ヒロインに転生したので悪役さんと仲良くなります
「ほら、アイツだ」
「え、もしかして」
「そうそう噂の――人殺し」
廊下を歩いているといつも聞こえる噂話。
そして俺はその根源。登校時間で人の多いはずの廊下なのに、俺が歩くと皆端へと寄る。
耳に届く陰口も、露骨な嫌悪の視線も慣れっこだ。黒髪に赤い目という悪魔みたいな容姿も、人殺しというのも事実だから仕方ない。
教室の扉を開くと俺を目にした生徒たちが一斉に肩をびくりと跳ねさせ、それまで騒がしかったのが嘘のように静まり返る。
でも、例外が一人だけ。
「おはようございます、シャドウくん!」
俺に向かって裏のない笑顔で、他の生徒にするのと同じように。
返事など返したことが無いというのに毎日毎日飽きずによくやる。
「ルチア! アレには話しかけない方がいいといつも言っているだろう!」
「ですが殿下、」
「そうですよルチア。いくらあなたが優しいからといっても、あんなものにまで慈悲を向ける必要はありません」
そいつらの言う通りだ。なのにあいつはなんの反省もせずに俺に話しかけようとする。その度によく一緒にいる奴らが総出で俺から引き離しあいつを囲っている。
俺を一睨みすることを忘れずに。
その方が正常な反応だろう。人殺しに対してあんな笑顔を向ける方が間違ってる。罪人には神だって背を向ける。
多分あいつは知らないんだろうな。知ってたらこんな風に話しかけたりなんてしないだろう。
俺が殺したのが、あいつの父親だということを。
*
前私は極々普通の日本人女性だった。まぁ多少オタク気味で乙女ゲームにドハマりしてたりはしたけど……嘘です多少ではありません食事を抜いて浮いたお金を推しに注ぎ込むとか普通にやってました。
そんな不健康な生活を続けていたせいか若くしてぽっくり。
PCがどうなったのかが一番の未練です。
でも神様はそんな私の願いを叶えてくれたのか、なんと生前私がどハマり乙女ゲームの世界に転生させてくれました!
その乙女ゲームは定番中の定番。平民のヒロイン莫大な魔力があることが突然発覚し、貴族ばかりの学園で四苦八苦しながら障害を乗り越え、王子様やら公爵子息やらと結ばれるというストーリー。
ただ私はどうしても二次元の推しと恋愛を混同出来ないタイプだったので、動く推しを存分に観察してから友情エンドを目指すつもりだった。
そう最初のうちは。
ところでこのゲームには悪役令嬢の他にラスボス的な悪役がいる。
その悪役ってのがヒロインの同級生で、この人も元は平民だったけど魔力があったことで学園に通ってる。
でもその魔力が発覚した原因がヒロインの父親を殺したことだった。
そしてゲーム終盤で悪魔に力を借りてヒロインを殺そうとしたところを、攻略対象が助けるって感じだったんだけれども。
転生して幼いころから思考が大人だったが為にわかっちゃったんですよ。悪役さんがなんでヒロインの父親を殺したのかを。
それからは友情エンド目指そうなんてことよりももっと重要なことが出来てしまいまして。
だから私は今日も彼に声をかけます。
「おはようございます、シャドウくん!」
私は彼と仲良くなりたいんですお願いだから邪魔しないで王子様!
