いいえ、雫さん。メタアリスもセキュリティです、と言って、詳しいことは教えてくれませんでした」
もちろん六がメタアリスに侵入すれば情報の入手は可能だろう。しかし六はメタアリスとの信頼関係を大事にしている。だからそんな事はしない。
雫は、視線の端に光の顔が目に入った。
え? 全部知ってるんじゃないの? と光は思った。それが顔に書いてあった。
雫は光の方を向くと、優しく言った。
「アリスの欲求と行動は大体分かる。あいつは竜の星に行きたがっていた。だから、必ず行く。その方法を突き止める。その第一段階が通信というくらいは六から聞いていた」
六が頷いた。
「それに、アリスは地球を離れられない」
雫は小さくそう言った。
その言葉で、光は気がついた。時の線を渡ると、女神同士のリンクが途切れる。女神のリンクが途切れるなら。
「アリスとサーバントリンクが途切れたら、世界統治に異変が起きる。アリスはそれを望まない」
かつて雫は弟の「あと」の呪いで日本に縛れていた。そしてそれが解けた後も、日本を長く離れると安寧の霊脈が乱れる為、日本を離れられなくなった。
しかし、塩の石臼との邂逅で、雫の影響範囲は拡大し、遠くまで、そう、とても遠くまで離れても、安寧の霊脈との接続は途絶えなくなった。
立場が逆になったな。
雫は少し、胸の内に小さな痛みを感じた。
だが、アリスならそれを乗り越える手を考え出す。そしてまず一つ見つけた。流石だな。
だからこそ、秘密にしなければならないことがある。
雫はアリスが消えた舞舞台上手袖を見て、そう思った。
■アカネ目覚める
翌日、雫が言った通り、つまり、雫の占いの通りアカネは目を覚ました。
巫女一同、舞舞台下手袖に集まった。もちろんアリスも。
アリスは、何やらアタッシュケースの様なものを持って固定化された「空の穴」から現れた。
恐らくそれが、言霊一号なのだろう、と皆思った。
下手袖には、雫、アオイ、光、灯、六、そしてユイが居た。この順番で車座になっているのは昨日と同じ。違うのはアオイと光の間にアカネがいる事。そして、雫とユイの間に、昨日と同じ様にアリスが座った。
さて、全員が座につくと、雫が口を開いた。
「アカネ、体調はどうだ?」
「雫さん、大丈夫です!」
口調も顔色も気脈も元気一杯だった。どちらかと言えば、少し上気している様にも思えた。
「竜の星に呼ばれました!」
なるほど、アカネはいつも竜の星に行きたがっている。もちろん一人で行けなくも無いが、勝手に行くとアオイが心配する。だから他の人が行く機会があれば同行しようと、いつも機を窺っている。そんなアカネに行く口実が降って湧いたのだから、上気するのも当たり前と言えよう。
雫は同意の印に頷くと、尋ねた。
「どんな夢を見た?」
ここでアカネ、ちょっときょとんとした顔になった。
あれ?
「ん〜〜。呼ばれた事は分かるんですけど、前みたいにはっきりしない、です」
語尾の方はぼんやりとした感じになった。
「分かっている範囲でいい。断片的でも構わない」
雫はアカネに優しく言った。
アカネはしばらく虚空を眺めていたが、ぽつりぽつりと話し出した。
「気がつくと竜の星に居ました。いつもの景色です。空にはオーロラ。竜の鳴き声」
あ!
