姉より胸の大きい妹など存在しねぇ!!
陽世明良が失意に打ちのめされていようとも、学校への登下校の時間はやってくる。
まず、ボディガードとして師父経由で雇われた明良であるけど、恐らくその依頼がフェイクであることには気づいていた。
命を狙われている人特有の緊張感が、絢華と花蓮先輩には存在していない。
ではなぜボディガードなどを?
そう考えれば……やはり、絢華さんは自分を手元に置いて、一喜一憂を楽しむ邪悪な目論見を持っていたのだろうか?
絢華が既に学園へと登校のために出発したと聞いて……明良は護衛としてそれでいいのか? と思い悩むと同時に、ほっと安堵していた。
……もちろん、事実とは違う。
絢華は朝一番での遭遇で会話し、その際に放った『殺しますわよ!』という一言で想像以上ショックを受けていたと美千穂に聞かされ……気まずくて、困って、顔を合わせづらくなり、学校に行ってしまったのである。
そうなれば明良もいつもの習慣で学校へと向かうより他無かった。
学園の敷地内にある西園寺の令嬢が住むお屋敷と、学生寮からの道が交わる交差点に差し掛かるといつもの気楽な様子で、七瀬淳一が、手を挙げてこちらに声をかけてくれた。
色々と生活が激変しているものの、親友だけはまるで変わらない。その事が今の明良にはありがたかった。
「明良。美千穂が邪魔をしたな」
「いや、十分助けてもらってる」
親友の言葉に明良は頷いて答える。
「何せ、美千穂ちゃんには絢華さんの夜這いを止めてもらったという恩義があるからな」
「ほんと何があったんだよ昨日?!」
淳一が驚愕の面持ちで声をあげているが、今は無視する。
「美千穂ちゃん、大きくなったなぁ」
「……大きくなりすぎたというのが、実兄の意見だがな」
目を閉じれば、淳一をはじめとした幼馴染との日々は目蓋の裏に焼きついたかのように思い出せる。
あきらにいちゃん、あきらにいちゃん、とちょこちょこついてくる美千穂の事が可愛くてたいへんに猫可愛がりしたものである。
しかし今の美千穂ちゃんは、あの頃とあんまり変わっていない心のまま、体のみが大きくなったかのようだ。
例えて言うなら、子供の頃可愛がった子ライオンが成長して立派な大人になったにも関わらず、童心のままじゃれ付いてきたような……そんな感覚だ。
「ま……そんな訳で、爺様との話は俺で進めておこう。
……どうも、西園寺の爺様から直接話を受けたらしくてな。数日の辛抱だ。すぐに護衛の仕事をお前から美千穂に代わるようにと、正式に話が来るだろう」
「悪い。手を煩わせる」
いいさ、と淳一は手を振って笑って見せた。
こっちを気遣ってくれる友人とは得がたいものだなぁ、と改めて実感する。
さて。
明良と淳一の二人が教室のほうへとやってくると、周囲からはざわざわと遠巻きに話しているような声がしてきた。
何事なのかと目を凝らせば、見覚えのある二人がなにやら抱き締めあっている姿が見えた。
「薫姉ちゃん、おひさしぶりっす~!」
「むぎゅ~~!!」
いや……抱きしめあっている? と言っていいのか、これは。
七瀬美千穂と天羽薫の二人。明良や淳一と同じく幼馴染である二人は、久しぶりの再会に友情を深め合っている……はずなのだが、遠目に見ると絞殺現場に見えない事もない。
明良よりもまだ頭ひとつ分高い美千穂と、女子としてもかなり小柄な部類に入る薫は、横並びにすると大小そのものであり。
親愛の念を込めて行われる美千穂のハグを受けた薫は、ちょうど妹分の豊満な胸に顔面を押しつぶされているのであった。
いちおう、羨ましい光景のはずであるのだけども、薫の片腕がばんばんばん! と美千穂の肩を激しくタップしているさまを見れば、まるで深く極まった関節技に降参しているようにしか見えない。
いけない、と思った明良は声をあげる。
「美千穂ちゃ~ん! こっちにおいで~!」
「はうっ?! 明良兄ちゃ~ん!!」
明良は咄嗟の判断で美千穂を呼んだ。
美千穂はほとんど考えなしの脊椎反射的行動で薫をハグから解放すると、そのまま明良のほうに抱きついてくる。
とはいえ、明良の身長を上回り、おまけに長身にしなやかな筋肉を纏った体が、女子陸上競技で高水準の記録をはじき出しそうな弾丸の勢いですっ飛んでくるのだ。
「おわー!!」
それを考えるなら、美千穂の駆け寄る勢いで、明良がそのまま押し倒されるのも当然の結果だろう。ただ、押し倒したあと……すぐさま明良の脇に手を差し入れ、ひょいと立ち上がらせている。あの膂力はなおも健在なのだろう。
そうして彼女はゴロゴロと喉を鳴らすネコ科の猛獣のように明良に身を摺り寄せている。
そんな光景に、天羽薫は唇をわななかせた。
七瀬美千穂に対する愛情は彼女にも当然のようにあった。
薫姉ちゃん、薫姉ちゃんとよく後ろをついて来る美千穂は、友人付き合いが苦手な彼女にも気安く付き合える子で、よく勉強を教えたものである。
可愛い妹……その気持ちに偽りはない。
しかし、記憶の中にある美千穂のイメージは、幼い自分の後ろをついて歩く、自分より背の小さい可愛い女の子のはずだ。
だが目の前の雌豹を見よ! あの少女が、如何なる成長痛の日々を経れば、これほどまでのグラビアアイドル顔負けのメリハリボディを手に入れられるのか?!