*
日当たりが悪くて整備もきちんとされておらず、本来は立ち入り禁止区域のここは人が全く来ないため、昼食には絶好のスポットだ。
いつもと同じパンを食べながら本を読む。
俺は読書が好きなので、静かで集中できるここを気に入っている。
「いたーっ!!」
その至福の時間を邪魔する聞き覚えのある声が一つ。
俺に向かって来ている訳じゃないと思いたいけど、この近くに他の生徒はいない上に声から察するにまず間違いなく俺に向かって来てる。
「やっと見つけた、シャドウくん!」
木にもたれながら本を読む俺を、達成感溢れる笑顔で覗き込んでくる。
こいつ遂にこんなとこまで来やがった。
「学校中探したのに見つからなかったんですよ! 立ち入り禁止区域まで来てやっといるんだから」
立ち入り禁止区域に来る前に諦めろよ。なんでそこまでして俺を探す必要がある。
こいつには昼食を共にする友人など有り余るほどいるだろうに。
「王子は?」
「まいた」
まいたのか。それでいいのか。
というからさっきからにやにやとだらしない表情が気持ち悪い。
「おい、その緩んだ表情筋を引き締めろ」
「え? だってシャドウくんが初めてしゃべってくれたんですよ? 嬉しくてにやけても仕方ありません」
そんなことが嬉しいのかこいつは。見た目通りの阿呆のようだ。
学園では喋ると余計に周りを怯えさせるから喋っていないだけだというのに。
こいつはかなり神経が図太いようだから大丈夫だろう。
「何しに来た」
「シャドウくんに会いに?」
「それが何故かと聞いている」
「シャドウくんと仲良くなりたかったからです」
あっけからんとそう言うこいつに俺は目を見張った。
俺と仲良くなりたいなんて、酔狂な奴もいたものだ。
「それで、何が目的だ?」
「え?」
「俺に話しかけるということは、何か別に目的があるのだろう? リスク以上のメリットなど俺には思いつかないが」
仲が良いなどと噂が広がれば遠巻きにされるだろうし、立場が悪くなれば様々な面で行動が制限されるようになるだろう。
そう思って言ったのに、今度はあいつの方が目を丸くして驚いていた。
「やっ、別に目的とかはなくてですね! ただただ仲良くなりたいと言いますか……迷惑でした?」
「迷惑だ」
ばっさりと切ると、あいつの後ろにガーンという文字が見えた気がした。
そのまま帰ってくれるかと思ったのにその文字はすぐに消えて、今度は拳を握りしめて力強く言い放った。
「諦めませんけどね!」
諦めろよ。
これだけ拒否しているのに何故嫌にならないのだろう?
でもこんなやつ初めてで、なんだか新鮮で面白く感じてしまった。
「ふっ、お前、バカだろう」
そう言うと何故かあいつは顔を真っ赤にして口をパクパクし始めた。
「し、シャドウくん、今わらっ、」
言葉になっていない言葉を発しているが、何が言いたいのかはわかってしまった。
どうやら無意識のうちに頬が緩んでしまったようだ。
久しぶりで、それをあいつに指摘されたことが嫌で、顔を横に向ける。
「……忘れろ」
「シャドウくん……意外とかわいい」
「黙れ」
それから毎日、あいつはここへ来るようになった。弁当を持って。
「シャドウくん、お昼それだけですか!?」
「そうだが」
「ダメですよちゃんと食べなきゃ。成長期なんだから」
そう言った次の日からあいつは俺の分まで弁当を作ってくるようになったのだ。
それが思いのほか美味しくて、あいつがここへ来るのを許している。本人には伝えていないけど。
「美味しいですか?」
「普通」
「ならよかったです」
何も話さなくても、あいつは昼休みが終わるまでずっとここから離れない。
友人達と過ごした方が有意義で楽しいだろうに、つくづく変な奴だ。
昼休みの時間をあいつと過ごすのが当たり前になっていたある日、あいつは突如奇行にでた。
「シャドウくんおはようございます!」
俺は返事を返さない。ここまではいつも通りだった。
いつもはそれであいつの友人が引き離してそれで終了なのに、何故か今日はそれで諦めなかったのだ。
「シャドウくん! お・は・よ・う!」
挨拶を返せと言わんばかりの語気の強さ。俺はそんなこいつに気圧されて、思わず挨拶を返してしまった。
「……おはよ」
小さくそう呟くと、あいつは満足気な顔をして去っていった。
それから、あいつは朝の時間以外にも話しかけてくるようになった。
「次移動教室ですね! 一緒に行きましょう!」
「シャドウくん、ペンを忘れてしまいました。貸してください!」
「シャドウくん! シャドウくん!」
その度にあいつの友人が引っ張っていくのだが、あいつが孤立しないのは元々の性格のお陰だろう。
いつも明るく誰にでも優しい。平民であるにも関わらず男女問わず友人が多いのだ。
だからこそ、あいつが俺に話しかけていても優しい奴で済まされている。
