こんな理不尽な怒りと拗ね方みたことない!!
ヒロインのほうが書いていて楽しい不思議。
学校の校庭から少し離れた敷地に小奇麗な建物がある。
それほど大きなものではない。しかし丁寧な装飾が施された建物は上品で美しい。
普通なら、流石は上流階級のご令息、ご息女が通う星出水学園と思うだろう。
だが実際は、この学園最大の出資者である西園寺家のために作られた、私的な建物であった。
学校の敷地にお屋敷さえ持っている本物の大金持ちの娘である絢華は、自分のために作られた屋敷の中に入る。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「……」
丁寧に頭を下げるのはメイド姿の少女。
幼い頃から侍従として育てられた石水花蓮というメイドは、整った耳目に能面のような無表情を浮かべて……主人である絢華の手が、わなわなと震える様をじっと見守った。
西園寺絢華は頭の中で、この屋敷が完璧な防音処置が施されていることを思い起こす。
周りにいるのが主人の秘密は絶対厳守の花蓮のみであることを確かめる。
そして。
すぅ、と大きく息を吸った。
「なんで……なんであのあと一回も告白に来ないんですのよぉー!」
お嬢様の突然の叫び声に、大声ではしたないと嗜めるべき場面であったが、花蓮は無表情のままぴくりと眉を動かす。
「御嬢様、さすがにそれは無茶ぶりがすぎます」
「だってですわ、だってですわよ!」
胸の中の憤懣をぶちまけるように絢華は言う。八つ当たりするように手の扇子でテーブルをぺしぺしとたたいた。
この二週間の間、お嬢様はずっと悶々とした気持ちを抱え込んでいた。
もちろん最初はこんなの気の迷いと思い込もうとしたのである。
だってフッたのだ。
貴方の好意は嬉しいけど、お付き合いできません……。
そうはっきり明言した直後に『一目惚れしました』とか言ってみるといい。
どう考えても相手の心を踏みにじる悪女の所業でしかない。
だから好きなんて気の迷いですわ……と自分に言い聞かせようとすればするほど、胸の中で燻る恋情の激しさを思い知る。
きっと、明良くんも同じような気持ちを抑えきれずに告白してくれたのだ。
こんな、身もだえするような気持ちを自分に抱いてくれたのだ――そう連想しただけで心臓はドキドキ、顔は紅潮し、口元が、へへ、うへへ、と言うように妖しくゆるんだ。
だけどそんな顔も、我に帰ればあっさりと悲しみに沈んだ。
「明良くん……どうして話しかけてくれませんの」
「………………」
その台詞を横で聞いていた花蓮は、クールな無表情を保ったまま、ぴくりと眉を動かした。
ここ数日の反応で――自分の仕える主、西園寺絢華が……実は大変なヘタレであることを彼女は知りつつあった。
告白を拒絶するのは、まぁいい。フッた相手に一目惚れするのも……ひどいタイミングとは思うが、恋をするタイミングなんて誰にも分かるわけがない。
しかし……この恋に対する度胸の無さは如何なものか。
絢華は呟いているうちに、明良に対する憤懣が沸きあがってきたのか、唇を尖らせた。
「せっかく、せっかくこのわたくしが話しかけやすいように廊下をぐるぐる行ったりしているのに……なんで見ているだけなのかしら!」
行ったり来たりしてるだけでどうして話しかけてもらえると思っているのか。
ぷんすか怒っている絢華お嬢様は、花蓮の視線のひややかさに気付いていない。
ここ数日の彼女の奇行――用件のない教室のあたりを、余計なオマケを引き連れて練り歩く行動。
それは全て明良から声を掛けて欲しいという乙女心の成せることらしい。
花蓮は、頭痛を感じた。
才色兼備、文武両道、あらゆる面において天は彼女に才能を恵んだが、しかし恋愛の度胸に関しては……臆病者の心を与えていたのである。
一度フッた相手に告白するというのは、確かに心に掛かる重圧は大きかろう。
しかし告白してフラれた相手がちらちらと姿を現す明良のほうが心が痛いに違いない。
