共感
言うと、何故か身構えた雨川。
あれっ、何か警戒されてる? 何で? 気にはなるがともかく進める。
「そもそもなんだけど、何でそんな変装とかしてんの?」
途端、えっ、っと気の抜けたような声を上げる雨川。実際、拍子抜けしたような顔をしている。
だから、さっきから何なんだ。
「最後が、それ?」
「そうだけど」
「そっか……」
しかし、次第にその表情は曇っていった。
そこまでするということ。それは強い動機がある筈だ。そしてそれは大抵マイナス方面に。それを口にするのは俺の思った以上に辛いことなのかもしれない。
「あっ、ごめん、嫌だったら――」
「顔だけで評価されるのが嫌だったから……」
それは、ポツリと吐き出しただけといったようにか細く発せられた。
なのに、そんな小さくて短い言葉は、やたらと俺の胸に強く響いた。
「可愛い、可愛いってそれだけで、誰も私の中身なんか注目してくれない。むしろ積極的になれない私を否定してくる。顔は良いのにって何度も言われてきた……」
彼女の口はそれ以上開かない。ただ何となく何か喋ろうとして、それでも口が開かないような雰囲気を感じる。
「ああ、ごめん。それ以上は良いや」
なるほど。人目を引き寄せ過ぎる容姿である故に、今まで顔ばかり注目されて誰も雨川自身を見てこなかった。だから顔じゃなくて自分自身を見て欲しいと、わざと顔のレベルを落としているということか。
にしても、顔は良いのに、か。嫌みの含まれた言葉だな。
雨川は今、積極的になれない自分と言った。顔は変装で作られたもの。でも、性格は取り繕うことなく、ありのままの自分を出しているのだろう。
彼女の言った、顔だけで評価されるのが嫌というのは、全く俺の心情を表している。それに関しては同意。だけれども、そのベクトルは決定的に違っている。
彼女は顔は評価されてきた。対して俺は顔で評価を落としている。
何があったかなんて今の話だけじゃ詳しくは分からない。もしかしたら、そこまでするということはかなり重い理由があるのかもしれない。
それでも、どんな理由があろうと人間関係で重要なファクターとなる容姿を自分から低く設定するなんて理解出来ない。しかも、ことそれが最重要視されるこの学年において。
最も強力な武器を所有していながら行使しないことに全く持って賛同出来ない。言うなれば、最強ステータスの鎧を保持しておきながら、使わずにわざわざTシャツ一枚でで戦場に行くようなものだ。
膨大な手間とリスクに対して得るものは、侮蔑の込められた視線と低姿勢を強いられる弱者の立ち位置。目的を果たす為の効率としては最悪のものだ。
バカげている。
ありのままの顔を出しただけで、これだ。更にメイクなんかしてバージョンアップしちまえば、もう上位カーストの奴ら全員手のひら返すどころかひれ伏してしまうかもしれない。それが可能であるのに自ら手放すなんて傲慢ともいえる。
あの立場が欲しいのに、現実的に不可能な奴ばかりだというのに。
――そんな現実主義な俺もいる一方で。
単純に凄いと思っている自分もいた。
顔で評価しないで欲しい。
俺と同じ願いを持ちながら、ただ願うだけで何もしない俺とは対照的に、ただその為だけに無駄どころではない、ただただマイナスにしかならないバカなことを続ける彼女に。
「雨川、お前凄いな」
「えっ、すごい……?」
驚いた表情を見せた後、一転訝しげな目を向けてくる雨川。えっ、素直に言ったのになんで?
まさかそんなこと言われるとは思っていなかったから、嫌味に聞こえてしまったのか。
「いや、これは素直な感想だよ。――俺だって、顔だけで判断してんじゃねえって強く思うよ。人間にはそれぞれ個性っていうのがある。何かが多少劣っていたとしたって、他の何かが負けないぐらい補完してるのが人間ってもんだ。なのに、性格も考えも言葉も全て合わせてその人なのに、それを全部無視して顔っていう一つのステータスだけで判断しやがって。この学校に入ってから極端にそんなクソみたいな考え持ってる奴ばっかりだったし。……でも思ってるだけなんだ」
強者に対して弱者となっている俺達は何も出来ないでいる。
だから、影で文句を言う。ただ、それだけ。何もしようとしないし、何も変わらない。
でも、それは仕方ない。多数の人間によって作られた空気は揺るぎないものとなり、いつの間にか常識となる。それは強固で弱者が幾らか集まって動かそうとしたところでピクリとも動かない。それが分かっているから、虐げられても誰も何もしない。
それでもその常識に流されまいと、雨川は抗っている。例えそれが直接的ではなくても、意味がないとしても、そんな姿勢を見せる彼女は気高く美しいと思えた。
大して話したこともないし、よく知りもしない彼女のことを本気で凄いと直感的に思った。
「だから空気に逆らって、自分の想いに従って動くお前は充分凄い。……まあ、ただ単に空気読めてないだけかもしれないけどな」
あー、やべ……つい照れて最後は皮肉を言ってしまった。嫌な思いさせたか?
っと思って彼女の方を見ると、彼女はポカンと呆けた顔をしている。えっ、どういう反応!?
