誰これ系美少女
今日は別段何が起きる訳でもなく平和的に学校生活を終え、放課後を迎えた。
まあ、何も無いのはいつもなんだけどね。
上位カーストの奴とは関わることすら無いからそこにイベント発生はありえないし、他の奴とは割と上手くやれている自負はあるし。あっ、高倉っていう例外はあるけど。
部活は何もやっていないし、今日は特に予定もない。まあ暇だし誰かと一緒にどっか寄って帰るか、っと言いたいところだけど今日はまだやるべきことが残されていた。数学の課題をやり忘れていたから、担当教員に放課後までにやった上で持ってこいと言われていたのだ。
一年クラスが並ぶ二階から階段を三階分登った五階は、家庭科室や視聴覚室、特別教室や職員室などが並ぶ特別教室棟となっている。
段数も多い上に大分奥に目的の職員室はある為、億劫に思いながらも足を進める。確かに忘れた俺が悪かったけど、忘れたなら明日で良いよ、とかでも良いじゃん。何で今日中なんだよ、などと不満たらたらで歩いていると、それをかき消すかのような美しい音と声が聞こえてきた。
聞き覚えのある洋楽のメロディーに思わず足を止めてしまうと、少し先には音楽室と書かれたプレートが貼られた扉が見えた。
ああ、吹奏楽部と合唱部の合同練習か。うちの学校は吹奏楽コンクール、合唱コンクール、どちらでも全国大会の良いところまで行ったことがあるとは聞いたことあるけど、これは納得というか。
部活動紹介の時のデモンストレーションや普段の練習も聞こえてきたりすることもあるけど、改めて素人である俺でも、そのズレなく揃えられた演奏と透き通った歌声は凄いと心動かされてしまう。一分間ぐらい聞き惚れてしまった。
だけどそこでふと俯瞰的になり、人がいないことは確認して立ち止まってはいたが、人が来たら変に思われちまうかもしれない。さっさと帰ることにしよう。そう思って再び歩き出したが、しかしその一分が命取りとなってしまった。
歩き出してすぐに見据える先にある職員室の扉が開いたかと思うと、ぞろぞろと男女混合で十名近くの生徒が出てきた。
それ自体は問題はない。しかし問題はその誰も皆、顔面偏差値60以上のトップグループに属する奴らばかりだということ。当然知名度も上々な奴ばかり。全員知った顔な上、そのほとんどが俺と同じクラスの奴ら。
何ていうか、オーラがヤバい。近付き、オーラに触れようものなら一瞬で気を失ってバタンと倒れるんじゃないかってぐらいヤバい。太陽とか眩しいものを見た時に人間が反射的にしてしまうように、プラス普段からの心証によって俺は本能的にすげー、顔をしかめた。
なに、あいつら。何であんな人数で職員室押し掛けてんだよ。迷惑だろ、少し考えろよ。そしてキラキラキラキラ、オーラ出してんじゃねーよ。すげー、近寄りがてーじゃん。
――さあ、どうする。
奴らは何人かは俺の存在に気付いたようだが、路上の石ころ程度にしか思っていない俺のことなど意に介した様子はない。
そして下位の存在など無関心な上位の奴らの中でも、例外的に俺に明確な敵意というものを向けている(気がする)佐土原は、談笑していてこちらに気付いた様子はない。
もし奴に見つかりようものなら、俺の悪口を言われ、更にそこから発展しそうな気がする。いや、絶対そうなる。
奴らはこちらの存在など普段は眼中に入れないくせに、ことこちらの悪口が始まったとなると、次々と出してくる。
一匹いれば百匹いると言われるゴキブリのようなものだ。人の悪口なんて一つ出れば、そこから派生してあれよあれよと飛び出してくる。形があって駆除すればなんとかなる分ゴキブリの方がまだマシなレベル。つまり人の悪口ばかり言う奴はゴキブリ以下。
それに、クラスでもたまにだけど、マウンティングのつもりか大仰に罵倒をしあう姿を見せることがあるし、間違いない。というか、女子高生、いや女性なんてそんなもんだろ。人の悪口大好き。そしてその悪口言う雰囲気に仲間の男も釣られるもんだ。
さて、今なら引き返すことも出来る。近寄りがたいというのもあるけど、何より俺が近付きたくもない。
でもこんな階の真ん中で急に引き返そうものなら違和感はとんでもないし、想像したら何か不審な感じがする。
何より会わないようにわざわざ下の階まで降りて奴らが去ってからまた登るとか、何か奴らから逃げたみたいで嫌だ。せめて心の中でぐらい、強気で行かなくては。
……でもやっぱり近付きたくねえ。
どうする、時間が経てば佐土原に気付かれちまう。時間はない。
引き返すか、それとも……!