これが他の奴だったらあっという間に孤立していることだろう。
「お前、ここ以外で俺に話しかけるのは止めろ」
いつも通り、昼にあいつが来た時にそう言った。
俺にとってもこいつにとってもデメリットしかない。だから言ったのに。
「嫌です」
あいつはきっぱりと、意思を変えるつもりはないとでもいうように言った。
「何故だ」
「シャドウくんは全然怖い人じゃありません。それをみんなにわかってもらいたいとは思わないけど、私が話しても何も言われなくなるようにはなりたいとは思ってます」
「ここで話せばいい」
「他の場所でも話したいんです」
「迷惑だ」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
なのにあいつはそれにも怯まずに、キッと俺を睨みつけた。
「私は、やめません」
「いい加減にしろ。それでお前が得することなど一つもない」
「得するかどうかは私が決めることです。勝手に決めつけないでください」
「なら、俺が迷惑なんだ。だからもう止めろ」
「嫌です!」
これ以上話しても埒が明かない。絶対に譲らないと訴えかける瞳に溜息を吐き、俺は立ち上がった。
「もういい」
後ろから「待ってください!」という声が聞こえたが、俺は魔法で姿を隠した。
「もうこれ以上殿下に近寄るのは止めてくださらない?」
放課後、校舎を歩いていると複数人の女の声が聞こえてきた。
いつもなら素通りする。なのに今足を止めたのは、その中の一つに酷く聞き覚えがあったからだ。
「申し訳ありませんでした」
投げかけられる言葉にただただ謝り続けている声。
反抗も否定もせず、なるべく穏便に済ませようとしているのだろう。
どうやらあの王子とかとあいつが仲が良いのが気に入らないらしい。
人の交友関係に首を突っ込もうとする気持ちはよくわからない。そんなことをするくらいなら自分が王子と仲良くなればいいのに。
「それにあなた、あの人殺しと仲が良いのでしょう?」
ふと聞こえた言葉に、立ち去ろうとしていた動き出していた足が止まった。
「人殺しと仲良くするなど、品位が知れるわ」
「それともあなたもあの人殺しと同類なのかしら?」
ほら。だから言ったじゃないか。俺なんかに話しかけるなって。
なのになんで……
「シャドウくんはそんな人じゃありません!」
あいつは初めて、顔を上げて奴らに反抗した。
今までみたいに流せばいいことなのに。もう近寄らないって言ってしまえばいいのに。
……俺なんかを、庇うなよ。
「シャドウくんはお弁当をおいしいって言えないくらい素直じゃないけど、笑った顔がちょっとかわいくて、人の気持ちをよく考える優しい人です!」
弁当のことバレてたのか、とか、かわいいってなんだよ、とか、優しいわけないだろ、とか、そんなことが頭の中をぐちゃぐちゃにしていく。
俺が人殺しだという事実は、何も変わりはしないのに。
でもこれはあいつが本当のことを知るまでなんだろうな、と思うとだんだん落ち着いてきた。
安心したのに、なんでこんな、ぽっかり穴が開いたみたいな気持ちになるんだろう……?
「お前たち、何をしている!」
「殿下!?」
よくあいつが一緒にいる王子が姿を現すと、女たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「ルチア、なにかされなかったか?」
「大丈夫です、殿下」
いつものように笑うあいつの頭を、王子は優しく撫でた。
「だがルチア、私もあの人殺しと関わるのは止めるべきだと思う」
「どうしてですか?」
「アレに関わることでルチアの立場まで悪くなってしまう。現に最近ああいう輩が増えているだろう?」
「それは……」
「人殺しと関わったせいでルチアが傷つくなど、私は耐えられないんだ」
常に明るく、成績も良いのにそれを鼻にかけることもせずに誰にでも優しくフレンドリーに接する。
平民ということ以外は欠点など無いに等しく、ああいった嫌がらせは少なかった。
そこに、俺と仲が良いという欠点が出来てしまった。だからそこに漬け込む人間が増えたのだろう。
「私が誰と仲良くするかは、私が決めます」
「やはり、ルチアは知らないのか……」
「知らない……?」
「あの男が殺したのは――」
それ以上は聞いていられず、足早に立ち去った。
わかっていた。いつかはあいつも本当のことを知るということを。
この時間はそれまでの限られたものであることを。
いつ終わりが来てもおかしくないことを。
あの鬱陶しい奴がやっと俺に構わなくなる。
前みたいに一人で落ち着いて読書が出来る。
よかったじゃないか。
王子に感謝しないと。
なのになんで俺、
泣いてるんだろう?
*
最近シャドウくんは昼休みにあの場所に来なくなった。
やっぱりあんなこと言っちゃったからだろうか?
