『これが……裏切りのみそしる!』
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一日が過ぎ、昼休みの時間。
陽世明良は、昨日の薫の質問は一体なんだったのだろう、と首を捻っていたものの、まぁ本人に聞けばいいや、と考えていた。
薫の本心に気づいている淳一は、幼馴染の彼女がこれを機に行動に移してくれればいい、と思っていた。
なにせ、明良はフラれたばかりである。
その心の傷を癒す薬として新しい恋をはじめるのは悪いことではない。
そんな二人の前に薫がやってきて挨拶を始める。
「明良、ご飯を食べよう」
「え? ……ああうん。別にいいけど」
だから、今までの幼馴染という立場に甘んじることなく、薫が自分なりに積極的な行動を始めるのを見て淳一は目頭を熱くした。
隣の席から慈父の眼差しを向ける淳一。
「……淳一、なんだよその優しい眼差しは」
「……幸せにおなり」
そんな彼を怪訝そうな横目で見ていた明良と薫の二人で会ったが、気を取り直して食事を始めることにした。
薫は天才と言っていい頭脳の持ち主であったけど、明良に対する気持ちが初恋だった。
当然男心をくすぐる手段など持ち合わせているわけもない。
だから絢華が自分のお屋敷にこっそりと隠している少女漫画ぐらいしか参考にならない。
そんな数種類の少女漫画を読み耽って、主人公の女の子が男の子と関係を深める手段として使っていたのが、手作りのご飯であった。
複数の本で共通する手段。
すなわち相手の心を射止めるための常套手段なのだろう。
ふんすと気合を入れて薫は用意を進める。
「今からおいしい手料理を食べさせてあげる」
「ふ、ふーん?」
一体何が始まるのか。
明良と淳一のみならず大勢が注目する中、薫はクールな無表情にどこか自慢げな雰囲気をただよわせながら机の上に、とん、と物を置いた。
食塩。
なんかこう、食堂のテーブルの上に置いてそうな塩の小瓶である。
「…………」
「…………」
明良と淳一は、顔を見合わせて無言のまま意思疎通した。
『なんだか嫌な予感がする』
『安心しろ、俺もだ』
だが、二人は薫を止めなかった。
実験と開発が趣味のような彼女が珍しくそれ以外のことを始めたのである。
ここはしばらく見守ることにしよう。
そんな二人の前に薫によって。次々と小瓶が置かれる。
粉、粉、粉。
もしコレが小麦粉とかであったならどれほど良かったか。
それならまだパンケーキやお好み焼きなどの粉物だと信じることができただろう。
しかし丁寧にラベリングされた文字を見て二人は嫌な予感がドンドンと強くなるのを感じた。
(……どれもこれも、カップラーメンの成分表に書いてる化学調味料ばっかりだ)
明良と淳一はもうこの時点でかなり駄目だと理解していたが、ウキウキした様子で準備を進める薫に気の毒で何も言い出せなかった。
「まず、食塩をどっさり」
豪快にボウルに塩が放り込まれる。
「そして各種調味料を完璧な比率で投下」
薫は丁寧に分量を計り、それらを投げ入れる。
「そして最後に刻んだ紅しょうがと胡麻を入れて熱湯を注ぐ。
さぁ、明良、スープができた、飲んでみて」
明良は淳一に助けを求めるような視線を向けたが、淳一はあさっての方向を見やって無視のかまえであった。
薫は、さぁ飲んで、とドキドキした綺麗な目で明良を見つめた。
そのスープ。確かに食欲をそそる香りをしている。
明良もカップラーメンが悪いというつもりはなかった。あれはあれで消費者の要望に応えた商品だ。
だが『女の子の手作り』という、男なら心ときめくワードの後にカップラーメンのスープが出てきたとき、どんな顔をすればいいのだろうか。
とりあえず、一口飲む。
暖かなスープと共に味蕾を刺激するのは、豚の骨を長時間煮込んだとんこつスープ。味のアクセントとして加えられた紅生姜と胡麻が良い仕事をしている。
「おいしいよ、薫」
いい笑顔で明良はそう言った後、教室の窓からスープをぶちまけた。
「明良、ひどいっ!」
思い人の突然の非道な行いに薫は非難の声をあげた。
おいしいご飯を作って、『君の正確無比な調合で出来た人工的な味噌汁を毎日食べたい』というプロポーズの台詞を期待していたのに、突然目の前で心を込めてつくったスープを捨てられたのだ。
もっとも、これを手作りと言ったらそれはきっと手作り料理への冒涜となっただろう。
薫の言葉に明良は拳をわなわなと振るわせた。
「やかましいっ! ……き、期待したんだっ!
女の子が目の前で料理を作ってくれると思って少しドキドキワクワクしたのに、なんで出てくるのがとんこつ味のカップラーメンと同じ味のスープなんだっ!!
