お前の見えないところで戦っているだけさ!
そんな風に薫を絡めてぎゃいぎゃいと騒いでいた三人であったが、廊下のほうでまたざわざわと喧騒が近づいてくる音を聞いて目をそちらに向けた。
「あ、大名行列」
「ほんと、それっぽい」
淳一の呟きと、馨の声が続く。
前と同じように絢華お嬢様に付き従う生徒達によって、廊下の真ん中が開けられていた。
うぐ……と、今だに失恋の痛手から回復していない明良は、目を背けて俯いた。
「明良」
「ああ、うん……大丈夫」
薫の気遣う言葉に、明良は困ったように微笑んだ。
けれどもその傷心は見ていてもはっきりと分かる。
薫は妬ましくもあり、また怒りも感じた。
失恋した明良の心がまだ絢華に向いていることに対する嫉妬であり。
また同時に、明良に一目惚れしておきながら直接的な行動を何も起こさない、臆病な絢華への苛立ちであった。
薫は何とか絢華に対して意地悪をしてやろうと思い――その頭を働かせる。
彼女の身長、視線の高さ。平均的な歩く速度。
英明な頭脳がフル回転し、最適なタイミングをはじき出した。
「明良、ちょっとごめんね」
「ん?」
明良の襟首を引き寄せ、そのまま頭の位置を変えて。
そして、薫は顔を寄せた。
ッ~~~~~~!!
なにやら廊下の方で焦りの呻き声が響き渡る。
「薫……なにを」
「もうちょっとじっとしていて欲しい」
薫の言葉に意味は分からないものの、明良は言われたとおり動かない。
そのまま薫は視線を廊下の絢華に向けた。
この学園内で大勢の憧れと信奉を集める完璧超人の西園寺絢華。
彼女は、いつもの完璧な美貌に――あからさまな狼狽と焦りの気持ちを顔に浮かべていた。
薫は計算どおり、と呟く。
そう、薫はいまだに明良の心を捉えて離さない親友が妬ましいので……ちょうど、彼女の視線の位置から、まるで薫と明良がキスしているように見えるシーンを演出したのである。
「薫、お前」
「淳一は黙っていて」
淳一は西園寺絢華が顔を真っ赤にして、わなわなと震えているのが薫のせいと気づいた。
あれ? どうして一度振った相手が別の誰かと一緒にいるだけであんな顔を……。
淳一は、この時かなり正確に西園寺絢華が何を考えているのか察しつつあったが、口にはしなかった。
そして明良はすぐそばの薫の顔を見つめる。
「あの、薫。そろそろ頭動かしていい?」
「だめ、奴が悶え苦しむまでそのまま」
「何で頭を動かなさいだけでそんな苦しみを他人に与えることができるんだ」
「それに、そう。この距離はなかなか悪くない」
付き合いが長いので、薫がその無表情の中に喜びを感じているのがわかったので、明良は黙って動かなかった。
(あああぁぁ明良君がぁ、明良くんがキスしてますわぁ~!!)
西園寺絢華は、天羽薫の企み通り、いつもの取り澄ました美貌の下でもだえ苦しんでいた。
天才である薫の無駄に高度に計算し尽くされた角度で接近した二人の顔は、絢華の視線からはどう見ても接吻しているようにしか見えなかったのである。
それに……明良くんの友達であるという淳一は、二人がキスしているというのに、全く驚いた様子もない。
これはすなわち、二人がキスする事が驚きに値しない日常的な光景であるという証明ではないか。
胸の中がムズムズする。ちょっと気を抜くと泣いてしまいそう。いやなものが膨らんで心の中を押し潰して心の中を押し潰し、心臓をキュッと締め付ける。
羨ましい。
あの場所を代わって欲しい。
(わ、わたくしも明良くんとキスしたいですわっ!)