、薫はじっと自分の胸元と、今明良に引っ付いている美千穂の体を見比べて愕然とした。
「なにこの戦力差!」
背丈も胸も幼児体型のままである薫と比べて、美千穂は……なんかこう、色々スゴイ。
いや、理屈は分かる。
天才科学者として研究三昧だった薫は、ここ数年明良たち幼馴染と少し疎遠であった。
それに成長期に研究三昧で睡眠不足な時もあった。薫が成長しないのも自業自得だろう。
だから知らないうちに成長期を迎えた美千穂は、なんかこうスゴイ事になったのだろう。
だが……胸の中に沸き上がる不公平感までは自制できない。歯軋りする。
とりあえず、八つ当たりめいて叫んだ。
「じゅ、淳一! どういうこと?!」
「それは何に対する疑問だ。
うちの妹が、兄でさえ驚く成長を遂げ、美女の階段を昇っていたことか。
それとも、なぜ自分は今だ幼児体型のままだということか」
「ネコパンチ!」
――ドグワッシャアアアァァァ!!――
淳一は薫に殴られた。
なお、殴られると同時に格闘漫画張りの壮絶な破砕音が鳴り響いたが、あくまで薫のスマホから流れるBGMなので当然威力は欠片ほどもない。
「……薫。お前、自分の当て身の威力が無いのを自覚しているのはいいが、効果音で威力を水増しするのはやめろ」
「涼しい顔をされるのがちょっとムカつく」
そんな二人を背景にしながら、明良は昔と同じように頭を撫でてやる。今や明良のほうが背丈が低くなったけど、美千穂の心は前と変わらず甘えたがりなのか、撫でられて怒る様子もなく、嬉しげに微笑んでいる。
薫は淳一を睨んだ。
「どういう事、淳一。美千穂が明良の事を好きだったなんて聞いていない。
恋敵を呼ぶなんてわたしの事を裏切った?」
淳一は唇を歪める。かなりふてぶてしい感じであった。
「いつから俺が味方だと勘違いしていた」
「淳一ぃぃ……!」
七瀬淳一は意識して悪そうな笑顔を作ったものの……次の瞬間には、いつもの優しげな笑顔を浮かべていた。妹である美千穂に目をやる。
「ま、な。真面目な話をするとだ。
妹の美千穂は見ての通り、雌虎の武力と雌豹の艶かしさを兼ね備えた肉体に、子猫の魂を備えたかわいい妹なんだ」
「言い得て妙すぎる……」
生まれついての天性の膂力に加え、七瀬の門弟の中でも屈指の腕前。
それでいて、その性根は自分達に懐いていた甘えん坊の頃と根っこの部分は変わっていない。
「そんなんだから、兄貴としちゃ美千穂の事がどうにも心配でな。
下手な相手に騙されるより、気性も知り尽くし、絶対的に信頼できる親友が貰ってくれるなら、心配性な実兄としては安心なんだよ」
「せ……正論……ごめん。淳一。これは……淳一が正しい」
そう言われると、薫は何も言えない。素直に謝罪を言う。
確かに淳一は実にいい奴だ。自分や明良に対していつも良くしてくれている。
だからこそ……誰にでも公平であるから、妹の美千穂にも同様に、誠実に接したのだ。
「俺としてはな。親友の明良が、幸せにはなってほしい。
あいつが誰かを選んだのなら、それを祝福するさ。
だけどもそれと同じぐらいに妹が幸せになるのも望みなんだよ」
ふ、と淳一は笑う。
薫は押し黙った。確かに彼からすれば、薫は大事な友人であろう。
けど血の繋がった実の妹の幸せを願うのも当然の話だ。
「だからさ。頑張れよ、薫。応援してる。
俺個人としては西園寺のお嬢さんより、お前のほうに期待してるんだぜ?」
「うん……頑張る!」
と、薫は答え――淳一は、その問いかけに目を細める。
薫はそのしぐさの意味が分からず首を傾げたが、元々英明な知性の持ち主だ。
先ほどの淳一の言葉は『西園寺絢華は薫の恋仇になりうる』という意味だが、これは……絢華が告白され、その直後に一目惚れしたという事実を知るものにしか言えないはずの台詞。
だが……淳一は、まるでその秘密に気づいたかのように、誇るでもなく、ただ淡々と事実確認めいて呟いた。
「あ……」
「やはりか」
薫の反射的な呟きは、もはや淳一の推察を全面的に肯定したに等しく。
淳一は納得したように頷いた。
「謎は全て解けた」