しかもちゃんと食べられる味というのが許せないっ!!」
「……うわ、本当だ。美味いのが怖いなー」
ちょっとだけ残っているとんこつスープの味を確かめる淳一は、その味に戦慄したような表情になった。
どんな味なのだろうと同級生達も興味津々で薫のとんこつスープを飲んで、現代社会の病理を見たような気持ちになるのであった。少なくともこの教室にいる何人かは、化学調味料に塗れた食生活を見直し、健康的な食文化をいとなむであろう。
薫は言う。
「お、おいしいはずっ! わ、わたしは研究の時にはいつもカップ麺で凌いできたのにっ!」
「なんだとっ?! だめじゃないか、薫は女の子なのにそんな健康に悪いご飯ばかり続けたら! 今度から俺がご飯を作りに行くからねっ!!」
明良は幼馴染の劣悪な食生活に驚きの表情を浮かべた後、すぐさま改善を申し出る。
「ど、どういう事?! 明良はわたしのつくったご飯が食べられないと……」
と、薫は言葉を区切った。
自分のスープを根底から否定され、ショックを受けた。
けれども――ごはんをつくりにいくからね――と、言った。確かに聞いた。
それはすなわち、通い妻。
毎日ご飯を作りに来てくれる=愛。
きちんと録音しておかなかった事が悔やまれる。
「……あれ。悪くない」
「薫……どうかした?」
「……わたしは今でも十分すぎるぐらいに特許で稼いでる。
明良一人と子供数人を養うだけの経済力は十分ある。そう……明良には主夫に専念してもらってもまるで問題ない……」
なにやら一人ブツブツと呟く薫に、おーい、と明良は話しかけるが反応はない。
淳一は相変わらず全てを見通す慈父の眼差しで薫を見つめるのみで役に立ちそうになかった。何となく腹が立ってくるので今度殴ろう、とそう思う。
そんな風にしばらくの呟きの後、いつもの無表情をなんとなくワクワクしたようにときめかせながら薫は言った。
「明良」
「うん? うん」
「わたしの為に毎日味噌汁を作って欲しい」
「……まぁ良いけど」
薫は後ろを向いてからグッと拳を握りしめた。
その場の勢いで飛び出た発言だった。けどもその意味は重要だ。
だって『君の味噌汁を毎日呑みたい』はプロポーズの言葉。
つまり結婚である。
薫はともかく明良はまだ18歳になっていないので正式な結婚はまだだが、これは実質的に婚約といっていいだろう。
そんな様子の薫の背を見て明良は微笑んだ。
きっとこれから毎日、美味しいご飯が食べられると喜んでいるのだろう。
これは是非腕によりをかけて、食事を振る舞わねば。
「ちゃんと美味しいものを作るから沢山食べなよ。
そうしたら薫の幼児体型もちょっとはマシになるかもしれないし」
……だが、その一言が、彼女の心を怒りで満たしていく。
先程まで婚約などという能天気な事を考えていたが、全身から迸る冷たい怒りが彼女を物事を自分の都合のいい方に捉える恋愛脳から本来の英明な頭脳を取り戻させていた。
幼児体型。
幼児体型!
薫は怒りと憎しみを瞳に込めて振り向いた。
その動作に込められた憎しみが激しすぎて、まるで錆びついた機械人形が振り向くかのよう。
整った顔立ちはいつもと変わらぬ無表情なのに、内面に吹き荒れる負の感情のせいで、般若の幻影が見える。
流石に明良も自分が虎の尾を踏んだのを理解した。
ヤバい。これはヤバい。
淳一の祖父である一徹老人と同じ類。
柔和な笑顔の下に修羅の心を潜ませる師と同じく、無表情の下に般若を隠し持っている。
「じゅ、淳一! お前何をする!」
「今回はお前を弁護できない、おとなしく罰を受けろ!」
助けを求めるように親友に視線をやるが、彼はこの場合積極的に薫へ肩入れする事で二次被害を防ぐ事にしたらしい。
うしろから明良を羽交い絞めにして、『俺がこいつの動きを封じているうちにとどめをさせ!』と言わんばかりの事をしていた。
じりじり一歩一歩近づく薫。
その拳が振り上げられ、明良の顔をぽこん♪ と叩く。
腰が入っていなくて筋力の無い薫の怒りの拳……それは大変かわいらしいネコパンチ。
薫が如何に心の中を怒りと憎しみで滾らせようとも彼女は非力な女の子。
むしろ、ぽこんぽこんと怒りの拳を浴びているにも関わらず、明良と淳一の二人の視線が微笑ましいものになってくるのを見て、頬を膨らませる薫。
憎しみよ、我に力を与えよ! と明良を殴るが、威力不足はどうしようもなく。
結局、明良が『薫は可愛いなぁ』と思わず本音を漏らし、それを聞いた薫が機嫌を直すまで、一方的な暴力の嵐、ほのぼの☆ネコパンチラッシュは続くのであった。