アカネは、驚いた顔をした。
「思い出しながら話し出したら、思い出した!」
そう言うと、アカネは六を指差した。
「六が居たの!」
え? 光は少し顔を前に出した。文字通り顔に、え?と書いてあった。
「あ、う〜んと、ちょっと違う。一番初めに会った時の六が居たの!」
「つまり、外殻をこの形状に変える前の、派遣者の姿のものが居た、という事ですね」
六は、アカネの言葉を補った。六は玄雨神社に来て、姿形を変えて、灯と同じ年格好の巫女の姿に変わった。その変わる前の姿が、派遣者、の姿だった。
「そう! 六の後、やってきた他の人と同じ姿と同じ!」
雫と六は顔を見合わせた。
奇妙だ。
他の派遣者は、霊脈ベースに移行し、すべて元のユニットに帰投している。現在活動している派遣者は、六だけのはずだった。
「それとね」
そう言うと、アカネは考える様に小首を傾げた。
「ん〜。人間みたいなのが、居たの。でもちょっと違うなぁ」
アリスの視線に気がついた雫は、アリスの意図を汲んだ。
「アカネ、気脈を結んで、皆にそれを見せてはどうか」
「あ、それがいいです! 雫さん!」
言った後、アカネは口を窄めると、自信なさそうに小さい声で言った。
「ちょっと変な感じの夢で、ぼやけてるから、分かりにくかったらごめんなさい」
「大丈夫よ。アカネちゃん」
アリスが声をかけた。
「うん!」
アカネはそう言うと、扇の先で自分の気脈を取り出すと、それを座の中央に伸ばした。
そして扇を開き、緩やかに手首を使って一回転させると、伸ばした気脈が分裂して、他の巫女達の額に繋がった。
「上達したな、アカネ」
雫が褒めた。アカネは嬉しそうだった。
光は少し複雑な気持ちだった。妹弟子のアカネに追い越されそうな感じ、少しの焦り、そういう気持ちが混ざっていた。
光は、自分の左手に手が添えられるのを感じた。
『大丈夫。光も、もう一人の光を取り戻して、すごく術が上達しているわ。お姉ちゃん、ちゃんと判ってる』
読心の術を使って、灯が光に語りかけていたのだった。
『ありがとう、お姉ちゃん』
『光は、まだ完全にもう一人の光と馴染んで無いから、不安になるの。その内馴染むから、大丈夫』
そうか。最近、少し自分でも情緒不安定、と思う事があるのは、そういう事か。そう光は思った。
もう一人の灯と一つになり、その上、仄、つまり二十三人の灯と一つになった。
お姉ちゃん、すごいなぁ。あたしも頑張ろう。光は心中で、そう思った。
「始めます」
アカネはそう言うと目を閉じた。
元から目を閉じているユイを除いて、他の巫女達も目を閉じた。
光の目の前に、ぼんやりとした光景が浮かんだ。
どこかの洞窟の中?
自分の指先が、何かに触れている。
そう思った途端、あの言葉「この本を読むものの内に秘めたる、道理では叶わぬ切なる願いを書け」が頭の中に響いた。
「女神に逢いたい」
その思いが、脳裏に轟いた。まるで光りの柱が突然頭の中に出現した様な感じだった。そしてそれはやがて消えた。
頭の中の光りの柱が消えた後は、奇妙な動きだった。
洞窟の中で自分の指が何かに触れている。そして、指が何かから離れる。
次はその何かの視線で、指の持ち主の姿が見えた。六だ。いや、六と同じ派遣者の姿だ。背に笹の葉のような形の六枚の羽のようなもの。そして頭部には、ミルキークラウンのような六つの突起。
その姿が後ろ向きに進んで行く。
派遣者の側に、人間の様な何かが居た。七人だった。目は大きい。人間と違い虹彩が縦になっている。皮膚は滑らかで体毛は無い。頭髪に似た柔らかい角のようなものが頭部を覆っている。頭髪と違い、かなり太い。顔の形状は人間に似ているが、鼻の隆起はなだらかだった。
その七人も、派遣者について行くように、宙に浮く派遣者とは違い後退りしながら、視界の外に消えていった。