「まっ、まあ、とは言っても俺だって一応な、行動には移さないけど心の中では反旗を翻してだな――」
「私がすごい……?」
焦って補足の言葉を述べている俺の言葉を遮って、彼女が呟いた。相変わらず気の抜けたような顔で、でも意外そうに。
「そんなこと言われるなんて」
「んっ?」
「……誰にも話したことないし話すことがあるかも分からなかったけど、もし話すことがあったら絶対バカにされると思ってた。なに面倒くさいことしてんのって」
ああ、まあ、そうだよな。
「うーん、まあ、ぶっちゃけそれは俺も思ったし、なにやってんだよとも思った」
「えっ」
「――でも、だからそれ以上にすげーんだよ。愚直とも言えるけど、それでも真っ直ぐ自分の想いに向き合えるお前は凄い」
言ってから、また照れくさくて顔を逸らしてしまった。
数秒経ってから何も言わない雨川の様子が気になって再度見ると、さっきは抜けた表情をしていた雨川の口は閉じられ、そのまま頬は緩んでいた。
「……ありがとう」
うっ、通常で充分過ぎるレベルなのにそれが笑顔でしかもお礼付きっていうのは、とんでもなく画になる。本当に変装時とギャップに戸惑いが隠せません。
「でも、鹿川くんもすごいと思うよ」
「えっ、俺が?」
「だってそんなに話したことのない私に堂々と想いぶつけてたから」
「えっ、そう?」
ああ、うん、これ褒められてんだよな? なにこいつ急に言い出してんの、的な嫌味じゃないよな。
なんか凄い恥ずかしくなってきたんだけど。
「うん、そう。自分の想いに真っ直ぐっていうのは、鹿川くんも一緒だよ。だから凄い」
「……そうなのか。ありがとな」
さっき会ったばかりの時より数倍晴れやかな顔で言われると、素直に嬉しくなる。自然とお礼の言葉が出た。
でも、鹿川くんも凄いって聞こえ方によっては、自分は凄い、だから私と一緒のあなたも凄いと言っているように聞こえませんかね、自己評価高くないですかね。はい、凄いって言ったの俺ですけど
なんてひねくれたことを考えてしまうのは、やっぱり照れくさいからな訳で。
「さて、そろそろ行こうぜ。俺先生に提出しなきゃいけないものあるし」
「えっ、もう行くの? 本当に質問だけで終わり?」
驚きの表情を見せ、その後どこか安堵したような息を吐く雨川。
なんだ、その反応。ていうか、何があると思ってたんだ。
「そうだけど、何を心配してたんだよ」
「ほら、お願いがあるって言うから、てっきり付き合ってって告白されるかと思ってたから」
「はっ? ……はあっ、告白!?」
なに、とんでもないこと平然と言ってるんだ。それ思い上がりが激しいとかそんなレベルなのか! そういう奴だったのか!
「いくら鹿川くんでもさすがに、そんな話したことないのに、いきなりすぎるというか……」
「いやいや、無いから! なんでそうなるんだよ。お前、素顔で男子に話しかけられたら大体告白されるとか思ってるのか?」
「うーん、まあね。昔から私に近付いてくる男子は、大体告白してきたから。出逢ったばかりの人にも告白されたこと何回もあるし」
「そりゃ、すげえな……」
俺は生憎、ふざけたことに顔面偏差値40を付けられる程度の奴だから、そういうのとは無縁なんでね。
分かる訳もないけど、告白され過ぎてもう男子とちょっと話したら告白されるというイメージが染みついているのだろうか。
ああ、言われるとこの顔なら仕方無いかとも思えてくる不思議。決して、嫌味や過度な自己愛からとかではないのは分かるし。
「大丈夫だよ。んな、いきなり告白とかしねえから。よく知りもしねえ奴に告白するような軽い男じゃねえよ」
何なら、結構話したことある女子にも告白したことのないような今時珍しいピュアな男子だよ。
とは言っても。実際は毎日クラスで顔あわしてるから、いきなり告白って言えるかは微妙な所だけどな。 ていうか、確かに可愛いとは思うけど、変装時の顔の方を長く見てきたから、今は戸惑いが勝る。
「うん、鹿川くんはそうだよね。ごめん」
やっぱり安堵の息を吐いてから、嬉しそうに笑う雨川。
なんだろう、告白されないから安心とかちょっと傷付くんだけど。ちょっとぐらいは告白されたかったとか思ってくれても良いじゃん。うん、我ながら面倒くさい。
「じゃあ、本当に行くからな」
「うん、私もまた変装して出ていくよ」
よしっと、俺は扉の方に向き直す。
そして出ようと歩を進めだした所で、後ろから声がした。
「ごめん、もう一度言うけど誰にも言わないでね、鹿川くん。鹿川くんのような人ばっかりじゃないと思うし……」
俺は顔だけ後ろに向けて言う。
「それなんだけどな、雨川。俺も、ほら結構思ってたこと喋っちゃった訳だし、これ誰にも知られたくないんだよ。恥ずかしいし、特に偏差値高い奴らに知られたら、なにその顔で文句言ってんのよとか反感買いそうだし」
「えっ、うん……」
「ってことで、お互い秘密を握ったということで、お互い自分の為に相手の秘密は内緒にしとこうぜ。絶対だぞ」
「あっ、うん、分かった」
不思議そうな顔で曖昧に答える雨川。
また前に向き直して、
「本当にじゃあな」
そっと扉を開けてから誰もいないことを確認して、部屋を出て行く。
その際に、ありがとうと、もう一度小さく聞こえた。