考えていると、横を向いていた佐土原が首をスライドさせる動きが見えた。――ヤバイ! その一瞬で俺はすぐ横のドアに手を掛けて横に引いた。
引く直前に、あっ、やべ、ここ使ってない特別教室じゃんと思い出したが、意外にも開いた。ここ普段から閉まってなかったのか。とりあえず急いで閉めて、扉に背を預ける形で倒れこんだ。
ふー……助かった。
一息吐いてから、すぐに倒していた首も上げた。
瞬間、俺は目を見開いた。
――そこには、正直あの佐土原より綺麗な顔立ちをしているのに、俺には全く見覚えのない女性がいたから。
そんな女生徒が俺と同じ俺に向けていた。
えっ、誰っ!? ていうか――綺麗すぎだろ。顔から重力でも発生してるのかよってぐらい、顔も目も逸らすことが出来ない。
いや、勿論佐土原とどっちが綺麗かなんて個人差があるし、人それぞれ違うだろう。それに俺は人の顔を比べるのは好きじゃない。
それでも、客観的に統計を取れば明らかにこっちが評価されると分かることもある。佐土原クラスともなると微妙と言えなくもないが、そこいらの上位野郎なら明らかに相手にならないレベル。そこいらの上位野郎って何だ。
本能的に俺が導き出した顔面偏差値は70。しかもそれはメイクをしているようには見えない、現時点での顔でだ。素でこれだけだ。ひょっとしたら、いや絶対に、メイクしたら80は行くのではないだろうか。出した後、何奴らの基準を引っ張り出してんだと後悔したけど。それでもそのぐらい綺麗だった。
ただそれは、顔だけで言えば、という話になる。確かに柔らかな目元は大きく開き、スッと通った鼻梁、あとは今は驚きで開いた口は見事に統制の取れた顔となっている。最良と言っても良いバランスを誇っていた佐渡原より、黄金比率となった絶妙な容姿だ。
だけど、髪はボサボサとしていて滑らかさが足りない。清潔感という意味では欠ける。
「えっと、誰……?」
それが一番最初に出てきた質問。
そんな女子がここにいたこともそうだけど、一番疑問なのがこんな綺麗な子を全く見たことないということだ。
制服はうちの学校のものだからここの生徒なのは間違いないけど。そして気になるのは右手に握られたメガネ。
「――あっ、あっ、あ……」
「あっ?」
「みっ、見られちゃった!」
かなり困惑した様子を見せる彼女。何だ、どうした!?
……んっ、あれ? なんか今の声聞き覚えがあるような……。
「ごめん、声もう一回聞かせて」
そう言うと、ハッとしたように口を閉じて両手で抑える彼女。何というか、見た目も相俟ってその姿がやたら愛らしい。そこに普段他の上位野郎から感じるような、見下した態度も感じられないし。
ただまあ、その態度から明らかな通りどうやら声も聞かれたくないらしい。ということは、やはり俺が聞いたことのある声である可能性が高い。つまり俺の知った顔。
無い訳では無いけど、そこまでは俺は他のクラスとの交流はない。となると、うちのクラスか? でもこんな美人がいればすぐ分かるし、上位グループの仲間入り間違いなしだけど、絶対にこんな子はいない。
そこでハッと、彼女の手に握りしめられたメガネが視界に入って存在を思い出す。その視線に気付いた彼女は近くに置いてあったカバンに急いでメガネを隠すも既に遅い。
俺のクラスメイトで女子でメガネ……。
上位グループは大体コンタクト、でメガネは二人。ただそいつらとは全く持って顔の作りが違う。
――ってことは、まさかのこの顔で偏差値低く見られた下位グループ! いやいや、無いだろ。……でも、ありえるとしたらまさかこんな美人がブスに変装とか? いやでも普通はありえないし、理由は全く思い付かないんだよな。
もう一度、彼女をじーっと見つめる。しかし彼女が窓側に体の向きを変化させる。くっ、やはりまともには見せてくれないか。
しかし、今の一瞬で焼き付けた姿を思い出す。…………ちょっと待て。今の顔、どっかで見たような。
……もしかして? あれ、どことなく……。
面影だけ。しかも若干過ぎて、気の所為かもなんてレベル。でも下位グループにもメガネ女子なんて四人しかいない。四分の一に絞った上で、今の閃きを信じるとすると――
「もしかして、雨川?」