次に、また、その何かに触れる自分の指が見えた。
途端、またあの言葉「この本を読むものの内に秘めたる、道理では叶わぬ切なる願いを書け」が頭の中に響いた。
同じように頭の中の光りの柱が現れ、言葉が響いた。
「この世界の真理に辿り着けます様に」
そして、同じようにその何かの視線になると、あの七人の人間みたいな生き物の一人、何故かそう分かった、その一人が同じように後退りしながら、視界から消えていった。
その後、アカネが初めに言った通り、竜の星の夜空が見えた。竜が作るオーロラが見えた。相変わらず美しかった。
そこで視界の中が玄雨神社に戻った。アカネが目を開けたのだ。
ユイを除く全員が目を開いた。
「覚えている、ところは、だいたいこんな感じです。でも、初めの、その派遣者の人と後の人間みたいな人のところって、夢の中だと同時に見えてたんです」
アカネは扇を降って、全員の額に繋いだ気脈を自分の気脈にまとめると、その気脈を体に戻した。
「あの後退りしたのって」
その事に気がついた光は雫に言った。
「時間が逆回しになっていた、と言う事ですね。あの時の心象と同じ」
時の結び目に囚われたもう一人の光。その光に分裂した時の記憶の事だった。
「恐らく」
雫はそう言うと、少し考え込んだ。
「重要な箇所は、『本』とその願い。そしてそれから時間が逆回転したように見えたのは」
雫はアカネを見た。
「アカネの気脈が元の世界に戻ろうとしたため、と考えると、その『時』は、いつも行く竜の星の『時』より未来、と言う事を示している」
「はい、雫さん。最後に見た竜の星の星座の形状を照合しました。私がこの神社に来た時より、数万年単位で過ぎているようです」
六が雫に言った。
数万年!それはまた、随分と遠い未来だわ!
目を見開いたアリスはそう思った。竜の星も遠い時の線だけど、さらにそこから数万年って、どんだけ遠いのよ!
雫は六の話を聞くと、少し考え込む様に僅かに首を傾げた。そして元に戻すと、六に質問した。
「六。竜の星の例のウィルス。あのウィルスが無くなった。その場合、進化の大爆発、つまり、地球のカンブリア大爆発の様な現象が生じる可能性はあるか?」
カンブリア大爆発。カンブリア紀に多種多様な種が発生した現象。あまりの多さに大爆発、という名称が付く程の。
「無いとは言い切れません。ウィルスの呪いを解いた、という現象は、オーロラを作れなくなったら、子供を殺す、という付加機能を無くす事。その元となる、過剰なマナ、つまり電磁力重粒子の採掘精錬を強いる機能が無くなった、という事だと思います。マナを竜自身がある程度自由に使える様になるはずですから」
「マナを十分に使えなくしていた枷が外れた。抑圧されていた進化圧が開放される」
雫は舞扇を軽く上下させた。
「進化の方向性を与える何かがあった」
「そうよね。竜から人型に進化するには、数万年は短いわね」
雫の言葉の意味を汲んだアリスが同意した。
光は気がついた。
「それならありますよ。アカネちゃんです。アカネちゃんと小さい竜です」
そうか。という表情が雫の顔に現れた。
「小さい竜は、アカネに懐いていた。そして女神が自分たちの呪いを解いたことを知っている。そういう存在に憧れる」
そうなりたいと憧れる。
「進化はなりたいものになる、という形では起こりませんが、進化の方向付けという機能は残っていると予想されます。もしそこに新しい方向性が与えられたら」
六の言葉に雫は頷いた。
「あの人型のもの。形状や状況から考えて竜から進化したものと見て良いだろう」
「じゃ、竜人、って呼ぶことで良い?」
「それで良いと思う。アリス」
雫はアリスに頷いた。