花蓮は明良と部活動で同じ『洗濯同好会』に在籍しており、一つ下の後輩が苦しむ姿を見るのは忍びなかったので、意見することにした。
「お嬢様、お嬢様」
「なんですのよっ!!」
「大名行列を横切った庶民は切り殺されることもあることをご存知ですか」
「このわたくしに告白したくせに! その程度の勇気さえ持ち合わせていないんですの?!」
「いや、無茶言わないであげなさい」
つい『だめだこいつ……』と呟きかけた花蓮。
絢華お嬢様は指をわなわなと震わせると、声をあげる。
「ですけどっ! 玄徳だって孔明欲しくて三回迎えにいったんですのよ?! わたくしの事が好きなら十回来るのが筋じゃありませんこと?!」
「そのレベル要求するの?! 諦め悪すぎてもうストーカーの域ですよ?!」
絢華お嬢様の想像を絶する無茶振りに、花蓮も驚きの声をあげた。
それでも溜息一つ溢して意見する。
「御嬢様、とにかく……初恋のタイミングが最悪だったのはもう仕方ありません。こうなった以上、御嬢様自身が告白するのが一番手っ取り早いです」
告白の付き添いはメイドの仕事外と思いつつも、花蓮は絢華の手を取り連れて行こうとする。
けども、顔を真っ赤にして豪奢な縦ロールを振り回しながらイヤイヤと叫んだ。
注射を嫌がる子供のように抵抗し、泣きそうな顔を浮かべる。
「い、嫌ですわっ! わたくしから告白なんて、そんなぁ……」
「このヘタレめ……」
泣きべそをかきながら抵抗する絢華。
告白して受け入れてもらえたらどうしよう。
想像すると同時に……フラれたら耐えられないとも思う。
何かに縋りつきたくて、誰かから、大丈夫だよ、と言って欲しくて。目についた花瓶の花を手に取った。
花占いのつもりだろう。ぶち、ぶち、と花弁を一つずつ抓んでちぎっていく。
「すき。すき。きらい……すき、すき、きらい……」
どうやら姑息にも、好きが最後に来る確率を多くしようとする算段のようであった。
ふぅ、と花蓮は諦めたように溜息を漏らす。
類稀な美貌も、英明な知性も、おおよそ人が欲するものは備わっていた彼女。
しかし、だからこそ生まれて初めての、何かが欲しいという望みに焦がれているのだろう。
「きらい……」
ぶつり、と引き抜いた最後の一本が、最悪の結果で彼女は顔を泣きそうに歪めた。
「最初に告白しに来たのですから、少なくともお嬢様の事を好きに思っていたのでしょう」
「わ、わかりませんわよっ! だ、だって一度フッたんですのよ?!」
「確かに、それがネックですね。彼が潔くすっぱりお嬢様への恋心を捨てたらどうするんです」
「そんなはずありませんわ! わたくしは才色兼備の西園寺絢華ですわよっ!!
美人ですのよ、頭が良いんですのよ、お金持ちですのよ、スタイルもいいんですのよ、そんなカンペキなわたくしですもの、明良くんは、ま、まだわたくしが好きに違いありませんわ!」
だけども、その声はまるで自分自身に言い聞かせているかのように頼りなくて。
らちが明かないのは、絢華だって気づいているのだけども、一歩を踏み出す勇気がもてない。
……もしこれが、まだ告白されていないのであればよかった。
けども、絢華は一度告白をされて、それを拒否した。
自分から告白する事に二の足を踏むのも当然だろう。
……まだ自分の事を好きに違いない。それはただの強がりの言葉でしかなかった。
「お嬢様、何でこんな頭の悪い事態になったんですか。もうちょっと利口に生きられないんですか」
「賢い恋なんて恋じゃありませんわよー!!」
「……なんでこういう時に限って頷ける事言うんですか、あなた」
ふむ、と少し考え込む花蓮。
「お嬢様は自分から告白するのは恥ずかしくていやだ。もう一度告白してくれたならOKをだす、と」
しかし花蓮の言葉に、絢華はぶんぶんと首を振った。
「そ……そんなOKを即座に出すなんてがっついてるみたいで恥ずかしいですわっ!