気づけば絢華は一歩を踏み出していた。
恋愛沙汰に臆病な心を今は無視する。足が竦むこともない。周囲の生徒達が、雲の上のご令嬢の普段と違う行動にざわざわと騒ぐ声もきこえない。
今はただ一心に、このまま好きな人を取られまいと突き進む。
常なら、彼女は明良にもしかしたら声をかけてもらえるかも、と儚い希望を抱いて廊下を行ったり来たりを繰り返すだけだった。
けどもそんな悠長なことなどもうしていられない。
まけるのは、いや。
「淳一。なんか後ろがざわざわしてない?」
「あー、うん、まぁ」
明良はできるなら廊下の方を見たくなかった。
今でも失恋した相手の絢華を見ると、失った初恋が疼いて苦しくなる。
だから廊下側の方を見て、怪訝そうな顔をする淳一に尋ねたのだが、淳一はどうにも歯切れの悪そうな様子で答える。
次第に後ろのざわめきは大きくなる一方であり、その上ざわめきの距離はじわじわと自分のほうに近づいてくるのだ。
「……びっくり」
薫が珍しく僅かに目を見開き、明良の後ろを見つめている。
同様に、同級生達もまた明良のほうへ視線を集中させていた。
なんだか変な汗が出る。何でこんなに注目を受けているのか、いたたまれない気持ちになりながら明良は、振り向いた。
「お……お久しぶりですわね、明良くん」
「……お、おお、お久しぶりです……」
明良は超困っていた。
告白してきっちりと自分をフッた女の子。
もう完璧に恋がかなう可能性のない片思いの相手が、なんで自分の後ろに仁王立ちしているのであろうか。
訳わかんない。
だが、この時完璧超人と周囲から目されている西園寺絢華もまた混乱の極みにあった。
自分から告白するなど恥ずかしくてドキドキして、想像しただけで真っ赤になるようなヘタレの絢華。一見すればいつもと変わらぬ美貌で明良を見つめた。
「失礼いたしますわ」
傍に控えていたメイドの花蓮(学生服)が主の動きに合わせて滑らかな動作で椅子を引く。
なんだこれ。
明良は何もいえない。何を言えというのか。
先日告白してフラれた人と謎の急接近。
これで一年、二年と時間が経過していたのなら、普通の知人として振舞えたかもしれないが、明良はまだ失恋の痛手から立ち直ったわけではなかった。
「……それで、何の御用なんでしょうか。正式に明良を振った西園寺さん」
「やめてあげて! 明良のHPはもうゼロよ!!」(淳一)
公衆の面前で薫に秘密を暴露され、一人明良が追い討ちを受け精神的に死にかける。
周囲もその事実を知り、ざわざわとざわめく声が大きくなったが……それと共に明良に同情の視線が集中した。
美貌と知性、家柄と誰もが二の足を踏むような高嶺の花。男も女も敗者には優しかったのである。
そんなわけで。
一人哀愁を漂わせる明良だが、絢華と薫の女の子二人は、今は彼を無視であった。
視線が交わる。
(キスしましたわ、今、明良くんとキスしましたわっ!)
(今だに明良は絢華が好き、妬ましい……)
それは恋敵への敵対の視線。
お互いを妬み合う嫉妬が激突し宙で火花を散らす。
「何の、用?」
「ぐっ……」
絢華はあまりお嬢様らしからぬ呻き声を漏らした。
彼女は決して頭が悪いわけではない。どんな窮地であろうとも流暢に自分の気持ちをべる能力があった。
ただ一点、色恋沙汰が関わると、彼女の頭はポンコツになるだけなのだ。
そしてこの時もポンコツ絢華は何か考えて行動に移したわけではない。
確かに、彼女は明良に対して関わるべき人間ではなかった。
告白されて振ったのだから、普通なら相手の失恋の痛みを抉り出さないようになるべく接することのないようにするべきである。
でも、そんなのはいや。
ただ妬ましさに駆られて、羨ましくて仕方がなくて。
ここで何か行動しないと、明良くんが自分のものにならなくなってしまうように思った。
「……あのー、なんでにらみ合ってるんですか」
公衆の面前で『フラれた』という事実を暴露され、落ち込む明良であったけど仲のいいはずだった二人の威嚇対決に質問する。
「…………そんな事してませんわっ」
「そう、ただのアイコンタクトで会話をしていた」
だが明良の質問の言葉に、二人はなんだかムッとした様子で返事を返した。
明良の取り合いで今まさに恋する乙女二人が対決しているのに、奪い合う対象が何のかかわりもない第三者のような顔をしているのが、なんだか許せなかったのだ。
「え、あ、その……すみません」
だけども、明良は一度告白してフラレタ身分。ムッとした絢華の視線にしおしおとしおれてしまう。そもそもどうして彼女がここに来たのかさえわからないのだ。
自分と絢華の関係は告白してフラレタ事だけ。
それなのにどうして彼女は自分と関わろうとするのであろうか。
明良は混乱した。