教室で話そうとしても何故か邪魔が入るしシャドウくんもなんだか避けてるみたいだしで全然話せない。
シャドウくんと話して、しっかり謝りたい。
いくらなんでも自分勝手過ぎたと思ったから。
だから昼休みと放課後は毎日シャドウくんを探している。
でもシャドウくんは人目を避けることに慣れてるから中々見つからない。
今私は図書室にいる。シャドウくんは読書が好きだからもしかしたらいるかもしれないと思った。
そして、神は私に味方したようです。
シャドウくんは高い本棚の前で本を選んでいた。
本に囲まれたシャドウくんというのはそこを切り取れば絵になりそうなほど似合っていた。
さすが乙女ゲーム。
私は息を大きく吸って一歩踏み出す。
ごめんなさい、ってちゃんと言えるかな。
ありがとう、って伝えられるかな。
「シャドウくん!」
私の声に反応してこちらを向いた彼の表情は、出会った頃と同じように私を拒絶していた。
*
放課後の図書室。
俺はそろそろ前に借りた本を読み終わりそうだったので、新しく本を借りる為にここへ来ていた。
油断したんだ。もう最近は話しかけられないから、図書館に行くくらい大丈夫だろうと。
でも、突然あいつは現れた。
「シャドウくん!」
図書室なんだからもう少し静かに、と言われそうなくらいには大きな声だった。
その声が、俺に聞こえないはずない。
もう声をかけてほしくなかった。
はっきりと拒絶されたくなかったから逃げてたのに。
あいつに、「人殺し」と言われたくなかった。
父親を殺しといてそんなことを思うなんて、我ながら身勝手すぎて笑えてくる。
「あの、」
「すまなかった」
「え……」
「騙すような形になってしまって、すまなかった。もっと早く伝えるべきだった。これからはお前やお前の周りに近寄らない。クラス替えまでは辛いと思うが、我慢してくれ」
もしまた話す機会が訪れたら伝えようと思っていたことを一気にまくし立てた。
父親を殺したくせに自分の横に当たり前のようにいた奴にそんなこと言われても溜飲は下がらないかもしれないが、自己満足でもいいから伝えたかった。
あいつの次の言葉を待つ時間が、嫌に長く感じた。
返される言葉の予想なんて、いくらでもしていたというのに。
まだどこかで希望を持っている俺は、なんて諦めが悪く見苦しいのだろう。
「……もしかして、私のお父さんを殺したこと?」
「あぁ」
「待って、それはっ!」
あいつが何か言いかけた時、俺が手に持っていた本が突然光りだした。
黒く、禍々しい光に、莫大な魔力の奔流。
これが普通の本でないことは、一瞬にしてわかった。
「ダメ! その本から手を放して!」
あいつの声が聞こえる。
でも遅い。
これがなんなのか、嫌でもわかった。
その時俺は、やっと気持ちに踏ん切りがついた。
「もういい……もう、いいんだ」
それを最後に、俺の意識は一瞬にして闇に飲まれた。
*
「良い器が手に入った」
シャドウくんはそう呟いた。いや、あれはシャドウくんじゃない。
「……悪魔」
ゲーム終盤に出てくる悪魔。
ゲームではシャドウくんが悪魔の力を借りたって書かれていたけど、もしかしたら本当はこんな風に乗っ取られていたのかもしれない。
「なんで、シャドウくんに?」
「うん? 丁度良い器だったからだが」
なんとも思っていないように言う悪魔に怒りが沸いた。
「シャドウくんを返して」
「これほどに素晴らしい器を簡単に手放すはずがないだろう」
「シャドウくんの体は、あなたのものじゃない」
「うるさい小娘だ。だがこの器を手に入れられたのはお前のお陰なのだから、礼は言っておこう」
「私の……?」
「何故かは知らんがこの体の感情が大きく乱れたお陰で乗っ取れたのだ。お前のお陰ではないのか?」
感情が大きく乱れた……。
シャドウくんはいつも自分の感情を表に出さない。
でも悪魔に乗っ取られる前、私たちはなんの話をしていた?
私の、お父さんの話。
シャドウくんにとって一番のトラウマのようなもの。表には出ていなくても、シャドウくんはかなり動揺していたのかもしれない。
そこの隙を突かれて乗っ取られたのだとしたら、どこまで掘り下げていっても私が原因だ。
「……どうすれば、シャドウくんを返してくれる?」
「だから返さないと言っておるであろう。物分かりの悪い小娘だ」
「シャドウくんを返してくれるならなんでもする」
「器を手に入れられた礼として殺さずおいてやろうと思っていたが、今すぐ立ち去らねば殺すぞ。只でさえお前の魔力は気持ち悪いのだ」
悪魔の言葉が引っ掛かった。私の魔力が気持ち悪い?
