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当然の結果だよな!

難産でした。

作者の想像を超えて、趣味が選択という設定がベンリなことに気づく。

 朝が来た。

 陽世明良は目を覚まして、軽くあくびを溢してから顔を洗い、歯を磨き、ストレッチ程度の運動をしてから学園に向かう準備を終えると、少し考えることにした。


「……一体どういう事なんだろう」


 思い出すのは、昨日の夜。

 疲れから早めに寝所で休んで。

 誰かの気配がするので目を覚ませば、なぜかそこには絢華さんがいたのだ。

 彼女自身も「夜這いじゃありませんの!」とご慌てた様子で言っていたし。

 問題は、なんで絢華さんが自分の寝所に忍んでやってくるのか、だ。

 

「……分からん」


 絢華さんは自分の告白に対してお断りの返事をした。

 恐らく自分の事は異性と意識した事のない相手だったのだろう。

 つまり好きでも嫌いでもない。

 夜這いをする理由など、逆立ちしても出てくるわけがない。

 もし明良に対して明確な殺意を持っているなら『すわ、暗殺か!』などと思うことができるかもしれないが、明良は幸いそこまで憎まれたことはなかった。

 しかし……普通は好きでも嫌いでもない相手が寝ている部屋に忍び入ったりするか?


『明良くん、好きです』

「……っ」


 明良は、あの夢うつつの中で聞いた、蕩けるほどに甘い慕情の言葉を思い出して体温が上がるのを感じた。

 まさか。そんな筈はないと思う。


「そうだ……都合が良すぎる」


 頭の中に湧き上がった、自分自身にとって余りに都合の良い想像を頭を振って振り払う。

 けれども、説明が付くのは確か。

 絢華さんが自分を好きなら、自分の部屋に忍び入った理由も、そしてあの夢うつつの中で聞いた告白の言葉も説明が付く。


 ……そこまで考えて、明良は自分の頭をごん、と叩いた。

 自分を戒める。

 絢華さんが自分を好きだという想像は、余りに甘美で魅力的な考えだったけれども……証拠などどこにもない話だ。

 その想像は、証拠に基づくわけでもない。

『そうであってほしい』という願望交じりの推測だ。

 そしてそういう自分勝手な推測が真実であると思い込み、その思い込みのままに振舞う……そういう人は、実に有害だ。


「そういえば、このお屋敷は朝風呂もあるのだったっけ」


 主人である絢華はお風呂好きで、花蓮先輩がよく『洗い物が増える』と愚痴をこぼしていたことを思い出す。

 こうも朝早くならば、まだ誰もいないだろう。

 風呂は無理でも、水か、熱いシャワーでも浴びて気を引き締めよう。

 そう思って明良は立ち上がった。



「っ……あ、絢華さん」

「え、あ、明良くん」


 だがお互いに間が悪く、明良と……そして偶然同じタイミングで浴室に足を運んだ絢華の二人はばったりと顔を合わせ、お互い困惑を浮かべて固まってしまった。

 そう。明良が師である七瀬一徹老から護衛の仕事を命じられた時、こういう遭遇が起こってしまう可能性を恐れていたからだ

 陽世明良が、昨日の夜の事を思い悩んでいたように。


 西園寺絢華も昨日の夜の事でずっと思い悩んでいた。

 考えるのも恥ずかしい。

 口づけを待つように唇を突き出す姿でいるところをばっちりと明良くんに見られてしまったのである。

 そうして糸が切れるように意識を失い……ウトウトとまどろみを挟みながら絢華は目を覚ました。

 二回も気絶してベッドで身を休めていたせいか、結構早めに目が覚めて。

 陽の光がカーテン越しに差し込み、部屋の中が明るくなった事で……絢華はそこがいつもの自分の部屋ではなく、来客用に使われるお部屋であることに気づいた。


 明良くんの部屋ですわ!

 

 びっくりして目が冴えて……一晩中あの人のいたベッドにいたのかと不埒な妄想をいたしかけて……欲念、邪心を冷水で流そうと朝風呂にきたところで……今、最も顔を合わせづらい二人が、図らずも顔を合わせる結果になった。


「あ、あの」

「え、ええと」


 考えても見れば、明良が絢華に告白してから、二人きりにあるのはこれが最初のこと。

 明良は言葉に詰まり困ったように言葉を失って。

 そして絢華もまた何を言えばいいのか分からなかった。


(……どうしましょう、どうしましょう。わたくし一体なにを話したらいいんですの?)


