魔王の宝箱
初めて立ち寄った街の道具屋で、俺は面白いものを見つけた。
「これかい?こいつはワシのじいさんのじいさん、そのまたじいさんが知り合いの冒険者から譲り受けた宝箱だ」
そう言って、道具屋の親父はカウンターの後ろの棚の隅に陣取る宝箱の埃を払った。
「なんでも、その当時『魔王城』なんて呼ばれてた廃墟で手に入れたものらしい。御覧の通りの宝箱だが、なぜか開かないんだ。手に入れてからこの方、じいさん達はずっとこの宝箱を開けることに人生を掛けていた。ワシはもう諦めたがね」
一見すると、ただの古びた宝箱にしか見えない。
「とにかく、何をやっても開けられないんだ。マスターシーフの解錠技術も、斧で叩き割ろうとしても、爆破しても。呪いがかかってるんじゃないかってことで、えらい僧侶に頼んで祈祷してもらったこともある。魔術封印がされてるってことは分かったんだが、どんなに高度な解除魔法もダメだった。まあ、手に入れた場所が場所だけに、そのうち『魔王の呪いがかかってる』なんて噂もでたらしい。今となってはずいぶん昔のことだがね」
俄然興味が湧いてきた。魔王の呪いだなんておとぎ話だろう。魔王というのが大昔に居たらしいが、姿を消してから何百年も経っている。ともかく、駆け出し冒険者の俺にとんでもなくデカいツキが回ってきたのかもしれない。この宝箱を開けることができれば、俺の名前はこの大陸に響き渡るだろう。
「なに?こいつが欲しいのか?んん、まあ、いつまでも棚に置いておいても邪魔だし、開かない宝箱に意味もないからなあ…よし、いいだろう。あんたが持ってきたドロップアイテム全部と交換でどうだ?でもいいのかい?本当に開かないんだぞ、何が入ってるのか見当もつかないし?」
それでも俺はその条件を飲んだ。一攫千金、もしかしたらそれ以上のものが手に入るかもしれないんだ。
「ほれ、持っていきな。そいつを入れられる背負い袋はサービスだ。蓋が開いたら教えてくれよ」
宝箱を手に入れた俺は、ひとまず宿をとる。こいつが開くまでしばらく滞在することになるかもしれない。そもそも、こんな宝箱を背負って冒険するわけにもいかない。
ベッドに横になり、さて何から試そうかと考えているうち、どうやら俺は眠っていたようだ。
翌朝目を覚ますと、足元に置いておいた宝箱が消えていた。さては夜のうちに盗まれたか、と体を起こしてみれば、宝箱はそこにあった。しかし、不思議なことにとても小さくなっている。昨日までは両手で抱える大きさだったのに、今では手のひらに乗るではないか。
俺はすぐに道具屋を訪ねた。
「なんだいこりゃあ?こんなこと、今まで一度もなかったぜ…」
呪いってのは本当かもしれない、気を付けなよ、という親父の声を背に、俺は再び冒険の旅に出ることにした。小さくなった宝箱は、腰の道具袋に入っている。
俺たち冒険者の食い扶持は、主にモンスターの討伐だ。おとなしいヤツもいるが、基本的にはモンスターは家畜や人間を襲う。ギルドからの依頼でそういったモンスターを退治して報奨金を手に入れたり、野生のモンスターを狩ってドロップアイテムを集めて換金したりする。そうして俺たちは生きている。人々がいつからそうやって生活しているかはわからない。生活の中に、モンスターというものがごく自然に存在している。俺たち人間はずっとそうやって生きてきて、これからもそうやって生きていくんだろう。
宝箱を手に入れてから数日、あの日から小さいままの宝箱は、俺が何をやってもやはり開かない。次の街に向かう道中、モンスターを一匹片づけた俺は傷を負った。大したことはない、傷薬をぬればじきに治る。道具袋をまさぐったおり、袋から宝箱がこぼれ落ちた。モンスターの死骸の、その血だまりの中にだ。
やってしまった。拾おうと手を伸ばすと、血だまりがみるみる小さくなっていく。なんだ?まさか血を吸っているのか?そう思っているうちに、血だまりは消えた。
この宝箱は血を吸うのか?
自分の左腕から流れる血を、宝箱に垂らしてみる。吸わない。人間の血は吸わないのか?
夜になり、俺は晩飯にと捕まえたウサギを捌く。疑問はまだ残っていた。ウサギの血を宝箱に垂らしてみる。吸わない。宝箱はモンスターの血だけを吸うのだろうか?試してみる価値はある。
機会はすぐに訪れた。朝、昨夜残しておいたウサギの肉を焼いていると、匂いにつられたのか犬のような小型のモンスターが寄ってきた。一匹だけ、どうやら腹が減っているらしい。俺とウサギ、両方喰いたいようだ。
宝箱は案の定、モンスターの血を吸った。俺はなぜか確信した。宝箱の鍵はモンスターの血だ。血を吸わせ続ければこの宝箱は開く。より多くの、より強いモンスターの血で、この宝箱は必ず開く。『もっと血を吸わせろ』その時俺には、宝箱がそう言っているような、そんな気がした。
俺はがむしゃらにモンスターを殺し続けた。鍵に気づいて以来、出会うモンスターは全て斬ってきた。血を吸わせる度に、宝箱は『もっと、もっと』と俺を掻き立てる。深手を負いながら殺した手強いモンスターの血を吸わせると『うまい、うまい、もっと強い血を吸わせろ』そう言って俺を死地に誘う。俺の旅は、強いモンスターを求める旅になっていった。
あれから十数年、俺は英雄と呼ばれる冒険者になっていた。数えきれないモンスターを殺し、俺の実力・名声は、既に大陸に轟いていた。いくつかの国から、王の誘いもあった。麗しい姫君の婿の話も腐るほど受けた。そんなものには興味はない。俺はこの宝箱を開けたいだけだ。
そして、ついにその時が来た。
大陸の北の果て、火竜の山に巣食う3頭の火吹き竜を殺し、その大量の血を吸わせていた時だった。
宝箱が突然元の大きさに戻り、カチっという音と共に蓋が少し開いたのだ。
ついにこの時がきた!中には何が入っているのか?開けようと手を伸ばしたその時、
「素晴らしい、この時を待ちに待っていた」
背後から声を掛けられた。
剣を抜き、一瞬で振り向く。そこには、40代くらいに見える身なりの整った男が一人立っていた。
何者だ?まさかずっと俺の後をつけていたとでもいうのか?そんなはずはない、今まで俺は一人で旅をしていた。そんな気配すら感じさせないように十数年もいられるわけがない。
「数多の同胞の血を吸い続け、やっと私の力も戻った。ありがとう、礼を言うよ」
言い終わるや、男の姿は白い霧に変わり、俺の体にまとわりつく。霧が目を塞ぎ、耳や鼻や口に入ってくるのがはっきりと分かる。
「素晴らしい、実に素晴らしい肉体だ。今度の体は何百年も耐えられそうだ」
頭の中に響く声は、宝箱の声と同じように思えた。
十数年前、あの道具屋の親父がいっていた魔王の噂は、本当だったらしい。
あの親父、今どうしてるだろう?宝箱の中身を教えてやりたいが、俺の体はもう動かせそうにない。