すっかり忘れていたけど、そういえばヒロインの魔力は悪魔とは真逆の性質を持っていから対悪魔に有効だった気がする。
ゲームではヒロインの魔力を攻略対象に授けることで悪魔を倒していた。
でも今この場に攻略対象はいない。私一人でも、できるかな……。
いや、絶対にやってみせる。私は守られるだけのヒロインでいるつもりはないから。
『魔力とは感情に大きく左右されます。何をしたいのか、強く願うことで力の質や威力が全く変わってくるのです』
魔法学の先生がそう言っていた。
私が今何をしたいか、どんな力が必要なのか、そんなの絞る必要もなく一つしかない。
魔力が体の中を渦巻いている。今まで全ての魔力を使う勢いで魔法を放つなんてやったことない。
でも、どうすればいいのかは自然とわかる。これは私がヒロインだからなのかな。
「お前、何をしようとしている」
「シャドウくんを取り返す」
「やめておけ。この者はそれを望んでいない」
悪魔の言葉に目を瞬く。
シャドウくんは、悪魔に乗っ取られたままで良いってこと?
「この者は既に諦めている。どうやらお前に会いたくないようだな。これ以上生きていたくないと、そう思っているようだ。お前もこの者の意思を汲んでやったらどうだ?」
私に、会いたくなんだ……。悲しい。これで私がシャドウくんを無理矢理取り返したら、今以上にもっと嫌われるんだろうな……。
本当に彼を救いたいのなら、このままにしておいた方がいいのかもしれない。
でも、
「……シャドウくんに嫌われてもいい。でも私は、シャドウくんに伝えたいことがある!」
魔力が体の中を回る速度が上がる。
それが徐々に形になっていって――私の想いになる。
「クソッ、折角良い器が手に入ったというのに、なんと運の悪い!」
悪魔が何か言っているのが聞こえる。でも私はそんなことに気を留めていられなかった。
経験したことのないほどに大きな魔力が体内から放出される。
その場を白い光が覆いつくす。先程とは真逆の、澄み切った白い光。
その中で完全に悪魔が消失したのが、私には感じられた。
光が消えた時、シャドウくんの体が傾いた。
「シャドウくん!」
慌てて駆け寄ったけど支えるのは間に合わずに床にしゃがみ込む。
倒れた彼の顔は、悪魔に乗っ取られていたとは思えないほどに穏やかだった。
*
「おじさん!」
路地裏で話していた見知らぬ男とルチアの父の会話を、俺は聞いてしまった。
「ルチアを売るって、本当なのかよ!?」
「聞いていたのか……本当だ」
溜息を吐きながらあっさりとそう言ったルチアの父に、俺は正気を疑った。
ルチアとは仲が良くて、ルチアの父にも良くしてもらっていた。
ルチアの父はいい父親だと近所でも評判の人だったから、とてもそんなことを考えるような人には見えなかったのだ。
「何で……?」
「金が足りないんだ。それに弟が生まれたからな」
だからルチアはいらないっていうのか。自分の子供なのに。
「ふざけんな! そんなこと、して良いわけない!」
「お前には関係ないことだろう。もうすぐ日が暮れる。家に帰りなさい」
「嫌だ」
所詮子供の癇癪。ルチアの父はまた大きく溜息を吐いて、言い聞かせるように言った。
「明日、ルチアを連れて行くが、このことは誰にも言うなよ。まぁ、言ったところで誰も信じないだろうが」
その言葉で俺の沸点は限界を迎えた。
なんだかよくわからない感覚が全身を駆け巡って、集まっていく。
ルチアを失いたくないという気持ちと、ルチアの父に対する怒りが、形になってルチアの父へと襲いかかる。
そして気付いた時にはルチアの父のいた場所に、血溜まりが出来ていた。
なんとなく自分がやったのだろうということは自然と理解できた。
でもどうしてなのかとか、なんでなのかとかは全くわからなかった。
混乱する頭の中に、突如少女の声が飛び込んできた。
「おとうさん……?」
そうだ……俺は……ルチアの父を……。
そこからの記憶はない。
それから俺は罪人になった。
魔力暴走は子供によく起こることとはいえ、俺の場合周りに被害が無くルチアの父に明確な殺意を持って起こしたということで事故扱いにはならなかった。
でもまだ子供だということ、俺の持っていた魔力が莫大だったことなどから牢獄には入れられず、契約魔法で様々なことを縛られたものの外で生きることが許された。
ルチアの父は近所でも評判のいいお父さん。
ルチアを売ろうとしていたなどと、俺のような子供が言ったところで誰も信じてはくれなかった。
悪役は、俺だった。
「――シャドウくん、シャドウくん!」
あいつの声が聞こえる。余裕のない、必死な声。
何をそんな焦っているんだ。なんでそんな声で俺を呼んでいるんだ。
霞む視界に真っ先に映ったのは、今にも泣きそうなあいつの顔だった。
「な、にを……」
「シャドウくん! よかったぁ」
必死に涙を堪えて震える声でそう言った。
心の底から安堵したような声音が、何故なのかわからなかった。
「俺は、お前の父を殺したんだぞ」
「知ってました。ずっと前から、知ってました」
ずっと前……? 王子がこいつに伝えたのはつい最近のはず。
なら笑顔で俺に弁当を渡してきたあの時も、知っていたということか。
「ならばなぜ」
「知っていたから、お礼を言いたかったんです」
こいつの言葉に耳を疑った。父親を殺した奴に、礼……?