「さて、『本』に願いを書いた、この場合は一般的な『書く』というのとは違うが、本が起動したのは事実だから、書いた、で良いと思う。書いた一人は竜人。願いは『この世界の真理に辿り着けます様に』」
雫は六を見た。
「もう一人は、派遣者。しかも願いが『女神に逢いたい』」
再び雫は舞扇を上下に動かした。
「奇妙だ」
「確かにそうよね。竜人の方の願いは、まあ、分からなくは無い。その竜人、相当好奇心が強いわね」
いや、アリスさん。その竜人さん、アリスにだけは言われたく無いって思うと、思いますよ。と光は思った。同様の事をアオイも思った。
「もしかすると、私たちの事、伝説などになっていたりしませんか?」
灯が静かに言った。
「なるほど。竜の呪いを解いた事件。竜の星の伝説、もしくは伝承として残っていてもおかしくは無い。願いに女神が出てくる道理は整う」
「はい。でも雫さんは、まだ奇妙だと思われる」
雫は頷いた。
「女神に会うのは、物語なら願いを言うためだ。しかし」
ユイがすう、と息を吸った。吸っただけだが、全員の目がユイに注がれた。
「願い事を書け、という『本』。その『本』があるのに、女神に願いを言う為に女神に逢いたい、と書く」
雫はゆっくりとユイに頷いた。
「とても奇妙な事だ」
願いがあるなら、素直に『本』に書けば良い。その『本』に書く願いに、願いを聞いてくれる女神と逢いたい、と書くのはおかしい。
「もちろん、『本』に願いを書いても、『本』が願いを叶えてくれる、訳ではありません」
ユイの言葉は穏やかだった。本の性質を知っている巫女達は素直に受け取れるが、願いを書いても叶えてくれないなどと普通は思わない。『本』は質問しているだけなのである。そしてその回答を収集している。願うものの状態によっては、怪異が起こる。そういう『本』。
「しかし、その事を知っているから、願いを叶える女神を呼び出したい、というのも矛盾する」
雫の言葉は、『本』が願いを叶えないなら、代わりに女神を呼び出したい、という事だが、そもそも、『本』が願いを叶えないなら女神を呼び出したりしない、という矛盾である。
「単純に、純粋に、女神に逢いたいのでは無いでしょうか?」
光はそう言った。
「そうも取れる」
そう言うと、雫は黙った。光は、雫はその可能性も検討し、そしてまだ何かある、と考えているのだと察した。
「あの『女神に逢いたい』と言う言葉には、切実な何かを感じた。竜人の『この世界の真理に辿り着けます様に』よりも」
カチリ。アリスの手元からそういう音が響き、全員の目がアリスに注がれ、ユイは顔を向けた。
「なんだか話が煮詰まってきたから、持ってきたものを披露するわね!」
ジャーンという感じで、アリスはアタッシュケースの様なものを開いた。
「新しいスーツよ!」
あれ?
「あのー、アリスさん? 言霊一号は?」
光がうっかりアリスの策に乗ってしまった。
アリスの鼻の穴がほんの僅か広がった。雫はアリスの悪い癖がでた、と心の中で頭に手を当てた。光、君の母、純の気持ちが分かるだろう。これから。という感じで。
「ちっちっちっ。当然実装済みよ。このスーツの中にね!」
というと、アリスは、アタッシュケースの様なものの中の六角形の掌程の大きさのそれを指差した。
「え? それがスーツ、なんですか?」
光は以前着用した、腹筋を電気で鍛える装置みたいな以前のスーツを思い浮かべていたものだから、その差異を素直に驚いた。
良いわ〜。光ちゃん、良いわ〜。
アリスは心の中で小躍りした。
「このアリス姉さんが、改良努力を惜しむ訳ないじゃない!日進月歩、秒進分歩で高機能、小型化しているのよ!」
アオイは、乾いた笑いの口の形のまま、表情が凍りついていた。その隣ではアカネが目を爛々と輝かせていた。灯は心配そうに光を見ていた。六は無表情で、ユイは面白そうなのが滲み出ていた。