 絢華はこうしてみると、自分と明良くんの間には会話の潤滑油となるべき共通の話題がない事に気づいた。

 強いて言うなら共通の友人である薫と花蓮の事が少しは話せるであろう。

 好きという気持ちは胸の中から零れ落ちるほど沢山持っているのに、いざ言葉にしようとすると唇が震えて何も言えなくなる。


 そして、明良も同様に言葉に困っていた。

 まだ完全に捨てきれた訳でもない恋心ゆえに、今絢華の傍にいる事は本当に嬉しい。

 けれども一度は告白して拒絶を受けた相手。

 下手に機嫌を損ねるような台詞を吐いてますます嫌われたら……一度告白して、そして断られた時と同じような、恋を失う胸中の苦しみをもう一度味わうのかも、と思えば明良の心はキリキリと痛んだ。


 図らずも二人は両思いであったけど、嫌われたくないという気持ちゆえ、心の距離を詰めるためのたった一歩を踏み出すことが出来なかった。

 好きであるからこそ、好かれたいと思う。

 だが好きだからこそ、嫌われることを恐れて好かれるための言葉を邪魔する。

 人間のみが持つ根源的な大矛盾を前に、二人は頭の中でぐるぐると考えを回していた。


 その時、明良は自分の脳裏に会話のきっかけとなる共通事項があることを思い出した。

 花蓮先輩の試験として、昨日洗濯した絢華お嬢様のパンツ。

 洗濯が趣味という、年頃の男子としてはあんまり一般的ではない趣味を持つ陽世明良は、同時に女性の下着にさしたる興味を持たない男でもある。

 そんな妙な趣味を持つためか、七瀬の家のほうでも稽古後の服を洗濯するのは明良の仕事。

 ゆえにこそ、例え好きな相手の下着であろうとも微塵も心揺るがさぬ鉄壁の自制心を獲得するにいたったのである。

 今まさに『そういえば絢華さん。パンツの履き心地はどうですか? 昨日、貴女のパンツは俺が洗いました』という自爆同然の爆弾発言が飛び出しそうになった……その時であった。


「あれぇ、明良兄ちゃん。朝早いっすねぇ」


 なんだか機嫌のよさそうな声が後ろから響いた。

 特徴的な語尾は、明良の耳の少し高いところから聞こえてくる。

 振り向けば、七瀬美千穂はにこにこと満面の笑みを浮かべていた。

 驚くべきは、明良くんよりも幾分か背が高いくせに……猫科の猛獣を思わせる実に自然な様子で気配を気取らせぬのだ。

 しかし、コレにちょっと困ったような顔をしたのは絢華のほうである。

 自分以外の家人が……何より、絢華の護衛という職務を任ぜられた明良くんが敵対の意志もみせず、和やかに歓談している姿を見ればあやしい筋の人ではないのだろう。

 言われてみれば……昨晩にキス待ちの状態でベッドに付していた時、ちらり、と彼女の顔を見た記憶がある。


「ああ。絢華さん。紹介が遅れた。七瀬淳一……は、絢華さんは知らないか。俺の同門の師妹に当たる。七瀬美千穂ちゃんだ」

「よろしくおねがいしまーす」

「え、ええ。西園寺絢華と申しますの。よろしくお願いいたします」


 頭は混乱していても、上流階級として躾けられた絢華は丁寧に頭を下げて挨拶に答えた。

 そうしてから……絢華はじっと美千穂を観察するかのごとく見つめる。

 始終機嫌よさげに、にこにこしていた美千穂であったけども、絢華の視線に『なんだろう?』 

と微笑んだまま、んー? と、小首を傾げた。

 その辺のしぐさがなんとも言えず、愛らしい。

 長身で豊麗な肢体の癖に、頑是無い子供のように、どことなく幼いところがある。

 絢華はなんだか心の中にムカムカしたものが湧き上がってくるのを自覚しながら尋ねた。


「お二人はどのような関係なんですの?」

「自分のうちが古武術の道場で、明良兄ちゃんはそこの門下っす。その頃から一緒にいたんすよ?」


 なるほどと絢華は頷いてから、また心の中にムカムカと苛立ちが立ち込めるのを自覚する。

 薫も、そしてこの七瀬美千穂さんも……付け加えるならメイドの花蓮でさえ、遙かに明良くんとの縁は深い。それがなんとも言えず、面白くないのだ。


「明良兄ちゃんには、よく服を洗ってもらったっすねぇ」

「え? ああ、まぁそうね」


 明良は突如会話の矛先を向けられ、少し困ったように答えた。

 概ね事実だ。

 そもそも明良が異性の下着を洗濯しても平気な、男としてちょっとどうだろう……? と思う具合になったのは、このひとつ年下の美千穂がよくよく洗い物の籠に下着を放り込むからである。

 まぁ洗い物を籠の中に放り込む程度なら、家族同然の関係なら珍しくはあるまい。

 しかし籠を抱え込み、さぁ洗濯だ! と意気揚々と立ち上がったところで……自分の下着を明良の目の前で籠に放り込む美千穂の行動は如何なものか、と明良は思う。

 しかもその後、美千穂はよく『明良兄ちゃん、下着って何処だったっすか?』などと尋ねるのだ。

後でその発言の意味するところを悟り、『はいてないのかよ!』と、明良は悶々とした気持ちを繰り返し……最後には、異性の下着を洗濯してもまるで動じない鉄の心を手に入れたのである。