彼女の肩がビクッと跳ね上がったのが分かった。直後に思いっきりブンブン首を横に振りだした。あっ、これ正解だな。
――って、嘘、マジ、正解かよ! 全然分からないわ、こんなん。だって、地味で偏差値30指定され、たまに上位陣にイジられるあの雨川がこれ? 全然違い過ぎるって。
ただまだ確証はない。聞いても正直に答えないだろうしちょっとカマ掛けてみるか。
「あっ、違うのか。じゃー、誰でも良いや。分からないし気になるから、何か俺の知らない人この部屋にいたけど誰か知らないかって聞いて回るよ」
自分でやっといて実に嫌らしい手段。
正直女の子相手に何やってるんだよという自分もいるけど、それより多すぎる謎を理解して頭を整理したいという気持ちが大きい。
「それはダメ! 誰にも言わないで」
振り返り、恨めしそうに俺を見つめる彼女。うわ、心が痛む―。
でも、改めてじっくり見るとやっぱり雨川の面影は、一ミリぐらいは残っている。声も確かに雨川だ。
しかし、こうなってもまだにわかには信じがたい自分もいる。
「冗談だよ。何か理由があって隠してるんだろうし、誰にも言わないよ」
「本当……?」
「本当、本当」
安堵したように息を吐く雨川。
どう思われてるかは知らないけど、握った誰かの秘密をバラすような極悪人では断じてない。
ただ、
「でもやっぱり雨川で良いんだよな?」
「うー……そうだよ」
かなり渋々といった感じで唸ったあと、観念したように認めた。そんなにバレたくなかったのか。ってまあ、わざわざこんなところでコソコソ何かしら、変装かな? でもするぐらいなんだから、そうだよな。
「今まで誰にもバレなかったのに……。本当に誰にも言わないでよ、鹿川くん」
おっ、おお、偏差値上位クラスの女子に名前呼ばれることはそうそう無いから新鮮だ。……これ良いね!
「大丈夫、大丈夫、誰にも言わないよ。――でもその代わりに俺の条件も飲んでくれよ」
「えっ、条件……? あっ、うん、そうだよね……」
何かを悟ったように言ってから、小さく溜め息を吐く雨川。何だ、俺の条件が分かったのか?
「分かったみたいだけど、一応。俺今頭全然頭整理出来てないからさ。色々質問するから答えてくれよ」
「……えっ?」
「えっ?」
何故か驚かれた。どうやら予想が外れていたみたいだ。
「あー、えっと……うん、良いよ。どうぞ」
よく分からないけど、相手から促してくれたからどんどん聞いていくか。
「まずいつもと全然違うから最初見た時全く分からなかったんだけど、ていうか今も信じられないんだけど、つまりいつものは、クラスでは変装してるってことだよな?」
「……そうだね。ぶ厚いメガネかけて、ウィッグして、背も若干猫背を意識して地味目を意識してるの。メイクも学校行くときは全くしないようにしてる……。あっ、ちなみにメガネは伊達ね」
確かに今はいつもより髪が伸びている。
前髪伸ばしてた所為で暗めの印象を受けていたけど、あれウィッグだったんだ。全然気付かなかった。高級なやつを使用してるんだろうか。だとしたら、本当に相当だぞ。
「いっつもここでやってんの? ていうか、朝と帰り?」
「うんうん、いつもは朝は家からウィッグ着けて、帰りは家まで帰ってから脱ぐんだよね。今日は暑くて、蒸れがすごかったからちょっと脱いだんだけど……そんなタイミングでまさか鹿川くんが入ってくるなんて……」
確かに今日は今までより大分気温が上昇はしていた。背中まで届いた髪をウィッグの中に収納しているとなると、蒸れてキツイんだろう。
で、ちょっと外す為に普段は来ない帰りに利用した時に限って俺が入ってきたと。うわっ、ナチュラルに凄いタイミングで入ったな、俺。
「ここって無断で使って大丈夫なのか?」
「多分……。誰か使ってるところなんて見たことないし、実際入ってきたことなんてないから。……今日までは」
多分て……。まあ誰も使わないなら良いのか。
そしてさっきから最後に恨み節みたいなのが聞こえてきますよ、すいませんね。
「分かった、じゃあ最後にもう一つ」
言うと、何故か身構えた雨川。
あれっ、何か警戒されてる? 何で? まあ、良いや。
「そもそもなんだけど、何でそんな変装とかしてんの?」