「で、このスーツの中に、言霊一号が入ってるのよ!」
と言うと、アリスはアタッシュケースの様なものの中から、いくつかある六角形のスーツの一つを取り出すと、光に渡した。
「それ、帯に付けるようになってるから、付けてみて」
六角形の表には、玄雨の家紋、大きな円の内側に接するサイコロの五の様な五つの円が描かれていた。上部には、単三電池を縦に入れた様な凹みが二つ。
渡された光は、言われるままに帯に付ける。
すると、気脈の流れがサポートされるのを光は感じた。
「アリスさん」
「ふふん。うまくいった様ね。でもここまでは単なる小型化。まあ、初期化の自動化ってところまでなんだけど」
そう言うと、アリスはビッという感じで光を指差した。
「さあ、光ちゃん、時の間に飛ぶのよ!」
え?何いきなり。
光の顔にはそう書いてあった。
「テストよ、テスト。時の女神なら、時の間に行くのは、近所に散歩するくらい簡単でしょ」
でしょ、の最後の方で、アリスはちょっと言葉が濁った。
光の隣の灯がじっと、いや、じとっと言う目で、どちらかと言うと睨んでいたからだ。
「アリスさん。散歩ほど安全でも、簡単でもありません」
「あはははは。じゃ、光ちゃんのサポートに灯ちゃんも一緒に行ってみて。これで良いでしょ?」
うぐ。
灯は言葉に詰まった。薮蛇だった。見事にアリスの術中にハマったと思った。
お姉ちゃん、あたし達、アリスさんに手玉に取られてる気がするんだけど。と、光は思った。
「どっちにしてもテストは必要。スーツと言霊一号の論理テストは完璧だけど、実際のテストはしないといけないでしょ?灯ちゃんが一緒なら、光ちゃんも大丈夫」
違う?という顔をアリスは、灯、光の二人にぐいっと突き出した。
「分かりました」
灯はそう言うと、光の手を取った。
光は灯に頷くと、二人の姿は消えた。
「さて、テストテスト。あーあー光ちゃん、声が聞こえる?」
少しの間の後、アタッシュケースの様なものから、光の声が聞こえて来た。
「え?アリスさんの声が聞こえる。あ……こちらの声も聞こえますか?」
アリスはニヤリとした。雫はアリスの肩が震えているのに気がついた。余程嬉しいんだな。そう雫は思った。
やったわ。これで!
その後の気持ちを心の中に仕舞い込むと、アリスは光に返事をした。
「聞こえるわよ!光ちゃん」
「私の声も聞こえますか?」
え?
「灯ちゃん?」
「はい。光と読心の術で繋いで、話しています」
おーーー!
「素晴らしい!それって、こっちに伝えようとするのと、伝えない様にしないのと、区別できるの?」
「……は聞こえましたか?」
「あ、それは聞こえなかったわ。なるほど。区別できるのね」
「その様です」
「じゃ、これから画像を送るから、受信したら光ちゃんは何かイメージして送ってみて。話す時と同じ感じで、送ると思うくらいで良いはずだから」
アリスは、アタッシュケースの様なものにあるパネルにタッチした。
「あ、アリスさん、満開の桜が見えます」
「成功よ!それ動画なんだけど、動いて見える?」
「見えます!」
アリスは操作パネルん再びタッチした。
「今度はVR的な動画。どう?」
「お花見に来ているみたいです。周りに桜並木が見えます。見渡せます。あ、少し暗いのは普通の視野と重なってるんですね」
「ご明察!」
「じゃ、光ちゃん、イメージしてみて」
「はい……」
「おーー。竜の星ね。オーロラが綺麗」
「見えますか?」
「見えるわよ。見渡せるわ」
アリスはあたりを見回す様に首を振った。そして満足そうな笑顔を作ると、操作パネルを触った。
「動作確認終了。光ちゃん、ありがとう。灯ちゃんもね。じゃ、戻ってきて」
アリスの言葉が終わり、一呼吸もしない内に灯と光が元の位置に現れた。