「やっぱり明良兄ちゃんの洗った下着でないといけないっす」

「……」


 明良はちょっと黙ったまま美千穂の頭をコツンと叩いた。なんかこう、ちゃんとしつけをしておかないといけない気がしたのである。

 さて。

 美千穂の言葉に絢華は驚いた。

 これまで彼女は掃除や洗濯などは、メイドの花蓮などに一任していたのだけども、二人の関係を見ると、疑念がわいてきたのだ。


(あ、あれ? どういう事ですの? 異性の殿方に下着を洗濯されるのってもしかして普通の事なんですの?)


 もちろん、そんなわけはない。

 しかし生まれた時から西園寺という大富豪の家に生れ落ち、召使に傅かれて暮らしてきた絢華にとっては一般家庭の常識など知りようもない。

 内容だって相談する事は憚れるものだ。

 当然明良も美千穂も、絢華が『異性にパンツ洗ってもらうのは普通』という間違えた常識があると超絶の勘違いをしかけているなど分かるはずもない。

 そんな内心など露知らず、ニコニコと笑顔のまま、美千穂は言った。


「絢華さんも、明良兄ちゃんに洗濯してもらったっすか?」

「そんな訳無いだろ、ここのお屋敷には俺以上の洗濯のプロ、石水花蓮先輩というお方がいるんだ。わざわざ俺の下手な洗濯をさせる理由などないさ」


 しかし……絢華は知っている。

 石水花蓮というメイドは、あらゆる家事を万全にこなす能力の持ち主であった。

しかし洗濯同好会という学校内の部活動で洗濯し、その洗濯物を主人である絢華自身にとりに行かせるズボラなところがあったり、内心では『ウゼェ』と思っていたり、目の前で自分の洗濯物を好きな男の子に洗わせたりする、冷酷非道の反逆メイドである。

 そんな彼女が、自分の仕事を他人に任せる機会を逃すであろうか?

 洗われる!

 確実に自分の眼の届かないところで、また下着を洗濯されるに違いない!


(そんな事をもう一度されたら、今度こそ恥ずかしくて死んでしまいますわ!)


 だから、反射的に叫んでしまった。


「明良くんっ!」

「は、はい」


「今度わたくしの下着を洗ったら殺しますわよ!!」


 無理もない反応ではある。

 異性に下着を手もみ洗いされ、その一部始終をありありと見せ付けられた絢華からすれば、至極当然の話。

 もうこれ以上パンツの話なんかしたくありませんわ! と踵を返す絢華お嬢様。

 しかし明良は違った。あまりの衝撃にがっくりと膝から崩れ落ちる。

 今だ慕情を捨てきれぬ女性から『殺す』とまで言われたのである。それこそハンマーで頭をぶっ叩かれたような衝撃であった。


「ああ……なんて……なんてことだ」

「明良兄ちゃん! しっかり!」


 美千穂が崩れ落ちる明良を支えようと手を伸ばすが、それも意識には入ってこない。

 明良はこの時、勘違いをしていた。

 彼は確かに西園寺絢華のパンツを手もみ洗いしたが、その精神には一欠けらの邪心さえ忍び込む余地のない、清浄無為の心持ちであった。洗濯されることが、恥ずかしさに繋がるという認識さえなかったのだ。

 ゆえにこそ……『殺す』まで言われた理由は明良の洗濯の腕が未熟な事を叱責されたのだと思った。

 確かに、明良が個人的に尊敬する石水花蓮の洗濯の技量に比べれば、自分のそれなど児戯に等しいだろう。

 内心自負していた洗濯テクニックを頭から否定され、自身を喪失し、身を震わせる。


「き、気にしなくていいっす! 明良兄ちゃんの洗濯したパンツ、履き心地が違うんすよ!」

「おためごかしは止せよ、美千穂ちゃん……」

「そうじゃないっす! 自分は毎日明良兄ちゃんにパンツ洗って欲しいっす!」


 ふ、ふふ……と笑う明良には美千穂の声は届かない。

 洗濯が下手、と言われたのも衝撃ではあった。

 しかし、それより遙かに……より、はっきりと、告白を拒絶されたときとは比べ物にならない強い口調で拒絶されたことこそが、明良のこころを打ちのめしていた。

 やはり、昨晩、夢うつつで見た絢華さんの告白の言葉は、自分の浅ましい心が見せた勝手な願望の光景であったのだ。

 己が性根の破廉恥さを自覚し、明良は深く恥じ入って唇を噛み締めるより他無かった。

 


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