だ……けどもそれだけ何度も思いを告げられたら折れざるを得ないでしょう。
そ、そうですわね、あ、あと三回告白してくれたらお付き合いして差し上げてもよろしくてよ!」
さっき十回告白するべきなどと言っていた絢華お嬢様は、花蓮が見る限り、これでも譲歩したつもりなのだから恐ろしい。
「……普通の人は一度フラれた相手に告白をいたしません。
三度も告白するような人は、相手の迷惑を顧みない犯罪者臭がいたしますね」
はぁ、と大きく溜息をついて、花蓮は言う。
「なんでそんなに人生のハードルを上げるんです、お嬢様」
普通の人は、告白して拒絶された相手に、もう一度自分から告白などしない。
ましてや相手から告白をしてもらうのを待つなど、あまりに温すぎてあくびが出そうである。
「自分から言わないと、恋は適いませんよ?」
「も、もう良いですわっ! 花蓮には相談いたしません!」
だけども、花蓮の正論を突きつけられるたびに、自分自身のヘタレ具合を突きつけられる絢華は、不機嫌そうにふんっ! とそっぽを向いた。
もうこうなってはどれだけ全うな意見を述べても聞き入れてくれないだろう。
花蓮はわがままさに呆れつつも……主に仕えるメイドとして意見をする事にした。
「それでは、ご当主様に相談なさっては? あの方は色々人生経験がおありでしょうし」
「お爺様に?」
こくりと花蓮は頷く。
西園寺財閥の総帥である、西園寺龍平は孫娘である絢華をこの上なく溺愛している人だ。
メイドの花蓮にも気さくに接する人であり『絢華に良い人がおったらわしにだけこっそり教えてくれんかの』などと言って賄賂を渡すような茶目っ気溢れるジジイであった。
そんな風に孫を溺愛する人に教えてもよかったのだろうか。
花蓮は、相談を勧めるのは早計だったかなーとちょっと後悔した。
しかし吐いた言葉は取り消せない。
「なるほど、良い案ですわね!」
「今のお嬢様にとっては自分から告白する案以外なら、なんでも最良なのでしょう。
……このヘタレ」
「今何か言いまして?」
「いえ、いつもどおりお給料分の事までしか申し上げておりませんが」
「……微妙にトゲのある言い方ですわね」
絢華は首を傾げたが、気にしなかった。
「まぁよろしいですわ。すこしお爺様と話してきます」
「それがよろしいかと。
あと、天羽薫さんとお会いする約束がありましたので、用件はなるべくお早めに」
「ええ。分かっていますわ」
据え置きの電話を取り、呼び出し音を聞きながら彼女は考えた。
「とはいえ……流石にお爺様に全部を話すのは躊躇われますわね」
『告白されたのをフッてから、その三秒後に一目惚れした』というのはちょっと恥ずかしい。
だから、絢華は意図的に事実を言わないことにした。
「あ、お爺様ですか? ええ、ええ、もちろんわたくしも元気にしておりますわ。
あの……それで少しお知恵を拝借したいのですわ」
『告白を受けたけれども、それを丁重にお断りし。
その三秒後に一目惚れいたしました』
という、事態を一番ややこしくしている部分を省いて。
「じ、実はわたくし……お慕いする殿方がおりますの……」
明良の顔を思い浮かべれば、演技の必要もなく声に甘い恥じらいが篭ってしまう。
瞳は切なげに潤み、胸を中から突き上げる気持ちのせいで心臓まで高鳴る。
花蓮はわかってない、と絢華は思った。
明良くんのことを想像しただけで、こんなにもドキドキする。
告白のために正面に立ったら、それだけでどうにかなってしまうに違いない。
狼狽する、絶対に変な事を言うに決まってる。
嫌われたくありませんの。
頭の中を占めるのは、慕情から来る臆病者のこころだった。
「凛々しくて格好良い人とは思っていたんですの。……でもあの時見せた震える唇が、可愛いかったんですの」
祖父に好きな人の事をゆっくりと語り始める。
顔を傍で見ていた花蓮は『うわぁ、メスの顔してる』などと失礼な事をのたまっていたが、もちろん彼女の耳には入らない。
そのまま、思いの堰から好きという気持ちが、濁流のように言葉になって溢れ出るのに時間はかからなかった。
「……ふぅ」
……こうして小一時間ほど話し込んだ絢華は、気持ちを他人に聞いてもらったことで落ち着きを取り戻した。
だが。
この時、事実の全てを言わなかった事で、あのような悲劇が起こるなど誰にも予想できなかったのである。