光の顔は上気していた。灯は安堵した様な、感心した様な感じだった。
「アリスさん、これどうなってるんですか?」
「極小の『空の門』違うか、『時の覗き窓』かな」
雫がなる程、という顔をした。
「それをスーツとこの装置の両方に設置してるの。同時に生成してもらったのを使ってるから、同時性が担保される」
「するとアリス。一対一対応の通信システム、という事だな?」
「そう。そこが今後の課題。でも、スーツを送信側としたら受信側の方は、霊脈で一つに緩く結んでるから、全員にメッセージを送るのは可能」
「緩く、というのは、もし、さらに時間移動があった場合に備えて、だな?」
「さすが雫ね。そう。もし、全員が竜の星に行って、さらにそこで別れて、時間移動してもこちらとは同期されるけど、竜の星の方では時間がずれるからね」
雫は頷いた。
「つまり、向こうで別々に時間移動した場合、向こうで同期を取らないと、つまり、移動した方が時間経を合わせて、時を戻らないと、解ける、という仕組み」
「そう。固く結んだままだと、ズレが生じたままになってシステム的に問題になるのよ」
雫の表情が少しだけ険しくなった。
ユイが息を吸った。全員の目がユイに集まった。
「その場合、雫さんの予想通り、運が悪ければ結び目が生じる、と私も思います」
雫はゆっくりと頷いた。
「アリス、安全策として通信に使うのは一体。予備に一体。という様にしてはどうだろう。予備はあくまで機器の不調のためのもの。あらかじめ二つは切り離しておく。竜の星は元から遠い時の線。さらにそこから数万年後。何が起こるか分からない」
アリスはほんの間を開けた後、同意した。
「そうね。私の安全策が完全かどうかテストしたいけど、テストして結び目が出来ちゃったら大変だもの。雫の案に賛成」
アリスは操作パネルに何度かタッチした。
「これで良し、と。霊脈で連結するのは解除したわ。一応、メイン以外の言霊一号は停止状態にした。サブのはスリープ状態。起動を命じないと、動かない」
手早いな。雫は感心した。
「ところで、竜の星に行くのは誰? 一応スーツは、光ちゃん、灯ちゃん、アオイちゃん」
自分の名前が呼ばれなくてアカネは、左手で自分を指差して左手を上に挙げると、座布団の上で小さいくぴょんぴょんと跳ねていた。
「アカネちゃんを外す訳ないでしょ?」
うんうん、とアカネは頷いた。
「それと雫の分も用意した」
アリスは、ちょっと恐々と雫を見た。が、雫が軽く頷くのをみて、心の中で小さく安堵した。そして、ユイを見る。
「私の分を追加で用意する必要はありません。皆さんが『本』を回収するのに強く干渉する権限は私にはありませんし、禁止されています」
そうよね。ユイが『本』を回収したら、雫に依頼する意味がなくなるもの。
ユイはアリスの方を向くと微笑んだ。
「六にスーツは必要?」
アリスは六に聞いた。
「スーツ自体は不要ですが、予備の言霊一号は私が持つ方が良いと思います」
そうか。アリスは納得した。
「なるほど。有機体の巫女と無機物の六で分担する方が冗長化という意味で心強い」
雫の言葉に、「左様です」と六は応えた。
そういうメインの話が進行する中、アオイはこっそりとアカネに聞いていた。
「ねえ、アカネ。『本』の文章とか、その返事とか、アカネはどうして分かったの?」
「え? ん〜〜〜、何故だろう。普通に日本語で聞こえたんだよなぁ」
考えてみたら、竜人や派遣者が日本語を話しているとは思えない。
「おそらく、アカネは竜の女神の力を使って、電磁波での会話を聞いて、日本語に翻訳して記憶していたんだろう」
二人の疑問に雫が答えを言った。
あ、そうか。なるほど。アカネとアオイはそういう顔をした。
「流石雫師匠」
アオイの言葉に、アカネはうんうんと頷いた。