「私を、助けてくれたんですよね? お父さんに売られそうになっていたから。でも誰もそのことを知らずにシャドウくんを人殺し扱いしていた」
そのことまで知っていたのか……。俺以外知らないと思っていたのに。
「大多数にとって父を殺したシャドウくんは悪役なんだと思います。でも私にとってシャドウくんは、自分じゃどうすることも出来ないことから救ってくれた、英雄なんです……!」
ずっと俺は悪役だった。
罪なき人を殺した悪役。最近息子が生まれたんだと幸せそうに笑っていた優しい父を殺した悪役。
英雄なんて、俺とは対極にある言葉だった。
「俺は英雄なんかじゃない。どう足掻いてもただの人殺しだ。自分の英雄は、もっと他の誰かで作った方がいい」
そう言うと、あいつは悲し気に顔を歪めた。
幼い頃の記憶に囚われて俺を英雄なんかにせずに、もっと綺麗に全てを救えるような奴を英雄にした方がいい。
そう思ったのに、あいつが次に発した言葉は俺の予想から大きく外れたものだった。
「じゃあ、人殺しでも構いません」
「お前、何を言ってる」
「私の中のシャドウくんが、人殺しでも良いって言ってるんです」
意味がわからなかった。こいつが何を言っているのかも、何が言いたいのかもわからなかった。
「シャドウくん、私はシャドウくんが好きです。これ以上ないくらい大好きです」
突然の言葉に、理解するのに時間がかかった。
「シャドウくんが英雄でも、人殺しでも、私はシャドウくんが好きです」
「何を、」
「シャドウくんが私のことを嫌いでも、私は構いません。でも、私はこれからもずっと、シャドウくんが好きです」
あいつが、俺のことを好きだと言ってる。
あの事件以降、一度も誰にも言われなかった言葉を、あいつが言ってる。
誰かにそう言われたいなんて思ったこともなかったのに、何故なのだろう。
その言葉に、どうしようもなく喜んでいる自分がいるのは。
「俺は、お前のことが嫌いなわけではない」
「え……」
「俺が父親を殺したことを知れば、お前が俺を嫌うだろうと思っていた」
「そんなこと、」
「わかってる」
もう、わかっている。
全部俺の思い込みだったことも、今のお前が俺を好きだと言ってくれていることも。
こんな気持ちを持ったのは初めてで、本当にこれがそれなのかもわからない。
でも、このどうしようもない気持ちに名前を付けるとするのならば、
「俺は多分……お前が好きだ」
あいつは……ルチアは真っ赤になった目を見開いて、次の瞬間ポロポロと水晶のような涙を零し始めた。
ルチアが俺の手を握る。まだ力の入らない手で、俺はそれを握り返した。
人肌の感触なんてとうの昔に忘れた。
俺にとって初めて触れる人の手は温かくて、体の芯まで温められていくようだった。
ルチアがもう片方の手で俺の頬を拭う。いつの間にか釣られて俺まで泣いてしまったようだ。
零れた涙が含んでいたのは、前とは真逆の感情だった。
涙が止まるまで、繋いだ手は離さなかった。
この時間は悪魔に乗っ取られた俺が見た都合のいい幻で、蜃気楼のように消え去るのかもしれない。
でも、もしもそうでないのなら……永遠に続くことを願っている。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
実は初めて長編を投稿してみました。
ジャンルは恋愛かファンタジーかでギリギリまで迷ったのですが、恋愛要素が出てくるのがだいぶ先なためハイファンタジーになってます。
小説情報の下の方から飛べるので興味のある方は見てみてください。
作者からのお知らせでした。