「今度の竜の星での一件、アカネの力に頼る事になりそうだな」
雫がそう言うと、アカネは立ち上がると右手を天に突き出して、ガッツポーズをした。
「待ってるのよ、その竜人に派遣者の人! 竜の女神のこのアカネが、みんなの願いを叶えてあげるわ!」
鼻息荒く、そう言うアカネをアオイは、どちらかと言うとオロオロ、と言う感じでみていた。
そしてアリスは、心の中で顔に手を当てて項垂れていた。
そんな様子を、ユイはやはり面白そうに見ていた。
「どうしたの六?」
灯が六に尋ねた。六の表情はわかりづらい。しかし、灯と同化した仄は一時体を共有していた。そのためか、灯には他の人には分からない六の表情が読める。
「いえ。今のアカネちゃんが電磁波の言葉を日本語に翻訳して記憶していた、と言う話。少し奇妙に思えて」
「どういう事だ? 六」
雫が尋ねた。
「おそらく竜人の言語は竜と大体同じだと考えられます。だから竜人の願いをアカネちゃんが聞き取った、という事はその通りでしょう。その竜人が読んだ『本』の質問も、竜人の意識が読み取ったものでしょうから、こちらもアカネちゃんが知っていても問題ない」
雫はなるほど、という様に頷いた。
「すると、六が奇妙に思うのは」
「はい、雫さん。派遣者の言葉をアカネちゃんが聞き取った、という点です。試してみましょう」
六はそう言うと、アカネの方を向いた。
アカネは眩しいものを見る様に眉を寄せ、目を細めた。
「何?六?妙な音が六から聞こえる。言葉みたいだけど、良く分からない。と言うか全然分からないよー」
「アカネちゃん、失礼しました」
アカネの眩しそうな表情が元に戻った。
その様子を見ていた雫が言った。
「派遣者のそのままの言葉を、アカネは理解できていない。同じ電磁波の言葉ではあるが、竜とは言語が違う」
「はい。私も竜と話すときは、竜の言葉を使います。しかし」
「その派遣者は、願い事を聞く時も、言うときも竜の言葉を使っていた」
「それが私の奇妙に思う点です」
確かに奇妙だと、雫も思った。
その話を聞きながら、光は気がついた。隣の灯が重く考え込んでいる様だと。それは姉妹の勘だった。だがそれは、あまり小さくしか意識に上らなかった。
「その事は、竜の星でその派遣者に会う時に留意すべき事柄だな」
雫の言葉に、六、灯、光、アオイ、アカネは頷いた。
「アリス、スーツの準備など、いつくらいに用意できる?」
「今日持ってきてテストも済んだから、最終チェックして、そうね、明日の夜くらいかな」
雫はその言葉を聞くと、舞扇を開くと床に置いた。雫が柏手を叩くと、扇は自ら立ち上がりくるくると数回回るとぱたりと倒れた。雫はその様子をじっと見ていた。
「では、竜の星へ行くのは、明日の夜。月が南中した時。行くのは、六、灯、光、アオイ、アカネ。私はここでアリスと共に様子を見る」
こうしてその日はお開きになり、アリスは固定された「空の穴」で米国に戻った。
その夜、雫の部屋にユイが訪れた。障子を開けて雫の部屋に入り、雫の前に正座するとユイは言った。
「雫さん、あの場で言い忘れた事がありました」
「聞こう」
「『本』への願い、アカネちゃんの話では二つでしたが、イトからは三つ、と聞いていました」
雫の顔は険しくなった。
「つまり、アカネが気付かなかった願い事をした者がいた、という事か」
「そうなります。しかし、アカネちゃんが聞き取った内容と、経緯から、時間的な漏れは無いようでした」
「奇妙だな」
「はい」
「その事も、留意しないとならない事柄と心得よう」
「よろしくお願い致します」
「しかし、ユイ。其方強く干渉しない、という割には」
ユイはにこりと微笑んだ。
「これは依頼者の務め。回収するための情報は惜しみません」
「その割には、手駒を隠している様に思うが」
「雫さんの回収の手腕、それ自体を見聞きするのが、私の役目。手駒と感じるのは、そのための要点とお考えください」
雫はふっと力を緩める様に口元に笑みを浮かべた。
「心得た」
「それでは失礼致します」
一礼してユイは雫の部屋を去った。
「塩の石臼は、余程手並を見たいらしい」
そう言うと、雫は唇をやや薄く横に引いた。
雫の部屋の障子を、十二夜の月が照らしていた。
空に十三夜の月が登っていた。間も無く南中しようとしていた。
玄雨神社舞舞台には、雫、アリス、そしてユイの姿があった。
境内には、六、灯、光、アオイ、アカネの姿があった。
「手順は、まずいつもの竜の星の時へ行く。そして、そこからアカネの夢の記憶を元に道を開き、夢で見た未来へと行く」
境内の巫女達は頷いた。
「やっぱり一度に夢で見た時に行くわけにはいかないか」
アリスの言葉に雫は頷いた。
「遠い時。以前初めて竜の星に行った時も、アリアドネの糸を作ったり、引き寄せたりと手順が必要だった。今度はさらに其処から数万年先。念には念を入れたほうが良かろう」
「確かにね」
アリスは雫の言葉に納得すると、境内のアカネに向かって声を送った。
「アカネちゃん、しっかりお仕事してくるのよ〜」
「はーい、アリスママー。今度はリモートだけど一緒だねー」
アカネが右手を大きく振りながら、そう応えていた。ほんのすぐ近くの距離なのだが、なんとなくそうさせたのだろう。
「もしも二手に別れる時は、光と六は別々になる様に。その時の編成はその場で決めると良い。竜の星では、六とアカネが重要な役割になると思うが」
そう言うと雫は灯を見た。
「灯、其方の技量、経験、頼りにしているぞ。それとアオイ、決して無理はするな」
灯はゆっくりとだが、力強く首肯した。アオイは小さく頷いた。
「さて時は満ちた。行って参れ」
雫は舞扇を開き、それを頭上高く差し上げた。
境内の巫女達は手を繋ぐ。そして、アカネと六が頷き合うと、彼女達の姿は境内から消えた。
「さーて、作戦本部に戻りましょうか」
とアリスは舞舞台下手袖に移った。そこには、先日アリスが持ってきたアタッシュケースの様なものが置かれていた。
「はい、雫」
アリスは雫に、自分が首の後ろに付けているのと同じデバイスを渡した。
雫はそれをアリスと同じ様に首の後ろに付けた。
アリスがユイに言おうとすると、ユイが先に口を開いた。
「私はお二人の思考を読みますから、デバイスは不要というアリスさんの考えに賛成です」
まったく。ここまで来るといっそ清々しいわ。まあ、外交辞令的にもう一つ作ってあるけど。
そんな思いをアリスは胸の内に仕舞った。
「どうやら向こうに着いた、らしい」
雫の声がアリスに届いた。見ると雫は目を閉じている。アリスもまた、目を閉じた。
二人の目には、竜の星の光景が広がっていた。
そして、周りに六、灯、光、アオイ、アカネの姿が見えた。
「なるほど。光の視線ではなく、こちらで見回すと光景が変わるところを見ると、これは光のスーツからの情報か」
「あったりー。まあ視覚聴覚その他くらいだけど、これであたしも、ようやく竜の星を探検できるわ!」
「向こうと話す時は、どうするのだ?」
「頭の中で向こうにいる光ちゃんに話しかけるつもりで考えれば良いわ。残念だけど、まだ、リンクを繋ぐところまでは出来てないのよ」
女神同士の意思疎通のリンク、一種のテレパシーの様なものまでは、言霊一号では再現出来ないという事の様だ。
「判った。しばらくは向こうの様子を眺めるとしよう」
下手袖に静寂が訪れた。舞舞台に十三夜の月の明かりが落ちていた。
さて、物語はここで一旦、別の場所、新しい登場人物たちのお話に移ります。
その登場人物たちが、雫達とどう関わるのかは、この後のお楽しみ。